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二話 グリムの国のアリス(担当:けつ曜日)

ピピピピピピピッ。


目覚まし時計の音だった。


やっぱり只ただの変な夢だったのか。僕はいつものようにベッドから抜けて、寝ぼけた身体を引き摺りながらカーテンを開ける。そうすれば日光が目を覚まさせるからだ。

心地よい朝の太陽が快適な1日の始まりを告げる_



_というのは自分の思い込みだった。


お向かいのお宅から豚が飛び出している。それも空飛ぶ豚だ。

やがて彼らは赤ん坊の泣き声に似た声を出しながら、壁に顔を近づける。最初は何かの不安や甘えを訴えているように見えたのだが、地肌剥き出しの豚鼻の下で擦っていた所にはやがて大きな穴が空き、四つん這いでお邪魔するには丁度良い大きさになった。


「誰か!誰かこいつらを追い払って!」

「俺らの給料が!餓死させる気か!」

「お爺さんからもらった結婚指輪が…」


怒鳴り声や皿が飛んでくる空間から引き揚げた豚たちは朝ごはんを食べ始める。

それも食品ではなく、紙幣や指輪だった。


いや、これは夢だろう。そうだ、只の見間違いだとカーテンを閉め、換気のためにももう一つの窓を開けた。3軒先でも全く同じことがおきていたのである。


人々の悲鳴から現状は理解できた。

まず変な豚が突然現れた。そして街にあるお金や宝石、財産などを食い荒らす。


「なんだヤツらは。」

口から漏れた言葉はそれだけだった。

しかし頬を抓ると痛いことから、これが現実であることが理解できる。



雑な着替えを終えて家を飛び出した時には、豚たちはすっかり肥えて幼児1人は飲み込めそうな程にまで大きくなっていた。

間も無く警察や軍隊が駆けつけて、醜く哀れな豚たちを射撃した。

銃弾が彼らの体を貫通して、ああ見てられない。

顔を上げると見えるもの。多分胸の辺りを赤く染めた貪欲な生き物_は倒れていなかった。

撃たれた痕から何かが崩れる音がした。グシャアアンとカードのピラミッドが倒れるのに似ている_、ここで生き物の死体がない理由を理解した。




「Ute!Ute!Yatsurano、Kubiwo、Tore!」

警察の肩に何者かが止まっていた。彼の汚れ一つない純白の服には檳榔地黒びろうじぐろ色のクローバーが三つ描かれている。

トランプだ。

撃たれた豚がトランプの軍隊に変身したんだ。

カード人間は敵の全身にへばりついて噛み付いたり槍で突いたりしているようだが、軍人は「なんだコイツらは!離れろ!」と怒鳴りながら振り払うのだからそこまで痛くないのだろう。



「か、身体が!家が壊れちゃう!」

別の甲高い悲鳴が僕の耳に入った。それに共鳴した町民の叫びが大地を揺らすのではという杞憂を感じさせるとは流石に言い難いとはいえ、それぐらい人知を超えた現象が既に起きているのは確かだ。

救出コールの発信地に駆けつける。みんなの不安や混乱も否定できない、判断した急に巨人になった奥さんが、自宅のパン屋とその周囲に建つお宅数軒まで破壊したのだから。当の本人は肥満と勘違いしてお腹をさすりながら半泣きになっている。


「さかなさかなさかなさかなさかなさかなさかなさかなさかなさかな…」

「五月蝿い‼︎その変な詩の暗唱はやめろ‼︎」

そのお向かいの家ではまだ5歳になったばかりの政治家の坊やが、奇妙な行為を不快に思う父親にこっ酷く叱られていた。可哀想に、眼には大粒の涙が溜まっているというのに、あの子は「わざとじゃないんだ」と伝えることは勿論、泣くことすら出来ないのだ。



町がこんな奇妙な事態に陥ったことはこれまでに無く、昔女の子たちが話していた御伽噺のような非科学的な世界でしかあり得ない出来事に対して、僕にはただ一つの心当たりがあった。


「アリス…かな…?」


昔誰かが語ってくれたあらすじも参考にして、夢の中で読んだ本の内容を必死で探り出した。あの本の所為なのかどうかは分からないが、最も妥当な要因だと思える。

アリスの話って…確か兎を追いかけて穴に落ちた女の子が、現実ではあり得ない原理で廻る世界に迷い込む。そこで大きくなったり小さくなり、様々な生き物に詩の暗唱や謎謎をさせられて、終いにはハートの女王様に襲われそうになった所で夢から覚めた…というような感じだったかな。

でもこんな風に一般人が困ってしまうといった展開は無かった筈。きっとこれは誰かの悪戯によるものだということか。


「ナンセンス!ナンセンス!」

突然女の子の甲高い声が僕の前を通り過ぎた。

黒いリボン付きのカチューシャが金髪のロングヘアーによくお似合いの、6、7歳ぐらいの彼女は、パン屋の前で白いレースエプロンで更に映えたシアン色のドレスの埃を払い落とし、また「ナンセンス!」と叫び出した。

先程のおばさんの悲鳴と同じぐらい声の大きさなのに誰も反応しない。それどころがこの少女が人々で賑わわない日など無い町一番のパン屋の前であるにも関わらず、誰も彼女に気付く人は居ないのだ。


もしかしてと思い、僕は彼女に話しかけた。

「ねえ君_!!」

予想はある意味正しかったが泡を喰いかけた。アリスは口だけののっぺらぼうだったのだ。そして片手の小瓶のラベルに書かれた言葉は、

『Drink me』。

蓋の空いたそれから溢れる液体がコンクリートから奇妙なキノコを生えさせた。巨大ベニテングダケから放たれた胞子が鼻に入ったのか、その近くにいた人々は嚔くしゃみが止まらない。


現行犯が少女であることに戸惑いはあるものの、僕は再び話しかけた。

「ねえ、こんなことして楽しいの?」

こちらに反応したのだろう、瓶を振り回すのを止めたアリスは、どうして?と訊くように首を傾げたので、みんなが迷惑するからだ、と答えた。

出来るだけ優しく諭したと思っていたが、彼女の唇は山のように盛り上がり、そしてついに大声でわんわん泣き出した。

その在る筈のない眼から人間のとは思えない量の水が流れ出し、それは間も無く町内のほぼ全域に広がった。

このままじゃ町がアリスの涙に呑まれてしまう。でも僕には何が出来るのだろう。一応大学に通っているので学力はそこそこあるのだろうが、だからといってこんな事件を解決する能力がある訳ではない。説得が駄目なら、一体何をすればいいのだろう。悩んでいる内に涙が川を作り始めたが、対応方法が思いつかない僕は脹脛を濡らしながら水面と睨み合うことしか出来なかった。


パシャン。

僕に向かって青い魚が飛んできた。硝子細工のように美しい鱗は日光を反射したので思わず顔を両手で覆ったのだが、僕を図書館に連れて行ったあの蝶が手を外した先に現れたときは息を呑んで咽せそうになった。

しかし、何かがおかしい。何か足りない。そいつを睨みつけて違和感の原因を探したら、なんと触角が無かったのである。角が無かったらこの蝶は食糧確保も婚約者探しも出来なくなる。一体こいつは何のために自分の身を犠牲にしているのなと考えた僕の目の前に、一本の片手サイズのケースが浮いてきた。


「Your first weapon 」


蝶はケースの上に止まった。僕の手が近づいた途端にそいつは少女の方を全身で指すように舞う。ケースの中身はサバイバルナイフだった。冷たい刃を尖らせた、本物の_。

「これで…殺せ…と…?」

自分で言って自分だけで失笑してしまった。人間の言葉が完全に分かるのはニンゲンのみだ。犬や他の動物がヒトの言葉を理解出来るように見えるのは、彼らが『とある発言』を『調教師』がしたら美味しいものや辛い行動を受けることを覚えているからである。蝶に質問なんて出来っこない。

しかしソイツはその翅を開閉しながら、空中に大きな円を描くのだった。


嘘だろ、とぶつけたかった。可愛い顔しやがって。

僕は争い事を避けて生きてきたと言っても過言ではないぐらい、誰かと戦うことは虫唾が走るほど嫌い、というよりも寧ろ恐怖でしかなかった。だからこそ如何に対立を避けて和解させるかを考えていきてきた挙句、逃避主義者になり、現在に至ると考えても良い。


僕はずっと誰も傷つけないように慎重に行動してきたし、これからも誰一人傷つけたくない。そうだ、殺すよりも何か良い答えが有る筈だ。

えーと、アリスの最後はどんな感じだったっけ。お姉さんの声で目を覚ましたのだから、起こす時に言ったことをお姉さんの声真似で言えば良い。でもそこまでまだ読めていなかった僕は、臍まで上がってきた水の事はお構いなしに、最後の展開を必死で思い出そうとした。でも思いつかない。蝶は慌ただしく少女に向かって翅を動かす。えっと、アリスが白兎を見たのは夏の昼…うーん…、


「アフタヌーンティーの時間ですよ!」


ダメ元で思いっきり叫んだ。

子供はおやつの時間が嫌いなわけがない。幼いアリスは「アフタヌーンティー」に反応したのか、泣くのを止めた。

幼女の号泣が収まったと同時に彼女の身体は虹色の光に包まれ、やがて消えた。


「ああ、うちの財産‼︎もう二度と盗まれるんじゃないよ!」

「お父さん、僕を打たないで!」

「た、助かった…」


アリスと一緒に「困った現象」も元の世界?に帰ったようだ。人々は安堵感を町全体で味わっている。


でも、あの夢とさっきの現象はなんだったのだろう。予知夢か、それとも幻かは全く分からない。でも蝶は間違いなく本当に夢のと同じ蝶だった。そしてナイフの金属特有の冷たさや抓ったときの痛みも本物だった。

頭の中で考えたくないことが浮かぶ。

『僕は元々住んでいた世界とは別の世界、パラレルワールドにいるんだ。』

いや、まあしかし皆んなが無事だったから良かったじゃな_腹部が鳴った。

そう言えば朝食はまだだ。早く家に帰ってトーストとコーヒーでも頂こう、そんな些細な楽しみを持って僕は家に向かった_








「あれ、ここは。」

どうも図書館で寝ていたらしい。ラジエルさんが隣の本棚の整理整頓をしていたのを中断し、僕が座る低反発クッションの隣のカウチに腰をかけた。

「寝ていたことは気にしていません。それがその本の力ですから。」

「この本にそんな力が…?」

「先程、アリスの世界であったのと似たような現象が貴方の街で起こりましたよね。」

「はい_ってええええ⁉︎」

TPOも忘れて叫んでしまった。どうもラジエルさんは僕の夢の世界を見られるようだ。といってもさっきのことが夢なのかはさっぱり分からないけれども。

「驚くのも当然ですよね。私、貴方の見ている夢を読み取れるんです、完全にとは言えませんがね。」

僕は幾つか質問があったが、一つ目を言い始める前に突然彼女は真剣な目つきで、声色も変えて続けた。


「貴方にお願いがあります。貴方が最後の希望なのです。ここに在る本を読んで、この世界をお救い下さい。本の中で迷ったときはその物語の内容を思い出していけば大丈夫です。それでもダメなら私が貴方をお守り致します。」


息を吐く暇も無かった。


いや待ってこれは夢なの?試しにリンパ腺辺りを抓ってみたが、なんと激痛が走った。ちょっと嘘だろ、さっきのはたまたま偶然だというのに、なんで同じようなことを繰り返さないといけないのか。

現実味がないから、と御伽噺の本を人から借りることすら許されなかった家庭で育った僕の側に、ラジエルさんは別の本を置いた。

『ピーターパン』と表紙には書かれている。


「宜しくお願い致します。」


彼女がそう言い切った時には、無意識のうちに本を読んでいた。

そしてまた、意識を手放してしまったのだ。

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