スラム街の悪漢
俺と姫様とメイドは、馬車に30分ほど揺られる。
華やかな大通りを進むと、どんどんうらぶれた光景が広がっていく。
レオンはこの馬車がどこに行くか、なんとなく分かった。
「スラム街に行く気なのか」
「さすがはレオン様です。気が付かれましたか」
「この先はスラム街しかないしね」
「ではわたくしがなぜ、そこに連れていくかは分かりますか?」
「分からない」
「天才軍師様にも分からないことがあるのですね」
「なんでも知っているわけじゃないさ」
と言うと馬車は完全にスラム街に入る。
街灯もなくなり、頼りになるのは馬車に備え付けられたランタンだけだった。
あとはスラム街の住居から漏れ出るわずかばかりのオレンジ色の光だけが目印となる。
そうなると馬車を走らせることはできない。そもそもスラム街の道は狭く、馬車を進ませることは不可能であった。
馭者もそれを知っているからか、適当なスペースを見つけると、俺たちを下ろす。
「……おひいさま方、一刻後に戻ってきますが、気をつけられよ」
老馭者は心底心配そうに馬車を反転させた。
心配するのも、馬車を移動させるのも当然だ。スラム街の治安で馬車を留め置くなど自殺行為である。
そのように評すと、俺は改めて姫様に話しかけた。
「姫様、今さらだが、その格好で出歩くのはまずいのではないか?」
「この格好?」
「パーティ用のドレスでスラム街を歩くなんて誘拐してくれと言っているようなものだ」
そう心配すると、「ご安心ください」とメイドのクロエが言う。
「スラム街の南部ではおひいさまは顔が利くのです」
「ほお」
「逆に市井の娘の格好をするほうが危険かもしれません」
「なるほどね」
ならば馬車もそのまま留め置けばいいのに、と言おうとしたがやめた。
周囲に気配を感じたからだ。
物陰から複数の男が出てくる。
皆、ダガーや棍棒で武装している。
それを見て吐息を漏らす。
「俺の耳が遠くなってなければ姫様はスラム街の住人に気に入られているという話じゃ?」
「……まあ、その徳があまねく広まっているわけではないようですね」
と言うとメイドのクロエは一歩前に出る。
こんな細いメイドになにができる、と思い留めようとしたが、シスレイアがそれを止める。
「レオン様、お待ちください。クロエはああ見えて武芸の達人なのです」
信じられない、という表情をしていると、クロエは行動で自分の実力を示す。
「こう見えても私は結構強いのです。戦闘タイプのメイドなのです」
と言うと懐から懐中時計を取り出す。
その時計をぱかりと開き、文字盤を確認する。
「もうじき20時03分ですね。時計の秒針が12を指したら攻撃を始めます。3分、いえ、2分で決着を付けます」
と宣言するが、その言葉を聞いた悪漢どもは怒り狂う。
「なめた口ききやがって。金目の物を奪うだけで許してやろうと思ったが、素っ裸にしてひいひい言わせてやる」
その言葉を聞いたクロエは、
「……下種」
と一言だけ言うと、行動を開始する。秒針が12を指したのだ。
すると彼女の身体は消えた。残像を残しながら相手の懐に入る。
悪漢どもは「へ……?」という顔をする。
クロエは表情ひとつ変えることなく、懐中時計に魔力を込める。
すると懐中時計は魔力を帯び、蒼白く光る。彼女はそれを振り回す。正確に敵の棍棒を狙う。
樫の木で作られた棍棒は懐中時計によって砕かれる。
それを見て俺はつぶやく。
「あれは魔法の武器なのか」
こくりとうなずくシスレイア。
「クロエはメイドとしてだけではなく、戦士としても一流です。彼らを傷つけずに撃退できるでしょう」
クロエはそれを証明するかのように悪漢の武器を破壊していく、棍棒はもちろん、金属製のダガーも次々と破壊する。
その間、一分も掛からなかった。
ただ、一分で武器を破壊された悪漢だが、まだ戦意は旺盛だった。いや、実力差が分かっていないともいえる。痛みを与えずに制圧しようとしたのが間違いだったのかもしれない。
武器を失った悪漢どもは拳を頼りに殴り掛かってくる。
大ぶりの拳が飛んでくるが、クロエはそれをしゃがんでかわすと、そのまま足払いを決める。
倒れる悪漢。そいつの顔に拳をめり込ませる。わずかの躊躇もなく、鼻っ柱に行く。
彼女は格闘家としての能力も一流らしい。
次々と悪漢を倒していくが、3人目の悪漢を気絶させると、さすがに戦意を喪失させたようだ。逃げだそうとする。
しかし、それでもすべての悪漢が逃げるわけではなく、数人、果敢にも挑んでくる。ゴミ箱に落ちていたビール瓶を武器にし、殴り掛かってきたが、それを止める人物が現れる。
スラム街の奥から現れた人物、野太い声をした盗賊のような男は、文字通り盗賊だった。
スラム街に根を張る盗賊ギルドの長だそうだ。
スラム街南部の顔役であるそうだが、そのような人物がやめろといえばそこの住人は従うしかない。
盗賊ギルドの長は言う。
「……おまえら、新顔だな」
「は、はい」
借りてきた猫のように大人しくなった悪漢は答える。やはり盗賊ギルドの長は恐ろしいようだ。
「ならばここの決まりを知らないようだな。聖女様のご友人であるシスレイア様を傷つけたものは、ここじゃ生きていられないんだ」
「え、この方々は聖女様のご友人なのですか?」
「そうだ。スラム街の聖女様のご友人だよ。我らに気遣ってくださる唯一の貴族、唯一の王族だ」
「お、王族!?」
その言葉を聞いて悪漢たちは顔を青ざめさせ、土下座をする。
「そのような身分の方とは露知らず、申し訳ありませんでした」
平身低頭、文字通り地面に顔をこすりつける悪漢たち。
盗賊ギルドの長は、彼らの指を切り落とすことで話を付けようとするが、シスレイアは当然のごとく拒む。
「詫びは不要です。なにごとも起きなかったのですから」
「ですが、それでは示しが」
「彼らは新参者。ということは最近、虐殺が起きたという国境沿いの街からきたのではないですか?」
「……よく、ご存じで」
「想像です。しかし当たっていましたね。ならば家族を亡くしたもの、財産を無くしたものばかりのはず。気が立っていても仕方ありません」
というとシスレイアは懐に忍ばせていた小瓶を取り出す。
「気付け代わりの回復ポーションです。自衛のためとはいえ、殴りつけてすみませんでした。――それとこれは少ないですが、生活の足しに」
と言うとシスレイアは自分の髪留めを取ると、それを悪漢に渡す。
その姿を呆然と見つめる悪漢たち。
戸惑っているようだ。先ほど酷いことをしようとした自分たちに、数分前まで命のやりとりをしていた敵に慈悲をかけるなど、信じられないようだ。
しかし、これは現実、シスレイアの高潔なまでの慈悲を目の前にし、彼らは涙する。自分の愚かさを悟る。
皆、涙を流し、平伏をやめなかった。
その後、幾通りの感謝の念、それと更生の言葉をもらうと、盗賊ギルドの長の言葉もあり、彼らは家路に就く。
その姿を後ろから見送ると、姫様を眺めながら、
「相変わらずすごいな、お姫様は」
と言った。
太古の聖女を思わせる慈愛であるが、姫様は反論する。
「わたくしは聖女などではありません。これから会いに行く方こそ聖女です」
「スラムの聖女様か。そいつに俺を会わせたいのか?」
「そうです。正確には見てもらいたい光景があります」
「分かった。案内してくれ」
と言うと一同は歩き出すが、メイドのクロエが横に並ぶとぼそりとつぶやく。
「……ありがとうございます。レオン様」
「なんだ? 急に」
「急にではありません。レオン様は私を援護してくださいました」
「なんのことだ?」
すっとぼけると、彼女は地面に落ちていたダガーを手に取る。
「レオン様は密かに援護してくださいました。魔法の武器を持つものには《指弾》の魔法で武器を破壊し、強敵には《弱体化》の魔法を使ってくださいました」
「なんだ、ばれてたのか」
「おひいさまは気が付いていないようですね。ですが私も一廉の戦士、さすがに気が付きます」
「余計なことだったかもな。――でも、君が無事で良かった」
その言葉を聞いたメイドのクロエはわずかに微笑みながら言う。
「……やはりレオン様はこの世界を救う『天秤の魔術師様』だと思います」
その声は可聴範囲ぎりぎりだったので、俺の耳に届くことはなかった。