父をおくる(覚書)
三月末日、父が亡くなった。
いつものように昼食を済ませ、自室で休み、母が夕方夕食の相談をしに父の部屋へ行くともう返事はなかった。
日常生活は自立していたけれど、長く患っていた。「いつ何が起こっても不思議ではない」と医者からも言われていた。だから、私たち家族は覚悟というものをそれなりにしていたつもりだった。つもりだったけれど、そんなもの、あってなかったようなものだと思い知った。
父の急変に気づいた母は私にすぐ連絡をくれた。幸い近くにいたのですぐ実家に急行すると、固定電話の受話器は外され救急隊に繋がったままで、母は父の部屋で心臓マッサージをしていた。私は気が動転している母に代わり、救急隊員の指示で携帯電話からかけ直し、スピーカーホンにして心臓マッサージを救急隊が到着するまでひたすらやり続けた。父の姿を見て、頭の中の冷静な部分では、父は息を吹き返すことはないだろうと分かっていた。分かっていた気持ちごと、私は両腕で父の胸を押し続けた。
結局、母が発見した頃、父は既に息を引き取っていたと搬送先の医者に告げられた。
正式に遺体となった父と対面し、痩せた肩に触れ、腕を撫でた。何か言いたかった気がした。でも結局、何も言えなかった。
母も私も回らない頭で、駆けつけた親族の助言を借り、すぐに葬儀の手配に取り掛かった。自宅死亡ということで、遺体は警察署預かりになり事情聴取を受け、私達は父のいない家に帰った。
その夜、体はとても疲れていたのに、ちっとも眠れなかった。泣くのは嫌いだ。でも泣いた。勝手に涙が出てくるから泣いた。
翌朝警察署へ父を迎えに行き、それから生前父が口酸っぱく母に言い聞かせた通り、小ぢんまりとした葬儀を執り行うための準備を行った。
通夜には親族と、患う前に長らくお世話になった職場の方が駆けつけてくれた。
私は子どもの頃、よく父の職場に押し掛けていたので、見知った顔ばかりだった。私の知る父と職場の父は大体一致していて、父のエピソードは笑い話ばかりで、皆で父のことを思い出し笑った。
ありがたかった。寝かされた父の冷たい体を前に、語りかけてくれる人がいて、父の思い出を共有してくれる人がいて、心底ありがたいと思った。
その後、火葬場でカラカラの骨になった父は、乾いてひび割れた欠片になった。骨壺の深い藍色は沖のような色だった。父は、沖より遠いところに行ってしまったんだな、と、私は不意に思った。それから父の骨を拾って壺に沈めた。
母は通夜と葬儀の間、疲れた表情を滲ませながら、ずっとふわふわと意識が漂っているように見えた。まだ信じられない、と口癖のように呟いていた。だから最後の挨拶で声を震わせ、母が泣いていた時、私は少しほっとした。泣いて欲しかったわけじゃない。ぼうっと魂が抜けたような母のままだと、母までどこかに行ってしまいそうで怖かったのだ。
初七日を終えた後、疲労困憊のまま私は泥のような眠りについた。夢もみなかった。ただ深く深く眠った。起きたら、父はいない。これからはずっと。
父の部屋のドアを見ると、今にも父がそこから現れそうだ。ドアを開ければ、パソコン前の大きな椅子に座って、こちらを振り向いた姿をありありと想像できる。
日常の中から父は突然消えた。不思議だ。不思議でならない。ぷつりと消えた、昨日まで居た人が。
私と母は朝と夜を交互に迎え、また日常を送り続ける。父のことを思い出すと胸の奥がつかえる。グッと何かを堪えるような。それが何なのか分からないけれど、私は父がいないことが寂しい。たぶん父が思っていたよりもずっと、寂しい。
父はここにいない。どこにいるかなんて、分からない。でもここにはいない。
父の部屋では、まだ元気だった頃の父の遺影が微笑んでいる。主のいない、お線香の匂いがしっかり染み付いた部屋。きっと父が生きていたら嫌がるだろう。文句のひとつでもつけに戻ってきてほしい。でも、出来ないから、私が父のつきそうな悪態を思い出す。いくらでも。何度でも。
橙色に灯るお線香がじりじりと短くなり灰になる。母と私は何度もそれに明かりを灯す。
あの時、何かを言いたかった。でもやっぱり今でも、何を言いたかったのか分からない。
だから、今は、父ちゃん、元気で。