3.厨二病
「瀕死奴隷の一匹や二匹、適当な近場に捨てて作業に手を回したのが効率は上がると思うんだがお前はどう思う?」
「バカ言うな。死体がアンデッド化なんてした日にゃ、労働力も商品もお釈迦にされちまうだろ。そうなったら目もあてらんねぇ」
昼下がりの鉱山麓。
そこには、なれた足取りで山道を踏み歩く二人の男がいた。
この二人は、鉱山ででた死体の処理を任されている下働きだ。
と言っても、元は傭兵として悠々自適な生活を送るだけの腕はある。
悪事に手を染めなければ、俺の隣にはむさい男ではなく女がいたはずなんだ。
なのに、俺は死体を入れるための麻袋を担いでいる。
まったく、人生ろくなことが無いぜ。
「でもよぉ」
「でもじゃねぇ。それに死んだ奴が化けて出てきでもしたら真っ先に狙われるのは俺達だ。それで、命を落としでもしたらたまったもんじゃねぇ」
「……誰でもやりたがる仕事じゃねぇもんなこれ」
「そういうこった。無駄なことを考える暇があるなら、何も考えずに脳を休ませたのが有意義だってんだ」
「今度からはそうするよ。ところでよぉ、今日の死体は女らしいぜ」
「ァァ、やめとけやめとけ。まだ餓鬼だし、レミースの野郎に顔面をぐちゃぐちゃになるまで蹴られたらしいからな。見るに絶えないぞ」
「あのレミースがか?人の本性は長い付き合いでも分かりゃしねぇな」
「違ぇねえが、相手が獣人だってのも関係あるだろうな。あいつの場合」
「そう言えばあいつの兄貴、獣人の村ぁ制圧する時に犠牲になったんだっけか。可哀想になぁ」
「だな。獣人を懲らしめたんだ、きっと天国でレミースのことを見守ってるだろうさ。………柄にもねぇこと言うもんじゃねぇな。背中がむず痒くて仕方ねぇ」
「こんなご時世だ。人の幸せを願うのは当然だろ」
男の一人がにへらと、人好きのする笑顔を見せる。
もう一人も呼応して苦笑いをちらつかせた。
しかし表情とは裏腹に、男の手は腰に吊した得物へと静かにそえられている。
男の得意武器である、荒々しくも研ぎ澄まされた軽量型のシミターだ。
索敵範囲に何者かが引っかかった。
「お前も似合わねぇこと言ってないで武器構えろよ」
「おっと、すまねぇ。敵の数は?」
すかさずもう一方も片手剣に手をかける。
「ゴブリンが一匹だ」
「なら油断しない限り大丈夫だな」
大人二人対一匹の小さい魔物。
勝敗は既に決しているように思えるが、この世界にそれで気を抜くものはいない。
なぜならこの世界には魔法があるからだ。
敵が絶命するその時まで、手を抜かず使えるかもわからない魔法を警戒する。
それが、この世界で戦闘職に就く者にとっての基本であり、長く生きるためのこつだ。
警戒を怠るものは自殺志願者か、あるいは、余程の馬鹿だけだ。
しかし、ここには超ド級の馬鹿がいた。
「油断しなきゃ、な」
男は含みのある言い方をしながら、空いた手で尻を指さした。
「っんだよ」
その行為に、片手剣使いは眉根を寄せて不機嫌になる。
実はこの男、先日も同じような事を言って尻に怪我を負ったのだ。
しかも、戦闘とは全く関係の無い場面で。
「そう怒んなよ、軽い冗談だろ」
「だとしたら、お前の冗談はドラゴンの糞だな」
ドラゴンの糞を踏む、それはこの世界の慣用句。
ドラゴンの糞があるのだからまだ近くにいるのかもしれないという絶望感とかけている。
意味は、冗談にもならないだ。
「そこまで言うかよ。まったく」
軽く肩を竦めて流そうとしているが、顔に傷ついたと書いてある。
それを知ってか知らずか片手剣使いは目線を逸らした。
「そろそろお出ましだ。後で奢ってやるからヘマだけはすんなよ」
「はなっからしねぇよ!」
片手剣使いが青筋を立てながらシミター使いを睨んだ、丁度その時に茂みから一匹のゴブリンが現れた。
下半身には粗末な腰巻をしていて、弱肉強食の森には不釣り合いな丸腰状態だ。
気になる点といえば、大事そうに握りしめている緑色の石だな。
魔石……ではないな。
色が違いすぎる。
魔石とは、魔物にとっての心臓に当たる器官のことである。
その色は弱い魔物の物は紫。強くなるにつれて少しずつ黒が混じった色になる物。
つまり、あの石は魔石じゃねぇのか?
宝石の類でもねぇ。
だとしたら妖精族に伝わる秘宝だろうか。
そんな話聞いたこともねぇが、森の蛮族達が好きそうな代物じゃねぇか。
可能性がなくはなさそうだ。
妖精族の村長は裏で手を結んでるらしいし、これを交渉材料にしたいって野郎もそれなりにいるだろう。
このことを鉱山主に報告すれば匿名で金を受け取ることが出来そうだ。
値は多少下がるだろうが、前科がある分用心しなければならない。
これは必要な出費だ。
シミター使いの顔はゴブリン以上に醜悪な形に歪んでおり、人がして良い表情ではなかった。
「こりゃ追加報酬が楽しみだぜ」
◇
人に出くわしてしまった。
ペットのゴブリンが。
相手は大人の男二人組。
どちらも臨戦態勢で、丸腰のゴブリンが叶う敵じゃない。
さてどうする。
ここでゴブリンを殺されると俺はまた森に転がるか、万が一、魔物の一種だった場合、殺されかねない。
念話で交渉してみるのも手だが、果たして応対してくれるだろうか。
相手を自分に置き換えてみよう……。
茂みから躍り出てきた半裸の化け物が、口も動かしていないのに会話している。
見た目は下劣で所作も下品。
会話はしているが、攻撃もしてくる。
……。
駄目だな。
俺だったら確実に殺りにかかる。
実際に直面したら、恐怖で半狂乱になってでも、襲いかかっただろう。
何たって、相手は卑劣で外道なゴブリンなのだ。
どんなに対話を望まれても、背中を向けることは出来ないさ。
臨戦態勢をとっても無理はない。
でも、殺される訳には行かないんだよな。
短い間だが、こいつは俺に世界を教えてくれた(歩いただけ)。
見捨てるなんてとても出来ねぇ!
その時、男達が話している声が聞こえた。
目線をこちらに固定したまま、何やら下卑た顔をしている。
「おい見ろよ、あいつが握ってるブツ」
「あぁ、こりゃ大手柄だ。何としてでも持ち帰る必要がある」
男達の悪そうな笑を見た瞬間、俺はハッとした。
『やっちゃってくださいおじさま方!』
「うぉ!?何だこの声!」
「俺が知るかよ!!」
だいたい、鼻くそついた手はもううんざりなんだよ!緑色の体液垂れてくるしもう耐えられない!
ここぞとばかりに罵詈雑言を捲し立てる俺。
それも無理からぬこと。
現代日本で暮らしてきた以上、皮膚にウジが湧いている光景などまともに暮らしていればけして見ることはない。
なのに、この世界に来た途端不衛生な生き物に鷲掴みにされたのだ。
気が動転して思考を放棄しなかったことを褒めてもらいたい。
しかし、この場には誰も俺を褒めてくれる者はいない。
既に片手剣使いなんて、こちらを見てすらいなかった。
何を気にしているのか、ずっと担いでいた麻袋に意識が行っている。
「まさか、この娘が化けてでたんじゃ……」
娘?
まだ人がいたのか。
人数は事前に知らせてくれないと。
サプライズプレゼントの用意が一つしかないぞ。
ちなみに、この場においてのサプライズプレゼントは半裸のゴブリンである。
「馬鹿なこと言うんじゃねぇ!こいつはもう死んで……」
(お゛がァザん………い゛だぁィ゛……よ゛ぉ)
「「ひぃ!?」」
抱え込んでいた麻袋を、青い顔をして取り落とした片手剣使い。
シミター使いは音に驚いて大きく肩を跳ねさせている。
ゴブリンはそんな二人を見て、隙ととらえたのか、嬉嬉としてとびだした。
しかし、慌てふためいている二人の声も、雑音でしかなかったゴブリンの雄叫びも、今の俺の耳には届かない。
俺が耳を傾けているのは、今も誰かを探して、袋の口から手を伸ばす、一人の女の子の声だった。
(ぃ……だィ)
発声が上手くいってないようで、聞きなれない奇異な声になってしまっている。
幽霊だと言われても信じてしまいそうだ。
だが、中空を彷徨う小さな手を、俺は目撃してしまった。
それを見て、どうしようもなく、掴んでやりたいと思ってしまった。
痣だらけで、指の関節があらぬ方声を向いているが、弱々しくも、必死に生きようとしている。
その姿に庇護欲を掻き立てられたのか、愛おしいものに思えてしょうがないのだ。
あの子を助けなきゃ。
本能が囁いている。
一秒でも早く、あの子を救ってあげなくては。
この想いは、使命感に違いない。
歳下をいたわる心は、小学校からの情操教育でおおいに培われている。
自分のためじゃない。
見ず知らずの子供のために俺は危険を冒す。
それがどれほど愚かなことか、この世界の者ならば理解しただろう。
リスクにリターンが伴わない。
骨折り損だ、と。
痛い目を見て、己の身の程をわきまえているからこそ、この世界の人間は余計な真似はしない。
為にならないからだ。
しかし、残念だったな異世界よ。
今、当事者として居るのは、現代日本で暮らしていた一人の厨二病患者だ。
ならばこれは、異世界に来て、まだ洗礼を受けていない若造の失敗談。
誰にも語り継がない、俺の奮闘劇だ。
ふっふっふ。
一人の童に慈悲をくれてやるなど、我にかかれば雑作もないことよ!
だから……。
今しばらくは隷属の禊に興じていろ。
そうすればすぐに……。
必ずや我が、お前を救ってやる!