5
それからというもの、湊は自宅でADの練習に勤しむ日々が始まった。どうすればいいか悩むところはプロの試合で似たような場面がないか探したり、分からないなりに考えたりと美麻に聞くのは最終手段として出来るだけ自分で考えた。美麻もそのことを尊重して必要以上に構う真似はしない。
たとえキルレシオと呼ばれる強さをある程度正確に表す数字が同じだったとしても、悩んだ経験がある者とない者ではいざという時に差が出ることが多々起こりうる。最短速度で上達していけば良いというものでもないのだ。回り道になっても、その先で学んだことが後々で生きてくることもある。
そんな調子で日々悠馬に勝つために練習を繰り返す湊は自分でも分かるほどめきめきと力を付けていった。
一度美麻と一緒にネトカフェに行った時にこれなら勝てるかもしれないと思わせたほどだ。
そしていよいよ八月四日、試合当日。
湊は集合時間よりも早くネットカフェに来て試合前の最後の練習に励んでいた。頭には美麻と行った店で買ったヘッドセット、手元には買ってもらったマウスがあった。
一時間以上練習しているとふいに背後から、今となっては聞きなれた凛としている声が聞こえてくる。ヘッドセット越しにでも聞き取りやすい声だ。
「やっぱり、早いわね。まだ待ち合わせ時間より早いと思うのだけど」
「結城さんだってそうじゃないですか」
丁度きりの良いところだったのでヘッドセットを外して首にかけながら振り返ると案の定美麻がいた。相も変わらず周りから注目されている様子だったが、声をかけてくるような度胸のある男はいなかった。
美麻の言った通りまだ予定している時間よりも早く、悠馬もまだ来ていない。
「私は湊くんが先に来て練習してると思ったから少し早めに来たの」
そしてその予想通り湊は先に来ていた、と楽しそうに言う。
「それで、勝てそうなの?」
「結城さんが応援してくれれば勝てると思います」
「そ。それなら大丈夫そうね」
軽口を言う湊の声色から過度に緊張していたり過剰に張り切っていないと察した美麻は適当にあしらう。
「本当の事なんだけどなー。……いてっ」
なおも言ってくる頭を軽く小突くと湊は大袈裟に痛そうにする。
「馬鹿言ってないでちゃんと集中しなさい」
そう注意すると湊もパソコンに向き直り、ヘッドセットを付けて練習を再開する。そんな姿を美麻は隣で優しく眺めるのであった。
――それから数十分後。
「湊と結城先輩、こんちは」
待ち合わせ時間十分前丁度にラフな格好をした悠馬が現れた。
「なんだもう少し遅く来た方がよかったか?」
湊と美麻が仲良さそうにしているところを見て意地悪そうに言う。
「そんなことしないでいいって。まだ時間より早いけど全員揃ったし始める?」
「おう、いいぜ」
「そうね。始めましょうか」
湊の発言に二人とも同意し悠馬は隣の席に座って試合の準備を始める。
「そういえば、少しは上達したのか?」
悠馬が嫌味ではなく純粋に気になるといった様子で聞いてきた。
「見て驚くといいわ。凄く上達してるから」
湊が答えるよりも早くなぜか美麻が得意げな顔をしてそう答える。
「なんで結城さんが答えてるんですか」
自分の台詞を取られてしまった湊は突っ込みを入れた。
「……なんでかしらね。でも見違えたのは本当だから、自信を持っていきなさい」
湊に指摘されそのことに始めて気付いたらしく美麻はきょとんとした表情を見せる。
「それは期待できそうだな……っと、準備できたぜ」
自分のデバイスをパソコンに接続しADをプレイするための準備が終わったと告げる。
「それじゃあ部屋作るよ」
そう言ってフレンドとやるためだけの部屋を作り、悠馬のアカウントを招待する。
「葛西くんのアカウントってUMAなのね」
「わざわざ名前考えるのめんどくさくて名前をもじったんですよ」
「そうなの……湊くんは?」
湊がADで使っている名前はDarReNといった。
「僕の好きな外国の小説が元ネタですよ。日本で漫画化されててそこから好きになったんです」
「へえ。……あ、ごめんなさい関係のないこと聞いてしまって」
試合を始まる前に腰を折ってしまったと軽く謝ると先をうながした。
「いえ、いいですよ。それじゃあ悠馬ルールの確認するぞ」
今回の湊と悠馬の試合でのルールは大会などでも使用されているオーソドックスなものを今回の試合用にアレンジしたものだ。
まず当たり前のマナーとして隣に座る相手のモニターを盗み見る行為は禁止されている。それを監視するための意味での美麻でもあった。
そして制限時間は五分で一本勝負でどちらかの体力が無くならない限り決着はつかない。武器の使用制限はなくグレネードの使用も可能だ。マップはお互いに有利不利が出ないようにランダムで選ばれるようになっていた。
湊は見落としがないかと心配しながら言うと「おう、それでやろうぜ」と悠馬も同意したために、そのルールで試合を始めることになる。
「どっちが勝っても恨みっこなしな」
自信満々な悠馬はにやりと笑っていた。その目つきはすでに臨戦態勢だ。
「当然」
たとえ偶然で決着がついてしまってもそれはその偶然を引き起こしてしまった自分が悪いのだ。日々の練習とは実力を高める以外にもそういった偶然という存在を極力させる意味もあるのだ。卑怯、まぐれ、タイミングが悪かった、そんな言葉は敗者の言い訳でしかない。
どんなに有利でも、大切な局面であっても一度のミスで覆されることはプロの試合でもあることで、そんな部分もFPSの魅力だ。
二人とも……いや、美麻も含めて三人ともそのことは百も承知だ。
湊がヘッドセットを悠馬がイヤホンを付けて準備すると、丁度マップを読み込む終えた画面が決戦の場となるマップを映し出した。
映し出されたのは港湾と呼ばれるコンテナや停泊中の船があるマップだ。グラフィックの良いADが映し出す海は現実のものかと見間違うほどの景色の良さととバランスの良さもあり人気があった。
マップの造りとしてはコンテナやフォークリフトなどの障害物が置いてある陸地と障害物の少なく比較的見通しのいい船舶の甲板部分があり遠近ともに戦闘が起こりうる。
そんなマップを見た湊の表情は明るいものだった。ADに実装されているマップの中には遠距離武器が圧倒的に有利なマップが存在しているからだ。そこが選ばれてしまってはR5と呼ばれるアサルトライフルを使う悠馬に不利な状態で挑まなければならなかった。
そんな幸運に喜びながらスタートした試合に意識を集中させ、今までの試合で悠馬が起こしてきた行動を思い出す。
活発な悠馬であったが遊撃などを主とするプレイスタイルではなく、基本的に定石を重視した堅実なプレイを好んでいた。つまり今回のマップでは船舶に陣取り有利に進めようとするはずだ。
船に侵入するには二つある桟橋を使う以外に方法はない。だがリスポーンする場所の関係上それを阻止することはほぼ不可能だ。なぜならば、湊と悠馬がリスポーンしたすぐ近くに一つずつ設置されているからだ。
そこで湊は背後を取ろう、と考えた。阻止できないのであればその行動の裏を突けばいいのだと。そうと決めれば湊の行動は早い。民兵姿のアバターをコンテナなどの障害物を利用して極力船から見えないようにしながら足音を鳴り響かせながら走っていく。
悠馬が同じ船の中を進行してくると読み間違えていれば背後から奇襲でき、有利な状況を作り出すことが出来るのだ。仮にばれていたとしても正面から堂々と乗り込むよりはましだ。
射程の長い銃を相手にする機会が多いサブマシンガンをメインとする以上湊は相手の行動を読む力を求められる。相手を翻弄する戦い方が射程が短く、素早い行動を可能とするが故だ。
少しの間走り続けると悠馬が通ったであろう桟橋の目の前に到着した。ここに来るまでに一度として銃声が鳴ることはなく、接敵もしなかったため十中八九悠馬が船に潜んでいるということになる。
ここからはどこにいるか分からない悠馬に気取られないように足音を殺して進んでいく。悠馬のアバターが起こす些細な音を聞き漏らさないようにヘッドセットから聞こえてくるゲーム音に注意を払う。
慎重にクリアリングしながら進んでいくがなかなか悠馬のアバターを見つけることが出来ない。次第に自分の読みが外れているのではないかという根拠のない強迫観念に襲われ始める。そんな不安を乗り越えようとゆっくりと息を吸い込むと静かに吐き出す。どんな時でも焦ってしまえばミスを生みやすくしてしまいそこをつかれて負けてしまう可能性がある。
落ち着きを取り戻すとふと似た場面を見たことがあることを思い出した。それは湊自身が体験したこととではなくプロゲーマー同士の戦いを映した動画でだ。
動画ではこういった場面で片方のプロゲーマーが隠れ潜んでいてその目の前を気付かずに通り過ぎていった相手を背後から容赦なく銃弾を浴びせていた。
その隠れていた場所というのは湊のアバターがいる場所から少し進んだところに存在している。そこで湊はそこにグレネードを放り込むことにした。悠馬も同じ行動をしているとは限らないがなぜかそこに隠れているような気がしたのだ。
近くに存在する物陰に身を隠し不測の事態に備えるとグレネードを取り出して、ピンを抜いて投げ込む準備をするとそのまま目的の場所へと放り込む。
放物線を描いて飛んでいったグレネードは地面に衝突してカランッとFPSに慣れた者なら恐怖する音をたてた。すると湊の思った通りの場所に隠れていた悠馬の人目で軍人と分かる姿をしたアバターが弾けるように飛び出してきた。咄嗟の回避行動にかかわらず、しっかりと障害物に向かって走っていく。
物陰からその様子をしっかりと見ていた湊は距離を詰めるべく走り出す。態勢を整えられる前に攻撃を仕掛けたいがためだ。走ることによって生まれる足音は起爆時間に達したグレネードの爆発音によってかき消される。それを利用して悠馬が隠れた障害物へと回り込むと、足音が聞こえていなかったはずの悠馬が銃をこちらに向けて構えていた。
これは経験の差というやつだ。悠馬は経験則から湊が詰めてくると予想していたのだ。目と鼻の先で敵が銃口を向けているという状況は現実世界では恐怖以外のなにものでもない、がこれはゲームの中での出来事だ。お互いに躊躇する理由はなく至近距離でお互いを確認した二人はサイトを除く間もなく腰だめと呼ばれる状態でほぼ同時に撃ち始める。その結果サイクルの違う銃声が甲板に響き渡っていく。
しかし二つの銃声が奏でる銃声はそう長くは続かなかった。至近距離での撃ち合い故にすぐに勝敗がついたためだ。
因縁のある試合を勝したのは……湊だった。残りの体力を表す数字が危険な領域にまでなっていることを示す赤字になっていたが、何とか首の皮一枚で生き残っていた。勝敗の原因は運だった。至近距離での撃ち合いに強いAPC45だったが悠馬に待ち構えられていると想像していなかった湊は驚いてしまい少し狙いが甘くなってしまっていた。そして悠馬も一応と思って構えていただけでありしっかりと判断して湊が前に出てくるとは思っていなかった。
どちらか一方が少しでも落ち着いていれば実力によって勝敗がついていたであろう。だがそうはならなく、勝利の女神に結果をゆだねる形となってしまった。
試合の結果を示す画面にモニターが切り替わった湊は勝者という結果に終わった喜びを噛みしめる。運の要素があったとはいえ初の撃ち合いでの勝利だったのだ。 そんな湊の隣では悠馬が悔しそうにしていた。最後に少しでも気を抜かなければ、と後悔しているのだ。そんな真剣にやっていたことを示す行動に湊は感謝していた。
普通は何度も勝負に勝っている相手に対して真面目に勝負をするということはしなくなる。自分よりも格下だから手を抜いても問題ないと思ってしまう為だ。そんな相手に勝っても嬉しくないし、意味もない。この試合がそんな無意味な物にならずに済んだのは、ひとえに悠馬のおかげだ。
「本当にすごく上手くなってやがったとはな」
そう話しかけてくる声色は驚きと悔しさと半々だ。
「そりゃあこの日のために美麻さんに色々教えてもらったから。これで勝てなかったらそれこそADやめてたよ」
美麻と決めた約束の内の一つを早速行使する湊。
そんな様子に何か言おうかと思った美麻だったが、それも湊が必死に頑張った結果得られたものだと思い開きかけた口を別の方向に向けた。
「別に私だけの成果じゃないわよ。湊くんも必死になって独学で頑張ってたところあるんだから」
「そうですか……次は負けねえからな湊」
美麻の言葉に少し考え込むと悠馬はいつもの笑顔になると、また今度再戦しようと告げた。
「勿論。今度はちゃんと実力だけで勝ってやるからな」
湊も自分の腕だけで勝ちたいと、今回の勝利は偶然の産物ではないと証明する機会が欲しかった。
「それにしてもこんな日が来るとはな」
「悔しい?」
感慨深そうにしている悠馬にそう聞いたのは美麻だ。
「それはそうすっよ。でも次は勝ってやろうっていうやる気の方が高いっす」
その答えは望んでいたものだったらしく美麻は楽し気だ。
「それでこそ、男の子」
勝てば嬉しい、負ければ悔しい。そんな当たり前のことだが悔しさを素直に受け止められる人は案外少ない。負けたとしても偶然だ、調子が悪かっただけだと直視できないプレイヤーは多い。だが自分の弱さを受け止めない限り強くはなれない。
「あ、そうだ」
そんな中湊は何かを思いついたように声を上げた。
「どうしたの?」
美麻が不思議に思い目をやると湊が何やら企んでいる表情をしていた。
「美麻さんと勝負してみたい」
「え?」
予想外の言葉に思わずきょとんとした表情を浮かべる。
「だって今まで全然美麻さんとやる機会なかったから、この機会にいいかなって」
名前を呼べるようになったことに釣られて言葉遣いが親し気になっていったが、湊がどれだけ努力をしていたか知っているためことさら注意しようとは思わなかった。
「なんでそうなるの」
だが試合を挑まれたことは別問題だ。
「別にいいじゃないですか。さらに何かを要求するわけじゃないし」
「…………」
なおも難色を示す美麻に湊は多少わざとらしくなりつつも挑発する。
「僕も強くなりましたし……まさか負けるのが怖いとか?」
美麻は狙いが分かっているとはいえ、挑発されたまま引き下がったのでは気分が悪いと湊の誘いに乗ること決める。
だがその為にはまず確認しておくべきことがあった。
「葛西くんがADを始めたのっていつ頃?」
自分は部外者だとばかりに見守っていた悠馬は唐突に話しかけられて咄嗟に答える。
「今年からです。一月の頭ぐらい」
「そう…………いいわ、湊くんの挑戦状受け取ってあげる」
湊も悠馬もなぜそんなことを聞いたのか気になったが当初の目的を遂げられたため、深く聞き出すことはしなかった。
「それじゃあやりましょ」
やると決めた美麻の行動は早かった。悠馬と席を変わると自分のアカウントでADにログインする。
そしてAD内部で作った先ほどの部屋で待っていた湊と合流する。
「名前なんて読むんです?」
美麻のアカウントにはSiLvyと表示されていた。
「シルヴィよ」
「へえ…………ルールは同じでいいですよね」
「ええ。手加減はしないから、最初から本気でね」
「分かってます」
美麻の同意も得たところで、再び試合を始めることにした。美麻は元々ADをプレイする気がなかったためヘッドセットなどを持ってきていなかったが、無くても問題ないと答えたため、湊は遠慮なくヘッドセットを装着した。
モニターが映し出す画面がマップを読み込み始める間、湊は美麻がどんな戦い方をしてくるか楽しみにしていた。悠馬と違い始めて戦うことになるため、どんな戦法を取るか全く分からないためだ。
そんな中読み込み終えたモニターが映し出した風景は空港だった。
比較的大きなマップで射線の通りもいいロビーと雑多な物が多くあり身を隠して戦いやすいラウンジや免税店などといった場所に分かれている。そういった構内からは発着場が見え大小様々な航空機が停められていた。
そんな空港のロビー部分にリスポーンした湊はすぐさまマップの造りを思い出し、隠れる場所の多いラウンジの方向へと移動を開始する。リスポーンした時は必ず相手と一定の距離が離れているという約束事を利用して周囲を気にしないで数秒間走り続けていた。
そんな最中だった。一つの銃声が構内に響き渡ったのは。そんな音に咄嗟に反応して視点をそちら側へ向けようとした時だった。一発の銃弾が民兵然としたアバターの胸部を容赦なく貫いていった。
「えっ」
先ほどまで動かしていたアバターが操作不可能になり倒れ行くのをモニター越しに見ていた湊は思わず声を漏らしていた。全くの予想外の出来事だったためだ。
湊は知識としてリスポーン直後にラウンジ側に抜けようとすると、相手のリスポーンした近くの場所から狙撃できることを知っていた。プロゲーマーの試合の中でそういた場面があったからだ。しかしその狙撃はプロゲーマーであっても成功率が五割を切るというとても難しいものだ。
美麻は湊がサブマシンガンを使うということを知っているためラウンジに向かうということを読むこと自体は難しくもないが、それをこの難しい狙撃で阻止されるとは露ほども考えていなかった。
驚愕に満ちた表情を美麻に向けると、そこには誇った様子は微塵もなくただただリザルト画面を見つめていた。
「上手いですね……」
ただの一度その狙撃を成功させただけなら偶然の可能性もある。狙撃できると知っているプレイヤーならば駄目元で狙うこともあるだろう。しかし、この試合でそれを成功させてきた美麻をそんな言葉で片付けてしまおうとは思わなかった。なぜなら試合開始前と後の美麻の態度が少しもぶれていなかったからだ。ただ当たり前のことを当たり前のようにしたというそんな態度だった。
「だから嫌だったのに」
そう言う美麻は先ほどまで喜んでいた湊を落ち込ませる結果となってしまい申し訳なさそうだ。こうなると思いつつも手を抜かなかったのは、それが失礼だと思っていたから。
「…………」
湊はというと一言だけ発した後、無言を貫いていた。
そんな様子を心配した美麻は声をかけようとしたその時だった。
「凄いですっ!」
唐突に湊がそう叫んだのだ。美麻を見つめるその瞳は尊敬の眼差しでどこか尻尾をばたつかせる子犬のように見えた。
その様子は傍から見ていた悠馬も驚くほどで、当事者である美麻などは面食らっていた。
「き、急にどうしたの」
普段落ち着いている美麻が動転している様子を見せるのは珍しいことだったが、湊は驚嘆していてそれどころではなかった。
「だって、美麻さんがここまで上手いと思わなくてっ!」
「分かったから、とりあえず深呼吸して落ち着いて」
興奮して顔を寄せてくる湊から避けるように美麻は体を引きつつ言った。
そんな態度を見て我に返ったのか湊は恥ずかしそうに深呼吸し始めた。
「落ち着いた?」
数回繰り返したのを見て改めて話しかける。
「はい……すみません、取り乱して」
「それは別にいいけど」
「美麻さんそんなに上手かったんですね」
練習のためのBOT戦で見本を見せた時から相当な腕だろうと思っていたが、まさかこれほどまでの力量だとは思っても見なかった。
「まあずっと強くなろうと必死に練習してたから……ね」
そう言う美麻の表情はどこか陰があるように見えた。だがそんな様子はすぐに引っ込めてしまう。触れてほしくない部分もあるだろうと湊も雰囲気をくんで問いかけることはしなかった。
「それに特別なことじゃないわ。諦めないで続けていれば湊くんたちも強くなれるのよ」
「俺には無理っすよ。まだ少しは上手くなるかもしれないっすけど、そこまでは行ける気はしませんよ。そうなろうとしてきたけど今まで無理だったんで。やっぱ才能の差はでかいっすよ」
どんなに頑張っても上達するどころか下手になってしまったと直視したくないモノから目を背けるように笑う。
「一つ良いことを教えておいてあげるわ、葛西くん。私はそうやって何もかもを簡単に才能のせいにして逃げ出す人は嫌いよ」
悠馬の言葉を聞き捨てならないと美麻は堂々とした態度で目を見つめて言った。どうやら美麻の秘められた地雷に触れてしまったようだ。
「それは結城先輩がそんなに上手だから言えることで、俺みたいな凡人のことも考えてくださいよ」
曇りなき瞳に見つめられすべてを見透かされてしまいそうに思い咄嗟に目をそらしながらそう言い返す悠馬。
先ほどまでの雰囲気と打って変わってどこか険悪そうな雰囲気をどうにかして変えようと思い湊が行動を起こそうとすると、それを美麻が目で一睨みして制した。
「じゃあ聞くけれど。あなたは一日どれだけの時間を練習に費やしてたの? どうせ一二時間、多くても四時間とかでしょ」
「……」
言われたことに間違いがないのか、大差がないのか悠馬は反論せずにいる。
「私はその倍はやってたわ。……実際には練習とは思ってもいなかったけど。ただ好きだからずっと繰り返してた。そうしたら強くなっていただけよ。プロゲーマーなんて呼ばれる人たちなんて累計でだけど、最低でも千時間はやっているわ。最低でも、よ」
成功するためにはとにかく時間がかかる。美麻は最低で千時間と言ったがプロゲーマーの中にはそのゲームを一万時間以上やっている人もいるのだ。
「私も才能とか天才という言葉を否定すること自体はしないわ。それは確実に存在するものだから。でも私程度のレベルならそんなものはいらない。それがなくてもここまでは来れるの」
「そんな訳ないですよ!」
今まで自分がやってきたものが否定されたと感じた悠馬はネットカフェにいることを忘れて思わず声を荒げてしまう。そんな様子を気にした数人が目を向けてくるが、面倒ごとに首を突っ込む物好きはいなかった。
「そんな訳があるのがこの世界なのよ」
プロゲーマーでも難しいことでも何千、何万、何十万と繰り返せばいずれはできることだと美麻は当たり前の事のように言い、そしてそんな強さを持つ自分よりも強いプレイヤーたちを知っているような口ぶりでもあった。そんな言葉がでるのはプロゲーマーしかいないはずだった。
「一体……あなたは……?」
嘘を言っている様子もない美麻に思わず声が震えながら声をかける。
「私は、結城美麻。あなたたちの通う高校の三年生で元生徒会長。それ以外に今は何もないわ」
それだけを言うと美麻はADからログアウトするとパソコンの電源を落とした。
「帰らせてもらうわ」
気分を害したというよりは、雰囲気を悪くしてしまったことを気にした様子で美麻はそう言い残してこの場を去って行った。
そんな後姿を湊も悠馬もただ見つめるだけで声をかけることはしなかった。
悠馬も心のどこかで納得のいっている部分もあるのだろう。怒りではなく図星を突かれて苦しんでいるように見えた。
「大丈夫か」
湊が心配してそう声をかけると「悪い。俺も帰るわ」と言い残して悠馬もその場を後にしていった。
「…………」
一人取り残された湊がぽつんとしているとズボンのポケットに入れいたスマホが震えるのが分かった。
【悪かったわね、雰囲気を悪くしちゃって】
スマホを見てみるとそうアプリで美麻が謝罪の文面を入れてきていた。
【急にあんなこと言いだしたからびっくりしました】
返事を返すとすぐに美麻からもチャットが返ってくる。
【私にも譲れないものはあるから……でも決して悪気があったわけじゃないってことは理解して欲しいの】
【大丈夫です。悠馬も分かってる様子でしたから】
【幻滅したならデートも家に来るのも無しにしてくれていいわよ」
数回のやり取りをしていると唐突に美麻からそう返事が返ってきた。相手の表情、声色が分からないため冗談なのか本気なのか判断付けようないがどちらにせよ湊の答えは同じだ。
【幻滅なんてしません。むしろ美麻さんのことが分かって嬉しいです】
悠馬には悪いと思いつつもそう返答した。
それから少し間を開けて美麻からチャットが届く。
【悪いけれど葛西くんに謝っておいて欲しいの。私は連絡先分からないから】
それは湊に向けてではなく悠馬に向けての言葉だった。
【分かりました】
【助かるわ】
その美麻の返事を最後に二人の会話は終わりをつげた。
湊は悠馬に美麻の思いを伝えるべく美麻とのチャット画面のスクリーンショットを取るとそのまま悠馬に送った。