表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

1

道に迷った。

町を行き交う喧騒の中、ぱちくりと翠色の眼を二度瞬かせてから少女は呟いた。


ここはレイスブルク、公国南西の交易都市だ。大陸中央から注ぐラクレン川によって、古くから公都からの水運によって、また、大陸南と北の橋渡しとして栄えてきた一大都市だ。昔住んでいたファイエラブルクよりは整然としているものの、依然として交易都市特有の無秩序な肥大化によってここもまた一つの迷宮と化していた。町の外には広大な稲田が広がり、テルシア川の水をたっぷりと吸った米が今日も市場を動かしている。小麦も栽培しているが、最近はあまりがちな米を米粉にしてパンに使うのが流行っている。通りの角から匂う甘く香ばしい香りは、容赦なく昼過ぎのお腹を刺激した。


(確か、昔もこんなことがあったわね)


とその鼻腔から入り胃の中を内側から刺激する匂いに少女は思い出した。とは言っても、何処かで地図と御守りを買って帰ってきた、ぐらいしか覚えていないのだが。既に6年近く経って、14になろうとする彼女の記憶にはその出来事は覚えていられるほどの隙間はなかった。今は常に新しい発見と歓びへの期待に満ちていて、いちいちそれを思い出せるほど彼女は暇ではなかったのだ。

彼女は仕方なくといった風に、ねずみ色のローブの内側の亜麻色のワンピースのポケットから財布を取り出し、徐にパン屋へと入った。

パン屋は小ぎれいにまとまっていて、昼の日差しに店内は明るく保たれていた。壁際にはいくつもの小さなバスケットにさまざまな種類のパンがそれぞれ分けられて入っており、一層強い香りが少女を惑わす。

少女はバスケットを一つとると、適当に米粉のロールパンにフルーツパンやチーズパン、それとバゲットを入れ、そして瓶入りのチーズを追加で入れると、会計の年若い少年にバスケットを渡した。

「お会計は二千二百六十エーになります」

と言った売り子の手に銀貨二枚と大銅貨四枚を乗せると、

「小鳥のさえずり亭はどちらかしら?」

と聞いた。売り子はきょとんと目を一つ二つと瞬かせると、すぐに「店を出て右、噴水広場を左です」と返した。彼女は

「ありがとう、お釣りは結構」

と言ってバスケットを持ってさっさと店を出ていってしまった。

後に残されたのはその優雅さに見惚れたかはたまた増えたお小遣いが嬉しいのか、ぼうっと手元の大銅貨を眺めている売り子の少年だけであった。


店を出て右、南エステル大通りを噴水広場まで直進し、そしてそこで左折しフェルテル大通りを少し進むと、右手に小綺麗な宿が見えてくる。暗い木の看板には手書きなのだろうか、可愛らしい小鳥が囀っている様子とともに「小鳥のさえずり亭」と丸文字て描かれていた。その看板を彼女は認めるとその宿に入っていき、そして少しほっとしたように一つ息をついた。そしてロビーを見渡し窓辺のカウンターに一つの人影を見つけると、すたすたと近づいていく。


その人影はカウンターに座りながらぱらぱらと手帳を眺めており、時折カウンターに置いた観光パンフレットに視線を移しては手帳に何かを書き込んでいる。白髪頭ではあるが未だ若々しく、お世辞抜きにハンサムな初老であった。白いワイシャツにベージュのジーンズを履いてコーヒーをすするその姿はファッションモデルにも見えた。

そして少女は近づき、声をかけた。


「シガール、待った?」


するとシガールと呼ばれた男は僅かに目を開き、「いんや、そんなに」と言って雑誌を畳んだ。そして少女の方に向き直った。

「しかし、本当に良かったのか?カルロスやママには言ったのか?」

と聞かれた少女は、顔を不機嫌そうに歪ませて

「言ってないよ。ぜったい行かせてくれないもん」

と少々ぶっきらぼうに言った。それを見てシガールは無言で頭を抱えると、やれやれとそのまま頭を振った。

「まぁそうだろうな。そんなローブを着てるんだからな。仕方ねぇ」

そう言ってシガールは席を立つと、「お勘定」と一言言ってから懐から大銅貨を三枚取り出しやってきたウェイターに渡した。

そして「まぁ取り敢えず、部屋に上がろう」と声をかけてから、奥へと向かって行く。少女はその後をすたたたと追いかけた。


* * *


部屋に入ったシガールは少女にテーブル脇の椅子を勧め、自分は反対側の椅子に座った。少女は持っていたパンのバスケットをテーブルの上に置き、ローブを椅子の背もたれにかけ、自分は懐から木製の水筒を取り出した。

シガールはというと同じように懐から木製の少し大きな水筒を取り出して蓋をあける。そしてバスケットの中からバゲットを取り出すと懐から出したナイフで器用にふた切れを切り出し一方を少女に手渡す。少女はその間に瓶のチーズを開けて小さなスプーンを入れており、パンを受け取るなりスプーンで掬ったチーズを軽くちぎったパンに塗って口の中に放り込んだ。

程よい甘みとチーズの塩気が混ざった美味しさに少女は僅かに目を見開くと、一言「美味しいわね」と言った。

シガールの方も同じように食べており、その素朴な味を堪能しているようであった。


「これは何処で買ったんだ?」

「通りにあったパン屋よ」


と短い会話を交わした後、二人は再び黙々と咀嚼する作業に入った。


バゲットとロールパンが半分まで行った辺りでシガールが口を開く。

「いいのか、リリィ、本当についてきて?」、シガールは本気で心配しているというように少女に話しかける。「アルカイストは簡単な職業じゃないぞ」

少女、リリィはうんざりといった風に「いいって言ってるでしょう」と返した。

「私だって代わり映えしない毎日にウンザリしてたのよ。アルカイストならいっつも新しい事ばかりじゃない」

「いや、そうでもないぞ」とシガールは反論する。「結局は地道な努力の積み重ねだ。それに頭脳だけじゃなくて体も使う。商会のお嬢様がするような事じゃあ決してない」

お嬢様と呼ばれたリリィはむっ、という顔をすると、

「知ってますわ(・・・)よ。そのくらい淑女の教養ですわ(・・・)。それを承知で行っているのをわかってらっしゃるのに、まぁ、いたずらなオジさまっ!」とわざとらしい変なイントネーションで喋って、持っていた平たいフルーツパンを扇のように口に当ててみせた。それにシガールは「へっ」と笑って「六十点だな」と返した。リリィは「ちぇーっ」という風に頬を膨らませると、そのまま持っていた扇にかぶりついた。それを見てシガールは(こいつは昔から変わらねぇな)と内心で思った。


「ま」そしてシガールは仕方ないと言った風に「仕方ないな。お嬢様の仰せのままに」と芝居掛かった礼をすると、「ええ、苦しゅうないわ」とリリィはにっこり笑って返した。


「それで、最初はどこに向かうの?」すっかり小さなお嬢様のお芝居をやめたリリィは御付きの人でもなくなったシガールに聞いた。

「公都、だな。公国立復古学(アルカイオロジー)協会に行かなきゃならないからな。そんで次はクルスだろうな」

シガールは懐の手帳を取り出し、それを眺めながらそう返した。それを聞いたリリィは「げぇ」という顔をした。シガールはまた心の中で点数を下げた。

「公都?あそこは嫌だわ。長々しいパーティの記憶しかないもの」

どうやらリリィは貴族の嗜みであるパーティに対して苦い思い出があるようだ。確かにカルロスのやつだったら「経験こそが糧となる」とか言って連れまわしそうだな、とシガールは思いつつ、こう返した。

「復古学会にパーティーはないし、それに公都をきちんと見て回るのは初めてじゃないか?」

それを聞いたリリィは「まぁ…確かにそうね」と素直に引き下がった。そしてこれからの「すてきなまいにち」に思いを馳せて考え込んだ。その様子をほほえましく思いながらシガールは付け足す。

「それに、復古学について学びたいならあそこが一番だろう。公国立図書館への入館権限もくれるだろうし、ましてやあの協会は国の最高のアルカイストたちが集まってるんだ、損は絶対にしねぇよ」

それを聞いて我に返ったリリィは「た、確かにそうね」と一言いうと、また夢想の世界に戻っていってしまった。それを見つつシガールは、(こりゃほっとくしかねぇな)と思いつつ、席を立ってバッグの中から一冊の雑誌を取り出し、机の上に置いた。

「ま、こいつでも読んどけ。それで今日はゆっくりしな。明日朝早くには出発するからな」と声をかけた。「俺はちょっと食料の買い足しと市場調査に行ってくる」

「わかったわ」とリリィは短く返すと、すぐに空想の世界へと戻ってしまった。それを見てから、シガールは扉を開けて外へ出ていった。


* * *


シガールが返ってきたのはすでに日があと十数分で暮れるか、という頃であった。西側である部屋の中にはオレンジ色の日差しがさんさんと降り注いでおり、そしてテーブルの上ではリリィがすぅすぅと寝息を立てていた。その様子にふっとシガールは笑うと、自分の革のジャケットを彼女にかぶせた。被さったのを感じたのか、ふっと彼女の頬が緩むのはさすがにシガールも確認できなかったようだが。

それからシガールはカーテンを閉じて手帳を開き、これから訪れるであろう波乱の毎日を確認するようにページをめくり始めるのだった。


「んぅ、?」

眠っていたリリィは目を覚ます。寝ぼけ眼をこすって周りを見ると、シガールが荷物を確認しているのを見つけた。そしてはっと右側の窓を確認すると、すでに外は暗くなっており、そして同時に腹の虫がくぅ、と音を立てたのを聞き取ってわずかに頬が紅潮した。

「おっ、目が覚めたな」

と、起きたのに気付いたシガールがリリィのもとへやってきた。

「もうこんな時間だから飯を食いに行きたいんだが、今から行けるか?」

シガールは果たして先ほどの音を聞いたのか聞いてないのか、にっこりと笑ってリリィを部屋から連れ出した。


レイスブルクの夜は交易都市ともあってなかなかににぎやかだ。屋台がいくつも並び、様々な香りが各方面から胃を刺激する。ある者は甘いたれのついた焼肉串を売りさばき、またある者は自慢の野菜をぱりっとしたパンにはさんだサンドイッチを客に手渡している。さらには奇妙なエキゾチック料理―蛙やらトカゲやら―を売る屋台もある。リリィははじめて見るお祭りのような光景を、どこか酔ったような風にシガールに連れられて歩いていた。

シガールは適当な屋台で焼き鳥串を二本買い、リリィに一本手渡す。リリィは食べなれないジャンクフードを恐る恐る口にするが、その瞬間、安っぽいながらも単純で暴力的な甘さと塩辛さに目を見開き、そしてはぐはぐと肉の熱さと闘いながら食べた。シガールはその様子をほほえましく見ながら自分の分の焼き鳥を口の中に放り込み咀嚼する。こういったものはやはり後引くうまさが素晴らしいのだが、シガールは「うーむ、八十点」と小さくこぼした。

その先の屋台では季節の果実のジュースが売っていた。若干値は張ったがそれでもほかで買うより圧倒的に安く、また味もなかなかであった。リリィはベリーミックスジュースを、シガールは軽めの葡萄酒を頼んで飲んだ。

リリィは夢心地だった。まるでこれは夢であるかのように、しかし現実であることを確かめるように何度も何度も興奮した様子で「凄いわ、シガール、凄いわね」と繰り返していた。シガールも「ああ、凄いな、凄いだろう」とそのたびにリリィに言葉をかけていた。町は祭りでもないのに、リリィにはまるで素晴らしいカーニヴァルのように見えていた。そしてそのきらきらと輝く瞳にシガールはまた少し安堵するのであった。

そんなこんなで、夜は更けていく。




次の日、陽が昇り始めるころ、ふたりはレイスブルク南の水運区にいた。

朝早く、この港からは川を上る貨物船が出る。貨物船だからといって人間が乗らないわけではないから、それにのって二人は王都へと向かう。

リリィは寝ぼけ眼をこすりながら、シガールはこれからの予定をもう一度確認しながら、決して小さくはない、けれど大きくはない貨物船に乗り込む。

シガールは持っていたバスケットから昨日のパンを使ったサンドイッチを二つ取り出すと、一つをリリィへ手渡した。リリィはそれを受け取ると、一口かぶりついた。新鮮な野菜とパンの香ばしさ、そして干し肉の塩味が効いていて美味であった。リリィは眠気を振り払うように何度も咀嚼すると、こくんと飲み込み、そして水筒から一口飲んだ。

船がぐらりと揺れた。船は船着き場を離れ、広大なテルシア川をゆっくりと上り始める。徐々に小さくなっていくレイスブルクの街並みの後ろから、橙色の大きな太陽が顔を出して、一気に空を真っ赤に染めた。

リリィは見とれていた。その光景をサンドイッチを食べるのを忘れてただ見とれていた。世界は光に満ち溢れていた。その太陽の光はリリィにはまるで自分が追い求める好奇心の行き着く先のように思えた。それは確かに、彼女にとっての道標(モニュメント)であった。来ていたローブのフードが風にあおられて広がり、彼女の長い茶色の髪が風に揺れた。それを厭わずに彼女はただ、太陽を眺めていた。その様子を見ながら、シガールは(百、いや百二十点だな)と心の中で考え、そして「へっ」と笑みを作った。


ふたりは朝日を船上から眺めて、風をいっぱいに受けて、これからの旅をそれぞれに思い描いていた。




[Mo]Monuments : Archaists


はじまり、はじまり。


会話文の多いノベルというのは苦手です。少しでも上達したらいいな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ