ナイトメア
二匹目の夢馬は先ほどよりも巨大だった。
一回りほど大きい。
真っ黒な馬体はまるでカバのようであった。
しかし、カバとは思えぬ速度で攻撃してくる。最初のナイトメアを圧倒しているナインに対し、蹴りを入れてくる。
気を抜いていたわけではないだろうが、巨体に似合わぬ速度に虚を突かれたナインは、ナイトメアの攻撃を見つめるだけだった。
馬の蹴りの威力は凄まじい。
馬に蹴られて死ね、という言葉は比喩表現ではなく、馬の蹴りは本当に死ぬくらいの破壊力が有るのである。
俺はとっさにナインを蹴っ飛ばすと、ナイトメアの攻撃をかわす。
先ほどまでナインの頭部があった場所に、野太い馬の足が通り過ぎる。その足はそのまま病室の壁を破壊していた。
「……なんて威力だ」
「……助かったわ、レオンの兄貴」
そう言うと俺はナインにシスレイアを連れて後退するように命じる。
「醜態は見せたが、戦闘では役に立つつもりだぜ」
「それは知っているが、ここで戦うのは不利だ」
ここは病室のような空間、現実の病室よりかなり広いが、それでもかなり狭い。体力自慢の馬と戦うのは不利すぎる。
「逃げながら対策を練る」
俺の発言にナインは眉をひそめる。
「軍人って生き物は『逃げる』っていう言葉が嫌いだと思っていたけど」
「らしいな。俺も聞き及んでいる」
「他人事だな」
「他人事なんだよ。俺の本職は図書館司書だ」
「その割には頭が回るみたいだが」
「悪知恵が働く、と言い換えてくれ」
そう言うと俺は《閃光》の魔法を唱え、言い放つ。仲間は目を背けてくれる。無論、ナイトメアたちには言葉は通じないから問題ない。
事実、彼らは閃光によって目をくらませると、数秒だけだが隙を作ってくれた。
そのまま俺たちは病室を飛び出すと、走りながら対策を練る。
「こういうときは地形を利用するものだが」
周りを見るが、ここは病院、大したものはなかった。
「貴族の館ならば立派なシャンデリアを落とすとか、街中ならば煉瓦を利用するとか、いくらでも方法はあるんだけど」
「手術室に麻酔があるぞ」
「馬に、これからお前に麻酔を掛けるので、このマスクをしてくれ、と頼むのか」
「無理だな」
「だろうな。だが、無為無策ではいられない」
と言うと俺は右手にある通路を見る。
「ここなんかいいかもな。適度に狭くて長い」
「さっきは狭いところはダメって言ってなかったか」
「戦況は時間と共に変わるんだよ。いいアイデアを思いついた」
と言うと俺は振り返り、呪文を詠唱する。
「禁呪魔法を使う」
「へえ、それは見物だな」
「他人事を言うな、ナイン。悪いが前線に張ってやつらを引きつけてくれ」
「そうくるか」
厭々というていだが、素早く前線に移動し、壁になってくれた。
「わたくしはなにをすればいいでしょうか?」
シスレイアは真剣な表情で尋ねてくる。
正直、戦闘力という意味では彼女は役に立たない。
ただ、それでも俺に協力したい、他人に尽くしたいという気持ちを止めることはできない。
なので俺は彼女に微笑み返すと言った。
「……それじゃあ、俺たちのために祈ってくれ。あの馬の怪物を串刺しにできることを」
「分かりました。レオン様とナイン様の無事を祈り、勝利を願います」
というと彼女は自分の信じる神に対し、祈り始めた。
その姿は修道女のように清らかで、聖女のように気高かった。
そのまま宗教画として後世に残したいくらいであるが、今は無理なので諦めると、禁呪魔法の詠唱を始める。
禁呪魔法とは古代魔法文明の魔術師が開発した秘術である。かなり難しい詠唱と技法を必要とする魔法だった。
要は高難度魔法なのだが、その難しさに比例し、威力も凄まじかった。
全神経を詠唱と動作に集中させると、呪文の完成を待つ。
その間、ナイトメア二体を引きつけてくれているのは炎の魔術師のナイン。彼は全身に炎をまといながら二匹のナイトメアに拮抗している。
その姿はなかなか様になっているが、戦況は不利であった。
小柄なナイトメアはなんとかいなしているようだが、大型のナイトメアには圧倒されている。炎の魔法が通じず、致命傷を与えられないのだ。ナイトメアは巨躯を駆使し、ナインを攻め立てるが、その間、俺は呪文を唱えるしかない。
歯がゆい限りであるが、それも永遠ではなかった。
ナインがナイトメアの攻勢に耐えられなくなったとき、ナイトメアがその巨躯で小柄なナインを踏み殺そうとした瞬間、俺の呪文は完成する。
そのことを肌で察したナインは、にやりと笑うと側転する。
つまり、俺とナイトメアの間に障害物はなくなった、ということだ。
「雄々しき万能の神オーディンよ、
汝の智恵で作りし、神聖なる槍によって、巨馬を串刺しにせん。
叡智の槍によって世界を貫通させよ」
古代魔法言語でそう宣言すると、俺の右手が光って唸る。
巨馬を串刺しにしようと、古代ルーン文字が刻まれた神聖な金属が一直線に伸びる。
一直線に伸びた槍は、まずは小柄なナイトメアの身体を突き刺す。
まるでバターに針を通すかのようにすうっと突き抜けるオーディン・ランス。
小型ナイトメアは一瞬で絶命するが、問題なのは大型種のほうだ。
やつの馬力は心臓を破壊しない限り抑えることはできないだろう。そして残念なことにオーディンランスは心臓をわずかに捕らえることができなかった。
右胸部を貫かれた巨馬は激痛のため暴れ回る。ナインに報復しようとするが、俺はそれを許さなかった。
右手から伸びる聖なる槍に魔力を送り込み、こう唱える。
「爆!!」
すると聖なる槍は光だし、爆散する。
破裂した聖なる槍は圧縮された力によってナイトメアの血肉も切り裂く。
骨身も砕く。
ナイトメアは一瞬で肉塊になると、悲鳴を上げる間もなく絶命した。
その光景を見てシスレイアはつぶやく。
「……すごい」
と。
さて、それはどうか分からないが、当面の危機は脱出することに成功したのはたしかだった。




