ヴィクトールとの決闘
ヴィクトールの冤罪事件はこのようにして解決されたが、一番釈然としていないのは本人であろう。
謀殺を覚悟していたのが一転、裁判で逆転無罪を言い渡され、解放されたのだから。
死を覚悟していたヴィクトールは、身辺を綺麗にし、友人や家族に形見分けまでしたのに、と酒場で愚痴った。
しかし、俺に命を救われたのも事実。
礼に行かなければならない、と尋ねてきたのがその日のヴィクトールだった。
彼は火竜のように酒気をまき散らしながら、俺の職場である図書館までやってくると、壁をどんと叩いた。
それに対する俺の第一声は、
「男に壁ドンされる日がくるとは思っていなかった」
だった。
ヴィクトールは笑う気もないようである。真剣な目で尋ねてきた。
「レオン・フォン・アルマーシュとか言ったな。お前はなぜ、俺を助けた」
「あわよくばお前の剣を俺のものにしようと思ってな。だから恩を着せた」
「その割には接触してこなかったじゃないか」
「事前調査でお前がへそ曲がりなのを知っていたからな、こっちから行くと反発すると思った」
「……おれのことが手に取るように分かるんだな」
「ああ、色々な人物を見てきたからな。お前みたいなタイプはこっちから壁ドンをするよりも、じらして自主的に行動させたほうがいい」
「たしかにそうかもしれん。ここ数日、お前のことばかり考えていた」
「気色悪いな」
たしかにな、とヴィクトールは自嘲する。
「……自分からここにくるのには勇気がいった」
「酒の力が必要だったようだな」
「……さらに言えばお前に礼をするのに勇気がいる」
「だろうな。へそ曲がりだからな、お前は」
と言うと俺はヴィクトールに地図を書いたメモを渡す。
「仕事が終わったらここに行く。そこでお前が納得するものを見せ、お前が協力したくなるようにする」
「どんな魔術を見せる気だ? 俺は手品じゃ感動しないぜ」
「だが『本物』を見極める力を持っているだろう。お前が本物だと思ったら、俺に仕えてくれ。いや、俺の信頼する姫様の部下になってくれ」
「…………」
ヴィクトールはしばし沈黙すると、俺を軽く見つめる。品定めしているようだ。
判断に迷っているようだ。
そりゃ、そうか。連隊長のように糞みたいな上司を持っていた身だ。容易に人は信じられないだろう。
容易に決断できないだろうと思った俺は、彼を軍の施設である練兵所に誘った。
練兵所とは剣の訓練ができる施設だ。軍属のものならば誰でも借りることができる。
そこにある闘技場に行くと、俺は壁に掛けられている武器を見回す。
それを見てヴィクトールは不思議そうに尋ねてくる。
「……まさかとは思うが、ここで稽古をするのか」
「まさか、そんなことはしない」
「じゃあ、なんのために?」
「ここで決闘をする。お前と」
「なんだって!?」
「そんなに驚くようなことか」
「そりゃ、驚くさ、俺の異名を知っているだろう?」
「王虎師団の鬼神だっけ」
「その通りだ。俺はこの大剣で多くの兵を倒してきた。そんな俺と決闘しても勝てるわけがないだろう」
「だが、決闘で俺が勝てばお前も決心しやすくなるんじゃないか、姫様の部下になる」
「――勝つ気でいるのか」
「当たり前だ。やるからには勝つ、それが俺の信条だからな」
と言うと俺は壁に立てかけられていたショートソードを取る。
それを見て興味深げに尋ねてくる。
「ほう、長物ではなく、ショートソードを選んだか。刀やロングソードがあるなか、どうしてそれを選んだ」
「単純な話だ。俺は剣術の心得がないからな。素人でも扱いやすい剣を選んだ」
「賢明だな。俺に勝負を挑むこと以外は」
ヴィクトールは断言すると、闘技場の中央に向かった。どうやら勝負してくれるようだ。
「お前の思惑に乗せられてやる。ただし、手加減はしない。寸止めするが、万が一、死んでも恨むなよ」
「それはこちらも同じだ。素人だから手加減はできない。ぶっさされても文句は言うな」
「素人に刺されるかよ」
と言うとヴィクトールは懐からコインを取り出した。それを指ではじくと、地面に落ちる。
それが決闘開始の合図となった。
鬼神ヴィクトール、そのあだ名は身の丈ほどの大剣を振り回し、敵軍を蹴散らしてきたことに由来する。
普通、身の丈ほどの大剣を武器にするものの動きは遅いというのが常識であるが、鬼神ヴィクトールにはそのような常識は通じない。
彼は疾風のような速度で俺の懐に入ると、小枝でも振るうかのように大剣を振り下ろす。
俺はそれをショートソードで受け流すが、素人の俺が一撃目に耐えられたのには理由がある。
まずは魔法で反射神経と身体能力を強化していたこと。俺の身体は青白いオーラをまとい、目も魔法によって光っていた。
もうひとつは敵の攻撃を受け止めるのではなく、受け流したことだ。
いくら魔法で強化しても、大剣をショートソードで受けることはできない。一撃で破壊されてしまうだろう。
だから俺は大剣の力をいなし、軌道を変えることで避けた。
その判断、俺の手際を見て、ヴィクトールは称賛する。
「見事だ、さすがに決闘を挑むだけはある」
「魔法で身体強化はずるいと思ったが、そこは批難しないのか?」
「猫はひっかく、犬はかみつく、それぞれに喧嘩の仕方がある」
「なるほど、魔術師は魔法を使えってことだな」
「そうだ。ただし、詠唱などさせないがな」
と言うとその宣言通り、矢継ぎ早に攻撃してくる。
詠唱どころか、溜めの隙さえ与えてくれない連続技であった。
見事な技で、改めてこの男を部下に加えたい、と思った。
それはヴィクトールも同じようで、すでに彼の心は俺のもとにあった。
この決闘に勝てば喜んで麾下に加わってくれるだろう。
――ただ、手加減をして負けるつもりはなさそうだが。
そちらがそのつもりならば、こちらも全力を出すだけだった。
俺は見よう見まねの剣術で相手に対抗しながら、わずかばかりの隙を作らせることに尽力する。
本当にわずかな隙でいいのだ。魔法を一小節唱えられるほどの隙でよかった。
俺はなんとかその隙を作ると左手に火球を作り、それを相手に投げつける。
ヴィクトールは火球を避けるような真似はせず、大剣を構えている。どうやらあれで真っ二つにする気のようだ。
そんな化け物じみたことできるはずがない、と言いたいところだが、この男ならばなんなくやってみせるだろう、と思った。
事実、ヴィクトールは俺の火球を真っ二つにし、綺麗に切り裂く。
ふたつに分けられた火球は、そのまま彼の両脇で爆発し、爆炎が上がる。
「やるじゃないか、ヴィクトール」
「お前もな、あの一瞬でよくぞ魔法を放った」
「ああ、しかし、炎は斬れても氷は斬れるかな?」
すでに第二撃目を準備している俺の左手には、槍状の氷があった。
「アイスランスか、小賢しい」
「魔術師だからな、賢しいに決まっている」
と言うと俺はアイスランスを投げつける。
先ほどの火球と同じような速度だ。ヴィクトールならば避けることができるかもしれないが、彼は避けることなく、氷の槍も切り裂いた。
俺の挑発が功を奏したようだが、それが彼の敗因となった。
見事に切り裂かれる氷の槍であるが、ふたつに切り裂かれた氷の槍は、いまだ燃え上がっている炎へと突っ込む。
ここで幼年学校で習う知識を披露するが、氷は溶けるとなにになるだろうか?
無論、答えは水である。さらにその水を熱すればどうなるか? そう、水蒸気になる。
激しく燃え上がる炎に突っ込んだ氷の槍は瞬く間に水蒸気になるとヴィクトールの視界を塞ぐ。
つまり魔術師の俺に対し、いくらでも呪文を詠唱する時間を与える、ということだった。
それは最強の魔術師に対して絶対にしてはならないことであった。
俺は水蒸気の影に隠れると、ゆっくりと呪文を詠唱した。