アスハム謀殺
景気よく放った俺のファイアボール、それで幾人かの兵士を焦がすと、動揺した敵軍に第8歩兵部隊が突撃する。
元から第8歩兵部隊の連中は勇猛果敢であったが、姫様が陣頭に立って指揮をすると、皆、命を惜しまずに働いた。
「祖国エルニアのために! 姫様のために!」
その姿を見てシスレイア姫のカリスマ性を改めて確認したが、俺が気にしていたのはこの戦場ではなかった。
さらに奥にある砦での戦況が気になった。
アストリア帝国の連中が急襲している砦が今どうなっているか、斥候に確かめさせる。
「敵軍は抜け道を使い、後方に回り込み、手薄な門扉を破壊し、砦内に侵入しました」
アスハム大佐率いる砦の部隊は大混乱です、と続く。
それは想定内だったので、俺は第8歩兵部隊を押さえ込んでいた部隊の壊滅を確認すると、もうひとつの抜け道に向かう。
こちらは砦内近くにある岩山にある抜け道だった。――いや、隠し道か。
この砦の設計者が逃亡用に作ったものだが、時間経過で忘れ去られたものだ。俺は砦の設計図を調べてこの抜け道を真っ先に見つけた。
いつか利用できるかも、と誰にも話さずにいたが、すぐに活用できるとは思っていなかった。
「ここに入れば砦の中に直接行ける。敵軍の裏をかけるはずだ」
そう言うと第8歩兵部隊の仕官が、
「素晴らしい。よくぞ、このような策を」
と感心してくれた。
「感心するのは勝ってからでいいよ」
と返すと、俺たちは砦の内部へ向かった。
砦は想像通り、大混乱にあった。
まさか手薄な裏手を攻められるとは思っていなかった砦の守兵は動揺し、まともに戦えないでいる。
次々と討ち取られる城兵。哀れに思ったが、こいつらはシスレイア姫を敵に売ろうとしていたのだ。同情に値しない。
城兵もシスレイア姫を「淫売」だの「一戦相手してもらいたい」だの公然とつぶやいていた下品な兵が多いので自業自得であるが、それでも「敵のターン」はこの辺までにしておきたかった。
砦内に侵入した俺たちは、なかば勝利に浮かれている敵軍を後背から襲った。
まさか場内で奇襲されるとは思っていなかったアストリア帝国の連中は、慌てふためく。
「な、井戸から敵軍が湧き出た」
と狼狽を始める。
元々、士気は高くないうえに、勝ちに浮かれている兵ほど弱いものはない。勝ち戦では皆、死にたくないものだ。
戦線はあっという間に崩れ、隊列を崩しながら、敵は立ち去っていく。
その間、第8歩兵部隊の連中は、敵を蹂躙するが、深追いはするな、と伝えてある。
今回の作戦の目的は、敵軍を壊滅させることではなく、敵軍を追い払うことなのだ。
――それともうひとつ、アスハムという姫様に仇なす奸臣を除去することであった。
なので俺は混乱する城兵、撤退を始める敵軍を完全に無視し、砦の奥に入る。
そこには混乱を極め、逃亡しようとしているアスハムがいた。
彼は砦にある金塊を鞄に詰め込んでいる。
火事場泥棒であり、横領である。ふたつの罪を掛け合わせれば即座に斬首の判決が下される。
なので俺はわずかばかりも良心の呵責もなく言った。
「これはこれは、アスハム大佐、お忙しいようですな」
その皮肉を聞いてアスハムはびくりと肩を震わせるが、俺の顔を見ると安堵した。
「な、なんだ、貴殿か。というか、貴殿がここにいるということは姫様の救出に成功したのか?」
「ええ、幸いなことに」
あなたが囮になってくれた、とはさすがに言わなかったが。
「良かった。敵軍は立ち去ったのか?」
「シスレイア姫率いる第8歩兵部隊が奮闘してくれました」
「おお、さすがは姫様だ。さっそくお礼を言上しようか」
と俺に背を見せるが、俺はその背中に語りかける。
「お待ちを。お礼を言いに行くのならば、腰の剣をここにおいていってもらいたい」
「……どういうことだ」
振り返ると、じろり、と俺を睨み付けるアスハム。
「そのままの意味です」
「大佐である俺は将官の前でも帯剣が許されるのだぞ」
「将官の前ではね。でも、姫様の前では駄目だ。ましてや貴殿は姫様に殺意を持っているだろう」
と言うと俺は右手に持つ杖に魔力を注ぐ。
アスハムはそれに気が付かず、なにを言うか、と近づいてくる。
俺は平然とその場にたたずむ。
にこにこと近づいてくるアスハム、彼は俺の数メートル前までその牙を隠して歩み寄ると、そのまま剣を抜き放ち、俺を斬り付ける。
俺は真っ二つに斬られる。
――ただし、それは残像であるが。
事前に《残像》の魔法を唱えていたのである。
手応えがなかったアスハムは、すぐに気が付き、第二撃を放とうとするが、それは許さない。
俺は床に無造作に落ちていたショートソードを拾い上げると、最短の軌道で突き刺した。アスハムの腹に。
「……ぐ、ぐは……」
吐血するアスハム。彼は言う。
「き、貴様、上官を殺すのか」
「ああ、殺すさ。姫様に仇なすものは死んでもらう」
「……ば、馬鹿な。あの小娘のどこにそんな価値がある」
「お前のようなゲスには分からないだろうな」
俺は本を選ぶときの姫様の顔が好きだった。
本を返すときの彼女の顔も。
図書館で書き物をする彼女の姿も。
図書館で書き記す彼女のノートも。
そのノートに書かれる「世界中の民を幸せにする方法」とやらも好きだった。
だから彼女の命を救ったのだ。アスハムを殺したのだ。
ただそれを説明することはなかった。
床に崩れ落ち、大量の血液をまき散らすアスハムを冷徹に見下ろすと、そのまま砦の広場に向かった。
そこにいたのはいくさの指揮を終えた姫様の姿だった。
彼女は傷付いた兵士を敵味方なく、関係なく、治療していた。
先日、シスレイアのことを「売春婦の娘」と呼んでいたアスハムの部下にも包帯を巻いていた。
先ほどシスレイアを殺そうとしていたアストリア帝国の捕虜も治療していた。
その姿はまるで宗教画の聖女のようであった。
そんな聖女様は俺を見つけると、にこりと微笑んでくれた。
「お疲れ様です」
と、ねぎらいの声を掛けてくれた。
俺は彼女の瞳をまっすぐに見ることができない。先ほど、人を殺したばかりだからだ。
アスハムを殺したことに良心の呵責を感じてはいないが、それでもこのような清らかな女性の瞳をまともに見つめられるほど、小綺麗な身体はしていなかった。
ただ、それでも姫様の瞳を見ていると、胸の奥がほんのり温かくなるような気がした――。