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悪魔ケーリッヒ

 ヴィクトールを先頭に立たせ、血煙を上げさせる。

 その後方から援護をする宮廷魔術師の俺。


 その戦法は最強かと思われたが、それだけで勝てるほどいくさは甘くないことを知っていた。それだけで7倍の敵兵を倒すことは不可能なのだ。


 なのでふたつに分けていた部隊を右側面から攻撃させる。騎馬部隊はヴィクトールに率いさせ、歩兵は別の指揮官に任せていたのだ。最良のタイミングで攻撃してくれる歩兵部隊。ふたつに割れた敵軍のひとつを騎馬部隊と共に包囲殲滅しようとするが、そうなると残ったもうひとつの部隊がこちらに襲いかかってくる。それはどうするのだ? とはヴィクトールの質問であったが、無論、その対策もしてあった。


 いや、正確にはその対策をしてくれる部隊があった。


 子爵の城から打って出てくれたシスレイア率いる義勇軍が、敵軍の半分を引きつけてくれたのだ。その手腕は見事なもので、姫様の将才はなかなかのものであった。


「これは俺が戦死しても後顧の憂いはないかな」


 その冗談にヴィクトールが苦言を呈す。


「おれは姫様からお前の命を守るように、と念を押されているんだ。戦場で死なれたら一生恨まれるから、安易に死なないでくれ」


「そうしようか」


「だが、ここまでは完璧だが、それでも7倍の兵差はきついな」


 ヴィクトールはそう言いながら襲いかかってくる兵士を切り捨てる。

 血しぶきが俺の顔に掛かるが、それをローブの袖で拭うと言った。


「たしかにその通りだが、安心しろ。7倍が2倍まで縮むから」


「兵を増やす魔法の壺でも持っているのか?」


「持っているのは俺じゃなく、姫様だよ」

 

 ヴィクトールはどういうことだ? という顔をするが、口で説明をするよりも実際にその光景を見せたほうが早いだろう。そう思った俺は西方を見るように指示する。


 するとそこには騎馬に乗った軍団が土煙を上げてこちらに向かっていた。


「な、なんだ!? あの一団は」


「あの紋章と旗が見えないのか? あれは我が国のデザインだ」


「そんなことは分かっている。あれは味方か? 敵か?」


「異な事を言うな。同じ国旗を掲げているのだ。味方に決まっているだろう」


 そう言うと騎馬の一団はケーリッヒの軍隊の側面を突く。

 体勢を立て直しかけたケーリッヒの軍勢はひとたまりもなく飲み込まれていく。

 その光景をぽかんと見つめるヴィクトールに言う。


「あれは大地師団の連中だ。姫様の盟友だよ」


「姫様の盟友?」


「軍部はマキシスとケーリッヒの犬だけじゃないということさ。中には姫様のことを信頼する変わりものがいる。それが大地師団の団長、ジグラッド中将だ」


「あれがジグラッド中将か……」


 ジグラッド中将とは60歳近い老将である。貴族でもなければ士官学校出でもない人物で、一兵士から将軍に成り上がった立志伝中の人であった。


 兵士からの信頼も厚く、また軍部での評判もいい。エルニア軍の良心とも見なされる宿将中の宿将だった。


 その老将が伝令を送ってくる。

 ジグラッド中将の短い言葉を聞く。


「シスレイア姫はこの国にはなくてはならないお方。民を苦しめるケーリッヒは国賊」


 ジグラッドはそういうと援軍を買って出てくれたのだ。


 瞬く間にケーリッヒの軍隊を打ち倒す大地師団。その手際はある意味俺以上であった。


これは勝ったか、ヴィクトールはそのような感想を漏らすが、それは拙速な考えだった。


 その証拠である言葉をジグラッドの伝令は伝えてくる。


「天秤師団殿、ケーリッヒは邪教徒と内通している疑いあり、気をつけられよ」


 それがジグラッド中将の懸念であるらしかった。


 俺たち天秤師団に力を貸すのはそれが理由でもあるようだ。ケーリッヒは昨今、王都の邸宅に邪教徒を招き、なにかよからぬことを企んでいるらしい。


「それは不穏当だな」


 とはヴィクトールの言葉だが、特に驚きはしなかった。

 むしろ俺としては分かりやすい。

 ケーリッヒは悪魔に心を売ってでも次期王位を手に入れたいということなのだ。

 そのような輩とそれに付き従うものに手加減はいらないだろう。

 俺は巧みに兵を指揮すると、ジグラッド中将と一緒に敵兵を殲滅していく。


 中将と共に反包囲網を敷くと、ひとつだけ逃げ場所を用意しておく。中将もあうんの呼吸で従ってくれる。俺の指揮を不思議そうに見るヴィクトール。


「なぜ、完璧に包囲しないんだ?」


「敵兵を逃がすためさ」


「慈悲か? 同じエルニア軍で相打ちたくないか」


「それもあるが、ケーリッヒの部下はケーリッヒに心酔しているわけじゃない。ケーリッヒが勝てると思ってたからついてきたやつらばかりのはず」


「ふむ」


「そんな連中がこの状況下に置かれたら、即座に逃げるだろう。だから逃げ道を用意しておいた。ここで完全に包囲すると窮鼠と化してこちらの被害も大きくなる」


「さすがは最強の軍師だな。そのような深慮遠謀が」


「ま、兵法の基本だよ」


 そう言うとヴィクトールの背中を叩き、さらに前線に出ることをうながす。

 彼はふたつ返事で了承するが、俺を見ていぶかしむ。


「おれはともかく、軍師の旦那が前線に出なくても」


「前線のほうが戦局を把握しやすいだけだ」


 ――というのは方便で、本当は味方の損害を少なくするためであった。


 自分で言うのもなんであるが、俺はエルニア一の軍師であるが、それと同時に強力な魔術師であった。まだまだ人材不足の天秤師団の中にあって、数少ない戦略級の魔術師なのだ。その力、大いに活用したかった。


 それに――、

 と後方を見る。


 見れば姫様の部隊がすぐ側まできていた。

 彼女もまた前線で指揮をしている。


 彼女に触発されたわけではないが、彼女にいいところを見せてやろう、という気持ちがないと言えば嘘になる。


 そんなよこしまな感情で前線で戦っていたのだが、結果としてそれが功を奏した。

 自軍が崩壊し、軍同士の戦いに勝てない、そう察したケーリッヒが奥の手を見せてきたからだ。


 彼は撤退を主張する幕僚のひとりの腹を右の手刀で刺すと肝を取り出し、それを口元に運ぶ。その時点ですでに人間離れしているが、肝を口に運んだときの彼の目は、真っ赤に光っていた。 その光景を見ていた彼の幕僚は震えだし、次いで逃げ始めた。


「ひい、殿下が狂った」


 否、それは違う。

 ケーリッヒは今狂ったわけじゃない。

 元から狂っていたのだ。


 彼は終焉教団の導師から最強の肉体を手に入れる方法を教授されると、なんのためらいもなくそれを実行した。


 それに殺人とて初めてではない。幼き頃より、気に入らない召使いを鞭で叩き、気に入らないメイドを階段から突き落としてきた。幼い彼は鞭で叩かれ、皮がはがれ落ちる奴隷を見て愉悦の表情を浮かべていたという。階段から突き落とし、首があらぬ方向に曲がったメイドを見て腹を抱えて笑っていたという。


 そのような人物が狂っていないわけなどない。


 レオンは調査報告で彼の残忍さを知っていたので、彼が邪教徒の力で悪魔になったことを察した。


「どうやらケーリッヒ殿下は、悪魔の王としてこの国に君臨するつもりらしいな」


 みるみるうちに悪魔化していくケーリッヒを見下す。

 彼の皮膚はさけ、緑色の肌が浮き上がる。口もさけ、醜怪な牙と舌が見える。


「師匠が言っていた悪魔そのものだ。邪教徒の神器を使ったようだな」


 冷静に論評する俺。

 ごくりと唾を飲むのは鬼神ヴィクトールだった。

 俺は茶化すように言う。


「鬼神と呼ばれているが、本当の鬼は怖いようだな」


「ただの鬼ならばな。……しかしあいつは悪魔だぜ?」


「だな」


 そんなやりとりをしていると、完全変体を遂げたケーリッヒが荒ぶる。

 いや、荒ぶられる、というべきか。なにせやつはこの国の王子なのだから。

 その王子様は手近にいた部下をむぐりと掴むと、悲鳴を上げる部下を食らう。

 腹にある第二の大口で。


 それを見ていたケーリッヒの軍隊は恐慌状態になるが、だからといって天秤師団と大地師団の士気が上がることもなかった。


 いいや、それどころか味方すら容赦しない悪魔に恐れおののく。


 ケーリッヒはかじりかけの部下の死体を投げる。死体の抱擁を受けた天秤師団の部下は恐怖におののくが、それも一瞬だけだった。


 悪魔と化したケーリッヒはその鈍重な姿から、想像も出来ないような動きで兵士に近寄ると、右手を伸ばす。

 

 ズゴッ!


 野太い腕は兵士の腹を突き破る。


 そこから赤い鮮血が飛びでる。なんと残忍で冷酷な悪魔なのだろうか。


 戦場に立つものは等しくそう思ったが、かつて王子の形をしていた悪魔は想像の上をいった。


 彼はただ残忍なだけではなかったのである。

 ケーリッヒは突き破った兵士の腹を背から出すと、手を広げる。

 その瞬間、悪魔の手は紫色のオーラをまとう。



「……やばい!」



 そう思った俺は兵士たちに散開するように命じる。

 兵士たちは訳も分からず俺の指示に従ってくれた。


 それだけ将として、軍師として信頼を得ているということであるが、それでも散開しなかった兵士がいた。


 俺の真の実力を知らない新参の兵、あるいは命令を聞き取れなかったものたちだ。

 彼らに悪気はないのだろうが、彼らが選んだ選択肢は死の道だった。

 魔力をまとった悪魔の右手から解き放たれる膨大な魔力。


 まっすぐ竜の息のように解き放たれるそれは、逃げ遅れた数十の兵を飲み込み、消し去る。


 その光景を見ていた俺は、痛いほど唇を噛みしめ、右手の杖に力を込めた。


(……あの悪魔は俺が殺す)


 心の中でそう誓った。

 これ以上、部下が死ぬ姿を見たくなかったのだ。

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