1-12 思惑
朝から最悪だ。床に散らかった鞄の中身を見ながら大きくため息をつく。転んでしまったのだ。
ついさっき、かなり先の方に優雅に歩くエレノア様の姿が見えたため、追いつこうと思って走ったのだ。すると、その拍子に後ろから追突されたような衝撃を感じてバランスを崩してしまい、その拍子に手に持っていた鞄をひっくり返してしまった。今周りを見渡しても、周りには誰も居ないので、何かがぶつかってきたように思ったのは気のせいだったのだろうか。ともかく、怪我こそしていないけれど、荷物を床にばらまくのはあまり気分の良いものではない。一人、何だか惨めに感じながら散らかった鞄の中身を拾っていた。それこそ、乙女ゲームの世界に転生できていたなら、イケメン達がこぞって拾ってくれたかもしれないが、設定だけの乙女ゲームヒロインのことなど誰も手伝ってはくれない。いやそもそも周りには誰もいないのだけれど。拾い集めながら、そんなことを一人で考えていると、
「リリアさん、大丈夫?」
派手な音に気付いたのか、振り返ったエレノア様が駆け寄ってきて、荷物を拾うのを手伝ってくれた。拾い集めるその姿さえ絵になっているように思えるのはなぜなのか。やはりこの世界の主人公、輝いている。
「ありがとうございます。」
思わず見とれてしまったけれど、慌ててお礼を言った。全て拾い終わった後、一緒に教室へと向かう。
「そういや、前にリリアさんがおすすめしてくれた本、とても面白かったわ。」
街へ出掛けたあの日以来、エレノア様とはかなり距離が近づいたと思う。時には、向こうから話しかけてくださることもあるし、お話する機会も増えた。また、エレノア様の趣味の一つが読書であることは小説の中で知っていた。私も読書は嫌いではないので、彼女が好きそうな本の話題を振ってみたら思った以上に盛り上がったりもした。
「それは良かったです! あの本面白いのにあまり周りに読んでいる人がいなくて、お話できる人が居なくて寂しかったで、是非語り合いましょう。」
本と言っても私が好んで読んでいるのは恋愛ものだけれど。この類の本は庶民の間では流行っているが、学園では高位貴族は勿論、一般生の間でさえも、“庶民”らしいことは馬鹿にされる傾向があることもあり、周りには読んでいる人が少ないのだ。確か、エレノア様は公爵領でも頻繁に身分を隠して庶民の住む街に行くのが好きだったはずだから、庶民ぽいものに対する抵抗はないどころか、むしろ興味津々なのである。私としては、この世界の主人公とお近づきになれた上に、好きなものの話をできる相手が手に入ったので、一石二鳥である。最初の頃こそ、二人で本の話で盛り上がっていると、周りから訝し気に見られたものの、皆も慣れたのか今は誰も何も言ってはこない。今もすっかり話が盛り上がってしまって、教室に着く頃には転んで嫌な気持ちになったことなど忘れてしまう程だった。
教室についてしばらくすると、いつものようにディレンズ先生が朝礼のために教室に入ってきた。朝の挨拶や出席の確認が済んだ後、次の授業の準備をしていると、先生がふと、教壇から声をかけてきた。
「リリア、朝にかなり派手に転んでいたように見えたのだが。俺は手が離せない用事があったから助けに行くことはできなかったが、大丈夫だったのか。」
周りには誰も居なかったと思っていたけれど、どうやら先生に見られてしまっていたみたいだ。心配してくださるのは嬉しいけれど、恥ずかしいから皆の前でわざわざ言わなくたっていいのに。小さな声で大丈夫ですと返すと、聞こえていたのかいないのかはわからないが、返事を気にする素振りも無くそのまま先生は話を続ける。
「エレノアが近くにいたみたいだったから大丈夫だったと思ったのだが。ひょっとしてエレノアはリリアのことに気付いていなかったのか。」
先生が何気なくエレノア様の方を向いて尋ねた一言で、教室の空気が変わる。エレノア様は自分に話が振られると思ってもいなかったのか、少し驚いた様子だった。私は思わずため息を尽きそうになる。先生は知らないのかもしれないが、エレノア様の話をこういう話題の時に出すのは絶対に良くない。
「リリアが転んだ時に近くに居たって、それはラザフォード公爵令嬢がリリアをこかしたってことじゃないの。」
「結局それじゃあ嫌がらせがエレノア様のせいじゃないとか嘘ってことだよね。」
「やっぱり、あの噂怪しいと思っていたもん。」
案の定、クラスの雰囲気があまり喜ばしくないものになった。あちらこちらで、誰ともいわずエレノア様を責めるような声が聞こえてきた。話声自体は小さいものだったけれど、私の頭の中に鳴り響くように感じた。折角、エレノア様のせいじゃないっていう認識が広がってきたところだったのに。「先生も見ていたのだから間違いない」と話が段々と大きくなっていく。近くに居た子にエレノア様のせいじゃないわと否定してみたけれど、可哀そうなものを見るような目で見つめられただけだった。どうやら誰も私のことを信じてくれそうには無い。
「リリア、何かあったら相談するんだぞ。」
先生は朝礼の後にそう声をかけて教室を後にした。私の抵抗虚しく、皆がエレノア様の罪を信じているようだった。皆の善意が恐ろしく感じた。
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