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急使

 シスレイア・フォン・エルニア。

 この国の第三王女である彼女は、深夜、馬車に飛び乗る。

 化粧もせず、着るものにも乱れがあったが、それも仕方ない。

 国王から火急の用があると厳命を受けたのだ。

 もはや、最後の面会となるかも知れない、王の勅使はそのように伝えてきた。

 シスレイアは夜中に叩き起こされたことに一言も不満を告げず、王宮に向かった。

 その車中、馬車の窓から王都の夜景を覗き込む。

 真っ暗だったのは大雨が降っているからだろう。不夜城ともいえる王都がこのように静かなのは昨日から降り続いている大雨のせいであった。

 このような雨の中では経済活動も鈍るのだろう。

 そのように考察していると、対面に座っているメイドのクロエが口を開いた。

「……おひいさま、国王陛下はみまかれるのでしょうか?」

「……そう遠くない日には。でも、安心して。それは今日ではない」

「なぜ言い切れるのです」

「ふふ、親子だからかしらね。なんとなく、分かるのよ」

「なるほど、血は水よりも濃いということですね」

 クロエは納得すると話を続けた。

「しかし、畏れ多いことながら、国王の崩御は避けられません」

「そうね」

「そのときおひいさまはどうされるおつもりですか?」

「――わたくしは」

 自問するようにつぶやくと、馬車は宮殿に到着する。

 厳重な警備であったが、シスレイアはこの国の王族、なんなく宮殿に入ると急ぎ足で王の寝室に向かう。

 途中、腹違いの兄であるマキシスとすれ違う。シスレイアは軽く頭を下げ、挨拶するが、兄はシスレイアのことを完全に無視した。まるで空気のように扱う。

 その態度を見てクロエは大きな溜め息を漏らす。

「ふう、まったく、実の兄弟に対する態度ではありませんね」

「誰しも兄弟仲が麗しいというわけにはいかないようですね」

「そのようです」

「クロエのお兄様の爪の垢を煎じて飲ませれば、仲良くなれるかしら」

 クロエの兄を例に出したのは、彼とクロエが比翼の鳥のように仲睦まじいからだ。先日の騒動で数年ぶりに再会を果たしたクロエ。行き違いのあったふたりだが、誤解が解けたふたりは離ればなれになっていた時間を取り戻すかのように同じ時間を過ごした。レオンいわく、「まるで恋人だな」とのことだったが、その表現は言い得て妙だ。ふたりはしばし王都で兄弟水入らずで過ごすと、兄のほうは旅立った。元々、流浪気質がある兄のボークス、いくら妹がいると言っても王都に永住する気はなかったようだ。

「妹を頼む」

 とシスレイアとレオンにだけ告げ、立ち去っていった。兄がいなくなった日、クロエが悲しそうに皿洗いをしていたのが印象的だった。

 そのようにクロエの兄ボークスのことを考えていると、クロエは先ほどの言葉を真面目に考察していた。

「入手は容易ですが、飲ませるのは至難かと」

 シスレイアの冗談を真面目に考察するメイドさん、なんだかおかしかったが、表情を引き締めると、国王の寝室に向かった。そこには枯れ木のように痩せた老人が眠っていた。

 ――いや、老人と呼ぶのは酷か。この国の国王ウォレス・フォン・エルニアはまだ五〇代の壮年なのだ。老人のような皺や髪は加齢によってではなく、病気によってもたらされたものであった。国王はいわゆる〝癌〟に侵されたのである。

 彼の肺には悪性の腫瘍が広がっており、呼吸もままならない感じであった。

 息も絶え絶えに天井を見つめている。

 ただ、意識ははっきりとしているようで、シスレイアが入室したことを確認すると、召使いにペンを取らせた。

 筆談によって会話をするのだ。

 蛇のような崩れた文字。達筆だった父の文字の面影はないが、それでも一生懸命に書いた文字にそこはかとなく感動するシスレイア。父のメモを受け取ると目を通す。

 そのメモにはこのような文章が書かれていた。

「わしはもうじき死ぬ」

 衝撃的ではあるが、意外性はない言葉であった。国王の死期は誰の目からも明らかだったのだ。シスレイアは改めて心がざわめいたが、国王の次の文章を待った。

 気丈な娘を見て国王は僅かに微笑み、文章を綴る。

「わしが死ねばこの国は乱れるであろう。現国王としてそれを最小限にしたい。そのためにはおまえの協力が必要だ」

 その文章に言葉によって返答する。

「わたくしの協力ですか? しかし、わたくしは非力。このか細い手でなにができましょう?」

「そんなことはない。おまえの手はなにものよりも清い。それがおまえの武器となる。それにおまえの手には黄金色の天秤があるではないか。それを使え」

「――黄金色の天秤」

 それは軍師レオンのことを指しているのであろうか、シスレイアは尋ねるが、国王は返信をくれなかった。疲れたように枕に身を預けると、最後にこう書き記した。

「――疲れた。すべてはおまえに託す。おまえと黄金色の天秤に」

 国王は目をつむると眠りに付く。以後、一言も発することはなかった。

 シスレイアは老人のような父親のまぶたに軽く手を触れると、きびすを返した。

 手のひらから父親の生命力を感じ取ったからだ。

 たしかに父の生命は燃え尽きようとしていたが、今はまだそのときではない。父親は病と闘っているのだ。娘であるシスレイアのために時間を稼いでくれているのだ。

 それを理解したシスレイアは、来たるべき国王の死と、次期王位継承者について頭を悩ませることにした。

「――わたくしは女王になりたい。でも今のわたくしは国王の器ではない。しかし、兄上にもそれはない。だとしたら――」

 年少の弟の顔を思い浮かべるが、彼の線の細い両肩もまた国王に相応しいとは思えなかった。

 才気がないわけではない。この国を支える重圧に耐えられないと思ったのだ。

「ならば誰が――」

 シスレイアは心の中で問うが、それに答えてくれるものはいなかった。

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