○8○ほづ
『……なんだ? よく聞こえなかったぞ。もういっぺん言ってみろや、シノ』
電話の向こうから、「ヤ」のつく怖い人たちの出すみたいな声がする。
怖い。ほんっと、声だけでも十分怖いから、それやめてほしいんだけどなあ。
「いやあの、だからね……」
それでぼくは、もう一度最初からかいつまんで、ほづにここまでの話をした。
いまぼくは、自分の部屋のベッドの上だ。
水曜日だけ女の子の格好で大学へ通っていたら、周りの男子に目をつけられてしまったこと。それで、かなーりしつこく合コンに参加しろって迫られてたこと。
だけど、幸いそれを助けてくれた人がいて、実は男の人なんだということ。
それでも、彼にはすでに恋人と呼べる人がいて、しかもそのお相手はどうやら同じ男の人であるらしいこと。
それでぼく、なんだか嬉しくなっちゃって、衝動的に「お友達になってください!」ってその彼に言っちゃったことも。
『……あのな、シノ。相手が野郎と恋仲だからって、なにか俺が安心するようなファクターが存在するのか? アホじゃねえのか、そいつらは』
うああ。なんかほづ、ものすごーく機嫌が悪い。
しかもその「ファクター」ってなに?
ほづ、大学生になってからちょっと賢くなっちゃった?
って言っても、実はほづの通ってる大学って、蓋を開けてみたらぼくのところよりもかなりランクが上だったんだよね。
ほづは、高校のサッカー部が最終的に全国大会ベスト十六位までにぎりぎりで残れずに終わっちゃって、スポーツ推薦が使えなかったんだ。だから自力で、つまり学力でその大学にパスしたんだもんな。
本当にすごいと思う。根性だったら誰にも負けないんじゃないかな。ほんと、超有名どころとまでは言わないけど、それでも誰でも知ってるような大学名なんだもん。ゆのぽんの所ほどじゃないけど、かなりなレベル。
そうは言っても、実はほづもちゃんと自分でそれなりに勉強はしてたらしい。ぼく、けっこう傷ついてたんだよねー。授業中、延々と寝ているほづのために一生懸命ノートを取ってあげてた日々って何だったのかなあって。
本人は涼しい顔で「知らねえのか、シノ。サッカーは頭脳のスポーツなんだかんな」なんて嘯いてたけど。ほんっと、ズルイよ。
ま、それもほづらしいとは思うし、ぼくも楽しかったからいいんだけどね。
と、過去の思い出にひたっているぼくの頭を、ほづの機嫌の悪い声が一気に現実へと引き戻した。
『その野郎が男が好き、っつうなら余計に心配するに決まってんだろうが。しかもてめえ、自分の体の性別バラしたってか。アホか。どアホウなのかてめえは、シノ!』
「え? ああああの、いや、でもっ――」
いや、そうなの?
よくよく考えてみればそうなのかな?
あ、でもあちらは、そもそもぼくを女の子だと思ってその話をしてきたわけだから――
え? でもそのあと、ぼくが体のことバラしちゃったんだから……あれれ??
ああ、なんかもう、頭がこんがらがってきちゃったぞ。
こういう時、ほんと、ゆのぽんみたいな数学脳が羨ましくなっちゃうんだよね。
そんなこんなでぼくの頭の整理がつかないうちに、また唸るような低い声がスマホから聞こえてきた。
『とにかく。そいつと会うのは今週末なんだな。分かった。予定は空けとくわ』
「あ、うん。ありがと……。あのっ、でも、暴力はダメだからね? 内藤くん、そういう荒事に慣れてる感じじゃないから、まったく! わかった?」
くかかか、と、なんだか凶悪な笑い声が聞こえてきて、ぼくは背筋がぞわっとした。
どうでもいいけどそれ、地獄の使者か何かみたいだよ? ほづ。
いや、なんかもう閻魔様?
『んなこたあ保証できねえ。野郎が真性のカスで、もしお前に対する下心なんぞちらっとでも覗かせやがったら、それなりの制裁は覚悟してもらわねえとな。鉄拳のひとつぐれえはお見舞いさせてもらうのが道理ってもんだろうがよ』
「えええ! ダメだって! 内藤くんが死んじゃうよ! やめて、お願いだからやめてあげて……!」
ふん、と向こうで鼻を鳴らす音だけがした。
あああ、ダメかも。内藤くんがピンチかも。
やっぱりアレだよ。向こうの彼氏さんにも参加してもらうが吉だよ。絶対に内藤くんに、先に連絡してそう言っとかなくちゃな、うん。だってそのために、このあいだ連絡先の交換だってしたんだし。
『で、あのイケメン女も来るんだな?』
「……あ、うん。そういえば久し振りだね。三人で揃うのなんて」
「イケメン女」っていうのは、ゆのぽんのこと。
柚木美優さんは、ぱっと見、本当にアイドルか何かかと思うぐらいにすらっと背の高い美形さんなんだ。ただし、男性アイドルだけど。
ぼくはやっと気持ちが浮上してきて、少し声を弾ませた。
「大学に受かったあと、入学の直前に向こうで集まって以来だよね。楽しみだなあ」
『……ケッ』
え? いまほづ、「けっ」て言った?
『そんなの、何が楽しみなんだよ。お邪魔虫だらけじゃねーか。あーうぜえ。お前と二人きりになれねえんなら、どこで会おうがおんなじだわ。つまんねえ』
「も、もう……ほづったら」
どさくさに紛れてなに言ってるんだろうなあ、この人。
っていうか、この頃ちょっとスケベすぎない? 二人きりになったら速攻、なにされるか分かったもんじゃないよね、ぼく。
……でも、うん。ちょっと嬉しい。
ほづの周りにだって、うちの大学に負けないぐらい可愛くて綺麗な本物の女の子たちがたくさんいるのは分かってるんだし。こんなに離れてて普段ろくに会うこともできない、心の中だけが女の子の奴のことなんて、すぐに忘れられても仕方ないのに。
こうやって、まだちゃんと求めてもらえているのは、正直うれしい。
ぼくの気持ちを読み取ったのか、ほづの声が急に夜のものになった。
『……なあ。そのミーティングが終わったら、ちゃんと二人になれんだよな? シノ』
「え、……ええ?」
『泊まってっていいんだよな? お前ん家』
「あ、あううう……」
わああ。ダメだって、その声。
なんか最近のほづの声、どんどん色っぽくなってるんだもん。
低くて深くて、まっすぐ腰にくるんだもん。
『約束しろよ。……でねえと行ってやんねえかんな』
そんなあ、ほづ。
ぼくだって、ほんとはめちゃくちゃ楽しみにしてるのに。
それが分かってて、すぐにこうやってちょっと意地悪を言いたがるんだから。
でもぼくは、やっぱりそれに負けてしまう。
だから最後は、いつもこんな感じで電話を切るんだ。
「……わかったよ。お泊まりの用意、ちゃんとしてきてね? ほづ……」