07 推し
「便所から出て教室戻ろうとしたらシマセンとすれ違ったんだけどよ、ニヤッと笑ったかと思ったら何つったと思う? 『麻宮~、次の補習も楽しみにしてるぞ~』だとよ! 何なんだあのおっさん」
「ははは、そりゃあすっかり気に入られたな」
「気にいる!? 嘘だろおい、勘弁してくれ!」
いつものように一緒に帰り、いつものように会話をしながら、分かれ道となる公園の前で一旦立ち止まる。
「明日、東京に住んでるいとこに会いに行くんだ」
「お、そーなのか」
「土産は食べる物でいいか?」
「気を遣わなくていいぞ。ま、どうしてもと言うなら〝東京ばな奈〟かな……へへへっ」
「了解。大きい箱のを買うよ。今日のお前は格好良かったからな」
「む?」
きょとんとする九斗に冷司は笑いかけ、
「ほら、朝の小泉さんの。話聞いてて嫌になってきたから止めようと思ったら、お前が先にはっきり言ってくれた」
「ああ、あれか……」九斗は頭を掻いた。「でもまさか、黒沢さんが聞いているとは思わなかったけどな。大丈夫かな……」
「多分大丈夫じゃないか? あの子、一見大人しそうだけど、やられたら笑顔できっちり仕返しするタイプみたいだろ。まあ、心配なら後で[MINE]しとけばいいさ」
「そうだな──って!?」
九斗が驚愕に目を見開くと、冷司は吹き出した。
「何だよ、UMAでも見たかのような反応して」
「いや……待て、何で知ってんだ、オレが黒沢さんと[MINE]やってるって」
「前に黒沢さんから聞いたんだよ。それこそ[MINE]で」
「何、お前も交換したのか!?」
「ああ、入学してそんなに経たない頃に五、六人で雑談が盛り上がった事があって、その時に。俺だけじゃなくて、その場にいた全員で交換になったな。お前がいなかったのは何でだか忘れたが」
「な……何だよ……」九斗はガクリと肩を落とした。「浮気だと勘違いされたくねーから黙ってたのに……」
「別にそのくらい気にしないって。ゆあっちって子と交換したって話の時も、怒らなかったろ?」
「そ、そうか……」
──最初から心配するこたぁなかったのか。
九斗は小さく安堵の溜め息を吐いた。
──まあ確かに、オレよりも先に冷司に聞いてるよな……。
「じゃ、そろそろ行くよ」
「お、おう。それじゃあな」
「じゃあ……」冷司は周囲を様子を窺うと、九斗の肩を抱き寄せ、その頬に触れるようなキスをした。「またな」
「な……あ、あわわわ……」
九斗は去りゆく恋人の背中を真っ赤な顔で見送り、その姿が見えなくなると、ようやく絞り出すように呟いた。
「外は……外は駄目だろっっ!」
九斗と冷司が自宅の最寄駅に到着する数分前、部室棟一階の演劇部部室。
黒沢・新谷・狭山の三人組が、スチールパイプテーブルを挟んでパイプ椅子に腰掛け、雑談していた。三人の中で演劇部員は新谷だけだが、他の部員の集まりが悪いので、誰もいない時はこうして勝手に利用している。
「……というわけで、小泉には釘を刺しておいたからもう大丈夫かな、と思う」
新谷が最近目撃したバカップルの話でそこそこ盛り上がり、狭山の最近の悩み──兄の婚約者といまいち性格が合わない──について真剣にアドバイスし合った後は、黒沢が今朝の登校時に起こった出来事を語った。
「はぁぁ~!? マジムカつくんだけど小泉!!」
「いやもう性格悪過ぎでしょ、あのクソブス!!」
新谷と狭山が大声で怒りを露わにすると、黒沢は慌てて二人を宥めた。部室棟を行き来する複数の生徒の気配がドアの向こうに感じられるし、部室の壁は驚く程薄い。
「マツモトって奴のせいにしてるけど、お前も共犯も同然だろってね! 絶対楽しんでた癖に!」
「ねぇ~! しょっちゅう黒沢の事ジロジロ見て、仲いい奴らとヒソヒソしてたの、こっちは知ってんだから!」
「というか、小泉は松元の話が嘘だってわかってたんじゃないかなって、うちは考えてる」
テーブルの上のティッシュボックスを指先で弄る黒沢の冷静な口調は、まるで他人事のようにも聞こえた。
「わかってて、悪口言うのが楽しいから乗ってた……まあ、あくまでも推測だけど」
「だとしたら余計にタチが悪い」
「念のためにさ、先生には言っておいた方がいいんじゃない?」
「うーん、とりあえず今はいいかなって。でも、もしまたうちを悪く言う素振りを見せたらそうする。何だったら、学校すっ飛ばして大事にしてやってもいいんだし?」
黒沢が不敵に微笑むと、新谷と狭山はうんうんと大きく頷いた。
「槙屋君と麻宮君だって証言してくれるんじゃない?」
「あー、そうそう。てか、はるちゃん良かったじゃん! あの槙屋君が庇ってくれて」
「えへへ、まあね」
槙屋冷司は、三人の間で共通の〝推し〟だ。顔面偏差値と運動能力が高いというのが主な理由で、どうやら勉強も出来るようだとつい最近盛り上がったばかりだが、性格までいいとなると文句なしだ。そして今日、推しが新たに一人増えた。
「麻宮君もカッコイイ! 優しい! 漢気あるぅ~!」
「うん、いい人だよね。あとさ、割といかつい風貌だけど、よく見てると何か大型犬っぽくてちょっとカワイくない?」
「でしょでしょ? 実はね、この間麻宮君と途中まで帰った時も──……」
数分後に二年生の演劇部員たちがやって来るまでの間、三人はちょっとした青春の一幕を無邪気に楽しんだ。




