コクイ
エビル・オーガ。
終焉教団が連れ出したオーガの中のオーガ。化け物の中の化け物。
そのあまりの異様さに飲まれてしまったが、そこで臆してしまえば、彼らの思うつぼであった。
生き残るため、最善の布石を打つ。
横にいる頼れる戦士に言う。
「ここは禁呪魔法で一気に片を付ける」
「それはありがたい。持つべきものは戦略級魔術師の軍師様だ」
「ああ、俺も自分の才能を自画自賛したいところであるが、これには弱点がある」
「ほう」
他人事のように言う黒衣を着た戦士のコクイ。
「この呪文を唱えるには最低限、五分の詠唱時間がいる」
「なるほど、つまりあの化け物相手に五分の時間稼ぎをしないといけない、ということか」
「ああ」
「簡単に言ってくれるが、それは不可能に近い」
「近いってことは不可能ではないんだな」
「……まったく、言葉遊びが好きな魔術師様だ」
「図書館司書の癖だ」
軽く笑うと彼に時間稼ぎを頼む。
「分かった。しかし、五分だけだ。それ以上は保障できない」
承知!
とは言わない。そんな暇があるならば呪文を詠唱したかったからだ。
俺は古代魔法文明の魔術師たちが何百年も掛けて効率化した言語を詠唱する。
「地の底に眠る炎の種火よ!
我の鼓動に反応し、裁きの炎となれ!
人の叡智の結晶によって、悪魔の罪を問え!
紅蓮の炎となり、咎人を燃やし尽くせ!」
要約するとそれだけの言葉なのだが、右記の意味の言葉を五分に渡り、古代の言葉で詠唱し続けなければいけない。
一節一節に、一語一語に言霊を込め、魔力を込め、言語を完成させる。
わずかの間違い、一分子のずれも許されない。
揺れるロック鳥の背で精密時計をピンセットで組み上げるような集中力が必要、と言ったのはとある高名な賢者の言葉であるが、まさしくその通りだった。
しかも今回は時間制限がある。
もしも一秒でも遅滞をしたらともに戦ってくれているコクイという男が死ぬのだ。
それは絶対に避けたい事態であるが、と彼の戦いぶりを観察する。
コクイは右手に仕込んだ剣で防戦一方だった。
斧を振り回すエビル・オーガ。
その一撃一撃は重い。
――いや、重いなんて言葉では片付けられない。
喰らえば一撃で剣をへし折られ、そのまま身体ごと寸断されるだろう。
それほどの膂力であったが、コクイは斧の一撃を受け止めるのではなく、受け流すことによって避けていた。
頭がいいというか、唯一の方法であったが、一撃一撃が即死級の威力の攻撃を受け流すのは難儀するはずだ。ましてやエビル・オーガの攻撃速度は隼のようであった。
(……これは五分も耐えられないか)
悪い予感がした。
事実、コクイは四分目に追い詰められる。
見れば巨木を背にしている。どこにも逃げようがない場所に誘導されたのだ。
このままでは殺される。
そう思った俺は右手に力を込める。詠唱速度を速める。
呪文の精度、威力は落ちるが、今、魔法を放たねばコクイが死ぬと思ったのだ。
彼を今、死なせるわけにはいかなかった。
俺は真っ赤に燃える右手を振り上げる。
メラメラと燃え上がる俺の右手。
とてつもなく熱い。本来ならば術者にまで熱さは及ばないはずなのだが、未完成の禁呪魔法は容赦なく俺の右手を焼く。
なんという熱さだろう。
このままでは左手に続き、右手も失うかと思われたが、俺は気にすることなく、右手を犠牲にする。自分の右手よりもコクイを救いたかったからだ。
その思いは届いた。
未完成ながら完成した禁呪魔法。
俺はそれを解き放つ。
「《獄炎弐式》」
やたらと格好付けた名称であるが、その名称への批難は古代の魔術師たちにしてほしかった。
俺への文句はその魔法でエビル・オーガを倒せるか、それだけにしてほしかった。
そんならちもないことを考えながら、放出される炎を見つめる。
未完成の魔法であったが、その威力は凄まじい。
どのように雄々しい魔物も、凶悪な魔物も飲み込みそうな勢いであった。
それが過大な表現でないことを証明するかのように巨大な炎はエビル・オーガを飲み込む。
地の底から響くような大声を上げ、苦しみ悶えるエビル・オーガ。
「やったか!?」
先ほどまで戦っていたコクイはそう叫ぶ。
やったさ、と続けたかったが、俺はすぐにエビル・オーガの生命力、それに自分の未熟さを悟った。
エビル・オーガが炎を振り払い、俺に攻撃を仕掛けようとしていることに気が付いたからだ。
しかし、魔術師である俺は即応できなかった。
魔力を使い果たしていたこともあるが、本来、俺は戦士ではないのだ。
レオン・フォン・アルマーシュ、バナの森の洞窟にて朽ち果てる――。
単純な墓碑銘が俺の脳裏に浮かんだが、それを振り払うかのように後方から救いの手が現れる。
メイド服を着た少女が鬼のような形相で懐中時計を振り回してきたのだ。
彼女は鎖でエビル・オーガの攻撃を受け止めると言った。
「レオン様、今です。あなたの左手には可能性があるはず。姫様を救った左手によってこの化け物を倒してください」
的確な判断だと思った。
俺がやろうとしていたことをそのまま口にしてくれたクロエに感謝をすると、そのまま両足に《加速》の魔法を掛ける。
一瞬でエビル・オーガの懐に入ると、大口を開け、クロエを喰らおうとしている悪鬼の口に左手をぶち込む。
姫様のために捧げた左手を。
義手となり、大砲を仕込んだ左手を。
魔力を送り込むと、左手に仕込んだ大砲が飛び出す。
ゼロ距離で爆発した大砲は、エビル・オーガの口腔を貫く。
やつの頭部を吹き飛ばす。
脳漿をぶちまける。
その光景を見ていて、コクイは賛嘆の言葉を贈ってくれる。
「……見事だ。これが天秤の魔術師の力。この世界に調和をもたらすものの実力」
ありがたい言葉であるが、俺は自慢することも、謙遜することもできない。
なぜならばエビル・オーガを倒すのと同時に力尽きてしまったからだ。
薄れ行く俺の視界。
最後に目に映ったのは、残ったオーガを駆逐するクロエとコクイの姿だった。
その姿はまるで太陽と月のようであった。
奇妙に連携が取れ、調和が取れていた。
――まるで。
その言葉が浮かんだ瞬間、俺は気を失う。




