真夜中の学園(2)
「__________ハッ!!!」
ボーンツさんの振り下ろしたナイフの先端が、自分の胸に刺さった瞬間、俺の脳と体が同時に覚醒
する。
気づけば俺は、汗でびしょびしょになった制服のまま、ベッドで眠っていた。
俺は慌てて胸元を確認するけど、傷一つない。でも、安心なんてできない。
あの屋内運動場で見た光景が事実なのは、まだ血の跡がついた制服が物語っている。
いっその事、あの光景も全部ひっくるめて夢になってほしかった。
もう学園にすら、足を踏み入れたくなかったけど、そうゆうわけにもいかない。
出席日数も、今後の進路に大きく関わる。___やる事はほぼ雑用だけど。
となれば、当然ボーンツさんとも会う。
あの現場に俺が居合わせてしまったのが、まだバレていないのか、それすらも今は分からない。
俺は、不安で押しつぶされそうな心を奮い立たせ、まだ薄暗い外に飛び出す。
そして、再び井戸の水を汲み、制服を洗う。
幸い、まだ両親は寝ている。時計を見ると、まだ4時にもなっていない。
あと1時間で、俺と両親は『朝の仕事』に向かう。
その前に、俺は制服にまだ残っている血の跡を、どうにかしないといけない。
俺は無我夢中で制服を擦りながら、ただただ、何も考えないようにしていた。
でも、俺の頭に思い浮かぶのは、どの道自分が『口封じ』される、そんな未来ばかり。
ボーンツさんなら、遅かれ早かれ、あの現場に俺が居合わせたのを、日常のどこかで察知するかも
しれない。
そうなったら、もう俺に逃げ場はない。
俺は戦えない、揉み消すほどの財力も地位もない。
そんな俺の行き着く果ては、『死』ばかり。
仮に命だけはどうにか守れたとしても、今後の俺の人生が、どんな事になるのか、想像できない。
どうにもならない八方塞がりの現状でも、時計は休むことなく、時を刻み続けている。
制服に付着した血の跡はどうにか取れた、朝の『パン屋の仕事』にも間に合った。
でも、俺はひたすらパン生地をこねまくりながら、とにかく何も考えないようにした。
他の仕事仲間から注意されるくらい、パン生地がヘニョヘニョになっても、俺はとにかく手を動か
し続ける。
必死に生地をこねすぎたせいで、腕が痛くなっても、痛みが全然頭に来ない。
気づけば俺の両手は、震えが止まらなくなっていた。でも、震えたいのは全身だ。
昨晩の出来事を、少し思い返すだけでも、また吐き気が襲ってくる。
誰にも相談できない、話もできない・・・というのが、余計に俺の神経をすり減らす。
皆は俺を心配してくれたけど、いつもより挙動不審になっている俺がそんなに珍しいのか、仕事そ
っちのけで俺の様子を窺うパン屋の主人を見ていると、少しだけ安心する。
俺があの現場を目的しても、皆のいつも通りの生活は変わらない。それが救いだった。
(___でも、あの屋内運動場とか、今頃どうなってるんだろう?
まさかあのまま・・・とかないよな? もしそうなら、俺が何かしら疑われたりするのか?)
ただ、俺が疑われたとしても、俺にそんな技量があるわけない。
ましてや、あんな大人数を、たった一人で相手にするなんて、いつも戦闘技術を身につけている男子学生でも無理な話。
そう思うと、ますます彼女の力がとんでもなく思える。
あの腕前があれば、雑用なんて彼女からすれば、『単なる暇つぶし』に過ぎないのかもしれない。
結構付き合いがあるのに、彼女のことを何も知らなかったのも、今回の件で色々と納得できる。
俺は、何度かボーンツさんに、『プライベート』や『家族関係』を聞き出そうとしていた。
それでも、毎度毎度、ボーンツさんは話を逸らして、濁していた。
今思えば、それも『作戦のうち』だったのかもしれない。
そして、今日もいつも通り、焼きたてのパン(失敗作)を貰い、それを朝ごはんにする。
失敗作でも、パンはパン。形やが歪な商品は、ほぼ全部貰えるから、パン屋の仕事はやめられない。
俺は大通りのベンチに座りながらパンを齧り、朝市の準備を始める商人たちを見つめていた。
そして、外でパンを食べる俺を狙う鳥たちと、今日もまた『目線の攻防戦』を繰り広げる俺。
(もし、この通りを行き交う人のなかに暗殺者がいても、きっと俺は気づかないんだろうな。)
商人たちが行き交う市場通りを眺めながら、俺はそんな事を考えていた。
俺がまだ、昨晩の現場を受け入れたくないのは、普段のボーンツさんを知っているから。
あの、お淑やかで健気な彼女が、簡単に人の命を奪ってしまう・・・なんて、それこそ『夢物語』
そうゆう『妄想』なら、いくらでも脳内で繰り広げられそうだけど。
昨日の晩は、寝たのか寝てないのか分からないくらい、浅い眠りだった気がする。
おかげで、パンの断面がいつもより白く見えた。視界がぼやけている。
こうゆう時、コーヒーでも飲めば眠気が吹っ飛ぶんだろうけど、生憎そんなお金はない。
この国では、コーヒーも高級品。
そうゆう時は井戸の水を顔面にぶち当てればいいんだけど、これ以上井戸水を浴びていたら、いく
ら丈夫な俺でも風邪をひくかもしれない。
俺は大きなあくびをしながら、パンを口に押し込んで学校へ向かう。
下民の朝は早い、お嬢様・おぼっちゃまが気持ちよく登校できるように、校門の前を掃除するの
も、俺たちの仕事。
ただ今日に関しては、足がなかなか前に進まない。
(周りが『いつも通り』なら、ボーンツさんも『いつも通り』、校門前の掃除に来るんだろうな。)
「アミーさん、おはよう。」
「あぁ?!!
あ、あぁ・・・・・
おはよう、ボーンツさん。」
突然後ろから肩を叩かれたと同時に、俺の脳内を逆撫でするような声。
いや、本人にそんな意図はない・・・・・と思いたかった。
睡眠不足だったこともあって、喉が潰れそうなほど、おかしな声が出てしまう。
もっと心構えをしてから会いたかったけど、いきなりの登場で動揺が隠せなかった。
「ど、どうしたの?? そんなおっきい声出して・・・」
「_____ごめん、なんか『昨日の晩』から調子が悪くてさ。」
「やだ、風邪?」
「いや、そうでもなさそうなんだ。多分・・・疲れなんだろうなぁ。
あっちこっちで働きまくったから、腕も足も重くて・・・・・」
「___じゃあ、『昨晩の見回り』も、休んだの?」
「うん、まぁ何度も見回りしてるけど、何かあった事なんて一度もなかったくらいだから。
学園長には、誤魔化して報告しちゃった・・・
あ、これ秘密ね。」
「分かってるよ。
やっぱりこうゆう時は、『どんな手』を使ってでも、自分の体調は自分で管理して、自分の命は自
分で守らないと。
特に私たちは、学園で体調がおかしくなっても、誰からも看病されないからね。
ズルをしてでも、しっかり生きないと・・・
もしよかったら、玄関掃除、変わろうか?」
まだ生徒が登校していない時間帯に、保健室のベッドで寝ていても、バレないんじゃない?」
「あぁ、そうするよ・・・・・」
俺にしては、かなり臨機応変で、上手い具合に対応できたと思った。
何故人は、ピンチに陥ると途端に頭が冴えるのか。
その理由が、ほんのちょっぴり理解できた気がする。
俺はボーンツさんにホウキをバトンタッチして、誰にも気づかれないように、ゆっくり校内の保健
室へ入り、ベッドの中で息を整える。
そして、ついさっきの会話を、もう一度頭の中で再生する。
(えっと・・・俺は昨日の晩から体調が悪いことにして、昨晩の見回りはできなかった事にした。
だからボーンツさんは、俺があの晩、学園にいなかったって事で・・・・・
___彼女の口から『昨晩の見回り』って単語が出てきた時は、さすがにびっくりしたなぁ・・・
もしかして、『色々と確かめる上で』、ああ言ったのかもしれない。
あれで誤魔化せたのかは、正直自信ないけど。
でも、何とか普段通りの会話に持っていけたのは、俺でもびっくりしたな。
俺の言葉に違和感はなかった筈だけど、やっぱり警戒は怠らないようにしないと。
どこでボロが出るかわからないし、ボーンツさんとは、これからも『クラスメイト』として、関わ
り続けたいし。)
色々と考えを巡らせたけど、僕には、ボーンツさんから距離を置く選択肢は浮かんでこなかった。
学園生活がそこまで幸せか・・・を問われたら、素直に頷けないものの、ボーンツさんがいるから、一緒に楽しい学園生活が送れている。
だから、俺はこの記憶を隠しつつ、この学園で彼女と一緒に過ごすことにした。
それが、彼女の為にならなかったとしても、俺はどんな彼女も好きだから。
「_____そっか、俺、彼女に惚れてたんだな。
最初は一緒に雑用してくれるだけの存在だったのに、彼女がいない学園生活が、今ではもう信じら
れなくなっちゃった・・・」
「おーい・・・・・」
「わぁぁぁあああ!!!」
俺がぼんやりと考えていると、カーテンの隙間からこちらを覗く人の目が見えた。
びっくりした俺は飛び起き、すぐ乱れた制服を整える。
カーテンの隙間から覗いていたのは、教頭だった。
「そろそろ授業が始まるぞー」
「え?! もうそんな時間ですか?!」
「保健室の先生が、
「なんか部屋から物音が聞こえるんですけど」
って言われたから来てみれば・・・・・
まぁ、あれだ。勉強に支障が出ない範囲で楽しむんだぞ。」
「___はい、すんません。」
俺は顔を真っ赤にしながら、颯爽と保健室から出た。
気がつくと、俺が登校してから、1時間はとっくに過ぎている。
一人でじっくり考えて、結論が出たのは良かったけれど、その結論が出るまで、かなり長い時間を
費やしてしまった。
その結論が正しいのか間違っているのか、それすら俺にはよく分からないけど、これが一番、『お互いの為』の選択だと思っている。
俺がダッシュで教室まで来ると、まだ焦る気持ちが抜けていない俺の顔を見て、他の生徒はクスク
ス笑っている。
ボーンツさんは、教科書で顔を隠しながら笑っている、そんな姿も可愛い。
ギリギリ授業に間に合ってよかった、下民の俺が、授業をサボったりしたら、家に先生が来て怒鳴
り散らされた。
俺は焦って自分の席に座り、平常心を取り戻しながら、授業の準備をする。
(_____そういえば、今までずっと忘れてたけど。
誰も屋内運動場のこと、口に出していなかったな・・・・・
何でだ???)
そう思った直後、先生が教室へ入ってくる。
そして、『いつも通りのHR』が始まり、『いつも通り』、HRは終わった。
そしてまた、俺とボーンツは、『移動教室の荷物持ち』として、教科書を何冊も持って、教室を移
動する。
廊下で屋内運動場に向かう生徒の列を目撃したけど、彼らもいつも通り。
(___もしかして、本当に学園側がもみ消したのか?
でも、もしそうだとしたら、夜間の見回りを任されていた俺は、一体どうなるんだ・・・???)
「おい!! 何をしている、下民!!
さっさとついて来い!!」
「す、すいません!!」
『いつも通りの生活』を心がけようとしても、どうしても気になってしまう。
でも、昨晩の出来事がありながら、こんなにもいつも通りの生活が過ぎていくと、俺の脳を直接疑いたくなる。
昼休み、俺は屋内運動場へ行って確認しようと思ったけど、そんな勇気なかった。
もしそこで、ボーンツさんと出くわしたら、もう言い訳なんてできそうもない。
こうなってくると、俺以外の人間が変わってしまった気分で、孤独感が虚しい。
俺はずっと、こんな気持ちを抱えながら生きていく事に、少し自信がなくなっていた。
『秘密を秘めながら過ごす』と決めたのに、一つ疑問が生まれると、その自信が不安定になる。
俺が余計な詮索をしなければいい話なんだろうけど、あの光景が頭から離れない現状は、この違和感に耐えるしかない。
ボーンツさんも相変わらず、飼育小屋で飼われている馬のお世話や、昼食の残飯を処理したり、い
つも通りの忙しい1日を過ごしている。
ただ、彼女は俺の体調を本気で気にしている様子で、いつも以上に頑張っていた。
そんな彼女の様子を見ていると、余計に言い出せない。
これも彼女の『策略』だとしても、俺はその策略に巻き込まれてもいい。
何の取り柄もないまま、下民として一生を終えるより、彼女に振り回される人生の方が、よっぽど
マシに思える。
それが、取り柄のない俺が叶えられる、精一杯の望み。
昨晩の光景を思い返すと、彼女は自分の腕前を隠して生活しているんだ。
だって、それが『暗殺者』だから。
階段で転びかけるお茶目なところも、移動教室の途中で忘れ物をするのも、恐らくは・・・
「_____それでも俺は、彼女と一緒に生きたい。」




