その理由
「アルスは島送りとなった」
宰相である父と共に、グラン殿下よりアルス殿下、いえ、いまは王族の資格を失い貴族でもないただのアルス様。
その彼に下された、陛下よりのご裁可をお聞きしました。
「これで間違いなく、俺が次の王だ」
王太子たるものが代々使用する、王城の一室。グラン殿下はガラス窓を開け放ち、外の景色を見つめておられます。
そして、こちらに振り向かれ、どうしても見てしまうのはその左腕。
「これか? 気にするな。もう支障はない。アルスが連れていかれる直前まで回復魔法をかけ続けてくれたしな。それに、魔王殺しの剣ですら俺の腕は断ち切れんと証明できたのだから、良い勲章だ」
グラン殿下がわたしの目を見つめます。強力な魔法を使い、剣技においても達人。軍からの信頼も厚い武断派とされるお方。ですが、その目は理知的な落ち着きを常にまとっており……。
そう、半年前まではアルス様も同じ目をされていました。
「だがなぁ。一つ気に入らんのだ」
「と、申されますと?」
父が、グラン殿下が漏らした言葉に反応します。
「これではアルスに玉座を譲られたようなものだ。違うかなリーリエ嬢?」
しかし、その問いに対する答えはわたしに求められました。
グラン殿下の真っ直ぐな眼差しは、わたしに誤魔化すことを許しません。
「……いつ、お気づきに」
「いつ? 最初からだよ。あいつがくだらない取り巻きを集めた頃、俺に相談もせずに、愚かな想いを決意したときからだ」
そう、アルス様は決めてしまわれたのでした。自身を担ぎ出そうとする、国内の有力貴族たちから国を守るため。そして——
「戦の時期まで予期して、手の込んだことを考える。しかも実行してみせるなら、それが出来るなら、あのまま俺の右腕として働けば……いや、流れる血の量まで、無駄死にの類まで見えたのだろうな。優しすぎる」
ファイラード王国に隣接するネザー帝国。彼の国は領土拡大の野心を近年隠さなくなってきておりました。
そこにきてこの国では、第一王子派と第二王子派の王位継承争いが、陛下が示した臣籍降下案では抑えられぬままに激化の兆候をみせ、内外の問題は山積みとなっていたのです。
「リーリエ嬢。知っていたのだな?」
「いえ、わたしにはご相談頂けませんでした。ですが、アルス様の考えることはわかります」
政略結婚。中立派であるヴァルファネス公爵との婚姻。国王陛下と我が父である宰相が考えた、継承争いの早期決着方法。
アルス様はそれを充分に承知しておられました。
そして、それでは足りないと判断なさったのです。
「あの方は血が流れることを何より忌避されます」
幼少にて出会ったあの時、すりむいたわたしの足を、覚えたばかりの回復魔法で必死に治してくれたお姿。
それは年月を経て変わるどころか、ついには自らをも犠牲に他者を救おうとされるほどになりました。
「継承争いは一時的なものでは収まらず、来るネザー帝国との戦で必ずつけ込まれると、アルス様は考えられたのでしょう」
「国を一つにするか……」
「はい。そこまでしてようやく引き分けかと」
成婚し、第二王子が臣籍降下しても、貴族同士での争いは必ず発生します。今度は武断派と文治派がせめぎあう状況となるからです。
ですがそれは貴族としては当然の動き。それを抑制するのは至難どころか、徒労だけが残る、無駄といっていいもの。
今の時期にアルス様が汚名を被るのが、最も最上の結果が訪れます。
そして、上の二人に押され目立った派閥を形成出来ていない第三王子についても、いまなら掌握は容易。
「趣味じゃないんだ」
話の流れを唐突に引き裂いて、グラン殿下がわたしへと言葉を投げかけます。
「なにがでしょうか」
「他の男を想う女を抱くのがさ」
「なにをおっしゃっているのか……」
「ファイラードの宝石。確かにそう呼ぶに相応しい美貌のうえに、知性まで備える」
「ならば……」
「いっただろう? 趣味じゃないと。それに、兄に後始末を任せようというのも、これまた気に食わん」
グラン殿下は頭をかきむしりながら、粗野な動きで執務机にどかりと腰を落とされました。
さきほどまでの態度は外向きだったようで、今のほうが自然体というところでしょうか。
しかしながら、どれほど嫌がられても夫婦となり子を成すことは避けようのない使命。
「だから、リーリエ嬢。ここで君は死ぬ」
「死ぬ……」
過程を飛ばしたような結論に、驚きのあまりポツリと返すしかできません。
ですが、そう断言され思ったのは、それもいいか、という思いでした。
疲れたのです。
アルス様への変わらぬ想いと、鳴り止まない冷たい風は、半年前からずっと心の中でせめぎ合って、いつしかわたしをすり潰してしまいました。
もうアルス様に会えないなら、それもいいかと……。
死を受け入れるほうが楽に思えたのです。
「ではいくぞ」
グラン殿下の気配が突然背後に現れました。
せめて最後に、アルス様のお顔を想い描いて……。
——ぴゅん、という風音が首筋をなでました。
目は閉じたまま、痛みもなく恐怖もありません。首を斬られたはずですから、もうじきに——? ずいぶんと長く意識が残りますね。
「すまんな、勘違いさせたか」
グラン殿下の声もはっきりと聞こえます。
「リーリエ・ヴァルファネスはここで死んだ。いまここにいるのは、ただの修道女リアだ」
軽くなった頭、しかし胴体としっかり繋がるわたしの頭。答えは床に落ちた髪でございました。
「なぜ髪だけを?」
「俺は父親の前で娘を斬り殺すような人でなしではない。いった通りだ、リーリエ、いやリア。君はもう貴族ではなく聖神教会の修道女だ」
ファイラード王国だけでなく、この大陸の多くの国で国教とされる聖神教。その修道女は僻地への伝道を担うのが役割です。
「これが聖神教会より与えられた君の肩書きと伝道地だ」
グラン殿下より手渡された書状、それに記された赴任地をみて、わたしは言葉を失いました。
「……」
「伝道の徒は赴任地で婚姻することもできる。まあ、好きにするといいさ」
……いつのまにか、冷たい風音は鳴り止んでおりました。