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後編

 「何でパーフェクトでありたいんですか?」

 「パーフェクト人間は悔しい思いをしなくて済むから。だってバカにされることはないでしょう?」


 小学生のあのときのような思いは、もう二度としたくない。

 相槌を打ちながら二画目を書き始めた。


 まだそれしか書いていないのに美しいと思った。

 完成したら感動しそう。

 いいなー。字がきれいで。


 右上がりで書いている。

 なるほど。 

 ただまっすぐに書くだけじゃダメなんだな。参考になるなぁ。


 「テストのときとかノート提出のときは字はどのように?」

 「速読で問題文を読んで残りの時間は読める字を書くことに集中している。ノートも同じ」

 「そうなんですね。色いろと苦労されていらっしゃる」

 「ねえ!面白そうだからわたしもやってみたい!いい?」


 わたしの目の前にも半紙と硯を用意する。

 墨汁だけど、穂空は楽しむのが一番だと言ってくれた。


 「では一画ずつ質問して答えてを交互にやっていきましょうか」

 「うん」


 字を真似て書くためにも同じ『告白』を題材にした。

 腕捲りをし、姿勢を正すと一画目を書く。


 「穂空は何でいつも着物なの?」

 「家でも着流しなんですよ」

 「ん?」

 「今と同じ型の着物をきて生活しているんですよ。それで制服に着替えるのを忘れてそのまま学校にきてしまって。それが何回か続いたら〝ま、いいか〟となったわけなんですよ」


 「パジャマで登校しちゃったって感じなの?」

 「例えがどうかと思いますが、まあそんなもんです。ところで、よりこさん」

 「何?」

 「一画につき質問は一つなんじゃないんですか?」

 「あー…ごめん。気をつける」


 それからわたしたちは質問合戦を楽しんだ。

 穂空の好きなもの。

 苦手なもの。

 デスメタルを好んで聴いているといのは意外だったかな。

 でも穂空の場合、意外なことも不思議とすんなりと受け入れられてしまう。


 「本当、穂空の言った通りだね。最近字を書くのも楽しいんだ」

 「そうでしょう?」


 わたしたちは笑い合った。

 小学生のときから彼といるとわたしは心が軽くなる。


 不思議な存在だな。

 そして貴重な友人だ。


 ****


 「神谷さん。大丈夫?」


 翌日の教室。

 ボンヤリとしていたら柳生刻に声をかけられた。

 前から思っていたけど、彼って何だか雰囲気がチワワみたいだ。


 ーーと、意味もなく考えてしまうぐらいボンヤリとしている。


 パーフェクト人間がこんなんじゃダメだな。


 「目の下に隈まであるよ。やっぱりーー」


 急に深刻そうな顔をしてきたので、わたしも気を引き締める。


 「不幸があったんだね」


 何故そうなった?


 「不幸の手紙をもらったから、不幸なことが起きたんでしょう?ちゃんと他の人にも送った?心配だな」


 どの口がそれを言うか。

 勝手に人のメモを不幸の手紙扱いにして、一人で騒いで、わたしに送りつけてーーっていけない。


 愚痴っぽくなってしまった。

 笑顔を心がけなくちゃ。

 口角をあげる。


 「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。わたしはこうして元気だから」

 「そう?」


 隈ができたのだって、夜遅くまで字の練習をしていたからだし。

 うまくなっていくところを穂空に見てもらうんだ。


 ****

 

 「……どう……かな?」


 わたしは昨夜書いた一枚を穂空に見せていた。


 右上がりを意識すること。

 右下に重心を置くこと。

 ……他にも細かく教えてくれたことを思い出しながら書いた。


 自分では今までの中で一番の出来だと思っている。


 「とても素敵な文字ですね。温もりを感じます」

 「本当?!」

 「はい」


 わたしは小さくガッツポーズをした。


 「頑張ったご褒美に昨日、父の友人から頂いたういろうを出しますね」

 「ありがとう!穂空も喜んでくれるとは思っていなかったよ」

 「それは喜びもしますよ。お茶もいれますね」

 「わたしも手伝う!」



 イスから立ち上がり、穂空の隣まで近寄る。

 ーーと軽く距離を取られた。

 ……前にも似たようなことがあったよね?


 あのときは前髪に触れようとした。

 気のせいではなかった?


 確認するためにも少し距離を縮めてみる。

 縮めた分だけ距離を置かれる。面白くない。


 「えいっ!」


 わたしは穂空の腕に思いっきりしがみついた。

 どうだ。

 これで逃げられる…ま、い?!


 下から見上げると彼の顔は耳まで真っ赤だった。


 「え。ちょ。何?」

 「〝何?〟はこちらの台詞ですよ。いきなり何をするんですか!」


 わたしは空いている方の手で前髪を掻き分けた。

 目元を見たかったからだ。


 「……赤い」

 「っ。知られたくないから前髪だって伸ばしたのに……しまっ……」


 失言でした。と穂空は言う。


 「もしかして、もしかして?穂空さん。わたしに散々ちょっかいをかけてきたけど、実は女子に免疫ないんですか?」


 ちょっとニヤついてしまう。

 からかうように言うと、腕を離されてしまった。


 「…女子は女子ですけど」

 「煮え切らないなぁ。何?」

 「よりこさんが相手だからに決まっているじゃないですか」

 「え?!」


 二人してカーッ、と赤くなっている。

 カーッと。

 何だろうこの空気。


 わたしは動けずにただ穂空を見た。


 「よりこさんだから触れたいんです。だけど顔は見られたくないんです」

 「わたしが触ろうとしたのに逃げたのって、それが理由?」

 「恥ずかしいのが主な理由ではあります。でもそれだけじゃないんです」


 穂空は薄く笑う。


 「ぼくから触れるのは自制心が働くのですが、よりこさんから触れられると抑えが効かなくなるんですよ。ほら、今もこうしてーー」


 耳たぶに触られる。

 輪郭を緩く優しく撫でられる。

 背中がゾクリとした。


 「耳……本当に弱いんですね」

 「やっ」

 「少しだけ煽った責任取ってくれませんか?」

 「穂…だ……かっ」


 耳から首筋に指がつうっと流れるように動く。

 もしかして、もしかしなくてもこのままではいけないんじゃない?!

 それでも全然嫌じゃないのは相手が穂空だから?


 ガラリ、と音を立てて先生が顔を出す。


 わたしたちをチラリとだけ見て興味なさげにーー


 「もう活動時間は過ぎている。帰りなさい」


 ーーとだけ言って出ていった。


 「鍵を閉め忘れてしまったようですね」

 「えーっと。今の先生は?」

 「書道同好会の顧問ですね。それより今度はちゃんと鍵をしますので続きをーー」

 「しないから!」


 恥ずかしさもあって、穂空から離れてドアに向かう。


 「じゃあ、今日は一緒に帰りませんか?」

 「……うん。いいよ」



 廊下を出て角を曲がる。

 壁に寄りかかる力もなくて、ずるずると背中から滑り落ちていく。

 最後には床にお尻がついた。


 「焦っっったぁ~」


 顔を覆うとそのまま首を横に振ったり、縦に振ったりした。

 今、誰かがここを通りすぎたらさぞや不審者として映ることだろう。


 「あのままだったらわたしーー」


 キスされていたかもしれない。

 そう思うだけで顔が熱をもつのを感じた。


 ****


 リュックを取りに教室に行くと柳生刻がいた。

 イスに座ってスマホゲームをやっているようだ。


 「神谷さん。おかえり」


 ん?おかえり?

 その言葉に不自然さを感じたが、いつも通りの笑顔を返した。


 自分の席へと行くと、何故か柳生刻もついてくる。


 「あの…。どうかしたの?」

 「守るって言ったじゃん!いつどんな不幸が起きてもいいように一緒に帰ろう!」

 「そんな…。大丈夫だよ」


 それにわたしは穂空と帰るんだから。

 それを言えれば一番なんだろうけど、恥ずかしいしな。


 「ほら、神谷さんって儚げだからさ。前から守ってあげたいと思っていたんだよね」

 「今日は予定があって…」

 「どっかに寄って行こうかな。気持ちも紛れるしね」


 話を聞け。話を!


 わたしはさらに笑みを深くする。

 拒絶の意味も込めて、無理なの、とハッキリ断った。

 が、柳生刻は引かない。


 「これ見てよ」

 「…何?」

 「不幸の手紙。前にも見せたじゃん」


 そう言ってポケットから出したのは、あのときのわたしが書いた献立のメモだった。

 まだもっていたのか。


 「こんなものを書いた人の心は汚れているよね。字からわかるよ。きっとうまくいっていない日常を送っている。妬みでいっぱいなんだろうね」


 何それ。

 柳生刻に悪気はない?

 確かにそうかもしれない。


 だけどわたしは今、確かにあなたに傷つけられている。


 「それに比べて神谷さんは別格だよね。優しいし、いつも笑顔だし、美人だし、運動はできるし、頭もいいしさ」


 やめて。

 柳生刻が言葉を重ねるほど、どんどん胸が苦しくなっていく。


 「あれ?神谷さんのリュックから何かはみ出てーー何だよ、これっ!」


 急に大きな声を出されたことで肩が跳ねる。

 柳生刻はわたしに近づくとリュックから何かを引っ張り出す。


 それはさっき穂空に褒めてもらったばかりの文字が書かれた半紙だった。


 「神谷さん!何で言ってくれなかったの?」

 「え。何を?」

 「不幸の手紙を書いた本人から嫌がらせを受けていたなんてさ!許せないよ!」

 「嫌がらせって、これは…」

 「とことん心が汚れている人間なんだな。性格が字に滲み出ているよ!神谷さん。これからはずっと一緒に帰ろう。嫌がらせからも守るから!」


 やだ。悔しくて泣いてしまいそうだ。



 バンッという音が鳴る。

 鳴った方へと顔を向けた。


 「心を込めた字には命が宿るんです。そして言葉にもまた命は宿る」


 ドアのところに穂空が立っていた。


 「何だよ。理事長の孫か」

 「元理事長ですけどね」

 「そんなことより聞いてくれよ!神谷さんがーー」

 「悪意がないというのも質が悪いですね。だからといって、何を言っても許されるとはぼくは思いません」

 「何の話だ?」


 わたしは二人のやり取りをハラハラしながら見ていた。

 本当ならば穂空には知られたくなかった。


 いや、不幸の手紙にされちゃったことは前に話したけれど、実際にこうして目撃されるのはつらいものがある。


 「それとそれ。見せてください」

 「うん。ほら!」


 柳生刻から献立のメモと半紙を受け取ると、穂空は微笑んだ。

 前髪が邪魔だから口元しか見えなかったけど。

 嫌な笑い方じゃない。


 そのことに少なからずホッとした。

 小学生のときに庇ってくれたことを思い出す。


 「この字を読めないなんて可哀想な人ですね。でも読めるのはぼくだけでいいとも思ってしまいます。矛盾を抱えているんです」


 今までずっと。と穂空は言う。


 「ぼくはこの字が好きですよ。可愛くて、一所懸命で、とても素直な心のもち主なんだなって思います」

 「どこがだよ!そんな気味悪い字を書くやつを庇うのか?もしかして、嫌がらせしたのはおまえなんじゃないのか?!」

 「違う!」


 わたしは大きな声を出していた。


 大股で黒板の前にまで行く。

 チョークを手に取って『告白』という字を書いた。

 何度も練習してきた字だ。


 柳生刻から見たら今までよりかはマシだろう。

 しかし〝マシ〟という程度で字が汚いことにはかわりはない。


 「柳生くんが不幸の手紙だと言っているものは、わたしが書いた献立のメモなの」

 「嘘だろ?!これが神谷さんの字?え。汚なっ。うわぁ…幻滅しちゃうなぁ」


 柳生刻はわかりやすい。

 大袈裟なぐらいに引いている。

 覚悟していてとはいえ、なんか…。


 「ぼくはあなたの汚れた言葉をこれ以上、聞きたくありません。暴力は大嫌いなんですけど仕方ありませんね」


 穂空は柳生刻の前まで行くと、足を止めた。

 何の反動もつけずに拳を突き出す。

 思わず薄目になる。


 拳が柳生刻を傷つけることはなかった。

 顔の真横スレスレで止まっている。


 「申しわけございません。好きな人を侮辱されて笑って済ませられるほど、こちとら大人じゃないんですよ」


 穂空は笑顔で言ったあと、一泊おいて今度は真顔になる。


 「その整った顔をグチャグチャにしてしまう前にとっとと失せろ」

 「~~っ?!」


 柳生刻はリュックを慌てて取ると、そのまま何も言わずに教室から出ていった。


 ****


 「あんなに穂空が怒るなんて思わなかった」


 教室に残ったわたしたちは、何となく二人して窓の外の景色を見ていた。


 「怖がらせてしまいましたよね。ごめんなさい」

 「ううん。スカッとした。ありがとう」

 「よりこさんには昔、助けられましたからね。こうして恩返しできて嬉しいです」

 

 穂空はどこか懐かしむような表情をしている。

 しかしわたしには覚えがない。


 助けた?助けてもらった記憶はあるけど。


 「わたしも暴力は嫌いなんだけど、拳で訴えたわけ?」

 「違いますよ!」



 そして語ってくれた。

 それは小学生のときのこと。


 わたしにとっても忌まわしい記憶の残る習字の時間だったという。


 「ぼくは祖父から書道を習っていまして、草書体を好んで使っていました」

 「それって何?」

 「書体を崩したものです。ぼくはそれが好きでして…。早く書けるんですよ」


 「あ!思い出した。すんごいウネウネしていたでしょう?」

 「ウネウネ…。まあそれで、先生はよく思わなかったんです。小学生らしい字を書きなさいって叱られました」


 穂空みたいな字を書ける人をも叱るだなんて。

 あの先生に問題がある気がしてきた。


 「不満でいっぱいのまま職員室から出てきたら、よりこさんが駆け寄ってきたんです」

 「そうだっけ?」

 「はい。目を輝かせて手を握ってきたんです。そして言ってくれました。『わたしは穂空くんの字が好きだよ』って。嬉しかったなぁ」


 しみじみと言われて困ってしまう。

 だってーー。


 「今にして思えば、あれは同類だと思っていたから出てきた言葉だったんですね」


 はい。その通りです。何も返せない。

 沈黙を肯定として受け止めたのか苦笑している。


 わたしは顔を逸らした。

 何だか申しわけなくて。


 「よりこさんの真意がどうであれ、ぼくはあのときの笑顔と言葉に救われたんです。字を書くことが好きでいられるのも、よりこさんのおかげなんですよ」



 肩を掴まれて、半強制的に向かい合わせにさせられる。

 そのまま頬に手を添えられた。

 穂空の指先が冷たくて、わたしは震えた。


 いや、これから待ち受けていることに震えているのかも。


 「あのころからずっと好きですよ。よりこさん。よりこさんは?」

 「わたしはー…」


 顔が近づいてくる。

 多分、返事は表情に表れていたのだと思う。

 だからこんなー…。でも。


 「えいっ!」


 穂空の顔が見えるように前髪をあげた。

 途端に彼は真っ赤になる。

 そのまましゃがみ込んでしまった。


 「ひどい!ひどいですよ。よりこさん!」


 どうやら変なスイッチは入らなかったようだ。

 ひたすら恥ずかしそうにしている。 


 



 ーー表面的な美しさが文字にも反映されていれば良かったのに。

 そう思っていた。


 だけど穂空がわたしの字を褒めてくれるなら、他の誰に貶されても気にしない。

 ーーように頑張る。



 パーフェクト人間は今日でおしまい。

 でもね?穂空。


 「前髪を切って、ちゃんと顔を合わせても平気になったらキスしようね♪」


 あなたの前ではいつでも、わたしはただのわたしだったんだよ。


 【完】

 

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