幼き日の思い出
珍しく上司の好感値を上げた翌日、俺は姫様に宮殿に連れてってくれないかと願った。
彼女は目を丸くしながら問うてくる。
「宮殿――ですか?」
「うむ」
「エルニア王国の宮殿ですよね」
「アストリア王国の宮殿に乗り込むのは姫様が大元帥に出世してからだな」
「エルニアの宮殿でしたらご案内できますが、なに用でしょうか?」
「君の弟と会っておきたくてね。人となりを知っておきたい」
「レインハルトと面会したいのですね」
「ああ」
「ならばそれは無理です」
きっぱりと言うシスレイア。迷いがない。
「弟を政争に巻き込みたくないという気持ちは分かる。しかし、もしもマキシスが王位を継げば粛正されるのは必定だぞ」
「分かっております。だからわたくしは弟を命懸けで守ります」
「ならばなぜ、会わせてくれないんだ。俺が信用ならないか?」
「まさか。レオン様のことは誰よりも信頼しています。弟に会わせられない事情があるのです」
「第一に弟は宮殿には住んでいません。王都の郊外の別荘に住んでいます」
「なるほど、物理的に住んでいなければ会うこともできないな。ちなみに宮殿に住んでいないのは理由があるのか? 国王やマキシスと折り合いが悪いとか」
「兄上と折り合いがいい兄弟などおりません」
「違いない」
苦笑を漏らす。
「宮殿には国王陛下と兄上が住んでいますが、他の兄弟はそれぞれに屋敷や館を下賜してもらっています」
「君の弟もその例にならっただけか」
「はい。ただ、それには理由があります」
「拝聴しようか」
「弟は生まれながらに病弱なのです。先日も兄主催の晩餐会で倒れてしまった。そのまま王都郊外の別荘で療養しているのです」
「なるほどな、しかし、兄主催の晩餐会の後ってのが引っかかるな。いや、出来すぎかな」
「……兄上が毒を盛ったという噂もあります」
「動機は十分だからな」
「はい。というわけで今、弟は面会謝絶中です。何人も会えないと王妃が言っていました」
「王妃か。例の君を虐めていた?」
「いえ、彼女ではありません。弟を産んだ貴婦人、第三夫人となります」
「そっちからも嫌われているのか?」
「大切にされていたと思います」
「〝されていた〟ということは、今は違うってことだな」
「例の事件以降、あからさまに避けられております。マキシスの関与を疑っているようですが、わたくしも共謀している、と側近にそそのかされたようです」
「事実無根だな。しかし、第三夫人の中では真実なのだろうな」
「はい。ひとり息子の命が掛かっているのです。疑心暗鬼にもなりましょう」
「動機的にも十分考えられるからな、客観的に見れば。レインハルトが死ねば君の王位継承権は二位になる」
「…………」
話題にするのも厭なのだろう。シスレイアは口をつぐむ。
「君と弟の関係は大体分かった。しかしその上で俺は君の弟、さらに第三夫人に会わなければならない」
「なにか企んでいるのですか?」
「まあな、そのうち纏めて話すよ」
「……わたくしはレオン様を信じております。そのレオン様が弟に会いたいというのならば最大限便宜を計りましょう」
「有り難いことだが、話を聞いている限り、正攻法では駄目そうだ。ここは裏からこっそり会うことにしようと思う」
「さすがは〝影の宮廷魔術師様〟」
シスレイアはそう評すと身支度を始める。付いてくる気満々のようだ。
まあ、今回の面談にはシスレイアが必要なのでありがたいが。
シスレイアが衣服を着替えようとしたとき、俺の両目を塞ぐメイドのクロエ。
「ここからは殿方は立ち入り禁止です」
と言い放つ。
「分かってるよ。這いつくばって出ていこうか?」
「変態ぽいので普通でお願いします」
「分かった。じゃあ、俺も着替えに戻るから、いつもの時計台の前に馬車を着けてくれ」
「それは構いませんが、レオン様はその服しか持っていないじゃありませんか」
「失敬な。同じデザインの服を何着も持っているだけだ」
「なんという手抜き。ファッションに掛ける情熱ゼロですね」
「メイド服しか持っていないおまえに言われたくない」
そう返すと自宅に戻り、同じデザインの中でも一番〝上等〟なものに袖を通す。
そのまま読みかけの小説に手を伸ばすと、やってきた馬車に乗った。
王族が乗るものにしては質素だが、王族専用の紋章が括り付けられている。無個性な馬車であるが、それだけが黄金色の色彩を放っていた。
馬車に揺られること数時間、王都の郊外に到着する。
あの大都会の王都から、ものの数時間でこのような風光明媚な場所にたどり着くのは不思議でしょうがなかった。そのような感想を漏らすとシスレイアが説明をしてくれる。
「ここは古代から存在するエルニアの景勝地なのです。エルニアの初代国王が王都の建設候補を選定したとき、この地に近かったことが建設理由のひとつになったと聞いております」
「初代国王は雅なんだな」
「はい。以来、王族や大貴族が別荘を建てております。そのうちのひとつを弟が譲り受けたのです」
「なるほどな」
「この地は山水明媚な地です。自然豊か。空気も善いですし、病人の療養には最適です」
「国王もここにくればいいのにな」
「王は宮殿を離れられません。それに――」
手遅れです、とは言えないシスレイア。彼女の顔がわずかに沈んだので、本題に戻る。
「王族の別荘ともなれば警護が厳重だろうな」
「はい。普段から蟻の子一匹は入れない警備体制だと聞いています」
「その上、暗殺を警戒しているヒステリックな母親もいる、と。ならば真っ正面からいったら、追い返されるだけか」
その結論にシスレイアは同意する。彼女のメイドも。
「ではレオン様、どうされますか? 正面突破も武力的には可能ですか?」
懐から懐中時計を取り出すクロエ。
やる気満々であるが、ここで武力突破は悪手だろう。
「やってやれないことはないが、俺がしたいのは穏やかな面談だ。気が立った母犬をなだめ、紅茶を飲みながら弟の将来を真剣に考えたい」
「ならばこっそり作戦ですね」
「そっちで行くつもりだ。しかし、そのためにも情報を集めないとな」
別荘の所在地と間取りを記した地図を広げる。
「立派な別荘だな。ていうか、城並の規模だ」
「有事の際は城としても機能するように作られています」
「さすがは王族だ。しかし、城というのは言い得て妙な形容だな」
「自画自賛ですか」
呆れるクロエ。
「まあ、そういうな。城ってことはつまり抜け道があるってことだ。古来より抜け道のない城などない」
「なるほど、たしかにそうかもしれませんね。しかし、問題はどうやって抜け道を見つけるかです。この別荘を建築したドワーフを探しますか」
「この別荘は築三〇〇年を超えているよ。ドワーフといえども生きてはいまい」
「では手当たり次第に穴でも掘りますか? 運良く抜け道が見つかるかも」
「それも悪くないが、もっと合理的な方法を使う」
「と言いますと?」
「姫様の記憶に頼る」
「……安直な」
「安直ではあるが、確実だ。俺は君がこの別荘の湖畔で弟と撮った写真を見た。昔、ここに滞在していたのだろう」
「はい。さすがはレオン様ですね、わたくしの館には何百枚も写真があるのに、よくあの一枚に気が付かれました」
「目ざといだけだよ。――あの写真に写っていた君とその弟は元気いっぱいだった。あの元気さならば別荘の探索ごっこでもやっていたんじゃないかな、ってね」
「さすがはレオン様です。正解です。実は幼いレインハルトにせがまれて、地下道を探索しておりました。あの当時は別荘を抜け出すくらいの元気があったのです」
「やっぱりな。で、秘密の抜け道はどこに?」
「この先の森の中です。大岩の下に秘密の階段があります」
「ビンゴだな」
クロエとふたり、微笑むが、シスレイアは眉をひそめる。
「……しかし、抜け道は途中までしか知りません。当時からレインハルトは病弱でしたので小一時間で戻ってきたのです」
「つまり、出口は知らないってことですね」
肩を落とすクロエ。シスレイアもそれにならうが、俺は余裕綽々の笑みを崩さない。
「なあに、外側の入り口が分かっていれば十分だよ」
「出口のほうが大切なのでは? 衛兵のど真ん中に出てしまえば我々は喜劇役者になってしまいます」
クロエの言葉であるが、その通りだ。しかし、俺の頭の中には数万冊の蔵書群がある。その中でも建築関連の書物が役に立つ。つまり、俺は建築の知識にも造詣が深いのだ。
「エリートの集まる魔術学院出身だが、実は建築科にも興味があってね、そっちにも願書を提出していた」
「まあ」
と驚くシスレイア。
「意外な過去ですね。まかり間違えば宮廷建築師 兼 軍師様になっていたということですね」
「その通り。ま、俺の有り余る才能は魔術や軍学に向けられたわけだが、好奇心旺盛でね。建築科の授業にももぐりで参加していた」
「勉強熱心な学生さんだったんですね」
「ああ、〝当時〟から熱心だったんだよ」
と返すとクロエはくすくすと笑う。〝現在〟の勤務態度からは想像も付かない、と言いたいようだが軽く無視をすると当時学んだことを披瀝する。
「建築物の見た目は千差万別だが、内部構造は皆、似たようものなんだ」
「たしかにどの建物も内部は代わり映えしません」
「だろう。理由は単純で、人間、天井にドアを付けてもくぐれないからな」
「なるほど」
真面目な表情で頷くシスレイア。――冗談を真に受けているようだ。純真な娘である。可哀想なので本当のこと言う。
「――こほん、まあ、もうひとつの理由が本命なんだが、建築物の内部が似ているのは、構造上の問題だ。建築物は物理学を利用して建てられている。柱の位置や壁の位置を計算して建てられているんだ。そうしないと強度を保てず、崩壊する」
「柱が邪魔だからと切り取ることは出来ないと言うことですね」
「そういうことだ。つまり、先ほど見せて貰った間取りから、出口の場所はおおよそ推察できる」
そう宣言すると地図と間取り図を睨めっこする。
ふたりの少女の視線が俺に集まるが、気にせず別荘横にある炭焼き小屋に見当を付ける。指をさしながら。
「ここだな、おそらくは」
と言い切った。
「この粗末な炭焼き小屋ですか? 王族が逃げ出す場所とは思えません」
クロエの指摘に答える。
「だからだよ。まさか王族がこんなところから逃げ出すとはおもえない場所に脱出路を作っておくんだ。心理的なトリックだな」
「なるほど」
「森からの通路を計算するとここが一番効率的だ。ここ以外有り得ない」
そう主張するとシスレイアも同意してくれる。
「たしかにここには幼き頃から入るな、と厳命されていました。王族が立ち寄るような場所ではない、と躾けられていたのです。しかし、使用人たちも近づけないように施錠されていました。当時から妙だと思っていたのです」
「確定だな。じゃあ、あとは大岩を見つけるだけだが」
「それについてはわたくしにお任せください。夏になるたびにこの辺の庭として駆け回っていました」
「シスレイアみたいなお姫様がねえ」
「わたくしはこう見えて男の子のように元気いっぱいだったんですよ」
ふふふ、と笑みを漏らす。
本当かな、と疑っているとクロエが教えてくれる。
「シスレイア様は虫が好きでカブトムシを捕まえていたのです。ドオル族はカブトムシをフライにするのですが、シスレイア様がくれたカブトムシを揚げてしまったら、泣かれてしまいました……」
その逸話を聞いてなんとも言えない顔になる俺。色々な誤解が重なったのだろう、と同情をしたが、その逸話を掘り下げるよりも今は大岩なるものを探しに行くべきだろうと思った。
俺たちはシスレイアの案内のもと、森の中へ入っていった。
途中、大きなクヌギの木にカブトムシが数匹いた。
シスレイアは目を輝かせていたが、昆虫採集はお預け。今は大岩を探すほうが先決であった。