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昇進

 天秤師団の訓練はヴィクトールの担当だ。彼は歴戦の勇士であり、熟練した士官でもある。


 新兵を叱咤し、老兵を激励するのが上手かった。


 新兵に剣の振り方を教えるヴィクトール、大剣使いの彼がロングソードを振るえば目に見えないほどの速さになる。新兵たちは驚愕し、ヴィクトールを尊敬するが、彼は言う。


「これは特別だ。達人の域に達しなければこうはいかない」


 と言うと今度はゆっくり振るう。

 それでもびゅうっと風を切る。


「今のは筋力をほぼ使っていない。つまり、(フォーム)さえ崩れなければ誰でもこの速さで振るえるようになる。フォームは大事だ。なにごとも基本をおろそかにするなよ」


 と言うと新兵たちはヴィクトールのフォームを真似しようと努めるが、皆、へっぴり腰であった。


「何十年も修行しているヴィクトールと比べるのは可哀想か……」


 と、つぶやいていると俺の横をとある士官が通りかかる。


「フォン・アルマーシュ大尉は手厳しいですな」


 そう言ったのは燃え上がるような赤い髪を持つ少年だった。いや、青年か。俺の一個下なのだから。


 彼の名はナイン・スナイプスという。


 先日、図書館連続放火事件の濡れ衣を解決したことで天秤師団に加わってくれた魔術師だ。


 ナインは魔術師ギルドに退職届を出し、軍属になってくれた。

 彼の実力は戦略級魔術師と戦術級魔術師の中間というところだろうか。


 戦略級魔術師は得がたい人材なのでそうそう得ることはできないが、彼のような有能な魔術師も得がたい人材だった。


 なので彼には天秤師団の数少ない魔術師を率いてもらう予定だった。

 ――だったが、口調が気になったので尋ねる。


「なんだ、そのフォン・アルマーシュって」


「軍師殿の姓名です。忘れたのですか」


「まさか、ただ、口調がいつもと違うぞ」


「軍属になったら上官の命令には絶対逆らってはいけない、と聞き及んでおります」


「まったくもってその通りだが、俺はお前に軍人の規律など期待していない」


「ぷはあ、そうか、それは助かる。じゃあ、いつもみたいにレオンの兄貴でいいか?」


「きもいからやだ」


「じゃあ、レオンさんか」


「一個しか変わらん。呼び捨てでいいぞ」


「じゃあ、そのつど変えるわ。レオン大尉」


「なんだ」


「呼んでみただけ」


「お前は面倒くさい女か」


 赤髪で小柄で長髪のナインは女性に見えないこともないが。


「さて、無駄話はともかく、俺が本当に魔術師の部隊を率いていいのか」


「お前以外に誰が率いる」


「その言葉はありがたいが、オレは新参だぜ」


「天秤師団は実力主義なんだ。皆がお前の実力を認めているよ」


 と言うとさっそく、後背から魔術師たちがやってくる。


「ナイン殿、聞きたいことがあるのですが」


 皆熱心にナインの炎系魔術のことが聞きたいという。


 どうやら先ほど、訓練用のゴーレムを火だるまにして尊敬と信頼を勝ち取ったようだ。


 ナインは気恥ずかしげに己の頭部をかくと彼らに連れられて、訓練施設へと戻っていった。


 なかなかに慕われているようだ。



 さて、このように討伐部隊に訓練を始めるが、問題がひとつ持ち上がる。

 それは俺の階級が低すぎるというものであった。


 天秤師団の団長であるシスレイアの階級は少将。これは師団長は准将以上という決まりから当然であった。


 またヴィクトールなどは師団内の連隊などを率いる関係から、佐官に出世していた。


 少尉から少佐になっていたのだ。

 同様の理由でナインも少佐である。

 しかし、俺は大尉のままだった。入団当初から階級を変えていないのだ。


 これにはふたつ、理由があって、姫様と俺は階級にこだわりがないのだ。ふたりとも元々、軍人になどなりたくないタイプで、階級で態度を変えることなどないからだ。


 しかし、軍隊内ではそれは非常識な考え方だった。軍隊というものは階級社会。上位のものの命令は絶対なのだ。


 なので俺の階級が停滞すると、指揮命令系統が面倒になる、という話になった。


 その意見を具申してきたのは、ヴィクトールであるが、彼も階級にこだわりがあるわけではない。ただ、俺と姫様より軍隊生活が長く、その弱点に気が付いてしまったのだろう。


 これはヴィクトールの機転というよりも、俺と姫様があまりにもこだわりがなさ過ぎた、という他はない。


 というわけで姫様はさっそく、軍事府に俺を出世させることを告げる。


 軍事府の軍官僚はなぜこのような功績のないものを、と皮肉った。師団の功績はすべて姫様となっているからだ。


 しかし、姫様は毅然と言い放ったという。


「師団内での人事権は少将であるわたくしにあります。彼を首席軍師に任命したいので中佐に出世させます」


 軍官僚に二の句も告げさせない啖呵だったという。

 そのことを後に人づてに聞いた俺は、彼女の気丈さを再確認した。


 裏で作戦を作り上げるのは俺だが、彼女だからこそ皆が着いてきてくれるのだと改めて思った。


 さて、このように停滞していた人事は一新されたが、そのことを祝う席で、ヴィクトールは葡萄酒を片手にこう言った。


「おれが少佐ねえ。エルニア陸軍の未来は真っ暗だな」


 彼は前の師団では上官の不興を買い、出世とは縁遠かったのだ。


 武勇はともかく、指揮官としての能力の自己評価は高くなく、本気で心配している節もある。


 一方、ナインのほうは少佐待遇を素直に喜んでいるようだ。


「魔術師ギルド時代の給料よりもいい」


 人殺しをするんだから、これくらいもらわないとな、際どい比喩も漏らすが。


 まあ俺としても中佐になったことで給料が増えたのは素直に嬉しい。好きな本を自由に買えるようになるからだ。


 ただ、さすがに佐官になったからには、そろそろ宮廷図書館の司書の仕事も考えなければいけないが。


「それについてはゆっくりお考えください。将官になればさすがに兼務は難しいでしょうが」


 その心遣いはとても有り難かったので、図書館の上司にその旨を伝えると、彼はつまらなそうに了承してくれた。


 ただ、去り際にこう言う。


「あの給料泥棒のレオンが中佐ね。エルニア国の未来は大丈夫かね」


 ヴィクトールと同じ発想なので苦笑してしまうが、笑ったり怒ったりはしなかった。俺も同じことを思っているからだ。


 それに我が上司は意外にも優しかった。


「勤務については今までと同じ風に考慮しよう。稀覯本の取り扱いが上手いお前に消えられると困る」


「ありがたいことです」


「後進を育てるまで戦死するなよ。これは業務命令だ」


「…………」


 その言葉は皮肉なのだろうか、激励なのだろうか、いつもの意地の悪い顔からは分からないが、俺は後者と取ることにした。


 慣れぬ敬礼をすると、図書館のカウンターに座り、業務をこなす。

 ただし、真面目に仕事はしないが。


 読みたい本に目を通しながら、適当に接客すると、図書館の居心地の良さを味わった。


 戦場に旅立てばしばらくは味わえない感覚である。


 それをたっぷり満喫すると、出立するまでの間、「真面目」に図書館司書としての業務をこなした。


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