別れの抱擁
シスレイアの次兄、ケーリッヒの親衛隊による銃撃を防いだ俺。
虚を突いたと思ったケーリッヒの親衛隊は動揺し、後退を始める。
後方にいる他の師団と合流し、改めて俺たちを倒そうというのが彼らの腹づもりのようだ。
その策は兵法に則ったもので正しかったが、こちらとしては時間を稼げて助かった、というのが本音だった。
「いったん、子爵の私兵ごと引いて、街に籠もる」
その作戦を聞いた子爵は驚く。
「その口ぶりだとおれたちごと救ってくれるのか? お前たちを謀殺しようとしたおれたちに慈悲をかけてくれるというのか」
「慈悲? そんなたいそれたもんじゃないよ。敵の敵は味方ってやつだ。子爵、あんたの兵とあんたの館を借りて籠城したい」
「おれの屋敷に……」
「ああ、そこならば長期間籠城できそうだしな」
「……それは構わないが、おれは街の人間に恨まれている。今さらおれと一緒に戦いたいものなどおるまい」
「だろうな。だから粉骨砕身、街の人に尽くせよ。領主本来の役目を果たせよ」
「領主本来の役目?」
「領主の役目は民から税金を徴収する代わりに民を守ることだろう。今、ケーリッヒはお前や民ごとこの街を消そうとしているんだ。今、立ち上がらないでどうする」
「……分かった。信じてもらえるかは分からないが、民と協力し、ケーリッヒに対峙する」
「やっと改心したか」
「……ああ、おれの目が狂っていた。ケーリッヒ殿下ならばこの国を変え、諸王同盟の中で確固とした立場を築き上げ、おれも引き上げてくれると信じていたが、それはただの妄想だったようだ。もはや、やつにはなんの義理もない」
子爵はそう言い切ると、私兵を率いて自分の屋敷に戻る。
俺はそのまま街の酒場に行くと義勇軍のリーダー・オルガスに話を付ける。
実は先ほどの子爵とのやりとりをすべてこの街の広場でも流していたので、話は簡単であった。
子爵が改心してくれたなどとは夢にも思わないし、やつがこの街の住人にしてきた数々の悪事は許せないが、それでもこの街を守るため、一時的に共闘する旨を伝えてくる。
「さすがは義勇軍のリーダーだ。話が早い」
「背に腹は代えられない。それにすべてが終われば子爵は逮捕されるのだろう?」
「それは間違いない。子爵はケーリッヒに切り捨てられた。すべてが終われば王都に連行されて縛り首だろうな」
「だからこそケーリッヒに対する怒りが燃え上がっているのか」
「そうだ。そこを信頼して今回は共闘してくれ」
断言すると、オルガスは納得してくれた。次いで子爵のことよりも差し迫った難題に話題は映る。
「子爵の屋敷、それに子爵の武器庫を解放してもらえるのは嬉しいが、この街は小さい。集められる兵は300くらいだぞ。」
「それプラス子爵の私兵100か」
「老人や子供を動員すればあと200はいけるかな」
「それはやめておこう。軍師レオンは数よりも質を重視するんだ」
「しかし400程度の兵でケーリッヒの親衛隊には敵わないだろう。10000近い兵がいると聞いたが」
「ケーリッヒの動かせる最大総員数を率いているらしい」
「無理だな。25倍の正規兵を市民兵で倒すなんて」
「なあに、そんなに難しいことじゃないさ」
のんきに言い切るが、オルガスは心配を隠せない。
ただその中でも俺に全面的な信頼を寄せてくれる女性がふたりいる。
彼女たちの名は、シスレイアとクロエ。俺の御主人様とそのメイドだ。
彼女たちは確信に近い表情で言う。
「レオン様は今まで数々の困難を乗り越えてきました。今回の試練も無事果たされることでしょう」
昨日までの実績が明日の成功を約束するわけではないが、これまで起こした数々の奇跡は彼女たちに確固とした信頼感を植え付けていたようである。
どのように困難な命令も受け入れる、と言い放つ。
その姿を見て感化されたわけではないだろうが、酒場の地下に潜伏していた女子供も立ち上がる。
「あたしたちは戦闘には出られないけど、その代わり掃除洗濯飯炊き、なんでもやるよ。あんたたちが十全に力を発揮できるようにサポートするから」
「俺も伝令頑張るよ!」
と笑顔を見せるのは鍋の蓋をかぶった少年だった。
以前、俺たちが地下で囚われていたとき、世話をしてくれた人たちである。
彼女は俺たちが逃げ出したことを責めることはなく、逆に俺たちを励ましてくれているのだ。
なぜだ? と尋ねると彼女たちは言う。
「もともと、あんたたちが善人だっていうのはすぐに分かったさ。新聞に書かれている姫様の記事もそう言っている」
にこりと微笑むのはその新聞を書いているウィニフレット。
「それに短い間だったけど、あんたたちと話してよく分かったよ。あんたたちはこの世界をよりよくしようとしている人たちだって」
シスレイアが食べ物を分け与えた子供が親のスカートの後ろでこくりとうなずく。
「そんな人間があたしたちを助けるために奔走してくれているんだ。あたしたちも働かないと罰が当たるよ。だから男衆を蹴飛ばしてでも、子爵の屋敷に行かせるんだ」
鼻息荒く言う女衆。
その言葉を有言実行し、リーダー・オルガスの言葉にさえ従わなかった連中も口説き落とす。
やはりすべての男は女に頭が上がらないものなのだ。
そのことを再確認すると、俺は義勇軍を子爵の屋敷に向かわせる。
ただ、俺自身は向かわないが。
「レオン様、いずこにいかれるのですか? 400の兵で10000で対峙するにはレオン様の知謀と指揮能力が不可欠です」
「それは過大評価だな。俺ごときがいくら上手く指揮しても400の兵で10000の兵は倒せない」
「なにをそのような弱気な」
「物事を合理的に考えているだけさ。だから俺は指揮能力ではなく、知謀で貢献する」
「と、おっしゃられますと?」
「これから俺は別行動を取る。指揮を君に任せて王都に向かって救援を呼んでくる」
「天秤師団の皆さんを呼んでくるのですね」
「そうだ」
「彼らは精強です。ですが天秤師団はまだ発足したばかり、1000名ほどしかいませんが」
「他にも姫様と歩調を合わせてくれそうな将官に声を掛ける。姫様の志に共感してくれた師団長を動かす」
「そうそう都合よく行くでしょうか?」
「いかせるまでさ」
そう言うと姫様に後事を託す。
「この作戦の肝は、俺が王都に戻って、援軍を連れてくるまでの間、400の兵で10000兵を釘付けにさせることにある」
「……責任重大ですね」
「だが姫様ならば余裕さ。前回も姫様の指揮能力は大いに役立った。姫様には人を惹き付ける魅力があるんだ」
「もしも本当にそのようなものがあるのならば、今こそ、その力を発揮すべきときでしょう」
姫様はそう言い切ると、決心を固める。
そのまま子爵の屋敷に向かうかと思われたが、途中、くるりと回転してくると俺を抱きしめる。
「――おいおい、一国のお姫様がはしたないぞ」
「――すみません、レオン様。しかし、わたくしには勇気が足りないのです」
「勇気?」
「そうです。ひとりで戦う勇気、レオン様なしで戦う勇気です」
「抱きしめればそれが得られるのか?」
「……それは分かりませんが、もうひとつ気がかりが」
「気がかり?」
「はい。なぜだかは分かりませんが、胸騒ぎがするのです」
「胸騒ぎ?」
「はい、そうです。口にするのも憚られるのですが、厭な予感がします。もう二度と、レオン様の『腕』に抱かれることができないような。二度とその温かさを感じることができないような気がするのです」
「……なるほど」
と苦笑する。たしかにその心配は的中するかもしれないと思ったのだ。
400の兵で10000の兵を押さえるということ自体、正気の沙汰ではない。普通にやれば確実に負ける。(無論、そうならないよう策を巡らしてあるが)
お姫様だけはどんな状況下でも救おうとは思っているが、一歩間違えばお姫様は戦死するだろう。
そんなことが起こればクロエに殺されることは間違いなかったが、そうでなくても俺にも危険は迫っていた。
王都に戻るということ自体、リスクなのである。
ケーリッヒが子爵ごと俺たちを殺す決意を固めたということは王都でも陰謀を巡らせているということであった。
天秤師団の連中は皆、軟禁されているかもしれない。
俺がそこに向かえばそのまま捕縛され、謀殺される可能性もあった。
そうなれば自分が死ぬだけでなく、姫様まで窮地となる。
それだけは避けたかったが、心配ばかりしていることはできなかった。
どのみち、王都に戻り、救援を呼ぶしかないのである。
俺は残された道の中でも最良の選択肢を選ぶつもりだった。
この街の人々を救い、姫様も救う。
もしかしたらなにかしらの犠牲を支払わなければいけないかもしれないが、それは姫様の笑顔でないことだけはたしかだった。
俺は姫様の笑顔を見るために、彼女の軍師になったのだから。




