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天秤の魔術師

 バナの森には湖がある。

 サキの湖と呼ばれる湖である。

 サキの湖はそれほど大きなものではない。

 ただ、バナの森の民の重要な水源となっている。


 この湖に繋がる川は森の住民たちの貴重な生活用水になっているし、この湖で取れる魚は貴重なタンパク源となっている。


 ここで漁をし、生活している亜人も多かった。


 なので先にこの湖に向かってもらったエルフのエキュレートには、事情を説明し、事前に避難勧告を出してもらっている。


 というわけで俺たちが合流しても森の住人と出会うことはなかった。

 俺たちはエキュレートとの再会を喜び合う。


「エキュレートさん、別働隊の指揮ご苦労様です」


 シスレイアがお姫様らしい笑顔を送ると、エキュレートは笑顔で返答する。


「そちらこそご苦労様。その姿を見る限り、それなりに苦労をしたようね」


 俺たちの姿が薄汚れていることに気が付くエキュレート。土埃や煤だらけである。

 洞窟の中を這いずり回り、煙の中を進んだのだから当然である。


「お風呂に入る暇もなかった。やつらを焚き付けて即座にここにきたからな」


「挑発ご苦労様。是非、お風呂に入ってもらいたいけど、その余裕はある?」


「ないよ」


 あっさり答える。


「やつらを惹き付けながら来たからな、数時間後、やつらはここになだれ込んでくる」


「なるほど、じゃあ、さっさとやっつけてお風呂に入る余裕を作りましょうか」

 エキュレートは気軽に言うが、困難を指摘するのはシスレイアだった。


「しかし、レオン様、やつらを誘き出したはいいですが、いったい、どうやって駆逐するのですか?」


 彼女は真剣に問う。

 ルルルッカも同様の視線を送ってくる。


 そりゃあ、そうか。ここまで必死にやってきたはいいが、ここからやつらを討伐するビジョンはまったく見えない。それにオーガと直接戦い、やつらの強さは身にしみているはずだ。


 説明をする義務がある。そう感じた俺は、彼女たちに説明をした。

 百聞は一見にしかず。

 そう思った俺は彼女たちに「策」をほどこした湖を見せた。

 彼女たちの眼前に変わり果てた湖が広がる。

 それを見た彼女たちは、文字通り絶句した。



「……こ、これは……し、信じられない」



 その言葉は湖を見た彼女たちの言葉だが、その言葉は的を射ている。

 冬でもないのに凍った湖を見て、彼女たちは絶句をした。


「な、なぜ、湖が凍っているのですか? この時期に」


 当然の疑問を口にするお姫様に答える。


「それはエルフの精霊使いのおかげだよ。彼女たちは氷の精霊を使役できる」


 そう言うとエキュレート率いる精霊使いたちの周りに、美しい氷像のような精霊たちが舞い始める。エキュレートたちは精霊と戯れるとこう言った。


「使役ではないわ。協力して貰っただけ。精霊とエルフは友達なの」


「そうなのか。それはすまない。一言でまとめると湖が凍ったのは彼女たちのおかげだ」


「それは否定しない」


 えっへん、と胸を張るエキュレート。


「す、すごいです。王都のアイススケート場よりも立派です」


「こんなに広いスケートリンクは世界中どこを探してもないよ」


「しかし、野にアイススケート場を作るのがレオン様の目的ではないのでしょう?」


 とはクロエの言葉だが、その通りだった。


「そうだ。俺には考えがある。この氷を使ってオーガを駆逐する考えがな」


 そう不敵に笑うと、さっそく、その方法を実行した。




 赤い蛍のようなものが無数に見える。

 闇に包まれた森を無言で進むそれは昆虫ではなかった。

 怒りに満ちたオーガの群れであった。

 彼らは殺意を瞳に宿し、怒りを光にしながらまっすぐに進む。


 自分たちの巣に炎を放ったもの、自分たちを侮辱したものを殺そうと躍起になっている。


 感情を爆発させているが、そのこと事態は侮蔑しない。


 自分の家に火を放たれ、仲間を殺されて怒らないものがいれば、それは生物ではなく、ただの物であろう。オーガにはオーガの感情があり、喜怒哀楽があるのだ。むしろ、彼らの感情は生物として正しかった。


 そんな感想を抱きながら彼らを駆逐するため、軍師レオンは右手を挙げた。

 レオンは小さく漏らす。


「その感情は正しい。ただ、お前らはもっと人の感情に敏感になるべきだった。ドオル族とエルフ族にも敬意を持つべきだった。おまえたちが殺したものにも家族がいることを、感情があるものたちであると悟るべきだった」


 あるいはそれは暖簾に腕押しなのかもしれないが、言及せざるを得ない。


 それはこれから大量の生物を殺す軍師の言い訳なのかもしれないが、言わざるを得なかったのだ。ある意味、軍師レオンの心はそんなに強くないのだ。


 オーガとはいえ、大量殺戮するのは趣味ではなかったのである。

 しかし、レオンはそれでも右手を振り下ろす。

 溜めた魔力を解放する。

 レオンはオーガたちを湖の中心に誘い込むと、そこで魔法を放つ。


 《地震》の魔法である。アースクエイクとも呼ばれるその魔法は容赦なく地面を揺らす。


 さて、ここで説明をしよう。

 この湖の氷はエルフの精霊使いたちが張った氷である。

 冬場でないにしろ、彼女たちの張った氷は強固だった。


 数百体のオーガが乗っても割れることがないくらいにしっかりしたものであったが、それでも割れないものではない。氷というものはいつか割れるものなのだ。


 春にならなくても割れるときは割れるのである。――例えば強烈な負荷が掛かったときなどは物理法則に従い割れる。どのように分厚い氷も砕けるのだ。


 ましてや戦略級魔術師とも目される宮廷魔術師のアースクエイクに耐えられる氷などそうはない。


 サキの湖にできた氷はぱっくりとふたつに割れる。


「ば、馬鹿な!? この分厚い氷が?」


 この言葉は人間の言葉が話せるオーガの発した言葉であるが、オーガ語でも同じ意味の言葉が無数に放たれる。彼らは呪詛にも似た言葉を発しながら、湖に飲まれていく。


 通常、オーガは泳ぐことができる。しかし、サキの森の湖は大きい。


 少なくとも泳ぎが達者なものでなければ横断することはできない。しかも、今は氷が至るところにあり、水温が極端に低かった。


 それにオーガは極端に筋力があり、贅肉が少ない。つまり浮力がないのである。そんな状況が重なればほとんどのものが溺死するのは必定であった。


 湖の中央で溺れ、仲間たちの上に乗り難を逃れようとするオーガ。

 必死に泳ぎ、岸に向かおうとするオーガ。


 ただただ、暴れ回るオーガ。

 色々なオーガがいたが、岸にたどり着けたのは数匹だけだった。

 その光景を岸から見つめるのはドオル族の族長ルルルッカだった。

 彼女は素直な気持ちを言葉にする。


「――すごい。一兵の犠牲も出さずにあの精強なオーガたちを駆逐した」


 その言葉に呼応するのはエルフのエキュレート。彼女は我がことのように自慢する。


「すごいでしょう、レオンは。彼がこの作戦を考えついたとき、あたしは思ったわ。こいつ天才だって」


「……たしかにその通りだけど、エルフよ、なぜ、お前が偉そうなんだ」


「その言葉を信じて湖に氷を張ったからよ」


 とはエキュレートの言葉だが、たしかに氷を張ったものは賞賛されて然るべきだろう。メイドのクロエはそう思った。


 ――しかし、とクロエは心の中で続ける。


(……やはり偉大なのはこのお方だ。初めて訪れた森で地形を完全に把握してとっさにこのような作戦を思いつくなど、天才と言わざるをえない)


 その構想力、発想力、決断力、行動力、どれも凡庸とはほど遠かった。

 クロエは改めてその天才を見る。


 敵を駆逐したばかりだというのに少しも浮ついたところがない。最初、オーガとはいえ大量に溺死させたことに心を痛めているかと思ったが違うようだ。彼はこの先の光景を見ているのだ。


 オーガの駆逐に成功した先を見据えているのだ。天才軍師レオンはこのあと、ドオル族の助力を得て巨人討伐に向かう。アストリア帝国のタイタン部隊掃討に向かう。


 当初の予定がそうだからである。


 レオンならばきっと帝国屈指の最強部隊タイタン部隊もなんとかしてしまうだろう。鮮やかな作戦でタイタン部隊を葬り去るだろう。


 それは約束された勝利だった。

 既定の未来だった。

 クロエはその未来が訪れると確信していた。

 これまでの彼の実績、それと彼の両眼がそれを証明していた。

 クロエは改めてレオン・フォン・アルマーシュの両眼を見つめる。

 そこには天秤の形をした光が写っているような気がした。


「……天秤の魔術師」


 クロエはぽつりとつぶやく。


 その名はこの国の伝説の魔術師の名であった。この世界に調和をもたらす存在の名であった。


 王家に伝わる伝承であるが、おそらくその伝承は真実なのだと思う。


 クロエはそのことを確信しながら、レオンのことを見つめ、次いで敬愛する主を見つめた。


 彼女もまた同じようにレオンを見ていた。


 きっと主も同じようなことを考えているのだろう。その表情からはただただレオンへの敬愛の心しか感じられなかった。


 ただ、ふと恥ずかしくなってしまう。それは今の自分が主と同じ表情をしていると思ったからだ。それはおひいさまに忠誠を尽くすメイドがしてはならぬ表情であった。


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