ハグ
宿に向かうとそこで各自、部屋を割り振られる。男子の俺とエルフのエキュレートだけ個室だ。シスレイアとクロエは同部屋である。
旅の疲れが溜った彼女たちは即座に部屋に入り、休み始める。
彼女たちがそれぞれに部屋に入ると、俺は思考を切り替える。
どうやってドオル族と交渉するか、その一点に集中する。
(正攻法で攻めるにしても、なにか手土産は必要だよな)
正攻法で攻めるのならば、「最近、森に湧いているオーガを討伐する」ことを引き換えにするのが定石であるが、ドオル族はプライドが高い種族だ。もしもそのことをこちらから持ち出せばへそを曲げる可能性大だった。
(……ただ、なにも言わないと絶対に口にしないだろうな)
つまり言うも地獄、待つも地獄状態なのだ。
この上なく面倒であるが、思考を放棄することはできない。
と、あらゆる可能性を考えていると、夜中、物音に気が付く。
がちゃり、という音が聞こえたのだ。
なにものかがこの宿のドアを開けた気配がした。
俺は枕元に置いてある杖に手を伸ばすが、数分経ってもなにごともない。
(……つまり、誰かが侵入したのではなく、出て行ったということかな)
では誰が出て行ったのだろうか。
この宿は基本的に男女別々になっている。
なので仲間たちの様子は分からない。
深夜、お姫様の寝室を覗きに行くのは不敬であり、大罪のような気もするが、なにかあったらそれはそれで問題なので、部屋を出て確認に行く。
――するとタイミングよく女性陣の部屋から人影が出てくる。
一瞬、シスレイアかと思ったが違った。
出てきた女性はガサツだった。
「ふぁ~あ」と大口を開けながら歩いている。下着姿で。
俺の敬愛する姫様は絶対にそのような行動を取らない。
しばし、そのものの行動を観察する。
エルフ族の娘、エキュレートはトイレに入ると用を足していた。
どうやら尿意を催して起きただけでのようである。
女性が用を足しているところを観察するのは無粋だと思ったので、離れるとシスレイアとクロエが寝ているだろう部屋の前まで行く。
そこで扉を開ける――、ような無粋な真似はせず、《聴覚強化》の魔法を使う。
扉の中からは、「すうすう……」という穏やかな寝息がひとり分だけ聞こえる。つまり室内にはひとりしかない。
トイレに行くため、席を立ったという可能性も低いだろう。
なぜならば今、トイレにはエキュレートしかいないからだ。
「……となると抜け出したのはクロエか」
消去法となるが、間違っていないだろう。
こんな深夜にどこに出掛けたのだろう?
気になった俺は宿の扉を開け、そのまま外に出た。
バナの森にも夜は訪れる。
街と同じように深夜は訪れる。
ただ街と違うのはバナの森の夜は真っ暗だということだろうか。
街には街灯も電球もあるが、ここにはないのである。
星空の明かりだけが頼りだった。
しかし、魔術師にはあまり関係ない。
魔術師は星明かりさえあれば、それを増幅し、昼間と同じような視界を得ることができるのだ。
習ってよかった初級魔術ランキングの上位に位置する《暗視》を駆使しながらドオル族の村を歩く。
一応、直前に付けられたと思われる足跡と魔力の残滓を頼りに移動するが、クロエは村の中央にいるようだ。
広場のような場所で体を動かしている。
彼女はストレッチをし、演武をするかのように舞っていた。
自身の得物である懐中時計を振り回し、闇に溶け込むかのように体を揺らしている。
その姿は神秘的でとても美しく、しばし見とれてしまったが、永遠に見とれているわけにもいかない。声を掛けようと一歩踏み出すと、彼女のほうから声を掛けてきた。
「……レオン様ですね。このような深夜になに用ですか?」
「それは俺の台詞だな。うら若い女性が深夜に外出するのは褒められたものじゃない」
「ここは私の生まれ故郷。目をつぶっても歩くことができます」
「つまり今は夢遊病患者のように歩いているだけ、と主張したいんだな」
「そうです。ただ、目をつむりながら歩いているだけ」
彼女は目をつむりながら演武を続ける。
「……この村に帰ってから心がざわついています」
「元婚約者に再会したから?」
クロエは首を横に振るう。
「いえ、元から彼女のことはどうも思っていません」
冷たいというよりは本当に興味なさげに返答される。
「私の心がざわめいているのは、この村を捨てた罪悪感でしょうか。私と同じ年頃の子はもう子を産み育てています。一族の務めを放棄し、自由気ままに生きていることに罪悪感が……」
「なるほど、たしかにそうかもしれないな。この村の娘たちは強い子を産むことに命を懸けているようだ」
昼間、鍛錬や修練を重ねる我が子に弁当を届ける若い母親を見た。
頑張ってと微笑む母親と、それに答えようとする少年の姿を見た。
きっと彼らにとって強い戦士になるというのはなによりもの誉れなのだろう。
そんな中、それを放棄した自分を卑下しているような節がある。しかしそれは違うと諭す。
「クロエはたしかに森を出た。子供だって産まなかったし、育てもしなかった。でも、代わりにもっと大きな子供を育てたじゃないか」
「もっと大きな子供?」
首を捻るクロエ。
言葉の意味を尋ねてくる。
正直に答える。
「そのままの意味だよ。君は大きな子供を育てた」
「おひいさまのことですか?」
「そうだ。彼女のことを大きな子供というとへそを曲げるかもしれないが、彼女は君が育てたようなものなのだろう? 幼き頃、宮廷に上がったとき以来、君が陰日向なく彼女を守り、侍女として仕えてきたと聞いた」
「はい、一日の例外もなくお側にいました」
「シスレイアは言っていたよ。ひとりも味方のいない宮廷でどれだけ君の存在がありがたかったか。心強かったか。彼女にとって君は姉であり、母であり、友だと言っていた」
「……おひいさまが」
「照れくさくて本人にはいえないそうだがな」
「…………」
「だが心のそこから感謝している。それはそばにいるだけで分かるだろう?」
はい、と小さくうなずく少女。
「つまり君はおひいさまという最高のお姫様を育てたんだ。そのおひいさまはやがてこの世界を照らす光となるだろう。さすれば君はその光を生んだ姫様を育てた女性となる」
「……光を育てた女性」
「それはひとりの子を生み育て上げることよりも立派なことだと思う。誰しもができる行為ではないと思う」
俺はそう言うと、「まあ、そのなんだ」と続ける。
「だからあまり自分を卑下しないでくれ。負い目を感じないでくれ。君が憂いに満ちた表情をしていると悲しい」
そう言うと鼻の頭を掻く。
気恥ずかしい言葉だと承知しているからだが、クロエはその姿を見ると「くすくす」と笑ってくれた。
「レオン様は本当に女殺しでございます。その慈愛に満ちたお心で次々と女を落としていきます」
「君は例外だろう」
「ですね。おひいさまの母にして姉である私が旦那様を奪うことはできません」
「まあ、おひいさまと俺が結ばれることはないと思うが」
「ふふふ、それはどうでしょうか」
意味ありげに微笑むが、クロエは思い出したように言う。
「ああ、レオン様、姉と母としてはおひいさまは裏切れませんが、友としては裏切ることができるかもしれません」
「どういう意味だ……?」
困惑しているとクロエはさも当然のように言う。
「一生の思い出にハグしてくださいまし」
「…………」
あまりの提案に沈黙せざるを得ない。
なんというぶっ飛んでる上に、困難な課題を俺に突きつけてくるのだろうか。
そう思ったが、クロエは悪気ゼロの表情と口調で言う。
「レオン様、女の子をこのようなロマンチックな気持ちにさせたのです。責任は取るべきかと」
そのような論法で終始攻められる。
俺は困り果てた顔で星空を見上げた。




