オクタヴィア先生
俺たちに声を掛けてきたのは険のある女性だった。片眼鏡を掛けた女性だった。
いかにも司書、オールドミスという感じの女性だ。
さぞ婚期を逃しているのだろうな、と思ったが、意外にも彼女の薬指には指輪があった。
意外だな、と失礼な感想を抱いていると、片眼鏡の司書は言う。
彼女は片眼鏡をくいっと上げながら言った。
「あなたたち、部外者でしょう。なぜ、ここにいるの?」
その声はやはり険が籠もっていた。それはそうか、たしかに俺たちはここの部外者で、彼女は関係者。彼女にはここの蔵書を守る責務があるはず。
そこに本を燃やしたと思われる容疑者のナインと見知らぬ男女が一組いるのだ。敵愾心を持つな、というほうが無理である。
なんと返答したらいいだろうか、ナインに目を配らせるが、彼もここにいるべき正当な理由はないようだ。困っている。
このままでは衛兵に突き出される。
お得意の魔法で眠らせるべきか、と悩んでいると意外な人物が助け船を出してくれた。
「勝手に入ってきてすみません」
ぺこりと行儀良く頭を下げた後に、シスレイア姫は身分を明かす。
「わたくしはシスレイア・フォン・エルニア。この国の第三王女です」
「シスレイア姫!?」
王族であるものが突然来訪して驚かぬものなどいない。
またシスレイアは巷で話題の姫将軍であった。一流の舞台役者よりも有名な存在なのだ。
そう思っていると、彼女は役者のように雄弁に語る。
「部外者禁止の場所に勝手に入ってすみません。ですが、この建物に入る許可自体は頂いております。わたくしどもがなぜ、ここにやってきたのかといえば、貴重な『火』の魔術書がここにあると聞いたからです。よろしければですが、火の魔術書を閲覧させて頂けませんか?」
上手いな、と思った。王族であることを鼻に掛けることなく、さりげなく協力を取り付けようとしている。
結婚指輪をした司書の女性は、
「……分かりました。私はこの国の臣民です。姫様の要請とあれば」
と了承してくれた。
さすがは姫様だ、と思ったが、司書の女性は少し浮かない顔していた。それが気になったが、彼女はその表情を振り払うと言った。
「しかし、ご覧の通りですが、この部屋にある火の魔術書はあらかた消失しました」
彼女は表情を険しくすると続ける。
「一連の貴重な魔術書がなにものかによって消失させられたのです。『灰』を盗み出すために貴重な魔術書を焼くなんて信じられない」
険しい目は赤髪の魔術師ナインに向けられるが、彼は反論する。
「まるで俺が犯人みたいな物言いだな」
「そうは言っておりませんが、容疑を掛けられているのは知っているでしょう。なのに軽率にもこの場所に忍び込むなんて」
「このままだと本当にオレが犯人にさせられそうなんでな。自分で自分の無実を証明したい」
「炎系魔術ばかり練習して他の教科をおろそかにしてきたあなたがそのようなことをできるわけないでしょう」
「炎に魅入られた男、火を耽溺する男だからな、オレは」
戯けるように言うが、司書の女性は笑うことはない。「まったく、あなたは……」と呆れていた。どうやらふたりは顔見知りのようである。
「おふたりはもしかしてお知り合いなのですか?」
姫様が遠慮がちに聞く。
ふたりは吐息を漏らしながら首肯する。
「この眼鏡のおば……いや、女性はオレの魔術学院時代の先生だよ」
「まあ、お師匠様なのですか」
「その他多くいた教員のひとりです」
と即座に否定する司書の女性。どうやらナインの師匠認定は厭なようである。
「私の名前はオクタヴィア。オクタヴィア・フォン・レビックです」
「旧姓はマルトアリルトテリウスっていうんだぜ。舌をかみそうだよな。てゆうか、よく結婚できたというか、よくもらい手がいたよなあ。当時からこんなツンケンした先生だったんだぜ」
茶化すとオクタヴィアはきっとナインを睨み付ける。
ナインは怯えた振りをして、
「おお、怖い」
と言うが、あまり怖がっていないようだ。
学生時代の彼、教員時代の彼女の関係がありありと想像できた。
悪戯小僧とそれに手を焼く教師、というのが本当のところだろう。
校則を破るために生まれてきたようなナインと、それを守らせるために生まれてきたオクタヴィア、さぞ相性が悪かったことだろう。
しかし、今は彼らの学生時代の論評をする時間ではない。
ナインの容疑を晴らし、火の魔術書を焼いた犯人を捜すのが俺たちの目的であった。
なので俺ははっきりと告げる。
「俺は天秤師団の軍師レオンだ。今現在、このナインという男を師団の従軍魔術師にスカウトしようと思っている。だからこの男に協力し、やつに掛かっている嫌疑を取り除きたい。魔術師ギルドの幹部には軍部から正式に調査の依頼を出す。だから協力して一緒に犯人を突き止めてくれないか?」
その言葉を聞いたナインは意外そうな顔をした。
問題児である俺を軍に引き込むとは正気か、という顔していたが、反論することはなかった。
オクタヴィアも軍の正式な要望、と言われれば反論することはできなかった。
「……分かりました。捜査に協力します」
と言うと俺らにこの図書館のどの部屋にも入れる許可証を発行してくれた。
最後まで厭々というていを崩さなかったが、それでも迅速丁寧に許可証を発行してくれた。
その姿を見てナインは俺にだけ茶化す。
「オクタヴィア先生はツンデレなんだよな。なんだかんだで最後はOKしてくれる」
学生時代の感覚が抜けきらない男であるが、不思議と憎めない男だと思った。
俺の視線は無邪気なナインからオクタヴィアに変わる。
「……さて、ナインはともかく、あの夫人はどうなのだろうか」
教師時代からツンケンしていそうではあるが、問題なのはそこではない。
彼女はなにか隠している、そんな気がしたのだ。
それがなにかはまだ分からないが、それも調査の過程で判明すると思った。




