僕の第一の家
霧が晴れるまでかなり時間がかかった。
車両内ではなんら揉め事も起こらず、手助けし合ってこの期間を乗り越えた。
しかし一番ピンチだったのは排泄の問題だった。
あの恐怖の後だったからという部分も大きかったのか、皆膀胱がふくよかになっていた。
最初に声を上げたのは天井青年だった。
大の方は我慢して頂いたが、小の方は乗客が持っていたペットボトルで難なく対応することが出来た。
しかし女性は当たり前だが、なかなか気が進まない様子であった。
だが、紳士過ぎる男たちの活躍及び協力により、彼女達の尊厳は護られたのであった。
具体的にはスマホから大音量音楽を流したり、耳を塞いだりなどである。
しばらくして、天井青年らが「そろそろだと思います」と発言した。
すると、急に上に引っ張る力が抜けたのか、彼らは次は床に勢いよく接着された。
まるで重力を忘れていた宇宙飛行士のようで、少し笑ってしまったのは秘密だ。
体の異常はなさそうで、むしろ動けなかったから力が有り余っている感じであった。
そして僕達はドアをこじ開け、車外に出る。
霧が晴れるまで眠っていた人たちもいたので、車両から外に出ると背伸びをする人がちらほらいた。
いやほぼ一日ぶりに外に出たら皆そんな反応するだろうな。
今日も腹が立つほどの快晴だった。
空の端には雲が見えるが、自分たちの真上は間違いなく快晴だった。
あの空に彼らは消えていったのか。
そう思うと、非現実的な出来事に対しての実感が少しずつ増していった。
そして現実を見て、
「僕の職場である研究所が比較的ここから近くにあります。行くあてが無い方が居たらとりあえずついてきてください」
1人2人は拠り所があるのか僕の進行方向とは別の方向に進んだ。
その他の人たちは僕の後ろについてくる。
濃霧救護班に連絡するのが最適解だとは思うが、ここはまだ田舎すぎて電波が通っていないらしい。
そう考えると、電波の通っていた僕の町は田舎ではないということになるのだが、今考えるべきことはそれではないだろう。
研究所まで何かすることもできることもなかったため、こんなことを考えながら進んで行った。
数分歩いたところで、ピクファミリーの父が話しかけてきた。
「先程はありがとうございました。私たちの持ち物が役に立って良かったです」
僕はレジャーシートをあんなにしてしまっていたことを今更思い出し、謝罪をする。
「使わせていただいたのにお礼が遅れて申し訳ありません。研究所に着いたら何かしらお詫びはさせていただきます」
「いえいえ、皆の命が失われずに済んだなら安いもんですよ。なので気にされなくて結構です」
後ろにいるピク母も頷いている。
ピク娘は車内であまり恐怖に怯えた様子もなかったため、今ではさらにニコニコしている。
これがピクニックだとでも思っているのだろうか。
そんなんじゃウチに着いたときに落差で顔が無くなるぞ。
するとピク父が、
「職場が研究所ということは、研究されている方でしたか。もしかしてあの霧について研究されているのですか?」
「確かに研究という行為はしていますが、テーマは日替わりというかなんというか。何かを専門して研究しているのではないので。今日研究所に着いたら霧についての知見を集めてみるつもりです」
「そうでしたか、私も霧については何度か調べてみたことがあるのですが、正体は分からずじまいで。しかもこの身で体験することになるとは思いもしませんでしたので」
「やっぱり調べても出てこないものなんですね。アイク博士もあんな発言しているのに文献が少なすぎるのはどうかと僕も思ってましてね。とりあえず無事で何よりです」
そんな会話を交わしながら歩いていた。
すると、親の顔より見たと言っても過言ではあるが、特徴的と言うには特徴がありすぎる樹木が見えてきた。
あれが僕の職場の目印になっているが、なぜか遠目からでは確認できない木たちである。
名状しがたい風貌なので言い表すことは難しいが、属性詰め込み過ぎでは、と毎回思う。
「もうすぐ研究所です。僕は先に事情を説明してくるので、そのまま進んでいってください」
そう言うと、僕は小走りで研究所へと向かった。
僕が通っている研究所は田舎な空気のする所に立地しているが、世界でもなかなか無いようなデカさで立派な見た目をしている。
ここに就いているメンバーのことを思い浮かべると、逆になんであなた達がこんな素晴らしい研究所で働けているのかと疑問に思う。
とても人のことは言えないけれど。
この研究所には正面出入口と裏にもう1つ出入口があるが、そもそも建物がデカすぎて裏へ回れないので正面から入ることにする。
入口もまたツッコミどころが多く、何故か重厚な金庫の扉の見た目をしている。
パスワードを入力すると何十個もの金具がトトトトッキュイッシューッと外れて開く感じの、ルパン○世が好みそうな見た目である。
いや、見た目だけではなく機能も必ず兼ね備えてると言える。
ただ、すぐ隣に自動ドアがちょこんとあるので本当になんでこれがあるのかが分からない。
僕はロマンというものが分かる人種なので、ロマンと言えばそれまでではあるのだが、流石に今回は緊急なので自動ドアを使わせて頂く。
ドア横にあるセンサーに右手首の裏を当て、そこに左手首を重ねる。
両手首に極小のチップが埋め込まれており、それを数マイクロメートルのズレも許さずにセンサーに対して一直線にするように重ねると認証される仕組みになっている。
慣れるまでに半年かかった。
初めのうちは一日中入れなくてその分減給されたこともあった。
朝早くに、所属証明書をもってドアの前に座っていると、先輩方が開けてくれるのでそれについて行って入るしか当初は方法がなかった。
そんな回想に浸りながらドアを開けると、報告より先に口が動いた。
「ただいま」
そして複数の声が響く
『おかえり!!』
ここが僕の職場兼遊び場兼第一の家である。