機械仕掛けの鮫
彼女たちが用意してくれたのはとびきりのご馳走だった。
まずはシスレイアが注いでくれた紅茶で喉を潤す。
東方のメバと呼ばれる地方で採れた高原紅茶。この品種の紅茶は香りの持続性があり、また温度変化にも強い。旅に持って行くには最適だった。
またシスレイアの注ぎ方も最良のものだった。お湯の温度も最適でティーカップも温められている。およそケチの付ける要素のない注ぎ方である。そんなふうに見つめていたからだろうか、シスレイアは恥ずかしげに目を伏せる。
「恥ずかしがることじゃない。褒めているんだ」
「……先生を褒めてください」
つまり茶の湯の師匠であるクロエを褒めろということだろが、当の本人は超然としていた。
「おひいさまはなんでもできる完璧お姫様なのです」
「違いない」
というと彼女は熱した鉄板にオリーブ油を入れた。
じゅうっと白い煙が立つと、そこに水に漬けておいたパスタを入れる。
「乾燥パスタは水に漬けておけばすぐに火が通るんですよ」
「メイドさんの知恵だな」
「メイドの友の八月号に載っていました」
「職場に戻ったらバックナンバーを探すよ」
そのようにやりとしているとクロエは刻んだニンニクとショウガ、唐辛子などを入れる。
とても良い香りが鼻腔をくすぐる。
「すごいな。料理の名人だ」
「料理は科学です。手順を守れば同じものが作れます」
「手順を知っているのがすごいんだよ。兵法と一緒だ」
「ですね。調理場はメイドの戦場です」
そう宣言すると手際よくフライパンを操る。数分ほど火を加えると、皿の上に盛り付ける。
「さあて、出来上がりましたよ。水戻し乾燥パスタのクロエ風です」
塩とニンニクとショウガ、それに唐辛子だけのシンプルなパスタ。
しかし、その味は絶品だ。
頂きますと同時に口に運ぶと、香ばしい匂いが口の中を支配する。
「やべえな、これは美味い」
上品にパスタを口に運ぶシスレイアも同意する。
「クロエのパスタは絶品なんですよ。お代わりをしてしまうこともあるくらいです」
「ふふふ、今日もそう言われると思ってお代わりを用意しています」
クロエは笑顔でフライパンを開ける。そこにはふたり分のおかわりがあった。どうやら俺の分のお代わりを用意してくれていたようだ。彼女は真っ先に食べ終わった俺の皿の上にパスタを載せる。
「有り難い。しかも食べたい量を量ったかのように乗せるのな」
「ええ、これがクロエのすごいところ。まるで胃を透視しているかのように食べたい量が分かるんです」
俺とシスレイアの視線はメイドさんに集まるが、彼女は笑顔で説明する。
「その日の気温、湿度、それに前当日の運動量などを見て食事の量を決めます。レオン様の精度はまだまだですが、おひいさまの精度は一〇〇パーセントを誇っていますわ」
自信満々に言うクロエ。これもメイドの友のおかげなのだそうな。
「メイドの友、おそるべしだな」
こりゃ、本気でバックナンバーを漁るか、そのような感想を持ちながら、二杯目のパスタを食べ終えた。十分後、遅れてシスレイアも食べ終えると、クロエは洗い物を始める。水源がないので簡易的なものだったが、それでも早めにやっておかないとこびりついてしまうのだそうな。
その姿を後ろから見つめていると、シスレイアがぽつりとつぶやく。
「わたくしのメイドさんは最高のメイドさんです」
「それには同意だ」
「はい。彼女と巡り会えたことがわたくしにとって財産となるでしょう」
「ああ、大切にしな」
「はい。……しかし、心苦しいこともあります」
「心苦しい?」
「はい。クロエを束縛しているのではないか、と思います」
「そんなことはないぞ。幸せそうだ」
「……そう信じていますが、彼女は自由に生きた方が幸せなような気がするのです」
「兄のことを気に掛けているのか?」
「それもありますが、彼女も本来、自由の民。ドオル族はひとつところに留まる性格ではないと聞きます」
「流浪の傭兵部族だからな。根無し草だ」
「自由を何よりも尊いと感じているのでしょう」
「ならば気にする必要はない。クロエは自由だ」
「…………」
「彼女は自分の自由意志で森を出て、自由意志でお姫様と出会って、自由意志でおひめさまに仕えて、自由意志でメイドの技術を磨いて、自由意志で君の〝友達〟 になったんだ」
「……クロエの自由意志」
「そうだよ。兄と一緒に王都を出なかったのもクロエの自由。もしもこの先、この国の有力者すべてを敵に回し、一〇万の大群に囲まれても彼女は君を守るだろう。彼女の自由意志によって。だから気にする必要はない。君が君であり続ける限り、クロエは君の側にいてくれるだろう」
「……レオン様」
愁いに満ちた視線で俺を見上げるシスレイア。そのしっとりと濡れた瞳はとても美しく、吸い込まれそうになる。――いや、吸い込まれてしまった。俺の身体は俺の意志に反して動く、彼女の前に一歩歩みを進め、吐息が掛かるような距離に入ってしまう。
そのまま彼女のあごに自然と手が伸びる。
――以前読んだ恋愛小説の主人公そのままの行動をしてしまう。
俺の頭は勝手に動き出し、彼女の唇を狙おうとするが、それはクロエによって遮られる。
――正確にはクロエがさっき作ったパスタによってだが。
シスレイアが顔を歪めたのだ。彼女は俺の口から発せられるニンニクの匂いに気が付いたようだ。その渋面を見て冷静さを取り戻した俺は、一歩下がると彼女の肩をぱんぱんと叩いた。
「ま、まあ、クロエはずっと側にいてくれる。君とクロエはセットだからだ。応援しているぞ」
無理矢理纏めると、シスレイアは嬉しそうに頷いた。
彼女に心意を悟られなかった俺は、ほっと胸を撫で下ろし、テントに向かおうとするが、いつのまにか洗い物を終えたクロエの視線に気が付く、彼女はじーとこちらを覗き込んでいた。
視線が合うと、彼女は口だけを動かし、なにかを言っているように見えた。
微妙に読心術の心得がある俺は、彼女の唇の動きを読む。
「こ・の・い・く・じ・な・し」
どうやら彼女はそのように俺をなじっているようだ。
当然のことを指摘されただけなので、なにも感じないが、大軍を突撃させるにも女性を口説くにも勝機というものがあることを思い出す。前者のほうは自信があったが、後者は完全に落第点だった。
俺は歯を磨くとそのままテントで眠った。
翌日目覚めると探索を再開する。
隠し扉を抜けると、地下道は末広がりに広くなっていった。
さらに遠くから湿った空気が漂ってくる、というのがクロエの報告だ。
「地底湖でもあるのかな」
というのが俺の推察だったが、それはぴたりと当たる。数時間歩くと大きな地底湖に出くわす。
クロエは嬉々としながら洗い物を始めたので、代わりにシスレイアに相談する。
「まさか、ここまできて湖に出くわすとは思っていなかった。水着は持っているか?」
「持っていません」
真面目に答える。
「しかし、幼き頃は川遊びをするときなどは全裸でした。もしも泳がなければいけないのであれば――」
彼女は服を脱ぎ始めたので慌てて止める。
「大丈夫だ。魔術師なんだからいくらでも方法がある」
と言った。
俺は洗い物をしているクロエに声を掛ける。
「水は真水か?」
「ええ、飲料水にもなりそうです」
「そうか。ならば浮力は期待できないな」
《水上歩行》というアメンボのように水の上を歩ける魔法があるが、真水の上だと負荷が高い。流れもないようだし、ここは《水中呼吸》の魔法のほうが適切だろう。
水中呼吸とは周りに空気の球を作り出し、水中の中でも歩くことが出来るように浮力を奪う魔法であった。これならば空気の球を大きくすればいいだけなので、団体行動も楽勝だった。
「問題なのはこの湖に魔物がいないか、だが」
湖面を見つめるが、邪悪な感じは漂ってこない。波ひとつない穏やかな湖だった。
それについてはクロエが考察をくれる。
「魔物も生物です。湖に魚などがいなければ生きられません」
「だよな。この湖には魚はいなそうだ」
「ということは必然的に魔物もいない、ということですね」
「そういうことだ。まあ、通過しても大丈夫だろう」
「信頼しております」
「ありがとう。ま、もしもいても通過するしかないんだけどな。地上に出なければ飢え死にしてしまう」
「ですね」
昨晩、美味しいパスタを頂いたが、手持ちの食料は永遠ではない。ダンジョンを通るなど想定していなかったから、最低限しか持ってこなかったのだ。
一刻も早く地上に出るべきだった。
というわけでさっそく、空気の球を作り出すと、その中に入るように指示する。
シスレイアはおそるおそる球体に手を触れ、ぬうっと入っていくが、クロエはぴょこんと一気に入る。この辺も性格が如実に反映される。
「すごいです。まるでおとぎ話の世界です」
「幼き頃、読んだ絵本で水の中を散策する女の子がいたのですが、あれにそっくりです」
「これは現実世界さ。まあ、球体の中にいれば普通に息はできるが、酸素は有限だ。過剰に呼吸して消費しないでくれ」
ふたりはこくりとうなずくと息を止める。
「いや、今はたっぷり吸ってくれ。球体に入ってから節約するんだ」
そういうと深呼吸を始める。なかなかに可愛らしい光景だった。
用意が整ったので、三人同時に球体の中に入ると、俺は球体をコントロールする。
「ちなみに結構コントロールは難しいから、道中、なにかあったらサポートを頼む」
了解しました。お姫様とメイドは即答してくれた。
地下迷宮に広がる地底湖、その中に入る。
光源はシスレイアの剣だけだったが、それでも十分だった。
この地底湖の水は透明度が高かったし、地底湖の天井にはヒカリゴケと呼ばれる光を放つ苔が広がっているので、視界に困ることはなかった。
むしろ、地底湖の複雑にして幻想的な地形を楽しめるほどに視界が良好だった。
その光景を見てシスレイアは素直に感嘆の台詞を漏らす。
「まるで天上か涅槃の世界のようです」
「たしかに幻想的で蠱惑的ですね。実は我々はすでに死んでいて、天国の入り口で惑っていると聞かされても信じてしまいそうです」
「まあ、あの世にはいったことがないが、きっとこのような光景が広がっているんだろうな。魔術師としてはそのことを確認したいが、無理だろうな」
「どうしてですか?」
「地獄に落ちるから」
平然と言うとシスレイアは「そんなことはありません」と抗弁する。
「レオン様のような善人が地獄に落ちるなどありえません」
「そんなことはないよ。俺がいったい、何人の人間を殺してきたと思う。俺が落ちないのならばそれこそ世の中、間違っている」
「むう、ではわたくしも地獄にお供します」
「それは駄目だ。君には天国に行ってもらって蜘蛛の糸で引き上げて貰う予定なのだから」
そのように冗談を飛ばすとシスレイアはくすくすと笑ってくれた。
それが溜まらなく心地よかった。
ただ、その心地よさも永遠には続かない。
地底湖の前方になにか気配を感じたのだ。
最初に反応したのはクロエだった。俺たちを微笑ましく見ていた彼女の目が鋭くなる。
「宮廷魔術師様の含蓄によるとこの地底湖に生物はいないと聞き及びました」
「それは間違っていないだろう。現に魚の子一匹いない」
周囲を確認するが、魚影は確認できない。おそらく、魚の餌となるプランクトンが住めない水質なのだろう。
「となると前方の影は魔物ではないのでしょうか?」
「生物ではないイコール魔物ではないはずだが――」
「だが――?」
「普段は陸上で生活していて、この地底湖には水浴びに来ているだけかも知れない」
「なるほど」
「あるいは別の湖に繋がっていて、そっちで餌を摂っている可能性もある」
「さすがはレオン様、博学です」
シスレイアは賞賛をくれるが、ふたつの考察は見事なハズレだった。
湖底からものすごい勢いで突進してきた黒い物体の正体は生き物ではなかったのだ。
それはたしかに魚の形をしていた。巨大な鮫を思わせるような流線型の魚類、しかし、やつに鱗はない。肉もなければ骨もなかった。
あるのは鉄の骨格だけだ。
そう、この湖底の主は〝古代魔法文明〟の機械だったのだ。
「あ、あれは……」
息を呑むシスレイア。
「機械の魚――、摩訶不思議な」
これはクロエの感想であるが、その感想は正しい。
「魔術学院じゃ、古代魔法文明のことをこれでもかと頭に叩き込まれるし、魔法文明の遺物も触らされるが、このように見事な〝守護者〟を見たのは初めてだ」
教授連中もここまで見事な機械人形は見たことないんじゃないか、と続ける。
「この地下道の設計者さんは意地悪です。一見、魔法を使っていない人力だけの迷宮に見せかけて不意にこんな仕掛けを用意しておくなんて」
「それには同意だが、まあ、抗議したところで設計者のドワーフは墓の下さ」
「そうですね、我々にできるのはあの化け物の対処だけです」
「そういうこと。しかし、さっきも言ったが、俺はこの泡玉をコントロールするだけで手一杯だ」
「ならばここは私が」
とメイド服を捲し上げる。それを必死で止めるはシスレイア。
「クロエは泳げないではないですか」
「……」
精神的に数歩よろめいてしまう。猛々しい割には役に立たない娘である。
「おひいさま、違います。私は泳げないわけではないのです。ただ、水に入ったことがないだけ。ドオル族は泳ぐ習慣がありませんから」
「…………」
一瞬、ばっちいなと思ってしまったのがバレたのだろう。クロエは笑顔で睨みつけてくる。
「泳ぐ習慣がないだけで、お風呂には入ります。村には公共浴場もありますから」
「それはよかった。ぶっつけ本番で泳げるか?」
というと俺は泡玉を右にやる。すると先ほどまで俺たちがいた場所に機械の鮫が通る。鮫は巨体を湖底にぶつけるが、ダメージらしいダメージはなかった。
「泳げます。泳いでみせます」
「ならば次の攻撃を回避した瞬間、泡を解除する。いきなり水中に放り出されるが混乱するなよ」
「分かっています」
「なんとか、あの岸にたどり着け。どんな無様な泳ぎでもいいから」
「一命に代えてもおひいさまを守って見せます」
笑顔の誓いはなによりも頼もしい。
「では目一杯肺に空気を送り込んでおけ。五秒後に解除する」
そう言い放つと機械の鮫が突進してくる。それを紙一重で避けると泡を解除する。水中に放り出される三人。
シスレイアは思いの外、水泳が得意なようだ。おそらく子供の頃に川で泳いでいたタイプなのだろう。スイスイと進む。
一方、クロエはガボガボと大量に泡を吐き出している。やはりドオル族と水の相性は悪そうだ。ただ、それでも必死にもがき前に進んでいるのは大したものだった。おそらく、生まれ持った筋力のみで推進力を生み出しているのだろう。効率が悪い泳ぎ方だが、贅沢は言っていられない。なぜならば機械の鮫がものすごい勢いで彼女たちを捕食しようとしていたからだ。
それを遠目から見ていた俺は(やれやれ)と心で呟くと魔法の詠唱を始めた。
氷河を生み出した、
凍てつくもの母よ、
我に氷の槍を与えよ。
《氷槍》と呼ばれる氷系の魔法を唱える。水棲にして機械系のモンスターには雷魔法が定番であったが、今は無理だ。なぜならばあの鮫のすぐ側に姫様たちがいるからだ。
となると一番相性のいい魔法は氷の槍と相場が決まっていた。
俺は槍を構えると猟師のようなフォームで氷の槍を投げつけた。
半透明に近い蒼い槍は真っ直ぐに飛んでいく。
氷の槍はやつの泳ぐ速度を超えていたので容易にやつを捕捉すると突き刺さる。
機械の鮫は悲鳴を上げないが、それでものたうち回る。
??機械にも痛覚はあるのだろうか。
不思議な感想を持ったが、敵意はあるようで、やつはこちらを睨みつけてくる。
憎悪がこちらに変わったようだ。俺を喰らおうと牙を研ぎ澄ましている。
(それでいい。姫様たちが岸につけばあとはどうにでもなる)
そのように不敵な感想を抱くと、水中で闘牛ならぬ闘鮫に興じることにした。