僕のオープニング
確かにそれは「自然現象」である。
しかし、それを「正常」と見なすにはいささか凶暴すぎる。
そう発言したのは、かの名高いアイク・デイビス博士であった。
この彼の発言は彼の名声と共に世界中に知れ渡り、一般人はもはやそれを疑うなんてことを思いつくはずもなかった。
否、彼ら彼女らが疑おうとしても、その材料を全く持ち合わせていなかったためである。
それは一般人に留まらず、アイク博士を含めた全世界の科学者も同じであった。
科学者は皆同じ結論に既に至っていたようだが、アイク博士が発言したことによりあたかもそれが真実であるように、皆の思考を停止してしまったのである。
科学者にしては馬鹿みたいに役に立たない結論であるが、それ以上の情報が「それ」からは得られないためである。
もう何も分からない。
私たちは為す術なく蹂躙され、それから隠れ続ける生活を余儀なくされるだろう。
人種間、国家間で様々な問題がひしめく中、皮肉なことに、全世界の人々はこのことに関しては心をひとつに出来たのであった。
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───今日はいい天気だ───
玄関から出た僕は──僕だけではないだろうが──梅雨だとは思えないような晴天を見上げ、そう呟いた。
ただ空気は水分を多量に含んでいるためか、少し重く感じる。
今日も今日とて、研究のために研究所に向かう。
研究者になるのは夢であったが、実際に何を研究するのかと言われると困ってしまう。
いわゆる「目的と手段を履き違えた哀れな人」というやつである。
最寄りの駅の改札を抜け、20分ほどの間隔で来る電車を待つ。
幸いなことに、現在の住居から研究所まではこの電車さえ上手く乗ることが出来ればそんなに所要時間はかからない。
最近はこの通勤時間の間にできることを探すことにハマっている。
できることをすることに対してではなく、探すという行為に対してだ。
ここでも自分のズボラな性格が出ているのは自覚してから長い。
でもどうにかしようと思わないのは、現在の生活に何も不自由がないおかげ(せい)だろう。
その僅かな時間の間に、今日する予定である研究に想いを馳せる。
研究において、テーマを設定しないというのは致命的であると思う。
しかし、世の中にはそんな満身創痍のおこぼれ研究者を雇ってくれる研究所もある。
それが現在の職場兼遊び場であり、最も自分が自分らしく居られる場所である。
ただ、最近は政府から全国各地の研究所へ依頼が殺到しているらしい。
自分の興味に赴いて研究を見する科学者にとって、依頼を受けるという行為はあまり喜ばしくないのではないだろうか。
とまあ、そんなことは政府も知らないであろう辺境の研究所で働いている僕には縁がないだろうから考えるだけ無駄か。
そうこうしていると、電車がやってきた。
僕が住んでいるのは絵に描いたような田舎に、小さなショッピングモールのような都会成分が不自然に混ざった程度のところであるから、電車に関しても一部の人の琴線に触れるような見た目をしている。
いわゆる「レトロ感」というものだろうか。
しかし研究者になってから長いことお世話になっているので、そんな感受性は既に体から抜け落ちている。
そんな役立たずな感受性でも、そこら辺の雑草の肥料にでもなっているといいのだが。
車輪がレールの継ぎ目を跨ぐ度に体が揺れる。
ドーナツ化現象かは分からないが、やはりこの時間はサラリーマンっぽいスーツの男が多い。
中にはどこかピクニックにでも行くのだろうか、娘を連れた3人の親子が今日の予定について歓談している。
梅雨明けてから行けば良いものを。
とは思うが、何かしら事情があるのだろうからあまり人のことをとやかく言うのはやめよう。
嫉妬ではない、はず。
20代後半でもおじさんと呼ばれてしまう昨今、早めに所帯を持ちはしたいが、なかなかそんな出会いはない。
別に持たなくても良いが、見聞が悪くなるので仮でもいいから、と考えてしまうのはやはり飢えているのだろうか。
これは早急に解決すべき案件としてリストに入れておこう。
そうだ、これを今日からやる研究にすればいいんじゃないだろうか。
傍から見た僕はこんなことを考えてるように見えるのだろうか。
もしかして目の前のあたかもお腹を下してそうなサラリーマンは実はスパイで、成すべきミッションについて考えているのかもしれない。
人の考えていることは「察し能力」が高い日本人でさえ察せないものだ。
トンネルが近づいてきた。
職場に近いとはいえ、自分が通っていた学校との比較であるから、人によっては感覚が違うだろう。
トンネルだってあるものはある。
そんな小さな状況の変化のためか、ふと僕はスマホを取り出すことを思いついたようだ。
そしていつものように天気予報から確認する。
《林成町 濃霧警報》
もし屋外にいる場合は「濃霧救護班」に緊急連絡をし、安全確保を優先してください。
屋内にいる場合は窓をしっかりと閉め、外気を屋内に侵入させないでください。
もし窓の建付けが悪いと感じた場合、以下の電話番号またはEメールにて家屋大工協会に連絡をし、早急に直してください。
電話番号:ーーーーーーーーー
Eメール:ーーーーーーーーー
げっ、林成町に濃霧警報か。
実はこのトンネルの先は林成町を通過するように線路が引かれている。
最近の建築もとい車両を作る技術はとても優れていると聞くから心配はいらないだろう。
見た目完全に木造建築でも、ものによっては鉄筋コンクリートのビルをも凌ぐ強度をもつらしい。
僕の家はそんなに立派なものではないけど、いつかそんな家に住んでみたい。
と、そんなことを考えていると、車掌からのアナウンスが流れた。
「本日は、鍵針線をご利用頂きありがとうございます。梅雨の時期で蒸し暑いところ申し訳ありませんが、トンネルの先の林成町で濃霧警報が先程出されました。つきましては、各車両の窓を完全に閉めるようにお願い致します。皆さんの安全を確保するために行動して頂くよう、お願い申し上げます」
そのアナウンスが流れると同時に、周りにいた人が焦ったように動き出した。
無論僕もである。
すると、車掌の助手的な人がこの車両に入ってきた。
彼はちゃんと窓が閉まっているかを指差し確認しながら進んでいく。
車両の反対側まで確認し終わると、彼は小さくお辞儀をし、次の車両の確認に向かった。
「霧か…」
窓を閉め終わり、また座席に背中を預けると、自然と口からその言葉が漏れていた。
「霧」は、僕の憧れであるアイク・デイビス博士が研究していた現象である。
科学的には、霧は湿度と気温との兼ね合いが生み出すものとして、義務教育で習っている。
しかしそれだけ聞いても、それが世界でも最上位にいるはずのアイク博士を魅了した自然現象であることの説明がつかない。
この世界の子供は産まれたときから「霧に近づくな」と、愛情深い親からでさえ怒気をもって教えこまれてきたので、今疑問に思うことは少ないだろう。
今まで生きてきて20年ほど、霧は見たことはあるが、何がそんなに怖いのか、危険なのかを実は僕はまだ知らないのである。
ただ僕は、博士がそんなことについて研究をするか、という疑問から霧についてある程度の興味はもっていたが、いくらネットで検索してもその危険性についての記事は出てこなかった。
陰謀論として処理しようとしても、ならなぜ僕らの親は全員が全員、そのように教えこんだのか。
その理由を、僕の魂は次の瞬間に思い知ることになる。