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赤色女人  作者: 生駒匡
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赤色女人6

鹿の群れがいた。青年と案内役の男は同時に弓を引いた。一匹の鹿が草を食べるために頭を下げたとき二人は同時に矢を離した。二本の矢が空を切る音がした。続いて鹿の体が地面に落ちる音と群れ草を踏み荒らして逃げる音がした。

 青年と案内役の男は草陰から出て仕留めた鹿に近づいた。二本の矢が胴に刺さった鹿は舌をこぼしてで倒れていた。

「やりましたね。かなり食料に余裕ができました」

 案内役の男が青年に言った。青年は「はい」と答えた。

 村を出て四日目。持ってきた保存食はできる限り節約するため一向は積極的に狩にでている。初の特大の獲物である。男はナイフを取り出した。

 村をでてからここまでの旅は歩き詰めだった。一日目に青年が知っている場所は軽々と通り過ぎ未知の山に入っていった。人里があるのかも分からない。道を知っているのは案内役の男だけで他の三人は黙々とついていくだけだった。

 案内役の男は五十になる村の男性で名はサンス。当然青年とカイも知っている。旅に入ってから突然青年とカイを丁重に扱い始めたのである。青年が止めても丁寧な態度を崩さなかった。お祠様の遣いを送るには当然の態度だというのだ。

 一日目にサンス男が説明した内容はこうだ。

「十日ほどかけてとある集落を目指します。そこは目的の山に近いので毎回一晩の宿を借りています。そこに行くまで人里はありません。少なくとも30年前は。帰りの食糧も考えて手持ちのものは節約していきましょう。また集落に着いたら次の話をします」

 そして四日目の夜、青年は肩を揺すられて目を覚ました。まず林の奥の暗がりに光る眼と目があった。光る眼は闇の奥に消えた。空は星が輝いている。まだ夜中だ。

 青年を起こしたのはカイだった。逆光で顔に影を作って青年の肩を揺すっている。

「そろそろ交代だ」

今日までは案内役の親子が火の番をしてくれた。が、さすがに休憩が必要だった。とくにサンスの息子セウスはまだ十四で体力的に辛そうだった。なので 今日の火の番は青年とカイが担当した。

 青年は毛皮から抜け出してその上に座った。枯れ木の束をちらりと確認した。

「もう寝ていいですよ」

 青年は小枝を焚火に放り投げた。枝が割れる音を立てた。

「少しいいか」

 カイは立ったままだ。青年は顔だけカイのほうへ向けた。

「村長が言っていただろう。大抵一人だけが成し遂げるって。一人だけ成し遂げるのは殺しているからだと親に聞いた」

「物騒ですね」

 寝ぼけが残って青年の頭はぼやけて短い返事しかできなかった。一方のカイは真剣である。腕を組んで青年に語る。

「俺たちなら二人とも成し遂げるだろうと思う。だが俺はお前を殺さない。二人で山に至りたいと思う」

「それはどうも」

「俺は自分が参加するなら良い方向に変えたいんだ。ただそれだけなんだ」

 言い終わるとカイはやっと寝た。

 青年はカイのことを気にしたことがあったか。いや、この旅においてはない。青年が気になることは旅の終着点とそして少女のことだけだった。歩いて考える時間が長い旅に入ってその二つのことばかり考えている。自分はそれでいいのか。と疑問も浮かんだ。しかし、もとより旅人の妄執をなぞる旅ではないか。自分も妄執に浸ろうと青年はいつしか決めていた。

 青年は夜の冷たい空気を大きく吸って眠気を冷ました。焚火は暖かい。


 五、六日目は景色も変わらずただ歩いた。いつの間にか全員が杖替わりの棒を持っていた。八日目に山間の谷間を歩くようになった。両側の山が急斜面で歩ける余裕がない。山に木が減って岩の露出が増えてきた。道が昇りになってきている。九日目にして急な坂道を登り始める。しかし歩いているのは相変わらず山間の谷である。いくら登っても両側の尾根と距離が縮まない。坂に合わせて山も高さが上がっているのか。息切れが激しくなってきた。そして十一日目の昼前に山中の集落についた。


 集落は山の中の平野にあった。周囲の山の中腹を台にして持ち上がった皿のような場所である 。谷続きの地に表れた土地のオアシス。そして家屋が鼠色だった。近づいてわかったのは家が石でできていた。石造りの家を青年は初めて知った。

 サンスを筆頭にこの村の長に会いにいくと意外にも歓待された。一室を用意してくれるという村長の案内について行くと、客人が珍しい村人たちがわらわらと集まって青年たちの後を着いてくる。

 青年たちは空き家を当てがわれ、食事まで出してくれた。

 バターのたっぷり入ったお茶をしこたま飲まされ、肉と油の積もった料理を旅で痩せたぶんだけ食べていけと大盛で差し出された。青年とカイで出された量のほとんどを食べた。食べることがお礼とばかりに二人は食べた。その間にセウスは寝てしまい、サンスは集落の村長と三十年ぶりの再会に談笑していた。

 青年たちにあてがわれた部屋の石壁は分厚く崩れない安心感がある。木製の家具と布で飾られた室内は外の寒さを忘れさせる暖かさがあった。暖かさをだす調度品の一つに青年は部屋に入ってからずっと気になっていた。

  あらかた食べ終わり、しめのバター茶を片手に、青年の背後の壁に飾ってある人物がを青年は立ち上がって眺めた。

 なめしたからに碧い染料で寄り添う老夫婦が描かれている。柔和な笑顔の老婆と右手の指がない老爺が絨毯にならんで座っている。

 藍色一色の絵画から服の模様のきらびやかさや夫婦の肌色、石壁の濃淡、老夫婦の茶色い瞳、絨毯の赤さを感じる。藍の濃淡で色彩を錯覚させる傑作だった。青年に真似できない技術だ。

「それはこの家に住んでいた夫婦の自画像だよ」

 集落の村長は青年の背中に語りかけた。

「夫婦は外から来た人で夫は絵が上手かった。もしかしたらあんたらの村から来た人たちかもな」


 その夜、サンスが三人を集めた。

「明日から深く山に入ります。雪が残っている場所もあり、冷えます。用意をしておいてください。片道に二日半。五日目にこの村に戻ってきます。私と息子は二日目から別の行動になります。山頂にはお二人だけで登ってください。別れた場所かこの村で合流しましょう」

 カイが反発した。

「最後まで案内はしないのか」

「私と息子は染料の元を採りに行かねばなりません。道も険しくなるので私たちには危険です。近寄れば頂上まで遮るものはありませんから迷わないでしょう」

 男は話続けた。

「危険と伝えられているのは目的の山に近づくまでです。この村からの道は非常に尖った尾根を伝ってゆかねばなりません。引き返した人のほとんどがそこの天候の悪化でと聞いています。麓までたどり着けば楽になると聞いています」

 青年は気になった。

「ここの人に案内は頼めないのですか」

「私たちの向かう山に行く人はもういないそうです。村人が少なくなったので若者に登山を禁じていると。私を案内してくれた方は亡くなっていました」

 サンスは笑った。

「私が一番の案内人になってしまったようです」 

 一向は明日に備えて荷物を整えだした。けれど荷物が少なく青年は弄るものがない。いたずらに貝を開けて染料を突いてみた。だいぶ乾燥していて指に色が移らなかった。紅い染料見ていると最後に描いた少女を思い出す。悲しいかな実物よりも詳細に思い出せる。会心とはいかなくとも少女の魅力を写し取った傑作だった。それでも自分は満足せず躊躇いなく消した。なんて贅沢だと今になって思うのは少女を恋しくなったからかもしれない。

「他にはないのかよ?」

 カイが青年の暇を見て話しかけてきた。

「描く道具だよ。山に登って写す道具は?」

「いつも覚えて描いているんで、これも何となく持ってきただけですよ」

 カイの荷物には丸めたなめし革と木組みの革を張る道具がかさばっている。村で使っていたものをそのまま待ってきていて大分でかい。カイの荷物の体積をぐっと増やしている。それに比べれば青年の荷物は食料と服、それにこまごまとした旅の道具だけでだいぶ身軽だ。

「そうか。便利なことだな」とカイは言ってなめし革を荷物に括り付ける作業に戻った。

 青年は貝を閉じて荷物にしまった。



 静かな寝息が響く深夜、カイは目を開けた。この村に来てから頭痛が酷くて眠れない。

 次男のカイは家を継がない。ならば絵描きにしようとカイの両親は考えて幼少のころからカイに練習をさせてきた。父親の願いはカイの自負となった。だから同年代で自然と絵を描く青年は厄介な存在だ。嫌いではないけれど負けられない。カイの兄は体が弱い。何買った時のためにカイは立派にならなくてはいけない。高山病で苦しくても引き返すことはあり得ない。



 空が白み始めた頃に青年達は出発した。見送りはいない。村の平地を囲む山と山の間に滑り込むように先を行く。

「顔を上げてください。正面のでかい山影が目的地です」

 村から山を一つ挟んだあたりでサンスが斜め上を指さした。青年は指先の示す方向を見た。

 尾根をなだらかに左右へ広げている山影があった。尾根がとにかく長く壁のように伸びている。尾根の付け根は他の山が邪魔で青年からは見えないが尾根の角度から想像すると遠くまでにびていそうだ。山頂は左右の尾根から集めた力を集中し空を突くように切れ味よくとがっている。

「ここの村人はあの山を「山の入口」と呼んでいます。昔はここの村人が登頂して威を示す場所でした」

 青年は聞いてみた。

「山の終わりにしか思えません」

「それは自分で確かめてみてください」

 青年たちは観光を止めて進み始めた。

 日が昇るにつれて目的の山の様子が明らかになってきた。青みがかった灰色の岩石が鎮座しているのだった。草木も生えず、一部に残る雪だけが化粧だ。更に空が明るくなってくると嬉しいことに「山の入口」はなだらかだろうとわかってきた。左右の尾根が緩やかな坂のように手前方向にも緩やかなように見える。頂上までの高低差もなさそうである。山頂に雲がかかっているけれど、高低差を感じないのは青年たちがいる場所も標高が高いのかもしれない。

 上の様子は順調である。しかし、地に足をつけて歩く青年たちはそうもいかなかった。

「今日中に向こうに見える山稜を越えなくてはいけません」

 サンスがいう山稜は簡単にわかる。今登り切った小山の先にもう一つ小山があったということだ。青年の見る限りでは大きな岩石がない平坦な坂がのっぺりと広がっているだけで、向こうの山稜まで大した距離もなさそうに感じる。しかし、青年が山に入って学んだのは景色まで近いと感じてもそれは物体が大きい故の錯覚だということだ。

 これから眼下の下り坂と目指す山稜の一部の上り坂は障害物がない平坦な坂だから下った勢いで駆け上がれば一息で辿り着く距離に感じる。が、もし今立っている場所から坂を下りてゆく自分の後ろ姿を見られるなら、底に着くころには自分が豆粒ほどになっているだろう。向こうの山稜の上についたときには更に小さい自分がいるはずだ。

 山の世界は厳しい。体力を奪う呼吸、喉を締め付ける乾燥、尺図の狂った大地、食料のない荒野。手の届く場所に歩くことさえ地上と比べて果てしない。青年も呼吸が速くなってきている。息切れしやすい。特にカイは消耗がひどく、膝に手を着きながら青年の背後で坂を上っている。セウスはカイの背後でカイに付き添っている。案内親子は平気なようで元気である。

 山は険しいけれど頭を上げれば旅の終着点が今朝よりも近くになっているのだ。少しづつでも進んでいる。

 青年は坂道を下り始めた。

 

 日が暮れて青年たちは湖の畔で火を熾した。雪解け水が溜まってできてた湖かもしれない。

 青年が座っている横に小さな草が生えていた。1日ぶりに会う緑だった。

 サンス男が鍋をかき混る。

「今のところ予定通りです。明日私と息子はここから染料を採りに行きます。お二人は山頂を目指してください。この場所で合流しましょう」

 青年はスープを受け取ってうなずいた。青年は高揚していた。体が疲れても心に弱さが出てこない。むしろさらに気持ちは高まり集中力が増してゆく。絵を描くときの気持ちが逸って漏れだしているのかもしれない。

 一方カイは毛皮に包まって立てた膝に頭を乗せて休んでいる。しばらく身じろぎすらしない。

 サンスがスープを持ってカイの側に移動した。

「ここで待っていてもいいのですよ。私は三十年前に死なせてしまった。生き残ってくれた嬉しいのです」

「俺は行く」

 毛皮の間から腕が出てきてスープを奪いとった。カイが顔を上げて食べ始めた。

「私は止められません。ですから生きて帰ってきてください」


 青年とカイは出発した。今日中に山頂付近まで登る予定だ。登頂と下山は明日一日を使う。その翌日で湖に帰還。丸三日間の行進だ。

 空に見える「山の入口」を目印に歩いて行く

 カイは今朝からずっと青年の前を歩いている。少し速度が速い。けれど青年を振り返ることもしない。青年を気に掛ける余裕がないのかもしれい。

 青年もカイを気遣わない。二人はただ山頂の風景を目指す村の遣い。山を目指す。それだけなのだ。

 ますます近づいたことで目指す山の全容が判明した。青年たちを歓迎する左右の尾根はやはり長かった。首を振らないと両端が視界に入らない。そして頂は、雲に隠れて見えない。山の厳しいところがただ一つある。青年達と山との間に深い谷が渡っていた。周囲の岩は塊が大きい。例え降りてもその先で登れる保証はない。

 サンスがいつか語った尾根を渡るという意味が青年に理解できるときがきた。目指す山の麓から青年たちのいる崖岸まで伸びる尾根がある。一本の橋のように「山の入口」の中腹と青年たちの場所を繋いでいる。ここを渡るしかない。

 カイは青年に相談せずにその尾根の始まりに進んでいった。カイは隠しているようだが、カイの呼吸はとうに荒れて青年にも聞こえていた。

 尾根は魚の背びれのように岩がそそり立っている。なんとか足場を見つけて壁面にへばりついて進むしかなかった。落ちれば突き出た岩石に揉まれてすり身にされるだろう。

 村を出てからずっと続いていた快晴はただの幸運だった。今日に限って天気が崩れた。温い雨が尾根にへばりつく青年とカイを濡らしていく。

 風に吹かれた荷物の重さが青年を壁面から引きはがそうと試みてくる。岩のひびに指を入れて体を引き付けて凌ぐ。青年とカイの距離は少しずつ離れていった。カイは山岳の環境に喘いでいたのに。青年は自分の足場と取っ手の保持に忙しくカイはますます遠くなっていく。

 雨粒が青年の目を塞いだ。カイの後ろ姿が滲んで夢の物体のようになった。もしやカイは実体を抜け出した霊になり山に誘われているのではないか。カイは次々と足場を乗り換えて進んでいく。

 不幸は続いた。青年とカイがへばりつく壁面に暴風が吹き付けた。青年は全力で壁にしがみついた。目を開けている余裕はない。風の唸りが音を支配する。青年はただ力を込めて風の機嫌が収まるのを待った。

 風が弱まり青年が目を開けると、カイはいなくなっていた。


 青年は尾根を渡り切って山の麓に降り立った。カイはいなかった。

 青年が降り立った場所は岩が多い。青年の身長の半分くらいの岩が沢山転がっている。岩に手を付けて体を支えて雲に隠れた山頂を見あげる。

 遠目で見た通りこの山は優しい。急斜面が山頂までみあたらない。二本の脚だけで登っていけるだろう。

 青年は少しでも雨を防げる岩の隙間に座り込み体を毛皮で包んで休んだ。

 体が温まってくると眠気がやってきた。うつらうつらとした意識で青年は村長の「大抵は一人が成し遂げる」という言葉を思いした。もし、青年が湖で待っていたらカイは死ななかったのだろうか。しかし例え青年の体調が崩れても湖で待つなんてことはない。結局青年とカイの二人で山頂を目指していた。だから意味もない夢の話。気付かぬ間に青年は本当の夢を見始めた。

 瞼を透す眩しさで起きた青年はすぐに眩しさで再び目を閉じてしまった。山から顔を出したばかりの太陽が光線で青年を刺していた。

 天気は雲一つない快晴。無風。太陽だけが青年の観客だ。

 天気の幸運は呪いなのか祝福なのか。

 青年は山頂を見あげた。昨日は雲に隠れていた山の剣先が今日は雄大さを見せつけて空に伸びている。

 青年が歓迎されているのか引き寄せられているのか区別はつかない。ただ山の風景を得られるなら青年はそれでいい。

 準備を整えて青年は山頂へ歩き出した。

 山頂まで遮るものはなにもない。岩の大きさは小さくなり、すぐさま小石が敷き詰められたようになってきた。村を出てからの十五日間と同じように歩き続ければいい。

 麓の村人が、青年の村を救った旅人が、青年の村人が崇め続けて尚威風堂々と山は存在し続けた。そして青年自身が求め風景がすぐそこにある。青年が山頂の剣先に手をかけた。

 頂きに登った。太陽が頂点にある。全面に広がる真っ青な空。そして青年は「山の入口」の由来を視た。岩肌のとがった山々が何重にも続く遠大な連峰が眼下にあった。人の立ち入りを拒む岩の世界の境目に青年は立っていた。ここから先は山の世界。人の世の終わりであり「山の入口」のだ。

 ああ、人を拒む険しい山の世界がどこまでも続いているというのに見下ろす景色はこんなにも美しい。立ち入れば生存の厳しい山の斜面も青年の場所からはいくらでも見渡せる。青年の立つ場所がまぎれもなく最高峰だった。まさに神の座。全ての山を見下ろせる。

 連峰の山々の岩肌は青みがかった黒色だ。影の中には雪が残っている場所もある。岩肌に走るヒビに積もった雪が根のように山に化粧をしている。

 鋭く起立する岩山たちはまさしく悠久不滅の風景。ここを訪れた人たちの感嘆を受け止めてきた。これからも受け止め、その風景を変えずに残し続けるのだろう。

 青年は背後の登ってきた方向へ振り向いた。たった今登ってきた道。谷をつなぐ尾根。案内役の親子が待つ湖も見えた。さらに遠く標高が下がったところから緑がある。自分たちが通ってきた森だ。そして更に遠く、地平線が丸く反って見えた。山の絶景が醸し出す魔力で地面が曲がって見える。

 頭痛がしてきた。そろそろ降りたほうがいいかもしれない。

 青年は最後にまた連峰の続く果てを見た。これが旅人が求めた風景。美しい風景だった。しかとこの風景を青年は己の中に得た。


 湖の近くに碧い石の鉱脈がある。案内役の親子は麓の村に渡す分も含めて十分に碧い石を確保した。後は青年たちを待つだけである。

 サンス男は昼食のために荷物を開けた。息子のセウスに道を伝えることができて男は満足していた。あと五年遅かったら自分はこの旅に出られなかっただろう。人生最後の大仕事として順調に残したいものを伝えた。悪くない人生だった。

「おとう。戻ってきたよ」

 薪変わりの動物の糞集めに出ていたセウスが青年と並んで歩いてきた。青年は揺れるように一歩一歩踏み出して歩いている。男は鍋をなぜる手を止めて二人に近寄った。そして聞いた。

「カイ殿は?」

 青年は首を横に振った。短い時間しか離れていなかったのに青年は少し痩せていた。しかし、眼光はさらに鋭く輝き活力が満ちている。

「そうですか。山は登れましたか?」

「はい。お祠様の壁画は俺が描きます」

 サンスは安心した。三十年越しの悲願達成だ。若者が困難を乗り越える姿は歳をとるほど胸に響くようになる。労ってやりたいが男はまだ青年に課題を与えなくてはならない。

「ではこちらをお付けください」


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