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アイルビーバック

 シスレイアは必死に泳ぐ。

 泳ぎは幼き頃以来だが、体が覚えているようで、思ったよりも上等だった。

 三分ほどで岸にたどり着くと、後方を振り返る。するとレオンが機械の鮫に襲われているのが目に入った。慌てて引き返そうとするが、クロエが「ガボガボ」と泡を出しながら阻む。

 彼女の口は「レオン様の行為を無駄にしてはいけません」と言っているように見えた。冷静になったシスレイアはレオンが最高の軍師にして最強の魔術師であることを思い出す。

 クロエと一緒に岸に上がる。

 シスレイア達が上がった岸は小さな岸だった。

 半径十数メートルほどの面積しかない。対岸ではなく、途中にある小島であった。

「……ならばまた泳がなければいけませんね」

 ため息を漏らす。かなりの距離を泳がなければならないからだ。しかも機械の鮫がうろつく湖を。正直、青ざめるが、それでも前に進まなければならない。

「レオン様が用意してくれた時間です。無駄にはできません。すぐに湖に入りますが、クロエ、大丈夫ですか?」

「大丈夫です。お任せください。どうやらクロエの前世は東方の妖怪の河童だったようです」

 主人を心配させまいと戯けるクロエ。有難いことだったので早速、水中に入ろうとするが、そのとき、とんでもないものが浮かび上がってくる。

 湖の底から赤い液体が浮かび上がってきたのだ。

 この湖には生物はいない。ならばあの赤い液体を流したものは??。

 最悪の想像が頭をよぎるが、それでもシスレイアは湖に飛び込んだ。

 その姿を見てクロエは思う。

「……ご立派です」

 と。

 先ほどの血液、もしかしたらレオンは機械の鮫に食べられたかもしれないのだ。しかし、その可能性を考慮しても飛び込むタイミングは今しかないと判断したのだろう。今を逃せば鮫から逃げ切れる可能性はない。レオンの死を無駄にするかもしれない、と判断したのだ。

 ただのお姫様にできる判断ではない。まさしく一軍の将の判断だった。

(立派になられましたね。これもすべてレオン様のおかげです)

 レオンと出会う前までのシスレイアはまさしくお姫様だった。大望と気高い志を持ってはいるが、将としての器量はないただのお姫様。しかし、レオンと出逢ってから変わった。急速に変化をしたのだ。ただ人々を慈しむだけのお姫様から、状況に応じて有益な判断ができる指導者の才能に目覚めつつあった。

 クロエの願いはシスレイアが笑って暮らせるような世界を用意することだった。

 そのためにはレオンの知力と武力が必要だと思っていた。ゆえに彼に全面的に協力しているのだ。おそらくではあるが、彼はシスレイアをどこまでも高みに導いてくれるだろう。

 だからクロエは彼が、レオン・フォン・アルマーシュが鮫如きに負けるとは思っていなかった。鮫ごときに食われるなどとは思っていなかった。

 必ず生きて生還する。

 対岸で再会することを疑っていなかった。だからシスレイアの後ろに続き、泳ぎ続けた。自分でも無様なポーズだと思うし、レオンに小馬鹿にされること必定であったが、早く小馬鹿にして欲しかった。なんとみっともない泳ぎ方だと笑ってほしかった。

 そんなことを思いながら必死で泳ぎを進めるが、何気なく後方を振り返るとそこにいたのは巨大な機械仕掛けの鮫だった。

 クロエは肝を冷やしながら、懐から懐中時計を取り出すと、それをぶん回した。

 魔力を帯びた時計は機械仕掛けの鮫の鼻に当たる。

 鮫はのけぞると、後退を始めた。

 ただ、撤退をする気はないようだ。距離をとると物欲しそうに無機質な視線を向けてくる。

(……まったく、躾の悪い機械です)

 心の中で製作者に文句を言うとシスレイアに視線を送る。一部始終を見ていたシスレイアと一緒に息継ぎをするため、湖面に出ると、彼女に語りかける。

「レオン様はどうやら止むに止まれぬ事情でどこかに避難されているようですね」

「でしょうね、レオン様があのようなものに負けるとも思えません」

「はい」

 同意をするが、クロエは〝とある〟ことに気が付いていた。しかし、それは黙っておく。〝大切なおひいさま〟が悲しむようなことは知らせるべきではないのだ。

 そのように決意するとクロエは言った。

「今、この場で戦闘力を持つのは私のみ。おひいさまは正直、邪魔です」

「…………」

 シスレイアは自分が武力の人ではないと知っているのだろう。命をかけるべきはここではないことも。黙ってうなずくとそのまま対岸に向かった。

 それを確認したクロエは大きく息を吸い込むと、湖中に戻る。

(……レオン様の仇は私が取る!!)

 そのような決意をしながら。

 そう、宮廷魔術師レオン・フォン・アルマーシュは死んでいたのだ。

 あの醜悪な化け物に食べられてしまったのである。

 シスレイアは気が付かなかったようだが、クロエには見えていた。人間よりも遥かに目がいいクロエにはしっかりと見えていたのだ。

 ――機械仕掛けの鮫の牙、その間にレオンの義手が挟まっていることを。

 巨大な鉄の牙の間に挟まる鋼鉄の義手、それはまさしく先ほどまで一緒に泳いでいた軍師のものであった。

(こいつ、レオン様を……)

 クロエは唇を噛みしめる。

 レオンの笑顔が脳裏に浮かぶ。

 けだるげに本をめくる軍師の姿が浮かぶ。

 つまらなそうに雲を見つめる魔術師の姿も。

 過去のレオンのすべてが走馬灯のようにクロエの脳を駆け巡る。

 クロエから友人を、おひいさまから大切な人を奪った機械の鮫に例えようもない殺意が湧く。

 ただただ破壊衝動だけがクロエの心を支配していく。

老朽化(ロートル)の魚類が!!)

 心の中でそう叫ぶとクロエは懐中時計に魔力を込める。それをぶんぶんと回しながら泳いでいく。途中、クロエは懐中時計を回すことで推進力を得られることに気が付く。

 スクリューと同じ理屈で推進力を得られているようだが、この際、理屈はどうでもよかった。にっくき化け物に一秒でも早く接敵出来る方が有り難い。クロエは自前のスクリューで機械仕掛けの鮫に接近するとその身体に懐中時計をめり込ませた。

 ぐにゃりと曲がる鮫の背骨。

 まるで鉄骨を殴りつけたような感覚が手に伝わるが、その表現は間違っていない。この鮫の骨はなんらかの金属なのだから。いったい、どのような理屈で動いているかは分からないが、この化け物に攻撃が通るということが分かっただけでも有り難かった。

(これならばレオン様の仇を取れる)

 そう思ったクロエは口元を歪ませる。

 水中でも戦えると分かった瞬間、泳ぎも達者になるのが不思議だった。

 水中を舞うように懐中時計の連撃を加える。

 クロエの武器は懐中の時計。古代魔法文明の遺物。特殊な時計でなにやら魔法の効果があるらしいが、詳しいことは知らない。クロエにとって重要なのはその時計が頑丈で伸縮自在ということだけ。自身の馬鹿力をこれでもかと攻撃力に変換してくれるのだ。

 この時計を譲ってくれた「お師匠様」に感謝をしながら連撃を加えていく。

 みるみるうちに背骨や腹骨などをひしゃげる機械の鮫。

 勇壮に泳ぎ回っていたときの面影はすでにない。

 このまま攻撃を加えていけばクロエの勝ちは疑いないが、そう簡単にことは運ばなかった。

 二七発目の打撃を加えた瞬間、異変に気が付く。

(ま、曲がらない……)

 先ほどまでは飴細工のように曲がっていた鮫の骨が曲がらなくなったのだ。

 一瞬、鮫が強化された。古代魔法文明の真の力が発揮された。そう思ってしまったが、クロエは気が付く。

(……違う、そうじゃない。私が弱体化しているんだ)

 クロエは己の腕の振りが遅くなっていることに気が付く。

 なぜ?

 と問う必要はないだろう。クロエの肺は先ほどから悲鳴を上げていた。締め付けられるような感覚を覚えていたのだ。

 酸欠――。

 もしもクロエのステータスを表示することができれば、そのバッドステータスが付いていることは疑いなかった。

(水の中とはこんなに苦しいのか……)

 クロエは表情を青ざめさせながら湖面にはいあがり、息を吸うが、それも数秒だけ。それ以上、呑気に深呼吸をすれば鉄の鮫に食われることは必定だった。

 クロエは仕方なく、短く息継ぎをしながら攻撃をするが、その攻撃は確実にか細くなっていく。もはや最初の勢いは皆無だ。

(――水中の戦闘がここまで難しいだなんて、計算違い。このままでは――)

 私も食べられる、そう思ったが、攻撃の手を緩めることはなかった。

 レオンの敵討ちをしたい、その気持ちが強いこともあったが、それ以上に湖上のおひいさまのことを考えていた。おひいさまは今、泣いているはずだった。〝愛する人〟が水面に現れない異常事態、それを不審に思っているはず。彼女の鋭い勘はレオンの死を予期しているかもしれない。さすれば彼女の顔は涙で溢れているだろう。その儚い心は今にも砕けてしまいそうに違いない。

 敬愛する主にそのような感情を抱かせる機械など、この世から消し去ってしまいたかった。

 それがクロエの戦う理由であった。

 クロエは逃げない。おひいさまの代わりに戦う。最後の最後まで打撃を与え続け、相打ちになるつもりだった。

 そのため、クロエは攻撃の手を緩めると、水中で動きを止めた。

 それを確認した鉄の鮫は一瞬、動きを止めるが、すぐに移動を再開する。クロエを喰らおうとこちらに向かってくる。

(化け物! このクロエを食べなさい。そのときがおまえの最後だから。おまえの胃の中でこの懐中時計を爆発させてやる)

 クロエの魔法の懐中時計、その効果のひとつに爆発というものがある。懐中時計を爆発させるのだ。本来、望まぬ物の手に渡るのを防ぐ機能だが、こんな使い方も出来る。

 機械と相打ちというのは気にくわないが、ここでこいつを殺さねば、シスレイアが死ぬ可能性もある。レオンかクロエ、そのどちらか、あるいは双方が死ねば、彼女は躊躇することなく、敵討ちをすることだろう。それだけは避けたかった。

 だから諸悪の根源となりえる機械と相打ちを選んだわけだが、その選択肢は最後まで実行されることはなかった。

 すべてを覚悟した瞬間、クロエの耳に聞き慣れた声が届く。


『見事な忠臣ぶりだな。おまえこそおひいさま一番の忠臣だよ。しかし、こんなところで死ぬ必要はない』

 

 すぐにその声がレオンの物だと察することが出来た。しかし、どこから? まさか、天国?

 湖面を見上げるが、クロエは首を横に振ると湖底を見る。

 彼がいるのならば地獄だと思ったのだ。

 その様子を見てレオンは苦笑いを浮かべる。

『ま、日頃の行いが悪いのは認めるがね。俺はここだよ』

 そう言うと、鉄の鮫の後方、そこにレオンの存在を確認する。彼は全身ずたぼろではあるが、空気の球の中で健在だった。

(レオン様!)

『よお、クロエちゃん』

 気軽に返答すると、彼は言う。

『見たとおりの光景だ。俺はヘマをしてやつに食われ掛けた。しかし、生きてはいる』

 クロエの安堵を見ると彼はにこりと微笑む。

『まあ、無事は無事だが、しばらく戦闘はできない。だから《念話》の魔法で君に指示を飛ばすが、俺の指示に従ってくれるか?』

 天秤の軍師に従わぬものなどどこにようか、クロエは深くうなずく。

『有り難い。さっそくだが、突進してくるあの鉄の鮫、あいつの歯に俺の腕が挟まっているだろう?』

 こくりとうなずく。

『紙一重で避けて、あの義手に攻撃してくれ。そうだな、角度を六〇度ほど反対にしてくれ』

 即座にうなずくが、クロエにはレオンの真意は伝わらない。

 この火急の時になぜそのようなことをとそう問い返したかったが、そのような時間はなかった。

 今はただただ、天秤の軍師様、影の宮廷魔術師の知謀を信じるだけだった。

 腹を括って軍師を信じる。

 そうと決まればあとは楽だった。

 自身目掛け、突進してくる魚の動きを読み紙一重で交わす。 

 鮫の動きはとてつもない速さであったが、単調であった。先ほどの戦闘で行動パターンは読み切ったので、一度くらいならば回避は余裕だった。問題なのは避けつつやつの歯に一撃を加えることだが、それは困難を極めた。闘牛士のようなコツがいるからである。

 しかし、クロエはそれをなんなくこなす。

 こなさざるを得なかったからだ。

 クロエの顔はすでに紫色、酸素欠乏症に近かった。二度目はないと思ったのだ。ならば一回目で決着を着けるしかない。そのような姿勢で挑んだのだが、それが功を奏した。

 やつの突進を交わしたクロエはそのままレオンの義手が挟まっている鮫の歯に攻撃を加える。やつの歯は曲がることはなかったが、レオンの義手は六〇度ほどやつの口内に向かった。

 それを見た瞬間、クロエは、

「これか!」

 と思った。

 遠方からその光景を確認したレオンは、

「そうだよ」

 と、つぶやいた。

 その瞬間、レオンの義手は轟音を上げる。

 火を噴く。

 レオンの義手の手首が開き、そこから大砲が飛び出したのだ。

 そう、レオンは義手を遠隔操作したのだ。

 レオンの義手はドワーフの名工が作り上げた物だ。防水機能も持っていた。短時間であれば水中でも火薬が湿気ることはないのだ。そしてレオンは水中でも、離れた場所からでも《着火》の魔法を使う魔力があった。

 魔術師レオン・フォン・アルマーシュはその力を利用し、離れた場所から義手の大砲を放ったわけである。

 鉄の鮫もまさか自分の歯に挟まっていたものがそのような危険なものだったとは夢にも思っていなかったのだろう。無防備な腹に直接、炸裂弾をお見舞いされた。


 ズドーン!!


 水中ゆえ、音は聞こえないと思ったが、水は空気よりも音を伝える性質がある。クロエの耳は破けそうなほどの轟音を受けるが、なんとか耐えると機械の鮫が破壊される瞬間をその目に刻みつける。

 鋼鉄の化物は爆散する。浮力を失い湖底に沈んでいく。

 クロエはその姿を最後まで観察することはなかった。それよりもこの化け物を倒した英雄の姿をその目に収めたかったのだ。クロエは化物の後方にいるはずのレオンに向かって大きく手を振る。

 彼は空気の球の中で不敵に微笑みながら、親指を突き立てている。

 なにか喋っているようだが、おそらく、

「アイルビーバック」

 と言っているような気がした。

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