シスレイアの演説
シスレイアの館から軍事府までは馬車で30分ほどだった。
エルニア王国の軍事を司る軍事府は、意外と郊外にあるのだ。軍事を司っているから、広大な場所が必要という面もあるが、王宮などの政治の要地とはなるべく離しておかないと、クーデターやテロリズムの標的にされかねない。
というわけでシスレイア邸からはとても遠いわけで、馬車に揺られると眠くなる――、ことはない。対面に座っている女性、シスレイアを見ていると眠気など吹っ飛ぶ。
真っ白なドレスはまるで白百合の妖精が仕立てたかのようだった。(野太い妖精だが)
それにほんのりと薄化粧をし、髪をまとめ上げている姿はとても魅力的だった。
――口に出してそれを伝えることはできないが、クロエ辺りに言わせるとあからさまらしい。「女性は視線に敏感なのです。――おひいさま以外は」
と茶化してくる。
そのお姫様はというと俺の用意したマスコミ対策の問答集を懸命に読んでいた。俺の視線に気が付いていないようだ。まあ、それは幸いである。たしかにシスレイア姫は女性としてとても素敵であるが、俺と彼女が結ばれることはないだろう。
俺と姫様は身分が違い過ぎる。
俺は亡命貴族の息子、貴族ではあるがこの国に領地はない、無論、財産も。一方、姫様はこの国の王女だ。化粧領もあるし、立派な館も持っている。
ふたりの身分差はまさしく月とすっぽん、野に咲くぺんぺん草と温室の白百合くらいに育ちが違う。
小説などでは愛があれば他にはなにもいらない、などという謳い文句はよく聞くが、それは世間を知らないものの言葉だろう。俺の父親がこの国にきてからの苦労、それは筆舌にしがたい。その父が死んでからの俺と姉の暮らしは、それこそ回想を挟むのすら躊躇われるものがあった。
そのような苦労、自分の配偶者にはさせたくない。
そう思うと姫様を嫁にしようとか、恋人にしようとかいう考えは浮かばなかった。
俺はただ、彼女の笑顔が見たかった。
心の底から笑う姿が見たかった。
ただそれを実現させるには、彼女を幸せにするだけでは駄目だった。
他者が幸せでなければいけないのだ。
彼女の周りのものが、この国のものが。さらにいえばこの世界のすべての民が。
皆、明日の食べ物の心配をせず、それぞれに仕事を持ち、幸せな人生を送る。
さすればきっと姫様も今のように小難しい顔をせず、常に笑うことができるだろう。
そう思った俺はそれを実現させるため、改めて彼女に忠誠を誓い、助力する。
シスレイアからひょいっと問答集を取り上げると、彼女に質問をした。
適当にページをめくると言った。
「らくだの背中で飲むお茶ってなんだ?」
唐突な問題にきょとんとするお姫様、そのような問答、あっただろうか、と一生懸命に考えている。とても可愛らしい。俺がからかっていると気が付くまでたっぷり60秒ほど掛かった。
彼女は軽く頬を膨らませ、
「そのような問題はありません」
と言った。
怒った上で真面目に答えを考えてくれるが。
「……うーん、なんでしょうか。わたくしは紅茶が好きですが、カモミールティーも好きです。出題者はどのような方なのでしょうか? それだけでは情報が少なすぎます」
生真面目な姫様は真面目に推理する。これは頭の体操、なぞなぞであると説明した上で、答えを言う。
「答えは『こぶ茶』だ、東方より伝わりし、昆布を原材料にしたお茶だな」
「なぜ? こぶ茶なのです? 先の情報ではそんなことは分かりません」
「だってラクダにはコブがあるだろう? だからこぶ茶を飲むんだ」
その答えを聞いた姫様は、「にゃんですと!?」という顔をした。
目から鱗が落ちているようだ。
どうやら真面目を絵に描いた姫様は、とんちが苦手というか、ほとんど触れてこなかったらしい。まったく、予想外の思考法に感心している。
俺は姫様の単純さ、素朴さに苦笑を漏らしながら、彼女を軍事府にあるマスコミ対応室に連れて行った。
そこには複数のマスコミが列をなして待っていた。
まずは全体質問から始まり、その後、個室に移り、ロングインタビューを始める予定だ。
マスコミ対応室に入ると一斉にフラッシュがたかれる。どうせあとで撮影時間も設けるのだが、と思うが、姫様は手慣れたものだった。
姫様は美人姫将軍としてすでに有名で、よく遠慮のないマスコミから勝手に写真を撮られることが多いのだそうだ。なんでも彼女の写真を載せると売り上げが14パーセントほどアップするらしい。
まあその気持ちは分からなくもない。彼女の容姿はそこらの舞台女優も顔負けなのだ。そんな女性が紙面に映っていたら購買意欲も倍になる。
と思っていると、姫様は着席し、質問攻めに遭っている。
今回の働きの賞賛と慰労を口にすると、とある記者は当然のように、今回の作戦の立案者が姫様であるか尋ねた。
姫様は当然のように、
「わたくしです」
と、言い放つ。
さすがは我らが姫、堂に入っている。練習した甲斐があった。
その後、世間に発表されているマコーレ要塞攻略の手口がすべてシスレイア本人の発案であると認めた。
どよめきが起る。
難攻不落の要塞をたったの一旅団で落としたことも素晴らしいが、それ以上に要塞を落とすのに使った知力の源泉が、このように可憐な少女の頭蓋骨の内側であることが信じられないようだ。
世間では美人は頭が悪い。いや、頭が悪いべきだ、という偏見がある。ましてや男尊女卑がはびこるこの世界においてそれは顕著だった。だのにシスレイアはマスコミや軍部の期待に背き、天才的な知略を発揮したのである。
まったく、末恐ろしい少女だ。この場にいた記者は等しくそう思ったようだ。
どよめきが収まると、話は作戦の詳細、実行したときの気持ちなどに移る。当然、それらもなんなく答えるが、一連の話が終ると姫様はちょっと困惑する。
話が軍事的な話から、政治的な話に移ってきたからだ。
「国民の中には次期国王をシスレイア様にすべきだ、という声も上がっていますが、それについては」
それは自分こそが相応しい、と言ってほしいところだが、姫様は常識的に返答した。
「――それは国王陛下が決めることですから」
「なるほど、では、兄上のケーリッヒ殿下と折り合いが悪いというのは?」
「そのようなことはありません」
質問した女記者は、「なるほど、そういうしかないか」と、ひとりごとのようにつぶやいた。無礼な女性であるが、変わった着眼点をしていると思った。
顔を見る。眼鏡にスーツ姿の女性で、知的な感じがした。
なかなかの美人であるが、気が強そうだ。
と思っていると、クロエは言う。
「……レオン様のタイプっぽいですね」
「……まだ引きずるか」
と返すと、質問が姫様の私生活に移る。
「休日はどのように過ごされていますか?」
「好きな男性のタイプは?」
「好きな食べ物は?」
芸能記事でも書くのか! と思わなくもないが、これら質問は想定済みというか、有り難い質問であった。
少なくとも先ほどの女記者の質問よりはずっといい。
そもそも今回の目的は姫様と天秤旅団すげーというところを世間に認知してもらうこともあるが、それと同時に、姫様に親しみも持ってもらいたかった。
長兄のマキシスや次兄のケーリッヒのように高慢な王族ではなく、庶民派の王族、市民に共感と敬愛の感情を持ってほしかった。
なので彼女の私生活を話すのはよいことであった。
シスレイアとしては「わたくしの私生活のどこが面白いのだろう?」と思うが、小難しい軍事や政治の話よりは楽だと思っているのだろう。表情が和らぐ。
ちなみにこの手の質問の練習はしていない。必要ないと思ったからだ。
彼女には素の自分を見せてほしかった。そもそもいつもの彼女はとても可愛らしく、素敵な女性だった。
下手に言葉を着飾るよりも、自分の言葉で、真実を話したほうが、記者や国民のウケがいいと思ったのだ。
その予想は見事に当たる。
彼女はほがらかな笑顔で記者たちを虜にしていく。
「休日は歌劇を見に行ったり、本を読んだりしています」
「好きな男性のタイプは好きになった人です」
「好きな食べ物は甘い物です」
脚色のない回答は老獪な記者たちの心も和らげていく。
和やかな空気が場を支配する。それを見て俺はこのお披露目が成功したことを悟った。
クロエもそう思ったらしく、小さなあごを軽く上下させ、成功を確認しあったが、最後の最後で緊張感が走る質問をする記者が現れる。
先ほどのインテリ眼鏡の女性だ。彼女は「くいっ」と眼鏡を持ち上げると言った。
「シスレイア姫、今回の武勲は素晴らしいものでした。しかし、今回の武勲はアストリア帝国との戦いにどう影響するでしょうか?」
その質問を聞いたシスレイアは表情を武人に戻すが、穏やかな口調で答えた。
「アストリア帝国との戦いは長く続くでしょう。なにせもう100年近く戦争を続けているのです。もしかしたらさらに100年続くかもしれません」
「救国の英雄であるあなたがなにを弱気な」
シスレイアはその挑発を無視すると、なんのてらいもない口調で言う。
「もはやひとりの英雄で戦局を打開できる時代ではありません。この戦争を終結し、平和をもたらすには諸王同盟に属する国民全員の確固とした意志と勇気が必要でしょう。
しかし、それら団結を得たとしても冬の時代は長く続きます。しかも春の到来は必然ではないかもしれません。
ですが、わたくしはそのときがやってくるのを待っています。この身をこの国のため、世界のために役立てようと思っています。
この国の人々が、世界中の人々が、春の陽気に包まれながら、ピクニックに出掛ける。そんな光景を見てみたいのです」
その演説のような台詞を聞いた女記者は黙りこくる。姫様のたしかな決意を胸に感じたようであった。
いや、それは他の記者も同様のようだ。皆、一生懸命に書き留めている。
かくいう俺も、予定になかったこの答えに感動していた。
ちなみにこの演説は、後世、シスレイア姫という人物を紹介するときに必ず引用される言葉となる。
彼女の爽やかにして壮大な夢は、後世の人々をも感動させるなにかがあったのだ。




