宮廷魔術師、戦地に送られる
俺の名はレオン。レオン・フォン・アルマーシュ。
エルニア王国に仕えるしがない宮廷魔術師だが、父親の代まではこの大陸の半分を支配する帝国の有力貴族だった。
しかしそれも今は昔の話、現在は地方の王国の宮廷魔術師 兼 宮廷図書館の司書をしている。
それを凋落、零落と嘆くものもいるが、本人はまったく気にしていない。
そもそも俺は今の立場に満足をしていた。
ただ宮廷図書館で本の整理をしているだけで支払われる給料。
なにも成果を残さずとも貰える賞与。
福利厚生もしっかりしており、数十年勤め上げれば年金も貰える。
もしもこれが民間会社だったらそうはいかない。
冒険者ギルドならば毎日、ダンジョンに潜ってお宝を集めなければいけないし、商会ならば商品を売って利益を上げなければいけない。
このように本の整理をする振りをして、趣味の歴史書や小説を読んでいるだけでお金をくれる商売は他にない。
つまり、俺が今勤めている職場は最高ということだ。天国ということだ。
そう信じて疑っていなかったが、その平穏は、唐突に終わりを告げる。
ある日、上司に呼び出されたのだ。
「レオン、君に辞令が下りた。王国陸軍の文官として戦地に行ってもらう」
その言葉を聞いた瞬間、めまいがした。俺はなにか悪いことでもしたのだろうか?
と問うと上司は言う。
「なにもしていない。というか、君はまったく仕事をしていないな。司書としてもだ」
お褒めにあずかり恐縮です、と、さすがに心の中で言うと上司は詳細を伝えてくる。
「これは形だけのことだ。従軍魔術師に不足があってな。急遽、間に合わせで文官を派遣することになった」
「なるほど、それで俺に白羽の矢が」
「文官も忙しくてね。そうなると必然的に暇なやつが選ばれる」
「日頃の行いの成果ですな」
他人事のように言うと、命令を受諾する旨を伝えた。
「ほう、意外だな。拒否されるかと思った」
「一仕事終えれば元の仕事に戻してくれるんでしょう?」
「無論だ。本来、従軍魔術師は左遷職ではない。今回は本当に一時的な処置だ」
暇だから選ばれた、というのは本当のようだ。本来ならば文官職の中でもやる気のある人物が選ばれるはずだったのだが、今は決算報告書作成の時期、どこの部署も目が回るような忙しさだった。
暇なのは宮廷図書館で給料泥棒をしている俺くらいなのだろう、と自分を納得させると、戦地に旅立つ。
図書館に住み着いた猫に別れを告げる。
「ま、給料分の働きはしてくるよ」
猫は「にゃあ」と興味なさげに返答してくれた。
エルニア王国は大陸の西方にある。
いわゆる諸王同盟のひとつだ。
諸王同盟とは西方にある王国連合のことを指す。
この大陸は西を諸王同盟が支配し、東をアストリア帝国が支配する二頭体制なのだ。
大陸にふたつもの巨大勢力があるということは、常日頃から戦争をしているということでもある。
両勢力の国境線では小競り合いが繰り広げられている。
今回も国境線上の砦に配属され、そこから前線の様子を報告するのが俺の任務だった。
どの部隊が活躍したのか、誰が一番に活躍したのか、戦目付として上司に報告するのが役目であった。
大事な役目ではあるが、心躍る任務ではない。こういうのは従軍魔術師の中でも使えないやつがやるというのが相場になっていた。
なぜならば戦働きを評価するというのは恨まれる仕事だからだ。
一所懸命働いたのに活躍が認められないもの、逆に自意識過剰で自己評価が高いやつからも恨まれる。
というわけで戦目付は不人気職なのだ。
「俺が任されるのも道理だな」
と愚痴を漏らすが、嘆くようなことなく、自分の責務を果たす。
本を読みながら片手で報告書を書く。その態度はどうか? と同僚に注意を受けたが、今さら真面目にやったところで賞与が上がることはない、と返す。
同僚を呆れさせていると、報告が入る。
俺の運命を変えることになる報告だ。
砦で事務作業に明け暮れていると伝令が飛び込んできた。
「第8歩兵部隊が敵に包囲されているらしい」
第8歩兵部隊とはこの砦を守る師団の歩兵部隊のひとつだ。
「歩兵部隊が包囲されるなど、よくあることではないか」
幹部のひとりは豪胆に言い放つが、すぐに言葉を呑む。伝令の報告には続きがあったのだ。
「第8歩兵部隊は現在、我が師団の団長を保護しているとのこと」
「つまりそれは姫様が包囲されているということか!?」
「その通りです」
その言葉を聞いた一同は青くなる。
ただし、表情の意味はそれぞれ違う。姫様を敬愛する連中は彼女の身を案じていた。残りの連中は姫様の戦死が自分の経歴に傷を付けると思っているようだ。
この旅団の長、シスレイア王女は慈悲深い性格で、部下に慕われる人格者であったが、この砦のものすべてが彼女の部下のわけではない。ほとんどがエルニアの王都から派遣された与力のようなものであった。
となると彼女を命懸けで救うか、意見も割れる。
「第8歩兵部隊は今、敵軍に包囲されつつあります。その数は300ほど」
「300……」
一同は息を呑む。
第8歩兵部隊の数は30。直近の激戦でさらに数を減らしているに違いない。
この砦に残された兵力は150。砦を空にして敵の側面を突けば倒せない数ではないが、そのようなことをすれば砦が陥落することは間違いなかった。
そうなれば王都から派遣された与力は反対する。
「国王陛下からはこの砦を死守しろとの命令が出ている」
「王女とて武人、砦を失陥させてまで己の命を惜しむことはないのではないか?」
となる。
王女の配下も苦渋の表情をしている。おそらくは王女自身、高潔な性格をしているのだろう。我が身を助けるために砦を離れろとは絶対に言わないタイプだと思える。
――俺もその性格を知っていた。
王女とは何度か、図書館で会ったことがあるのだ。
そのときの印象は清楚で可憐な少女だった。とても線の細い少女で、軍人には見えなかった。
彼女は毎日のように本を借りに来ると、いつもにこやかな表情を俺に見せてくれた。
無論、俺に惚れているとか、そういうことでなく、誰にたいしても同じような表情をするのだろう。それは風聞で知っていた。
誰に対しても慈愛を以って接する心優しき王女。俺とてうぶなガキではないのだから、それで惚れるようなことはなかったが、それでも嬉しいことがひとつあった。
彼女は本を返すたびに、「お疲れ様です」と俺に飴玉をくれた。
彼女は読んだ本に自作のしおりを挟み、メッセージを添えた。
「この本がひとりでも多くの人を幸せにしますように――」
そのメッセージを見るたびに、やさぐれた俺の心が少しだけほぐれるような気がしていたのはたしかだ。
だから俺は迷うことなく言った。
姫を救出すべきか、議論を重ねている連中に言い放つ。
「俺に100の兵士を貸してくれ。そうすれば姫様を救出し、300の兵も駆逐してみせる」
その言葉を聞いた幹部連中は、きょとんとした顔をしていた。
どうやら俺の言葉は大言壮語に聞こえたようだ。