ナインの策略
俺たちとオクタヴィアの戦闘はすぐに始まった。
彼女は懐からロッドを取り出すと、周りに冷気をまとわせる。
左右に巨大な氷塊を作り上げると、それを器用に動かし、物理的に攻撃してくる。
氷塊の大きさ、軌道は尋常ではなかった。
ナインは言う。
「オクタヴィア先生は氷魔術の名手なんだ」
「炎と対だな。だから相性が悪かったのか」
「かもな」
「しかし、それにしても魔力が尋常ではないな」
魔術学院の教師を務めるということはマスター級の実力があるということであろうが、それにしてもな能力である。
「ここは先生の作り上げた世界だ。いくらでも魔力を増強できるんだろう」
「なるほどね」
と納得していると、ナインは素早く氷の塊をかわし、それの上に乗る。
右手に魔力を込めると、炎を発生させ氷塊に拳をめり込ませる。
その姿は鬼気迫っていた。
「……レオンさんよ、この勝負、俺に預けてくれないか?」
「…………」
どうしてだとは問わなかった。尊敬する恩師、かつて恋心を寄せていた年上の女性の裏切り、思うところがあるのだろう。いや、そんな無粋な感情はないか。
ただただ、彼女のことが心配なのだ。これ以上犯罪に手を染めさせたくないのだ。猛り狂うほどの気持ちがこちらにも伝わってきた。
俺はなにも言わずに後方に下がると、そのままシスレイアの横に並ぶ。
シスレイアは心配そうに尋ねてくる。
「ナイン様だけでオクタヴィアさんを倒せるでしょうか」
「それは分からないが、オクタヴィアを救えるのはナインだけだと思っている」
と言うと俺たちは彼ら彼女らの戦いを見守る――。
「ナイン・スナイプス、私の教え子、炎の魔術師……」
「まだ教え子にカウントしてもらって嬉しいよ、先生」
「……ごめんなさい、あなたをこんなことに巻き込んでしまって」
「いや、いい。これは天命だ。オレは先生の間違った行動を止めるために魔術師ギルドに残ったのかもしれない」
「……間違っているのは分かっている。でも、こうするしかなかった」
「だろうね。同じ立場だったらオレも同じ行動をするさ」
それはナインの偽らざる気持ちだ。
もしも学生時代、オクタヴィア先生がナインの思いを受け入れてくれて、もしも彼女が自分の妻となり、同じような病気で苦しむようになっていたら、自分も同じように魔術書を焼き、霊薬を作ろうとするだろう。
だからナインは彼女の行動を憎むことはできても、彼女の気持ちを憎むことはできなかった。
先ほどの一撃で氷塊を蒸発させたナインは、身体にまとわせた炎を右腕に集中させ、剣を作り上げる。炎の剣だ。
それに呼応するかのようにオクタヴィアは氷の剣を作り上げる。
「……できることならばあなたとは戦いたくなかった」
「学生時代、ひっぱたかれたことがあるんだけど」
「……当時、あなたの想いに答えられなくてごめんなさい」
「オレを子供扱いしなかったのは先生だけだった」
そう言うとナインは素早くオクタヴィアの懐に飛び込む。剣戟を打ち込む。
それを氷の剣で向かい打つオクタヴィア。
ナインは女でも、思い人相手でも手加減をしないことを示すかのようにつばぜり合い中に蹴りを入れるナイン、それを颯爽とかわすオクタヴィア。
彼女はロングスカートをはためかせながらバック転をすると、そのまま左手を凍結させ始める。
「それは禁呪魔法!」
「ええ、そうよ、この左腕を壊死させ、氷の龍を使役する」
透明な龍がオクタヴィアの左腕で形成される。
このままだと彼女は本当に氷の龍を召喚し、その左腕を壊死させるだろう。
そう思ったナインはこちらも負けじと禁呪魔法を放つ。
代償は己の右腕だった。黒い炎が立ち上がり、右腕が燃え上がる。
「……ぐ、ぐぁああ」
思わず悲鳴を上げてしまった。
炎の魔術師が御しきれぬ炎を召喚するとこうなるのだ。
教師としてその知識を知っていたオクタヴィア、
「やめなさい、ナイン、あなたの右手はこんなことに使うためにあるんじゃないでしょう」
「こんなことに使うためにあるんだよ。先生がその龍をしまわないとオレも禁呪魔法を辞めない」
その光景を見ていた俺の左手がうずく。
俺もナインのように大切な人のためにその左腕を捧げたのだ。
愛する人のために身体の一部を捨て去ったのだ。
ナインの気持ちは痛いほどに分かったが、それでも俺は一歩も動かなかった。
なぜならばこの男を、
出逢ったばかりのこの炎の魔術師を俺は信頼していたのだ。
一世一代の戦いを誰が止めることができようか。
そう心の中で唱えると、ナインたちの行く末を見守った。
オクタヴィアの左腕の氷の龍、ナインの右腕の炎の龍、ふたつは拮抗していた。この世に具現化しようとする氷の龍を抑えることはできなかった。
マスタークラスであり、この異空間の支配者であるオクタヴィアはナインの炎を振り切り、氷の龍を作り上げることに成功する。
ナインはそれを冷静に見届けると、呪文を詠唱し始める。
詠唱に時間が掛かる上位魔法を冷静に唱え始めていた。
「なにを悠長に!? ナインさんは自殺するつもりですか?」
シスレイアは俺の服の袖を引っ張るが、俺はそれを否定する。
「あいつは生きるために呪文を唱えているんだよ」
「――生きるため?」
「そうだ。自分自身だけでなく、オクタヴィアを生かすためにな」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。まあ、見ていな」
そう言うとオクタヴィアは氷の龍を使役し、その鋭利な爪でナインを串刺しにする。
ナインはそれを避けようともしない。
攻撃を受けるがままだった。
彼の右肩を氷の龍が突き刺すが、それでもナインは痛みすら感じている様子はなかった。
ただ悲しげに言う。
「……やはりオクタヴィア先生は優しい人だ。絶対、急所は避けてくれると思ったよ」
「…………」
そう言うとナインは身体を帯電させる。
「先生、学生時代、俺は炎系の魔術にばかりかまけて他の魔法を覚えようとしないって怒ってたよね。……やっぱり先生の言うことは正しくてさ、魔術学院を卒業してから色々と苦労した。でも、大人になってから頑張って他の系統の魔術も勉強したんだ」
これがその成果さ、ナインはそう言うと行動でそれを示す。
帯電していたナインの身体がバチバチと電気を放つ。
その電気が最大限まで高まると、オクタヴィアは苦笑を漏らした。
「……そういうことね。まさか電撃魔法にそんな使い方があるだなんて」
「叡智の大切さを教えてくれたのは先生だよ」
そう言うとナインは魔力を解放し、《電撃》の魔法を解き放つ。
電撃はオクタヴィアの右手から伸びていた龍の身体を伝う。
水でできた氷は電気をよく通すのだ。
つまり電撃はそのままオクタヴィアに至った。
「きゃあ」という声にならない悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。それと同時に氷の龍は消えるが、その代わりナインの肩口からは止めどなく血が流れる。
つまりナインはオクタヴィアの攻撃をわざと受けることによって彼女と直接繋がり、そのまま相手に電撃を流したのである。捨て身の作戦を実行したのだ。
ただ、その作戦はオクタヴィアが急所を狙わないという前提でしかできない。
ある意味、敵との信頼関係の上に成り立った作戦なのだ。
シスレイアはその豪胆さに驚き、俺はその勇気を賞賛したが、当のナインはわずかばかりも嬉しそうではない。
右肩から止めどなく血を流しながら、気絶したオクタヴィアを介抱していた。
シスレイアは彼に駆け寄り、止血をする。
己の衣服の一部を破り、簡易的な包帯を作る。
血を止めることには成功したが、血は止めることはできても心の慟哭を止めることはできない。
ナインは涙こそ流していなかった、その心は泣いていることは明白であった。
俺とシスレイアは心の涙を流しているナインを遠巻きに見つめながら、彼らのことを見守った。




