第六話 ignorant
“4組の桜田が屋上の鍵を盗んだ犯人だった”と言う噂は瞬く間に広がった。
その日から、桜田さんは“泥棒”というレッテルを貼られる事になった。
「知ってるか?4組の桜田って奴、屋上の鍵盗んだらしいぜ」
「ひえ〜異常者じゃん。そんな奴が同じ学年にいるとか、マジ怖いわ〜」
「マジで退学にして欲しいよな」
「それな!」
そういった会話が嫌でも耳に入るようになっていた。
当然、これらの情報は先生達にも伝わったが、先生達は彼女の事情とイジメの可能性を考慮して、彼女を責める事はなかった。
また、屋上で絶対にふざけない事との条件付きで誰でも自由に屋上に入れるようになった。
確かに何故、多くの学校は屋上に入ることを禁止しているのだろうか。
僕は彼女を傷つけてしまったあの日からも、毎日、屋上に通っている。
だけど、この日から彼女は屋上に来なくなった。
「ーこれが僕の罪の告白だ」
「……」
僕の長い回想と罪の告白は終わり、気づけば昼休みも終わりに近づいていた。
そよ風が僕の頬を撫でる。
「僕は馬鹿だった……」
本当に馬鹿だった。
僕は怒りに任せて彼女を傷つけた。
彼女が苦しんでいても、否、彼女が自殺をしようとする程追い込まれている事を知っても、僕は自分の怒りに任せて、自分が支えたいと思った少女を傷つけてしまった。
何が彼女を守りたいだ。感情に任せて、彼女を傷つけておきながら。
「なぁ、和俊、僕はどうするべきだと思うか……」
本当にわからない。謝るべきだとは思う。だけど、勇気が出せない。そんな自分がますます嫌になるし、そもそも謝ったところで許されるとも思えない。
だけど、和俊からの返答は、悪い意味で想定の斜め上をいくものだった。
「くそ……そこまで追い詰められていたのか……」
和俊は深刻そうな顔で俯く。その横顔からは悔しさらしき感情も読み取ることができた。
「なぁ、和俊、何があったんだよ」
「……何でもっと早く行ってくれなかったんだ……いや、水野は悪くないな。
これはアイツらと、俺たち第三者の問題だ」
「なぁ、だから何なんだよ……」
和俊は覚悟を決めたかのように頷き、一呼吸分の間を開ける。
そして__
「桜田はいじめられている」
和俊の口から発せられた言葉に、僕は耳を疑った。
「今、なんて……」
「やっぱり水野は知らないか……鈍感だしな……もう一度言う、桜田はいじめられている」
「なんで言ってくれなかったんだよ!」
「……」
僕は声を荒げる。それに……
「いじめを無視するなんて、和俊らしくないじゃないか……」
和俊を一言で表すと、正義感の塊だ。彼がいじめを見過ごすなんて絶対にないと思ったのだが。
「ごめん……水野。今回は相手が悪すぎた……俺が悪いのも承知してる。だけど……今回は訳が違う。身の危険すら感じるんだ……」
いつもは陽気な和俊の目に後悔と自己嫌悪、そして恐怖の感情を見て、僕は背筋に寒気が走る。
「どう言う事だよ!」
僕は悪寒を誤魔化し、疑問を口にする。
「桜田は、榊にいじめられている」
和俊は語尾を震わせながら、考えたくもない程、恐ろしいことを述べた。
「榊だって……どうして、桜田さんがアイツに狙われなきゃいけないんだ……」
榊恭二 ー恐らくこの中学校、いや、この町で最も危険な人物だ。
性格は非常に残忍で、弱いものいじめが大好き。噂によると、子猫を殴り殺したことがあるらしい。
その上頭が回り、圧倒的なカリスマでいじめっ子達の頂点に立つ存在。
これだけ悪名高いのに、彼が何も罰せられないのはひとえに親のおかげだろう。
彼の父親は弁護士で、母親はPTAの会長。彼がどんなに悪行を犯しても重ねても、両親が握り潰してしまう。
つまり、誰も彼に逆らう事はできない。
実際、彼のいじめによって転校した生徒、新任教師、酷い事例では精神を病んで、今でも精神科医に通っている生徒を僕は見てきた。
だから、まともな生徒とその保護者は胸に刻んでいる。
— 榊恭二には関わるな、と。
「俺だってわからない……水野。でも幾つか心当たりはある。あと、水野。ごめん。榊にいじめられているとは言っても、普通にいじめられてるだけなら無駄に榊に関わらない方がいいと思ったんだ。でも、今回は訳が違う。水野の話を聞いた限り、桜田は相当追い詰められている。このままだと、何をしでかすかわからない」
「……!!」
(どうしてだ……)
どうして、僕は彼女がいじめられている事に気が付かなかったのか。
今考えれば、幾つか心当たりがあるというのに。
彼女にアザがあったのは、榊達に虐められたからだろう。顔にアザなんて、自分で打った割には不自然だと思っていたが、殴られた傷なら合点がいく。
また、彼女に友達がいないのも、榊にいじめられているからだろう。
榊にいじめられている奴に近づくなんて、自殺行為だ。
実際、榊にいじめられている子を助けようとした子が、不登校になった例は幾つもある。
綺麗に澄んでいた青空には灰色の雲がかかり、太陽はその雲に隠れた。
胸の中に陰鬱な感情が浮かび、僕は視線を下げる。
視界に、いつも彼女とお弁当を食べていた場所が写る。
彼女はよく笑っていた。彼女と話す時間が幸せだった。
彼女はよく喜んでいた。彼女が喜ぶと、僕も嬉しかった。
彼女はよく俯いていた。僕はそれに気づいてやれなかった。
(ごめん……本当にごめん……)
僕は愚かだった。僕は馬鹿だった。僕は本当に馬鹿だった。
でもそれだけじゃない。
(僕は……僕は……)
無知だった。
彼女のいじめにも気づいてやれなかった。彼女の重圧も理解してやれなかった。彼女のことなんて、知った気になって、全く理解してやれてなかった。
僕はどうしようもないほど無知だったんだ。
「ごめん……水野。俺はこの件に口出しできない」
「わかってる……僕がやるしかない」
どうしようもなく愚かで、無知で、馬鹿でもやるしかない。和俊が手を引くほど恐ろしいいじめっ子が相手でも、僕は立ち向かうしかない。
だってそれだけが……
「僕は罪を償わなきゃいけないんだ」
罪を償う唯一の道だから。
キーンコーンカーンコーン
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
和俊はヨイショと立ち上がり、帰ろうとする。
ところが階段を下る前にこちらを振り向く。
「そういえば水野、最後に言いたいことがある」
「何?」
深刻そうな顔をして一体どうしたのだろうか。
「桜田に告白しろよ」
あまりに軽率な言葉に僕は拍子抜けする。
「ふざけるなよ……」
「ふざけてなんかねぇよ。大マジだ」
言葉は軽薄だが真剣な目は変わらない。
「なんて言えばわかんないけどさぁ……どんな謝罪とか励ましよりもこれが一番桜田に効くんじゃないかなと思って……」
「はぁ?」
一体どう言うことだ?
そもそも告白なんて恥ずかしくてできない……
ここでようやく和俊はいたづらげな笑みを浮かべる。
「ここで水野にエールを」
「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」
和俊は驚くほど澄んだ声で歌を詠みあげる。
「これが水野の境遇だ。みんな知ってるんだぜ。恥ずかしがるなよ」
そう言い残し、和俊は階段へと消えていく。
そういえばアイツ、競技カルタ部だったな。
卒業式は明日。
最初で、最後のチャンスだ。