婚約破棄
「リーリエ・ヴァルファネス。君との婚約を解消する」
ファイラード王立学園の卒業祝賀会が行われている会場で、冷たい声がひっそりと響きました。
声の主はファイラード王国の第二王子、アルス・ファイラード殿下でございます。
そして、婚約破棄を突きつけられたのはわたくし、ファイラード王国で公爵位にあるヴァルファネス家の一人娘、リーリエ。
「殿下。どうかお考え直しを」
突きつけられた言葉に意識が遠のきそうになるのをこらえ、なんとか殿下にご再考を願いました。
祝賀会は現在、卒業生たちが婚約者とのダンスを披露する時間。
注意は中央のホールに集まっており、殿下の発言は周りにいる方々以外にはまだ聞かれておりません。今なら撤回することも可能でしょう。
「もう決めたことだ。君と夫婦になるというのは考えられない」
煌びやかに輝く会場、門出を祝うためことさらに飾り付けられた花々。そのすべてが灰色へと色褪せるような殿下の言葉に膝が震えました。
「なぜ……」
「決めたことだ」
ファイラード王国中の貴族子女に、ため息をつかせたといわれる殿下のお顔はいま、無機質な光を瞳に宿し、わたしを見下ろしています。
ファイラードの宝石とわたしの容姿を称賛され、毎日のように愛の言葉をくださっていたのが、まるで嘘のよう。
その視線に見つめられると、頭の中で冷たい風音が鳴ります。
半年前までは、このような感情のない言葉と態度をわたしにぶつける方ではありませんでした。
「今から陛下にそれを申し上げる」
「おやめください……。そんなことをすればどうなるか、殿下はよくご存知のはずです」
「愛とはなにか、考えたんだ」
うわ言のように呟かれた言葉はアルス殿下と共にわたしの横をすり抜けていきました。
お止めする方法も思いつかず、ただ唇を噛み締め涙をこらえることだけが、わたしにできることなのでしょうか。
コツコツと背後で鳴る殿下の足音。
それに続いて、震えながら縮こまる女性が殿下の後を追います。
マール・オルドー男爵令嬢。婚約破棄の原因とされる、わたしの侍女。
さしずめ破棄の理由として、わたしからのマールに対する礼儀教育の常軌を逸した厳しさや、客人対応の失態を執拗に責める性分を許せない、とでもされるおつもりなのでしょう。
それは確かに、切り取られたねつ造一歩手前のものですが、マールさえ黙っていれば真実となりうるものです。
しかし、そのような戯言が通じるような国ではありません。
『アルスよ、今の話はどういうつもりだ?』
『リーリエ・ヴァルファネスとの婚約を解消します』
『愚かな……』
陛下とアルス殿下のお話し声が聞こえてきました。
陽気な曲はいつのまにか鳴り止み、会場中の視線がわたしの背の方向へと集まります。わたしもそちらへと顔を向けます。
振り向いた先では、何人かの貴族、いえ第二王子派とされる貴族全員が、困惑の表情を浮かべていました。
第一王子派とされる貴族たちは、ことの成り行きを見守るつもりでしょう。ただただ静かにしています。
やや興奮されたご様子の陛下の横では、第一王子であるグラン殿下が腕を組みアルス殿下を見つめておられました。
『ご裁可を』
『よかろう、望み通り婚約破棄とする。宰相よ、すまぬ、第一王子の正妃の座をリーリエ嬢に用意しよう』
『臣へのご配慮、痛み入ります』
国王陛下の横でわたしの父、ヴァルファネス公爵が深々と腰をおります。
『さて、貴様には失望したぞアルス』
『失望とは? もとより期待される器など持ち合わせておりませんが』
『貴様っ! 誰に向かってそのような物言いを!』
国王陛下はアルス殿下の悪びれもしないご様子に激昂され、近侍が捧げ持つ宝剣へと手を伸ばされました。
『そこへ膝をつけっ! その首ここで落としてくれる』
止める方など居られません。国王陛下のお怒りはごもっともであり、アルス殿下のなされたことはそれほどまでに愚かだからです。
アルス殿下とわたしの婚姻は政略結婚。公爵家と王家の繋がりを再び密なものとし、国内の安定を図る。
次期宰相としての臣籍降下も激化の兆候をみせる王位争いを抑えるための最良の手段。
王族として、この大義を蔑ろにし、婚約者の侍女に乗り換えたいなど、認められるはずはなく。
ですから、ひざまずかれたアルス殿下の首筋へ振り落とされる刃を止める術はありません。
……いえ、ただ一人を除いて。
それはわたしではなく、わたしがすがるように見つめるその先にいる方。
『きゃあああああっっー!』
空気を引き裂く乙女の悲鳴が会場中から上がりました。当然でございます。飛び散る鮮血を見ることなど、初めてでしょうから。
『——グランっ! 何故だっ』
流れ出る血はアルス殿下からではなく、その兄君、グラン殿下の左腕から。
グラン殿下はアルス殿下の首筋の前に腕を差し出されたのです。
王国最高峰といわれるグラン殿下の身体強化魔法で腕を硬化したといっても、ファイラード王国に伝わる魔王殺しの宝剣は、グラン殿下の左腕、その半ばまで食い込んでいました。
『……殺してはなりませぬ』
『急げっ! 手当てじゃっ!』
『殺してはなりませぬ』
『わかった、わかったから! 今は喋るでない! ええいっ何をもたついておるのだ衛兵よ、早く治癒者を呼んでまいれっ』
陛下の焦った声が響き、混乱する会場のなか、わたしはただ立ち尽くしておりました。
『そこの愚か者は、とりあえず幽閉じゃっ!』
頭の中ではひゅうひゅうと、冷たい風音が鳴り続けています。
19:00ごろに二話を投稿いたします。