○6○内藤くんの秘密
「ぼくもだよ!」
コーヒーショップじゅうに響くような声でそう叫んでしまってから、ぼくははっと我に返った。
内藤くんはもちろんのこと、店の中にいるほかのお客さんも、びっくりした目でぼくを見ている。
(うわ……!)
しまった。
と、とんでもないこと言っちゃった……!
かあっと耳まで血がのぼってくる。
「あ……の。とりあえず、座って? 篠原さん……」
驚きから立ち直ったらしい内藤くんが、困ったような笑顔になって勧めてくれて、ぼくはぺたんと椅子に腰を落とした。
脳内の血がぜんぶ、逆流してるんじゃないかと思った。
どうしよう。バカじゃないのぼく。
何が「ぼくも」なんだよ、どう説明するんだよ……!
「えーっと。で、何が?」
ほら、内藤くんが訊いてるじゃないか。
「えっと……、ええっと――」
ああ、だめだ。なんにも言い訳が思いつかないよ……!
内藤くんは、やっと店内の目が全部こちらから逸れてくれたらしいのを確認したみたいで、そっと声を落としてこっちに顔を寄せた。
「……あの。もしかしてそれ、『同性と付き合ってる』っていうこと? でも、確か篠原さん、はっきり『彼氏』って言ってたよね? さっき」
「あ。……う、うん……」
そうだね。そう言っちゃってるよね、ぼく。
それに、今のこの格好でこのシチュで「同性と付き合ってる」ってことは――。
(ぼく、まさかの百合疑惑ですか? いや、待ってよ……!)
それはそれで、どう考えても無理がありすぎるよ!
色々考えすぎて目玉がぐるんぐるん泳いでいるだろうぼくを見ながら、内藤くんも困った顔になっちゃっている。
「それじゃあやっぱり……男と付き合ってる、ってことなんだよね?」
内藤君の頭のなかにはいま、沢山のクエスチョンマークぶんぶん飛び交っているんだろう。ああもう、なんだか即イラストに起こせそう。ほんと、目に見えるみたいだよ!
「でも、別にそれ、篠原さんなら普通のことなんじゃ……ないの? なんでそんな?」
あああ、そうだよなあ。
内藤くんは、ぼくのことを本物の女の子だと思ってる。そういう反応するのが当たり前なんだよなあ!
ああ、ぼくのバカ。
つい嬉しくって、舞い上がっちゃったんだよね。
この内藤くんが、男同士で付き合ってるっていう、この普通でないことを共有してくれる人だってわかって。なんかすごくすごく、嬉しくなっちゃったんだもの。
きっとこの人なら、ぼくが抱えてること、悩んでることの多くの部分をちゃんと理解してくれるはず。きっと仲良くなれるし、話だってすごく合うはず。それがなんだか、本能的にわかった気がしちゃったんだ。
それにぼく、自慢じゃないけど真性の「腐」だし!
目の前に生のBLメンがいると思ったらもう、いけない脳が勝手に暴走しちゃったんだもん!
うわあ、どんな人なのかなあ、内藤くんのお相手。
っていうか内藤くん、やっぱ受けなの? そうじゃないのかな?
受けだといいなあ。ぼく、そっちのが好みだもん。
お相手の人、どんな人かものすごーく気になっちゃう。カッコいいのかな。それとももっと普通な感じ?
同い年で内藤くんに勉強を教えてたぐらいなんだから、すごく優秀な人なんだよね。
しゅっとして冷たい系のツンデレなのかな。それともあったかくてほっこり系?
いや、デレ甘なのもぼく、好きだあ!
ああ、この場にゆのぽんがいてくれたら、この喜びを丸一日かけても語り合うのにい! いや、そんなもんじゃ足りないな。丸三日は固いかも。
「あの……。篠原さん?」
ああ、内藤くんがどんどん怪訝な顔になってる。ぼくがあんまり挙動不審なせいだよね、そうだよね。
「あ……の。ご、ごめんなさい……」
ぼくが、やっと内藤くんに向かって蚊の鳴くような声で言えたのは、それだけだった。
ごめんなさいごめんなさい。妄想を暴走させてごめんなさい!
「な、……なな、何か、かんちがい、しちゃったみたいで――」
ああ、声が震えちゃった。
ダメだ。こんなの、「嘘ついてます」って言ってるようなもんじゃないか。
もう、恥ずかしくてどうしようもなくて、ぼくは両手で顔をすっかり覆って俯いてしまった。
「わっ。あ、あの……!」
内藤くんの声が焦ったものになる。
「あの、な、泣かないで。篠原さん……!」
いや、ちがうよ。
そうじゃないんだよ、内藤くん。
単に、めちゃくちゃ恥ずかしいだけだよう!
ああ、でも、勘違いでもないのかな。勝手に涙まで出てきちゃったし。
体はがくがく震えてきちゃうし。
「えっとあの、ごめ――」
「ちがう! ちがうの。ごめんなさい、そうじゃなくって……!」
顔を隠したまま、じたばたしてしまう。
ぼくはそろっと顔から手をずらして、目だけを覗かせて内藤くんを見返した。
「ありがとう。すっごく大切なこと、教えてくれて……。それで、びっくりしちゃって、嬉しくて」
「……嬉しくて?」
何を言われたのか分からないという顔で、内藤くんが眉を八の字にする。
ぼくは「うん」、と頷いて、こちらからも彼に顔を寄せ、声を落として囁いた。
「すごく、すごーく勇気が要ったでしょう? いくら彼氏さんがいいって言ったって、つい最近知り合ったばっかりのぼくなんかに、そんなナイーブなこと打ち明けるなんて」
「あ、……うん。いや――」
「……だから」
ぼくはそこで、まっすぐに内藤くんを見て姿勢を正した。
「だから、ぼくも言います。ぼくの、とても大切なこと」
「え……」
内藤くんが目を瞬かせた。
「君には、ちゃんと知っててほしくなっちゃったから」
本当は、今の今まで言うつもりもなかったんだけど。
彼がそこまで決心して言ってくれた以上、ぼくだって黙っているのは心苦しい気持ちになったもんだから。それに、やっぱりこうするのがフェアだと思うし。
「でも、あの……驚かないでね?」
そうしてぼくも、そっと口許に手をあてて、まるで内緒話をするみたいにして内藤くんの耳に口を寄せた。
「…………」
内藤くんは思った通り、そのまましばらく絶句してた。
目を白黒させて、かちんこちんになって。口なんか、金魚みたいにぱくぱくさせちゃって。
そうして、信じられないものを見る目で、本能的に一瞬だけ、ぼくを上から下までさっと見た。でも、すぐに「あ、ごめんね」ってものすごく反省したみたいな顔で謝ってくれた。
それは、それがとても不躾なことだってちゃんとわかってる人の声だった。
本当に申し訳なさそうだったし、彼が自分のしたことに恥じ入ってるのがよく分かった。
ぼくは「ううん、大丈夫」と内藤くんに笑って見せた。
「……あの。それでね?」
それから、ぎゅっと目をつぶった。
「もし、こんなのでも良かったら、なんだけど……」
言うぞ。言っちゃうぞ。
だって、言いたい。
こんなこと、多分ぼく、生まれて初めて言うと思うけど。
「おっ……お、おおおおお」
「……は?」
内藤君の目が点になる。
ああ、ダメだ! ぼく、まためちゃくちゃ吃ってる!
落ち着け。これじゃなんにも伝わらないよ!
「お、おおっ……お友達に、なってくださいっ……!」
ああ、やっと言えたあ。
うあああ、言ったらもうなんか、体じゅうが熱くなってきちゃった。
心臓が口から飛び出そうとか言うけど、あれって本当なんだな。うるさいぐらいばくばくいって、相手の声も聞こえなくなりそうなほどだ。
そういえばぼく、自分からほづに告白したんじゃなかったけど、もしもあの時そうしてたら、こんな風になったのかもな。
「……あ。あの、えっと……」
内藤くんはやっといま、びっくり状態から復活してきたみたい。
そうっと薄目を開けて、彼の顔を覗いてみる。
もしも嫌そうな顔されてたら、すぐ言うんだ。
「ごめんね、冗談、冗談だよ!」って。
そして笑うの。
……大丈夫、笑えるから。
だっていつもいつも、そうやってきたもの、ぼく。
だけど、そんな心配はいらなかった。
内藤くんは、なんだかぽうっと赤い顔をして、恥ずかしそうに微笑んでいた。
それから、ぽりぽり頭なんか掻いて、こう言った。
「……うん。いやあの、こちらこそ。俺なんかでもよかったら……だけど」
その瞬間。
どうってことのないコーヒーショップの内装が、一段あかるくなったみたいに思えた。
「……うそ。本当……?」
内藤くんが、赤い顔のまま苦笑する。
「うん。て言うか、それちょっとおかしいよ? 篠原さん……」
ぼくの矛盾だらけの言葉を、ちょっとからかってみたりして。
(……ああ。やっぱり、いい人だ)
ぼくはなんだか、胸の内側からぽかぽか温かいものが溢れてくるのを感じていた。
ほづ、ゆのぽん。
ぼく、とってもいい人に出会えたかも。
これからの大学生活に、なんだか自信がわいてきちゃったかも。
ここからやっと、楽しい学生生活が始まりそう。
すごくすごく、今、そんな気がしてきちゃった。
そうしてぼくは、すぐに思ったんだ。
「この人、二人に会わせたいなあ」って。
それは、この内藤くんのことを二人に判定して貰うなんてつまんないことじゃなくて。ただ単純に、「ぼく、こんないい友達ができたんだよ」って、二人に知って欲しくなっちゃったんだ。
だからすぐ、その気持ちを言葉にもした。
「ねえ、内藤くん! ぼくの大事な人たちに会ってくれない?」
ってね。