9
日をまたいで翌日。
湊は午後になってから一人で翡翠のいるメイド喫茶を訪れるために電車に乗り、駅へと降り立った。
「確かこっちだったかな」
昨日美麻に案内された道を思い出して辿っていく。
迷って道端にいた人に聞くことになりつつも、湊はあまり時間をかけずに翡翠のバイトしているメイド喫茶にたどり着くことが出来た。ネットカフェを兼業しているメイド喫茶は珍しく、すぐに知っている人を見つけることが出来たのが功を制したのだ。
だが一度訪れたことのある場所といっても湊にとってはメイド喫茶に入るということは難易度の高いことであり、店内に入ることが出来ずにいた。そんな時だ。
「ありゃ? 湊くん?」
店内から私服の翡翠が出てきたのだ。
その突然のことに驚きながらもある可能性にたどり着き話をする。
「翡翠さん、もしかしてバイト終わりですか?」
「そだよー。なに? もしかしてあたしに会いたくて美麻に内緒できちゃったのかな?」
「まあ間違ってはいませんね」
美麻には翡翠のもとに行くとは教えていない。つまり内緒で来たことには違いないのだ。
「溢れ出るあたしの魅力がいたいけな男の子を誘惑しちゃったかー」
「いえ、それはないです。僕は美麻さん一筋なんで」
美麻よりも肌を晒すことに抵抗がないのか動きやすさを重視した私服に包まれている翡翠は、本人のスタイルの良さと天真爛漫な部分が相まってメイド服でなくても十分に人の視線を釘付けにしてしまう魅力があった。
そんな魅力を理解しながらも湊の心は揺らぐことがなかった。
「む、そうはっきりと言われると傷つくなあ……自慢じゃないけどこれでも店の中だと一番人気あるんだよ?」
わざとらしく凹んだ態度を見せて反応をうかがってくる。
「別に可愛くないとは思ってませんよ。正直僕が今までに出会った女性の中では二番目に魅力的です」
「一番目は……ってこれは愚問か」
そう、一番目は聞くまでもなく美麻だ。
「しょうがない。そう言われたら許すしかないね。美麻の良いところはあたしもいっぱい知ってるし」
「すみません、二番目とか言っちゃって」
「いいよいいよ。付き合ってるわけでもないんだし。それであたしに会いに来たってのはADやりにきたとか?」
インターネットが繋がっていればどこからでもプレイできるが、それとは別に目と鼻の先で一緒にやるのも楽しく尚且つ勉強にもなる。
「あ、いや、今日は翡翠さんと話をしようかと思って」
「んー? ああ、昔の美麻の事でも聞きたいのかな」
聞きたいのは翡翠の事だったが、昔の話なら翡翠自身のことも話題に上がるだろうとわざわざ訂正しようとは思わなかった。
「それじゃあ外は暑いから公園は無しとして……どこかお店でもいこっか」
暑い太陽から逃げるように冷房の効いた店内を探して二人は歩き出した。土地勘のない湊に変わって翡翠が先頭を歩いていく。
「湊くんは美麻のどこが好きなのかなー?」
「唐突ですね」
女性は恋バナが好きと言うがどうやらそれは本当の事らしい。
「だってほかでもない美麻のことだから。心配なのだよ、変な男に捕まってないか」
「それ本人の前で言いますか」
「にゃはは。言っといてなんだけど、湊くんのことは信用してるから別にそこは心配してないかなー」
あの美麻が心を開いてるのだ、それだけで信用するに事足りると思っている。
「その代わり、あたしたちの信用を裏切ったら……ね?」
今までの態度と打って変わり、真剣なまなざしで湊を見つめた。
真剣勝負の世界に生きているだけあって、翡翠の出す醸し出す迫力は性別の差など関係なく湊を飲み込む。
「僕は何があっても美麻さんが好きですし、大切にしますよ」
だがその程度で動揺する湊ではない。微塵も揺るがぬ思いだからこそ、返答もどもることなく言うことが出来るのだ。
「うーん、湊くんこういう時全然照れないよね。かといって嘘ついてる訳でもないみたいだし」
「本心ですから」
「ほんっとうに、妬けるなあ。いいな美麻は。湊くんみたいにいい子に好かれてさ」
「翡翠さんだってそのうち巡り合えますよ。それだけの魅力はあるんですから」
「二番なのに?」
意外と先ほどのやり取りを気にしていったのか先ほどの湊の言葉を引き合いに出してきた。
「そう言われると弱いですけど」
美麻が一番であることは確定してしまっている以上訂正することもできずどうしようもない。
「ごめんごめん。ちょっと意地悪だったよ、気にしないで。……あ、あそこ良くないかな?」
申し訳なさそうに謝っていたが、視界にハンバーガーのチェーン店を見つける。
「いいですね。小腹がすいてきたんで何か食べたかったところなんで」
「そっか。それじゃあ行こっ」
目的地が決まると翡翠は湊の手を引いて店内へと進む。
昼時を過ぎているためか客の数もまばらで座るテーブルにも困らなさそうだ。
「湊くんは何食べる?」
「少し食べたいだけなんでハンバーガーだけで」
「えー」
答えが気に入らなかったのか不満げな声だ。
「あたしはいつも通り食べようと思ったけど、そうするとあたしだけいっぱい食べることになって恥ずかしいじゃん」
「翡翠さんでも気にするんですねそう言うの」
「そりゃたしだって女の子だからね」
そう言う翡翠だったが実際に注文するときには、湊よりも多くのモノを注文していた。
「さっきの台詞はなんだったんですか……」
「好きなことをするのに他人の事なんて気にしてらんないよー。恥ずかしくても関係ないの」
それは美麻も言っていたことだ。
「美麻さんと同じようなこと言うんですね」
「プロゲーマーなんて、日本じゃまだ遊びの延長線上の物とか良く思われてないことが多いからねー。なにかしら言われるんだよ」
翡翠たちは「遊びながらお金を貰っている」とか「子供が遊ぶものにいい歳していつまでも熱中してみっともない」などとよく言われる事が多い。
海外では「e-Sports」と呼ばれ、プロのスポーツ選手と同じような扱いを受けているが、日本ではまだまだ遊びとして見られることが多かった。
「大変ですね」
「大変だよ。でもそれ以上に好きだから。日本でももっと理解して貰えるようにあたしたちが頑張らなくちゃ」
「応援してますよ」
「ありがとん。それじゃあ、どんどん食べよっ」
そう言って翡翠は注文したハンバーガーを美味しそうに食べ始めた。
「いい食べっぷりですね」
女性にその言い方は少し失礼かと思いつつ言うと、翡翠は照れたようにはにかんだ。
「ちょっと、そんなまじまじと見ないでよー。恥ずかしいじゃない」
「美味しそうに食べてる姿可愛いんで、そんなに気にしないで大丈夫ですよ」
「……まったく。湊くんは卑怯だよ。好きでもない相手にそういうこと言うなんて」
呆れ顔をされながら「相手によっては誤解しちゃうからやめた方がいいよ」と助言される。
「それとこれは、そんなことを言ってあたしを誘惑したお返しだー」
そう言って湊が無防備に持っていたハンバーガーをぱくっと食べていった。
「あ、ちょっと」
モグモグと美味しそうに咀嚼する翡翠に抗議の声を上げる。
「にゃは、ごめんごめん。かわりにあたしの食べていいから」
そう言って翡翠は特に意図したことはないように自分の手に持っているハンバーガを差し出してくる。翡翠の食べたことを証明する可愛いらしい食べ跡の残るハンバーガーを、だ。
困らせようとわざとしているのかと思い、翡翠に視線を送るが首をかしげるだけで反応らしい反応は返ってこない。つまりお詫びに食べていいと、ただそれだけらしい。
「ほら、あーん」
気恥ずかしい、という理由以外に断る理由はない。湊は周囲を一度確認して万が一にも知り合いがいないか確認をすると、差し出されたハンバーガーに口を付けた。翡翠の注文したハンバーガーは湊のとは違い中に照り焼きが入っていた。照り焼きのソースとハンバーグがちょうどいいバランスをしていてとても美味しい。
「美味しいですね」
「でしょ?」
それははたから見れば恋人同士が仲睦まじくしているようにしか見えないようなやり取りだ。
それから少しの間お互いに黙々とハンバーガーを食べる時間が続く。二人はほぼ同時に食べ終え、翡翠が頼んだサイドメニューであるフライドポテトを好意で湊も分けてもらいながら会話を再開する。
「それで美麻の何が聞きたいのん?」
「そうですね。第一印象とかってどうでした?」
「あたしが初めて会った時ってこと? そだね……」
翡翠は記憶を思い出そうと思考を巡らせる。
「冷たそうなお姉ちゃんって感じ、かなあ」
「……? どういうことですか」
いまいちピンとこなかった湊は詳しく話を聞きたかった。
「今の美麻よりもなんて言うかなあ……ストイック? だったのよ。あと、これは今でもそうだけど大人っぽかったの。だから合わせて冷たそうなお姉ちゃん」
「あー……美麻さん言ってました。プロになってから強くなろうと努力してたって」
「あの時はちょっとピリピリしてた部分もあったんだよね美麻。それでもあたしが美麻と同じ珍しい女性プロゲーマーってこともあって、色々教えてもらえたんだ。それがきっかけかな、美麻と仲良くなったのは」
プロゲーマーになるのに性別は関係ない。しかし、実際にプロゲーマーになっているのは圧倒的に男性が多く女性は少ない。そんな中で同じチームになったことで気になったのだろう。
懐かしいことを思い出し感慨深そうだ。
「僕も当時の美麻さんと会ってみたかったな…………あれ? もしかして翡翠さんって昔は髪の毛長かったですか?」
美麻の家で見た写真の中に美麻以外にも女性が写っていたのを思い出したのだ。現在の翡翠とイメージがだいぶ違っていて、今の今まで湊は気付けなかった。
「あり? あたしそのこと言ってないよね」
「やっぱりあれ翡翠さんだったんですか。美麻さんが当時の大会で優勝した時に撮った写真持っててそれを見たんです」
「美麻、あの写真まだ持ってたんだ……ずっと伸ばしてたんだけど、髪の手入れがめんどくさくなっちゃって短くしたんだ」
「綺麗な長い黒髪も似合ってましたけど、今の翡翠さんの方がもっと似合ってて素敵ですよ」
深い意味のない思ったことをただ口にしただけの湊だが、それでも褒められた方は嬉しいものだ。
「湊くんは嬉しいこと言ってくれるねー。学校とかでモテるでしょ?」
他の人のことを素直に褒めることが出来る人間はそれだけで、相手から好評価を貰えるものだ。それが自然とできる湊は人気が出るだろうと思っての言葉だった。
「なわけないですよ」
「湊くんが気付かないだけじゃないかな。女の子はそうやって褒めてもらえるの嬉しいものだよ」
「僕は可愛いと思った人以外に可愛いとは言いませんよ。そして僕がそういうこと思ったことあるのは美麻さんと翡翠さんだけですよ」
つまりこんなことを言うのは二人しかいなく、すべて本心だということだ。
「……本当に美麻を任せていいのか不安になってきた」
「なんでですか」
特に悪い印象を抱かせることはした覚えが湊にはなかった。
「湊くんが、たらしっぽいから」
「そんな訳ないじゃないですか。威張って言うことでもないけど僕今までに女性と付き合ったことないですよ」
「まあ、性格が真面目というか純粋だから大丈夫……なのかな」
どうやら湊の性格上浮気とかはできないだろうと翡翠は最終的に判断したようだ。
「美麻にだけその気持ちを持ち続けるなら、幸せにしてあげられそうだし」
「それは保証しますよ」
「お? 言ったなー」
「まあまだ付き合ってすらいませんけど」
始まりの地点にまだ立てていないと湊は思っていた。
「時間の問題だと思うけどなー。あ、今のなし」
昨日の様子を見ていて翡翠はそう感じていた。
「そう言われても、もう聞いちゃいましたし」
「あちゃー。余分なこと言っちゃった……。でもあたしがそう思ったってだけで美麻もそう思ってるかは分からないからね」
自分のせいで実るはずだった恋が実らなかったなんてことになっては責任の取りようがないと忠告する。
「大丈夫ですって。任せておいてください」
「応援してるよ」
それは本心からの言葉だ。
「ありがとうございます。……反対に聞きたいんですけど翡翠さんはそういう相手いないんですか?」
「ほえっ?」
その質問は予想外だったのか翡翠の気の抜けた可愛らしい声が漏れ出る。
「あたしの好きな人ってこと?」
「好きな人というか付き合ったことがある人の話とか」
「ないないない。付き合ったことなんて湊くんと一緒で今まで一度もないよ」
動揺した様子で手を左右に振って否定する。
「好きな人も?」
「いないよー。彼氏欲しいなんて思ったこともないし」
メイド喫茶に訪れる人の中には好意を抱いている人もいるだろうにと少しだけ同情する湊であった。
「なんでですか?」
「今のあたしはADで一杯だから、かな。両立出来てる人もいるけどあたしは不器用だから」
「そんなに練習しないと勝てないんですか?」
「世界を相手にするならまだまだだね。日本はそういうところ遅れてるから。同じプロって言っても差があるんだ」
歴史の長さがそのまま実力の差につながるわけではないが歴史が長ければそこから得られるノウハウに差が出てしまう。
「でもあたしが目標としている人はそれでも世界と戦えてたから。あたしも、そうなれるように頑張りたくて。知らないかな? 日本のプロゲーマーで唯一メジャー大会に出たことある人なんだけど」
「そういう人がいたってのは聞きましたけど、詳しいことは分からないです」
その答えを聞いた翡翠はどこか寂しそうだ。
「うーん、知らないかー。残念」
「どういう人なんですか?」
翡翠の憧れる人物のことが気になり聞き出そうとする。
「数年前に別のFPSゲームでプロだった人なんだけどね、とにかく強いんだ。当時の他のプロゲーマーは誰もかなわなくて、多くのプレイヤーの憧れを一点に引き受けてた。……だからこそ、あたしはあの人がメジャーでも活躍できると思ってたんだけどね。実際にはそう簡単には行かなくて……」
表情がくるくると変わりやすい翡翠だが珍しい憧憬と悔しさが入り混じったような表情をしてそう言う。そんな姿が似合わないと思った翡翠は思わず言った。
「そんなに思われてるなんて、凄い人なんですね。そしてその憧れの存在に近づこうとしてプロにまでなった翡翠さんも凄いです」
「にゃははー、ありがとん。ごめんね、気を遣わせちゃったね」
「否定はしませんけど、今言ったこと自体は本心ですからね」
「分かってる。励まそうと心にもないこと言えるような人じゃないってことはね」
だからこそ湊にそう言ってもらえたことが嬉しかったのだ。
「あーあ。湊くんと話してたら彼氏欲しくなってきちゃった。こういう時に慰めてもらえるなら恋人も悪くはないね」
「翡翠さんならすぐ見つかりますよ」
「そう? まあ第一候補は今目の前にいるんだけど……」
「え?」
今翡翠の目の前にいるといえば話をしている湊しか存在しない。
「これ以上美麻を苦しめることはできないから。……そんなことしたら今度は完全に嫌われちゃうし。だから湊くんは諦めるよ」
本気とも冗談とも取れ、求めていた話題に湊はどう答えようか考えてしまう。
「にゃは……ごめんね。こんなこと言われても困らせちゃうだけだよね」
湊は踏み込んでいいものか考える。美麻に約束したのは翡翠との間にある壁を取り払うことだ。決してチート騒ぎの犯人を確定させることでも、謝罪させることでもない。ただ当時の話をすればいいという訳ではないのだ。
「どういうことです、今度はって?」
そこで慎重に聞き始めることにした。
「んー……湊くんは美麻から、何か聞いたことない?」
話題が話題なだけに翡翠も言いにくいのか探るような言い方をしてくる。
「そうですね……」
湊も慎重に答えようとするが、性分に合わない事と堂々巡りになることを考え素直に言ってしまうことにした。
「翡翠さんがチートをUSBに仕込んだ……とか」
「…………ほんっとに信用されてるんだね、湊くん。美麻そんなことまで話してたんだ」
その翡翠の言葉を合図に当たりを包む雰囲気が明るかったものから暗いものへと変わっていく。
「そこまでしてプロでい続けたかったんですか?」
美麻から聞いている話通りならプロゲーマーというのは傍から見えるように輝かしいものだけではないはずだ。
「……勿論。そうでもなければ、あんなことしてないよ」
翡翠も酷いことをしたと認識しているらしく、言葉を紡ぐのが辛そうに見えた。
「どうしてですかあんなことを?」
「うん……そだね。ちょっとあたしの昔話してもいいかな」
「いいですよ」
それが関係してくるのなら聞かないわけにはいかない。
「あたし、お姉ちゃんがいるの。尊敬できるお姉ちゃんで、昔からずっと仲良しで一緒に遊んでもらってたり。そんなお姉ちゃんの趣味の一つにFPSゲームがあったんだ。物凄く上手くてあたしはそんなお姉ちゃんのプレイを横でずっと見てた」
「……」
「それでね、いつの日だったかな……。詳しくは覚えてないけど、お姉ちゃんがプロに誘われたんだ」
なんとなく、朧気ながら翡翠が憧れているプロゲーマーの正体に湊は勘づき始めていた。
「お姉ちゃんは迷ってた。別にプロになりたくてFPSやってた訳じゃなかったから。そんなお姉ちゃんにあたしは言っちゃったんだ。なった方がいいって」
今覚えばあの時に姉が迷っていたのはプロゲーマーという存在どうこうというよりも、プロゲーマーになった結果妹である自分をかまえなくなってしまうのではないかという危惧から悩んでいただと翡翠は分かっていた。だが当時の幼い翡翠はそのことには気付かずに、自慢のお姉ちゃんをもっと世界の人に知ってほしい、と思い姉の背中を押したのだ。
妹に言われてしまった以上、断ることはなく翡翠の姉はプロゲーマーになる道を選ぶしかない。
「お姉ちゃんは、それから連戦連勝で凄かったんだ。未だにその記録は塗り替えられてないんだよ」
実際に自身もプロゲーマーとなった翡翠は今ではその凄さを実感していた。大会で優勝できるようになっても、負けるときは負けてしまうのがFPSだ。
「それでねプロとして活動を続けていたある時、国内の大会で優勝して、アジア予選でも優勝して、メジャー大会に出場することになったの」
翡翠が先ほど言っていたメジャー大会に出場したことのあるただ一人のプロゲーマー。その正体が翡翠の姉だった。
「あたしも当時FPSやってたプレイヤーもお姉ちゃんに期待してた。優勝はできないまでも、いいところまでは行くんじゃないかって」
それはそうだ。日本人のプレイヤーとしては前代未聞の活躍だ。FPSを愛してやまないプレイヤーたちが湧き上がらない訳がない。
「初戦はヨーロッパの強豪が相手だったんだけど、あたしたちは誰もがお姉ちゃんが勝つんだって誰もが信じて疑わなかった」
段々と辛さが増してきたのか苦しそうだ。湊はもうその試合の結果が予想できていた。勝てたのなら翡翠が辛そうにしている理由がない。
「でもふたを開けてみれば……惨敗だった」
その言葉は予想通りだ。予想通りだが、そこに込められた想いは想像以上らしく翡翠は辛そうに俯いてしまう。
「辛いなら言わなくてもいいですよ」
それまで黙って聞いていた湊だがここで初めて口を開いた。美麻の悩みを解決したい、その気持ちは今でも変わっていない。だが、そのために翡翠に無理をさせるのは違うのではないかとも思っている。
「大丈夫。ありがと湊くん」
ポツリとそれだけを洩らした。それから少し間を開けて話を再開する。
「それだけなら、まだ良かったんだ。惨敗したってだけなら、努力してまた次挑めばいいだけだから。……でもそんな風に思っていたのは少数派だったの。多くの人は、お姉ちゃんを罵倒し始めた。手を抜いたんだろとか、実際は大したことないんじゃないかとか」
勝手に憧れて、それを勝手に裏切られたと思い込み勝手に罵倒する。相手が雲の上の存在だと思っていればなおさらだ。自分とは違う存在だと、偶像のように思い込み罵詈雑言を吐く。相手も同じ人間だとは露程も思わずに。そして翡翠が言わなかっただけで実際はもっと酷い言葉も言われていただろう。それこそ「恥さらし」だの「死ね」だのと。
そしてその言葉は努力した人ほど響くものだ。それに耐えられる人間がどれだけいることだろうか。
「それでお姉ちゃんはプロゲーマーだけじゃなく、FPS自体も嫌いになっちゃった。あれだけ大好きで楽しそうにプレイしてたのに」
翡翠の受けた衝撃は想像もしようがない。
「あたしがプロになってなんて言わなければ。今でもそのことを思ってる。そうすればお姉ちゃんはずっとただ好きだったFPSをやっていられたんだから」
だがそれだけなら翡翠がプロゲーマーになり、必死にしがみつく理由にはならないはずだ。
「だから、あたしは決めたの。あたしがプロゲーマーになってメジャー大会で優勝して、お姉ちゃんを馬鹿にしてたやつらを見返すんだって。お姉ちゃんは優勝したあたしよりも強くて才能ある人だって宣言するって」
その言葉には込められた意志の強さが、決意の硬さが表れている。
「でもそんな威勢のいいこと言ってもあたしはお姉ちゃんほど才能がない。実力もない。だからあの時、プロをやめなければならないって思った時にあたしは動揺した。それで、当時一番仲の良かった美麻に相談しようとしたのだけど……」
美麻も時を同じくして悩んでいた。他の人の相談を受けられないほどに。
「でも、断られちゃって。美麻は当時プロでい続けることに嫌気がさしていたってことはあたしも知っていたんだけど、そんなに悩んでいたとは知らなくて。それで思っちゃったの。思っちゃいけないはずなのに、だったら美麻に引退して貰えばいいんだって」
その裏に隠された想いは単純に優しさだったのだろう。自身の姉と同じようにFPSを、ADを嫌いになってしまう前にプロゲーマーの世界から身を引いたほうがいいと。
そしてそれを美麻に言わなかったのは、切羽詰まっていてそんな単純なことにすら気付かなかったのか、ただ単に言ったところで美麻は信じないと考え、姉の話をしなければならなくなると躊躇ったのか。いや、もしかしたら翡翠は言っていたのかもしれない。だが塞ぎ込んでいた美麻にはその言葉が届かなかった、そんな可能性もある。
今では確かめようもないことだ。
「あたしは、ほんっっとに最低だ……」
店内であるためか必死にこらえているが翡翠の目元はすでに濡れている。
「それなのに美麻はまだあたしと仲良くしてくれる。そんな優しさに甘えて、身体を預けてるのが今のあたし。……美麻は何も言ってこないけど、万が一、億が一にも内心ではあたしのことを憎んでるかもしれないって考えると謝ることもできない。あたしは美麻のことが大好きだから、別れるなんてことにはなりたくないの」
目元を拭いながら必死に声を絞り出す。
「大丈夫ですよ」
「何が大丈夫だって言うの!?」
思わず出てしまった言葉に周囲にいた客が視線をこちらに向ける。それに気付き翡翠は居心地が悪そうにしながらも湊の言葉を待つ。
「美麻さんも同じこと言ってたんですよ」
「え?」
確かに聞いたはずの湊の言葉が理解できずに聞き返す。
「翡翠さんが自分のことを嫌ってるかもしれない。そう思ったら話し合おうとは思えないって」
「……ほん、とうに?」
「嘘なんてつきません。結局二人とも想いは同じなのに、お互いを傷つけたくなくて、傷つけられたくなくて距離を置いちゃってるだけなんです。本心から、本当のことを言えば絶対にしがらみのない元の関係に戻れます」
「信じていいの?」
「はい。僕個人のことが信じられないのなら、美麻さんを信じてあげてください。自分で言うのもなんですけどあなたの大好きな美麻さんは僕のことを信用してくれてます。だから美麻さんを信じて、僕の言うことも信じて欲しい」
しっかりと視線を合わせて、嘘偽りでないことを証明するために声に力を入れて湊は言った。
「分かった。美麻を、湊くんを信じるよ。美麻と話してみる」
「言った以上は責任もって見届けますよ」
話がまとまり美麻と話そうと翡翠は電話をしようとしたところでここが店の中だと思い出し会計をして店の外にでた。
店の外に出ると少し暑さの弱まりつつも相変わらずの明るさを保ち続ける太陽に迎えられる。
「それじゃあ美麻に電話するね……手、繋がせて」
決心はしたものの不安なことに変わりない。その不安を落ち着けるために、その場から逃げ出さないようにと湊にそうねだった。
「いいですよ」
湊もそんな気持ちを汲み取って手を差し伸べると、柔らかい手に包まれる。
翡翠は湊の手の感触を確かめるように力を込めて握ると、スマホを使い美麻に電話をかけた。
「あ、美麻。これから会って話したいんだけど、いい? ……うん、うん。…………わかった」
すぐにまとまったらしく時間にして一分と会話していないだろうが、翡翠には疲れが見えた。
「大丈夫ですか?」
「…………。にゃはは、大丈夫だよ湊くん。あたしの勇士ちゃんと見届けてね!」
一度落ち着くために深呼吸をした翡翠が次に見せた表情はいつもの明るく元気なものだった。
「はい」
その無理のない笑顔に湊も安心する。
「それで、どうなったんですか?」
「さっきまで用事あったけど丁度終わったところだからいいって。近くにいるみたいだから、駅前で待ち合わせ」
「そうですか、分かりました行きましょう」
そう言って二人は手を繋いだままのことも忘れ駅へと向かう。
――駅について二人で並んで待っていると、電車がやってきて駅のホームへと入ってくるのが見えた。
「お待た……せ」
駅の中から待ち人である美麻がやってきて、声をかけるがそれも途中で止まりかける。
美麻の視線は繋がれたままになっていた二人の手を見ていた。
「……いらっ」
イラついたことも隠そうともせず、わざわざ口で言うところを見るとだいぶ頭にきているようだ。
美麻から向けられる視線は「裏切ったの?」とでも言いたげだ。湊は必死に首を振って否定する。
「あ。ごめんっ、美麻。別にそういうことじゃないの。付き合うことになったとかそういう話じゃないから。落ち着いて、ね?」
大事な話をする前なのにいきなり印象を悪くしてしまってはと、翡翠はすぐに手を離して謝罪する。
「落ち着いているわ。大丈夫よ。それで話があるんでしょ?」
そういう割にはつっけんどんに言う美麻。
「ここでするような話でもないから、近くの公園にいこ」
大勢の人が行き交うこの場でするものでもない。そう翡翠が告げると、美麻も「分かったわ」といって三人で一緒に公園まで向かった。
――人気の少なく、木々が多く吹く風が涼しい公園に三人は集まっていた。
「それで話したいことってなに? 翡翠」
美麻は湊に橋渡しの役を頼んだ本人だ。恐らく話の内容には予想がついているだろう。だがそれを微塵も感じさせない態度だ。
「あの……ごめんなさい!」
途中でチラッと湊を見た翡翠に頷き返すと、覚悟を決めた翡翠はそう言った。
「なんのことかしら?」
「昔のお互いにプロだった時に、美麻のUSBにチート仕込んだのあたしなの。今更謝っても許されることじゃないけど、それでもごめんなさいっ!」
そう言い切ったあとに先ほど湊にしたような同じ話をする。所々省かれているのはすでに美麻が知っていた部分なのだろう。
「……はあ」
そして美麻が見せた反応は溜息だった。
「美麻?」
翡翠はそれを不安げに見守る。
何か不快に感じさせることをしてしまったのかと。
「さんざん悩んでたことなのに、湊くんに相談しただけでこんなに簡単に解決するとはね……。今までの私が馬鹿みたいだわ」
先ほどの溜息は今までの自分に向けてのモノらしい。
「翡翠、私にも謝らせて。あの時相談に乗ってあげれなくてごめんなさい。相談に乗れていればこんなにこじれることもなかったのに」
「ううん。謝らないで、美麻。あたしにはそんな資格無いんだから」
「馬鹿ね。人に謝られるのに資格なんてないわよ……。それにあたしは翡翠のことが大切だから、ちゃんと自分がしてしまった酷い行いは謝りたいの」
柔和に笑顔を浮かべながら言う美麻の目元には、長年の悩みを解決できた嬉しさからか、翡翠と元の壁のない関係に戻れたことからか、涙が溜まっていた。そしてそれは翡翠も同じだ。
美麻の言葉からでた「大切」という言葉を聞いて必死に目元に留めていた涙が頬を伝わる。その落ちる速度の速さは想いの重さ故か。
居ても立っても居られなくなった翡翠は自然と足を動かしていて、自分の親友である美麻の体温を、そのぬくもりを感じるように抱き着いた。
美麻もその想いをしっかりと受け止めお互いに抱き合う。
「ごめんねっ、ごめんねっ、ごめんねっ」
翡翠は一杯になった感情を吐き出すように何度も繰り返す。
「私の方こそごめんなさいっ」
二人がお互いを求めて抱き合う様子を湊は静かに距離を置いたところから見守っていた。
美麻はそんな湊を視界の端に捉え、翡翠と共に顔を涙で汚しながらお互いを至近距離で見つめあいながら話す。
「ねえ……翡翠」
「なに? 美麻」
「私ね、好きな人が出来ちゃった」
その相手の名前を翡翠は容易に想像できた。だがそれでも、意中の人の名前を美麻本人から聞きたくてこう尋ねる。
「それあたしの知ってる人?」
「うん、私よりも年下で背が小さいちょっとえっちな男の子。でも、いざってときは頼りになって感謝しても感謝しきれないぐらい。その男の子が居なかったら今私たちはこうしていられなかったはずよ」
「……本当に好きなんだね、美麻はその男の子が」
翡翠の耳に届く言葉には美麻の秘められている想いがこめられていた。
「ええ、こんな気持ちが存在するなんて今まで知らなかったぐらい」
美麻の中に渦巻くある一つの感情の大きさに当人が困惑してしまうほどだ。
「告白しちゃいなよ」
「嫌」
だが美麻は自分からはその想いを告げる気はないらしい。
「なんで? きっとおーけーしてもらえるよ?」
「そういうことじゃないのよ……」
「じゃあどういうこと?」
「そうしちゃったら私がたぶらかしたみたいじゃない」
「にゃはは。それで本音は?」
美麻が言ったことは嘘という訳でもないが、一番大きい感情という訳でもなかった。
「全く……翡翠に隠し事はできないわね。本当は、単純に……恥ずかしいからよ」
顔を赤らめながらそう言う美麻はとても柔らかな印象がありとても愛らしい。
「可愛いね美麻は。同性のあたしから見てもそう思うよ」
「翡翠に言われると少し嫌味にも聞こえるけど、誉め言葉としてありがたく受け取っておくわ」
美麻は翡翠を美少女だと素直に認めていた。だから可愛いと言われても素直に認められない部分もあったのだ。
「翡翠は私よりも可愛くてスタイルいいんだから、その男の子を誘惑しないでよ?」
「あたしの方が可愛いは言いすぎだと思うけど。それにその男の子はあたしなんかよりも美麻の方が好きだって」
「……本当にそうかしら? 言葉だけなら何とでもいえるわよ?」
「もう何ひねくれてるの。いつもの美麻らしくないって」
それは本人も自覚していることだった。らしくないことを言ってしまったのはその気持ちの大きさ故か。
「だってこんな気持ち初めてで……」
「ありゃ、美麻もしかして人を好きになったことなかったの?」
「学校の男子なんて子供にしか思えなかったし、ADばっかやってたから……」
「にゃはー。大丈夫だよ、美麻は可愛い。自信もって」
そう言い翡翠は抱きしめる力を少し強めた。
「ありがと、翡翠」
――しばらくして。
感情も落ち着き涙もすっかり止まった二人は仲良く笑いあい、手を繋いで湊の元へと歩いてくる。
「ありがとね、湊くん。まさか本当に解決してくれるなんて」
「あたしからもお礼を言わせてよ、湊くん。ほんっっとにありがと!」
美女と美少女の二人からとびっきりの笑顔を向けられそう言われた湊は照れくさくてしょうがない。
「それで、湊くん……ちょっと目をつぶってくれる?」
翡翠は照れのある表情でそう言った。
「なんでですか?」
「もうっ、お礼をしたいからに決まってるでしょ。言わせないでよねー」
そう言われては従わない訳にもいかない。湊は黙って目をつぶった。
「美麻」
視界のふさがれた湊の耳に、美麻の名前を呼ぶ翡翠の声が聞こえてくる。
「なにかしら?」
「今回だけだから、許してねっ」
そう言った翡翠が段々と近付いてくる気配が伝わってくる。そしてそれが、隣まで来ると背伸びする気配がして――優しく、あたたかくて、気持ちの良い感触が頬に触れた。
突然のことに何をされたのか理解のできない湊は思わず目を開けた。
「なっ、なっ、なっ……。翡翠ー!」
すると今までに聞いたことのないような迫力のこもった声で翡翠の名を呼ぶ美麻が目に映った。今だに隣にいる気配のする翡翠に視線を向けると、顔を真っ赤にしていた。
そしてここまで来て、ようやく湊は何をされたのか気付いた。つまり、キスされたのだ。頬に。翡翠の形が良くて小さく、柔らかそうで瑞々しい唇に。
「えっ!? ちょっと翡翠さん!?」
そのことに気付いた湊も美麻に遅れながら、驚きの声を上げた。
「にゃははー。二人とも落ち着いてって。ただの感謝の印だから。恋愛感情は一切含まれてないから。だから許してよ、美麻」
「許せるわけないでしょー!」
距離を詰める美麻から逃げるように翡翠は元気に駆けていく。その様子は誰から見ても昔っからの仲が良い親友同士以外には見えない。
――そんなじゃれあいも一通り終えてなんとか美麻からの許しもとれたところで湊と美麻、翡翠に分かれてそれぞれの家へと帰ることになった。
「またね、翡翠」
「ばいばい美麻、湊くん。今度三人で一緒にADやろっ」
「分かりました。また三人で」
三人全員が笑顔でそう言い合い二方向へと別れて歩き出す。
「……」
「なんですか?」
無言で歩いていた湊だが隣からの視線を感じてそう尋ねる。
「……その、ありがと。湊くんが居なかったらこんな幸せな気持ちになれなかったと思う」
気恥ずかしくも、しっかりと目を見て伝えるべきだと思った美麻はしっかりと湊と視線を合わせて言った。
「翡翠さんの様子からして、ちょっとしたきっかけがあれば僕なんて関係なく仲直りできたと思いますよ」
「そんな訳ないでしょ。謙遜も照れ隠しも度が過ぎると嫌われるわよ」
「はーい」
分かったような分かっていないような返事に美麻は少し呆れつつも、それもまた湊らしいと思った。
「まあそんな訳で感謝してるのは事実だから何か一つぐらいはお願い聞いてあげるわよ」
「本当ですか?」
思わぬご褒美に湊は声を弾ませる。
「嘘なんて言わないわ」
「何にしようかな……」
好きな人にしてもらいたいことなど湊には沢山あった。その中から一つと言われると迷ってしまう。
「いつまで、なんて期限は設けないからじっくり考えていいわよ」
「…………それじゃあお言葉に甘えます」
いくら考えてもこの場ですぐには決められそうにないため、ゆっくりと時間をかけようと考えた。
「言っておくけど、えっちなのは駄目だから」
「えー。そんな……」
元々如何わしい事は求める気がなかったが、ついそう返してしまう。
「当然でしょ。そういうのは付き合ってからよ」
「付き合ったら、そういうことしてもいいんですか?」
「時と場所、あとムードを大切にしてくれれば別にいいわよ。私だってその……好きな人とならそういうことしたいと思わなくもないし」
「……美麻さん、可愛すぎです」
顔を赤くしながら言う美麻に思わず湊はそう言った。
「なんだかそれも湊くんがよく言うせいで聞き慣れちゃったわね」
「しょうがないじゃないですか、事実なんですから」
「湊くんのそういう性格にも慣れてきたわ。実はヘタレなところも知ってるし」
それだけ同じ時間を一緒に過ごしてお互いのこと知ったということだ。
「僕も同じように美麻さんの魅力を多く知りました。お互い様ですよ」
「ふふっ、そうね。なんだかネットカフェで話しかけた時がだいぶ昔に思えるわね」
「まだ一か月も経ってませんけどね」
「そうなのよね。それだけこの短い期間で色々あったってことなのでしょうけど……でもその短い期間で私は湊くんに感謝してもしきれないほどに、いろいろしてもらったわ」
湊の行いがどれだけ美麻を救ったことだろうか。
「じゃあもう少しご褒美くださいよ」
「それは、思わなくもないけど。あんまり上げすぎても湊くんが調子乗るし、ありがたみもなくなっちゃうし」
「……まあいいですよ。その代わり少ないご褒美の機会にはちゃんとご褒美くださいね」
「自分で言ったことを覆すような真似はしないわ。そこは信じて」
言質をとったと湊は密かに満足する。
「恥ずかしがって前言撤回しないでくださいよ」
「……一体湊くんは私に何をさせるつもりなのかしら」
「別に、まだ決めてませんって。ただの確認ですよ」
「湊くんぐらいの歳の男の子が考えることなんて、ろくでもない事な気がするけど……まあでも、湊くんなら大丈夫かな」
そう言ってもらえたことに、信用して貰えていると実感できたことに湊は喜びを感じる。
「でもさっきは僕がエロいこと言うと思ってたじゃないですか」
「湊くんのことは信用してるわよ。でも万が一というか私の可愛さに湊くんが耐えられなくなって勢いで、ってこともありそうな気がして」
そう言われると実際に理性に負けそうになったことがある湊としては何も言えない。
「……」
「なんだ、やっぱりそうなりそうな時があったんじゃない」
図星を突かれた湊に楽しそうに美麻は言う。
「美麻さんが魅力的すぎるのが悪いんですよ」
「まあ、湊くんに求められるのは別に悪い気はしないけど」
「え? それどういう意味ですか?」
いきなり心臓をドキンッと跳ねさせるようなことを言う美麻に真意を確かめるように問いかける。
「秘密」
そう言って美麻は少し赤くなった顔を隠すように足を速めるのであった。
その後はにわか雨に少し振られて濡れるというアクシデントに見舞われつつも無事に電車に乗り込み、自宅近くの駅へと付いた。
「送っていきますよ」
「ありがと、お願いするわね」
二人で並んで仲良く歩いていく。お互いに考え事でもしているのか無言だ。しかし、決して居心地は悪くない。気心の知れた仲である証拠だ。
そして。
美麻の家までたどり着き湊は役目を終えたと、自宅に帰ろうとする。が、不意に美麻に呼び止められた。
「ねえ、湊くん。家上がってかない?」
何と無くいじらしい雰囲気のでている美麻にそう言われ、時間の余裕もある湊は言葉に甘えることにした。単純に美麻の部屋に行きたかったということもあるが。
「おじゃましまーす」
美麻に誘われるままに家の中に入ったもののよくよく考えたら美麻の家族と出会うかもしれないと、気を引き締める。
「ふふふっ。そんなに気を張る必要はないわよ。今日も誰もいないから」
「はあー。良かったです。まだ美麻さんの両親に挨拶するのには早いと思ってたんで」
しかしその心配はないようだ。そう聞いた瞬間に湊は大きく息を吐いた。
「挨拶って何よ挨拶って」
湊の言った挨拶が、顔を合わせただけの相手にするあいさつでないことを察してジト目で湊を睨む。
「何でもないですよ。早く美麻さんの部屋に行きましょう」
「あ、ちょっと、勝手に仕切らないでよ」
逃げるように本人の許可もなく美麻の部屋に行こうとする湊の襟をつかんで引き留める。
「ちょっと部屋片付けるからここで待ってなさい。というか女性の部屋に勝手に入ろうとしない」
「何か見られたくないものでもあるんですか?」
その言葉に自分の部屋の惨状を思い出し、尋ねるl
「違うわよ。単純に人を上げるつもりなんてなかったから少し散らかっているのよ」
「僕は気にしませんよ」
「湊くんが気にしなくても私が気にするの」
そう言い残し部屋の前の廊下に待たせて部屋の中へ入っていく。
二回目とはいえ緊張しない訳もなくドキドキしながら待っていると、数分とかからずに部屋の扉が開いた。
「入っていいわ」
この短時間で片付いたということは、元々そこまで散らかっていなかったのだろうと湊は思った。
「相変わらず、いい匂いしますね」
「部屋の中に入るなり変態チックなこと言わないでもらえるかしら」
匂いのことを言われるのに耐性のない美麻は照れた様子で注意する。
「この匂い僕好きですよ。美麻さんの匂いって感じがして好きです」
「次同じ話題について話したらたたき出すわ」
本当に恥ずかしいらしく美麻の声からは本気であることが伝わってくる。
「すみません、もうしません」
追い出されたくない湊は反射的に謝った。
「全く……どこか適当に座ってて。飲み物持ってくるから。今日は勝手に部屋の中漁らないで大人しくしてること。今度は許さないから」
「はーい」
そう言い残し美麻は部屋を出ていった。
湊は言われたことを守り近くにあったベッドに腰掛ける。漂ってくるいい匂いに落ち着かなさを感じつつもじっと待っていると少しして美麻が飲み物をトレイに乗せて戻ってくる。
「はい、麦茶だけど良い?」
「なんでもいいですよ」
湊にコップを渡すと、少し湊から離れて同じようにベッドに腰掛けた。
「ありがと」
「え?」
美麻は唐突に礼を述べた。
「翡翠のことよ。何度お礼を言っても足りないわ……まあ、翡翠からチューされたことは許さないけどね」
「え、いやあれは翡翠さんが勝手にしてきたことじゃないですか」
「じゃあ聞くけれど、嬉しくなかったの?」
「それは……嬉しかったです」
男として美少女から頬にとはいえキスされて嬉しくないはずがない。
「でしょ?」
「でもそれは邪な気持ちがあったからじゃないですよ」
「どうだか」
なおも信じようとしない美麻。その気持ちが湊のことを好きで嫉妬しているからだと湊本人はまだ知らない。
「どうしたら信じてくれますか?」
「そうね……湊くんが私の事どう思ってるか全部包み隠さずに言いなさい。そうしたら……考えてあげるわ」
「なんですかそれ。恥ずかしすぎるんですけど、公開処刑かなにかですか?」
「いいから、つべこべ言わずにちゃんと言いなさい」
どうやら言う以外にとれる選択肢がないらしい。そう感じた湊は一気に言ってしまうことにした。変に間を開けてしまうよりも勢いで言ってしまった方が楽だと思ったからだ。
「それじゃあしょうがないですね。まずは誰が見ても美人だと認めるところですね。僕が一番最初に美麻さんに惹かれた理由がそれです。でも最近は女性らしい可愛い部分もあることも知れました。ただ大人っぽいだけじゃなくて悪戯っ子みたいにな魅力もあって、大人っぽい笑顔も子供っぽい笑顔もどっちも眩しくて。自分の考えを曲げない強い部分もあれば友達のことを思いやれる優しい心とか、男心をくすぐる色っぽさとか純粋さもあって。でも実は怖がりなところもあったり。プロゲーマーになれるほどの実力があるのにおごらずに初心者の僕の面倒を見てくれる面倒見の良さもあったり。あとは」
「ち、ちょっと待って」
流石に黙って聞いているのが恥ずかしくなってきた美麻が口を挟む。言えとは言ったもののここまで多くのことを言われるとは考えていなかったのだ。
「なんですか」
「さすがに恥ずかしいっていうか……」
「美麻さんが言ったことでしょ。えっとですね、あとは今みたいに照れやすいところとかいい匂いがするとことか」
千の言葉を、万の言葉を使ったとしても美麻の魅力を語るには足りないと言わんばかりに続ける湊に、耐え切れなくなった美麻が先に音を上げる。
「分かったわ。分かったからもう言わないでいいわよ」
「良くないです。僕が好きになった人の魅力をなめないでください」
売り言葉に買い言葉と言えばいいのだろうか。湊は美麻の言葉に思わず「好き」だと伝えてしまう。
「……あれ? もしかして今僕、美麻さんのこと好きだって言っちゃいました?」
告白するための台詞をいくつか考えてその中で一番カッコいいと思ったことを言おうと考えていたのだが、湊が気付いた時にはすでに想いが漏れ出ていた。
美麻も正直なところ湊が自分のことを好いているということは気付いていた。直接言葉で言われることはなかったが、今までの湊の態度からそれは簡単にわかることだ。だが、実際に本人の口から言葉として聞かされるというのは申し分ないほどの破壊力を持っていた。
「あ……え、ん、うん。言ったわね確かに」
普段の美麻からは想像もできない程のうろたえを見せながら答える。
「もしかして……美麻さん照れてませんか?」
そんな湊の言い分に年上としての威厳を見せつけるために冷静に答える。
「そ、そんにゃことないわよ」
無理だった。
「照れてますよね。なんか可愛い噛み方してますし」
「わ、悪い? 告白されたことなんて今までないんだからしょうがないでしょ。こんな幸せな気持ち初めてなのよ……ってちょっと!?」
顔を真っ赤にして言う美麻に我慢できなくなった湊は思わず距離を詰めて抱きしめていた。
「可愛すぎです、反則です。そんなの耐えられる訳ないじゃないですか」
美麻の柔らかさと体温と匂いを確かめた湊はさらに力強く美麻を抱きしめる。
「く、苦しいって湊くん」
そう言う美麻に湊は多少理性を取り戻し力を緩める。
「あ、ごめんなさい」
だが相変わらず抱きしめたままだ。そして美麻もそれを振りほどこうとはしない。
「それで……その。返事を聞かせてもらえたらなーと」
おずおずと湊は尋ねる。
「も、もうっ。察してよ……」
「察しが悪いんですよ僕。それに結果がどっちだったとしても美麻さんの口から聞きたいんです」
「…………」
「美麻さん?」
不意に黙ってしまった美麻に不安げに問いかける。
「湊くん。私はほっぺにチューされて喜んだり、メイド服を来た女性を見て色目を使う男の子が嫌いなの」
「えっと……ってことはつまり…………」
「……だから、だからね。これからは私だけを見なさい。私だけを見て、私の隣で同じ時間を過ごしなさい。そして私を喜ばせてくれれば私も湊くんを喜ばせてあげる。だから他の女の子を見ちゃダメ。分かった?」
だが続く言葉は真反対の物だった。
「えっと、つまり……」
「好きよ、湊くん。私もあなたのことが好きなの、どうしようもないくらいに」
「美麻さん。キス……してもいいですか?」
そんな想いの積もった美麻の言葉にどうしても耐えられないとそう言葉が漏れ出る。がっついてると思われたくないという理性は本能の前には無意味だった。
「私、言ったわよね。好きな人になら、彼氏なら時と場所とムードを大切にしてくれれば、チューしても良いって」
そう言った美麻は瞳を静かに閉じた。長く綺麗なまつ毛にドキドキさせられながらも、湊も瞳を閉じて美麻の綺麗なぴんく色をしたやわらかそうな、それでいてしっかりと自己主張をしている唇に湊は自らのソレをやさしく重ね合わせた。