不器用な軍師と天真爛漫なお姫様
姫様とともに街の中心部にある噴水の周りをぐるぐると回る。
文字通り回る。
30周くらいはしただろうか。
端から見れば奇異な行動であるが、当人たちは真面目だった。
肩が触れ合うか触れ合わないかの距離を保っている。
もしもこの光景をクロエ辺りが見たら、「意気地なしですね」と、なじってきそうだ。ヴィクトールならば「かぁー、なさけねー」と天を仰ぎ見ているかもしれない。
そんな想像を巡らせたが、それは想像で終わることなく、現実となる。
見れば十数メートル先の建物の影から、メイド服の少女がちらちらとこちらを見ている。
「じぃ……」
という擬音が似合いそうなほど勢いでこちらを見ている。
半身だけ物陰から出し、こちらを観察している。
無論、言葉は発してないが、心の中で、
「……レオン様の甲斐性なし」
と言われているような気がした。
俺は以前読んだ小説、「メイドさんは見た!」というミステリーを思い出す。
まったくしょうもないメイドだな、と溜息を漏らすが、彼女を笑うことはできない。
この尾行は主であるシスレイアを思ってのこと。
それに彼女が抱いている感情は、事実無根というわけではなかった。
(……実際、俺は根性なしだしな)
戦場で大軍を指揮することはできる。
敵の裏をかき、だまし討ちにすることもできる。
強敵に打ち勝ち、勝利をもたらせすこともできる。
しかし、年下の女の子をデートで楽しませることはできない。
なんと不器用で情けない男なのだろう。
忸怩たる思いを抱くが、それでもこのまま負け犬になるほど情けない男ではなかった。
31周目の噴水巡りを終えると、ぴたんと止まる。
くるりと回れ右をすると、緊張した面持ちで言った。
「……姫様、これから俺の好きな場所に行こうと思うんだけど、付いてきてくれるか?」
「レオン様の好きなところですか?」
突然のことにきょとんとしている姫様。
「ああ、ふたりきりになれるし、静かな場所だ。誰の邪魔も入らない――」
と言いかけて急に赤面する。
この言い回しだと連れ込み宿に連れ込むと誤解されると思ったのだ。
姫様とそういう場所に行きたくない、と言えば嘘になるが、そのような親密な間柄ではない。
今後もそのような仲に発展することはないだろう。
なので「こほん」と咳払いをすると、言い直した。
「俺の好きな場所とは図書館だ。とても静かだし、いると落ち着く」
「まあ、図書館ですか」
口を押さえて驚く姫様。
「驚いたかな。ま、自分の職場が図書館だからな」
「レオン様は仕事熱心なんですね」
くすくす、と笑う。
「もちろんだとも。図書館に行ったら辞書を引くといい。紳士という項目を引くと『レオン・フォン・アルマーシュ』のこと」と書かれているはずだ」
そのようなジョークで締めくくると、さっそく、図書館に向かう。
軽くクロエのほうを覗き込むが、彼女は壁の内側から右手だけを出すと、親指を立てる。
つまりよくやった、ということだろう。
これ以上デートを邪魔する気はないようだ。
「厳しいメイドさんに及第点をもらえてなによりだ」
そうつぶやくとそのままシスレイアとゆっくり王都の大路を移動した。
噴水広場から図書館までは歩いて数十分かかる。
途中、シスレイアが不審な顔をする。
「この道では王立図書館に行けませんが……」
「図書館に行くと言ったが、王立図書館に行くとは行ってないよ」
「別の図書館に行くのですか?」
「ああ、休日まで同僚や上司の顔を見たくない。ま、たしかに蔵書数は王立図書館が一番だが。……姫様は王立図書館がいいか?」
彼女は首をゆっくり横に振るうと臆面もなく言う。
「レオン様がおられる図書館が最高の図書館ですわ」
なかなかに気恥ずかしい台詞であるが、勘違いはしない。
俺のような書痴のような男ならば、どのような図書館も天国であるが、ごく普通の女性にとっては退屈な施設だろう。
本当ならば遊園地や動物園、水族館、あるいは王都で流行している劇団の劇などを見に行くのが鉄板なのだ。
そんな中、図書館をデート先に選ぶのはある意味無粋といえる。
しかし、姫様はそのようなことを気にする様子も見せず、微笑みを絶やさない。
「レオン様は本当に本が好きなんですね。休日に他の図書館に行くなんて」
「まあな、本が俺を作ってくれた」
「と言いますと?」
「子供の頃、俺はボンボンの貴族だった。かわいげのないガキだったから、友達がいなかったんだ」
「まあ、今はこんなに可愛らしいのに」
どこが可愛いのだろうか? と思わなくもないが、それには触れずに続ける。
「そんな性格だったからか、姉や家族が心配をしてくれてね。よく本を買ってきてくれた。幼少のみぎりの俺はそれを読んで育ったんだ」
雄壮な騎士の武勇譚。
貧相な農民が自分の中の勇気に気がつき、勇者となる物語。
魔法使いが異国の地を旅する物語。
それらに夢中になり、読みふける少年時代。
今、俺があるのはその物語の中の英雄が心の中にいるからかもしれない、そう結ぶとシスレイアは首肯する。
「たしかにその通りです。どのような大軍にも臆さない勇気は物語に出てくる無双の騎士のよう。知恵を巡らし大軍を蹴散らす様は戦記物の天才軍師そのものです」
「ありがとう。というわけで、姫様は俺をすごいすごいと言うが、実はそうでもないんだ。すべて本の知識を流用しているに過ぎない」
「そのようなことはありません。本を読んだからといって誰しもがその『知識』を活用できるわけではありません。それを活用できるかはそのものの『知恵』次第。レオン様にはそれがあるのです」
「過大評価だな」
「適切な評価ですよ。それにわたくしはレオン様の無双の魔力や比類なき知恵だけを評価しているのではありません」
じゃあ、なにを評価していくれているんだ? そう問返す前に彼女は俺の胸に手を添える。
彼女は気負うこともてらうこともなく、素直な表情で恥ずかしい台詞を口にする。
「わたくしが評価しているのはレオン様の心にございます」
「……俺の心?」
「そうです。他者を思いやる優しい気持ち。弱きものを哀れむ慈悲の心。それらはどのような魔力にも知力にも勝る最高の宝物にございます」
彼女はそう断言すると、花のような笑顔を浮かべた。
その笑顔に魅入られる俺。
俺は俺よりも優しい気持ちと慈悲の気持ちを持つ少女を抱きしめたくなったが、彼女の姿を瞳に焼き付けることで代替すると、彼女と共に魔術師ギルドの運営する図書館に入った。




