第五話 Liar
あれからおよそ一ヶ月後、全校朝礼があった。
話によると、どうやら、屋上の扉の鍵が盗まれているかもしれないとのことだった。
昨日、教頭先生が職員室の鍵を保管している引き出しから、屋上の鍵が無くなっている事に気がついたらしい。
誰かが盗んだのか。そもそも先生達が無くしたのかわからないが、何か知っていることが有れば、教えて欲しいと言う事で朝礼は終わった。
僕は頭を鈍器で横殴りされたような衝撃を受けた。
犯人は桜田さんなのだろうか。
一体何のために。いつ。どのように。どうして。
そもそも屋上の扉は老朽化しているのではなかったのか。
僕の頭の中では永遠とそんなことが頭を巡る。
真実は桜田さんだけが知っている。
なら、あの日と同じように
上へ。
上へ。
上へ。
昼休み、僕は今日も屋上へと向かった。
先生にバレようと知ったものか。
隠すことなく、堂々と屋上の階段を登る。
ガチャッ
扉はいつものようにあっけなく開き、僕はいつも通り誰にもバレずに屋上に着く。
いつもと変わらない空、扉、自分。
でも
桜田さんの様子だけが違った。
彼女の目は恐ろしいほど虚で、空っぽだった。
「なぁ……桜田さんが犯人なわけないよな。そもそも扉は老朽化して……」
情けない事に、僕の口から最初に飛び出た言葉は、現実を認めまいとする逃げの言葉だった。
「鍵を盗んだのは私。扉が老朽化しているって話は嘘。本当は私が毎日鍵を開けていたの」
彼女は何の表情も浮かべず、淡々と現実を僕に突きつける。何の感情も読み取れない、彼女の黒瞳が恐ろしかった。
それに彼女の言葉には恐ろしいほど真実味があった。
僕が屋上に着く時は、毎回必ず先に桜田さんが屋上にいた。
また、屋上から教室に戻るのは毎回僕が先だった。
それは、毎回、桜田さんが先に鍵を開けて屋上で待ち、僕がいなくなった後に屋上の扉の鍵を閉めていると言うことの証明にもなる。
また、扉も、老朽化している割には滑らかに動き過ぎているとも思っていた。
「な、なら何で……」
なぜ、屋上の鍵を盗んだのだろうか。こんなにも優しい彼女が、盗みなんて働くはずない。彼女が盗みを働いたと認めたくない。
「それは……屋上から飛び降りるため」
何の感情すらも読み取れなかった彼女の目がようやく変化する。
だが、その目はどこまでも暗かった。
「今、なんて……」
「屋上から飛び降りるため。私、本当に疲れちゃって。だから、死んだら楽になるかなと思って。私、中1の時は学級委員だったから、職員室の鍵の位置は知ってた。だから、それを盗んで、屋上から飛ぼうとしたの。
ちょうど一年前の今ぐらいだったかな」
彼女のあまりにも衝撃的な告白で僕は何も言えなくなる。
「でも……でも、怖かった。屋上から見下ろす地面は、遠くて、怖かった。
それで、結局、飛ぶのはやめた。それで、私はふと周りを見渡したの。
凄く、心地よかった。辺りは静かで、青空は澄んでて、風が気持ちよかった」
「そこまで……」
だが僕の言葉は掠れて、彼女の耳に届かない。
「私、この学校に来てから初めて居場所を見つけたの。私が今生きてるのも、きっと、この屋上のおかげ」
「そこまで……」
「こうやって私、屋上にいることで辛いことから逃げて、忘れようとしてたの。
でも……逃げちゃだめだよね。私は……何にも足りない私は、もっと、苦しんで、やらなきゃいけないって、ようやく気づい……」
「そこまで苦しんでるんなら、どうして、僕に言わなかったんだよ!」
僕は声を荒げる。
わからない。彼女の苦しみはわからない。あまりに壮絶すぎて僕はわかってやることすらできない。
でも
僕は彼女を何にもわかっていなかった事だけはわかる。
「どうして、誰にも、いや僕に言ってくれなかったんだよ!いつも!毎日会ってて、話もしてて、相談だってしてて!」
「……」
彼女の悲しげな顔が見える。
構うものか。
彼女が言いたいことを言ったなら、こちらも言いたいことを言わせてもらう。
「どうして僕に言ってくれなかったんだよ!僕は!君の力になりたいって思ってた。君を理解したいって思ってた。それに、僕と君は友達で……」
「私は……水野くんの友達なんかじゃない。だって水野くんと私はそんな関係じゃない」
「どうしてだよ!」
僕はさらに声を荒げる。
僕は桜田さんを理解したいと思ってた。
君の一番の理解者になりたいと思ってた。
君の孤独に寄り添ってあげられる存在になりたいと思っていた。
でも、それを否定された。
それに、
“そうだね、うん!ありがと。今日から私は水野くんの友達”
そう泣き笑いの表情を浮かべた彼女の声が
「全部、嘘だったのかよ……」
「……」
「否定しないのかよ……」
ただ哀しそうな目で僕を見つめる彼女に、僕は絶望する。
馬鹿みたいだ。
僕がいくら彼女のことを思っても、彼女は僕の存在を一ミリも見ていなかった。
その事実を否定しようと、僕は必死で桜田さんを見つめる。
だが、僕が見つけたのは僕と、彼女の決別を決定づけるものだった。
「何だよ、これ……」
「これは……K王高校の過去問だよ。私、教室じゃ集中して解けないから、屋上で解こうかなって思って。」
「違うよ」
違う。さっきから話が噛み合わない。
「桜田さんは、僕と同じ小北高校を受ける予定だっただろ……」
“小北高校だよ。言わなかったっけ?”
彼女は間違いなくそう言ったはずだ。
「それはね……志望校、変えたの。親にK王を受けた方がいいって言われたから」
絶句した。
「お前の言葉はそこまで軽かったのかよ!」
今日。いや、人生で一番、吠えた。
「お前があの時、僕に伝えた言葉の全てが嘘なのかよ!」
“正しいとか、そんなの関係ないんじゃないかな。ただ、自分の選んだ道を進めばいい。結局、どっちの道にも失敗はあるんだよ。なら、堂々と自分の道を進むべきじゃないかな。”
この言葉も
“私は水野くんに後悔してほしくない。水野くんが胸を張って、歩いて欲しい”
この言葉も
全部、彼女の綺麗事だった。
人に偉そうに説教した癖に。
「やっぱり否定しないんだな」
彼女は何も言わない。いつもなら心配するはずの姿が、今となっては憎たらしい。
「言いたいことがあるなら言えよ!そうやって黙ってないで!」
空は、今日も憎たらしいほど蒼かった。
「……」
もういいよ。
「どうせ君は、辛いことがあっても、僕に言ってくれないんだろ」
「どうせ君の言葉は軽いんだろ」
「……」
「そんなにわかって欲しそうな目をするなよ……」
彼女の目尻には大粒の涙が浮かんでいた。その涙に反射する光と、君の目が僕に何か求めているようにも見えた。それは僕の願望かもしれないけど。
でも
「言ってくれなきゃわかんないんだよ……」
「……」
「君が自殺しようって思うくらい追い込まれた訳を、そもそも君がここまで追い込まれた訳を教えて欲しい。何か誤解があるなら言って欲しい……」
「……」
それでも君は目尻に涙を浮かべるだけだった。
わかったよ。
「もういいよ」
「……」
「君は誰にも言わないんだろ。僕は君が苦しんでいるってことだけはわかるよ。でも……君が何を苦しんでいるのか、言わなきゃ伝わらないんだよ!」
「僕に嘘ついて!綺麗事を並べて!自分はできない癖に!苦しんでも誰にも、僕にも言わないで!それで、何一人で追い込まれてんだよ!」
「……!!」
彼女が首を振る。だが、僕はそれを無視する。
「そうやって誰にも言わないなら……勝手に苦しめばいいんだよ」
彼女の目に悲痛な感情が浮かぶ。
言ってしまった。
傷つけた。
僕は直感的に理解する。
だが、それは赤黒い怒りの感情に塗りつぶされる。
「さよなら、もう僕帰るから」
僕は捨て台詞を吐いて屋上から去ろうとする。
(なぁ……これでいいのかよ……)
うるさい。
(この中で一番愚かなのは僕じゃないか……)
うるさい!
心の声に蓋をして僕は階段を降りる。
コツコツ
階段を降りる僕の足音が壁に反響する。
(どうして……)
どうして、僕は止まっているのか。
僕は階段の真ん中で動けなくなる。
(きっとこの階段を降りきれば……)
僕は桜田さんと会うこともなくなるだろう。
(何で……足が動かないんだよ)
そんな理由はとっくにわかってる。
「……待って!」
彼女が階段の上から僕を引き止めようとする。
「……!!」
僕はその声を振り切って階段を一思いに下りきる。
僕はくだらない怒りとプライドに任せて、彼女の声を無視した。
「ねぇ……待ってってば!待ってよ、水野くん!」
彼女は僕を追って階段を駆け降りようとする。
だが、
「キャッ……」
彼女は段差に躓いて、転んでしまった。
そして
彼女のポケットから屋上の鍵が転がり落ちる。
最悪な事に、
「あれ……美音ったら、何でこんなところにいるのかなぁ?」
彼女のクラスメイトにその光景を見られてしまった。