◇5◇ナイスカバー
翌週の、水曜日。
俺は予定通り、同じ講義のある大教室で篠原さんに会うことができた。
だけど、すぐに話をすることはできなかった。今日はなんと、講義の始まる前から彼女のまわりに男どもの壁ができていたからだ。
「本当にごめんなさい。彼氏にものすごく怒られちゃって――」
必死に言い訳している篠原さんの困った声が耳に届く。俺は鞄を肩に掛けたままで足を早めた。そちらに近づき、あえて軽い調子で声を掛ける。もちろん、にっこり笑顔は忘れない。
「あ〜、ゴメンね。今日も俺、篠原さんの彼氏から、ちゃんと送ってこいって指令を受けてきてるんで」
「なんっ……またかよ!」
男の一人が吐き捨てるように言う。ほかの奴らも、不満げにこっちをじろじろと睨んでる。
ああもう。そんな飢えた獣みたいな目をしちゃダメだって。女の子は余計に怖がっちゃうでしょ!
「えーと、篠原さん。今度の休み、確かあいつ、こっちに来られるって言ってたよね? いつだっけ、あれ」
俺は佐竹から事前に指南されていた通り、ちょっとカマを掛けるような感じで篠原さんに水を向けた。
篠原さんは一瞬きょとんとしたようだったけど、すぐに俺の意図を察してくれたらしい。「了解」と言わんばかりに、胸の前で拳をにぎりしめ、こくこくとうなずいた。なんかこういうとこ、ほんと可愛い。ちょっと小動物っぽいんだよな。
「えっと、うん。ほづ、今週末に来てくれるって」
ああ、彼氏のこと、「ほづ」って呼んでるんだな。
俺はにこにこ笑いながら、野郎どものほうに向き直った。
「なんだったら、紹介しようか? 先週のことを話したら、あっちもみんなの顔、えらく見たがってたみたいだったし」
「え? いや、俺らは――」
とたんに、ひとりが尻込みをした。俺はここぞとばかりに畳み掛ける。
「あ、でも気をつけてね? あいつ、結構凶暴だから」
言いながら、目立たないように篠原さんにも目配せをする。
お願い、話を合わせてね。
篠原さんは、「ああ」とばかりに顔の前でぽんと手を叩いた。
「そっ、そうなの。結構、腹を立てると見境いなくなるときがあって……。前に、ちょっとぼくが危ない目にあったときにも、相手の不良みたいなの、ひとりで何人もぼこぼこにしちゃったりして。何人か、病院に行ったみたいだし……。あのときはほんと、大変だったの」
おお、篠原さん、ナイスカバー。
っていうかそれ、なんとなくだけど、あんまり嘘をついてる感じじゃないよね?
え、もしかして実話ですか?
だったら怖えぞ、篠原さんカレシ。
ま、とにかく。
篠原さんの言葉の威力は絶大だった。
「あ〜、えっと。そういうことなら」
「じゃ、俺らはこれで――」
「またね、篠原さん」
こういうの、効果覿面って言うんだな。周りの男どもは、急に腰が引けたようになってお互いの顔を見合わせ、頭なんか掻きながら、もう後ろの席へと退散しはじめている。
さすがは佐竹。作戦は無事に完了だ。
実はそれもこれも、佐竹が事前に俺にレクチャーしてくれた流れだったんだよね。
篠原さんがちょっと嬉しそうに微笑んで、声を出さないまま俺に向かって「ありがと」、と口を動かした。
俺も彼女に小さく首を横に振り返して、そのまま自分の席へ戻った。
◇◇◇
帰り道。
俺ん家の最寄り駅、改札前。
俺は目の前で頭を下げて「ごめんね」と謝ってくれている、篠原さんの言葉に驚いていた。
「え? 篠原さんもこの駅だったの? マジで?」
「うん。ごめんね……? ほんとはぼく、この近くのマンションなんだ」
そう。つまりは、そういうことだ。
先週、まだ俺のことを信用できなかった篠原さんは、わざと俺が駅で降りるのを見送ってから、再びここに戻って改札を出たらしい。
うん。まあ当然だよな。
うら若い女子がおいそれと、知らない野郎に住んでる場所を教えたりしたら危なすぎる。
篠原さんはそのまま、「お詫びにおごらせて」と言って、ちょっと強引な感じで俺を駅構内にあるコーヒーショップへと引っ張っていった。こっちにもしたい話があったわけなんで、俺もありがたくそれに同行させてもらう。
ガラス張りの広い窓に面したカウンター席に落ち着いてから、俺は早速、話を切り出した。
「あのね、篠原さん。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」
「……うん?」
俺は普通のアイスコーヒーだったけど、篠原さんのチョイスはやたら甘そうなクリームやチョコソースなんかがごってり乗った「アーモンド・なんたらかんたらラテ」とかいう飲み物だ。どうやら甘いもの好きらしい。女の子って、そうだよなあ。
今日は長い髪のこめかみのあたりを少しだけ編みこみにして、夏らしいバレッタで後ろでまとめている。どんなスタイルにしてても、可愛い人は可愛いよなあ。彼氏、なんだか羨ましい。
「えっとね、こないだちょっと話したことなんだけど。覚えてるかな。俺に、付き合ってる奴がいる、って話」
「……ああ、うん」
篠原さんが目をまるくして、ちょっと椅子に座りなおした。
「あれ、別に嘘じゃないんだけど。でもちょっと、あんまり普通とは言えないところもあって。つまり……」
「……うん」
ああ。篠原さんが変な顔になったぞ。
どうしよう。どうしたらうまく言えるかなあ。
「えーっと。ものすごーく言いにくいんだけど……。まあ、あいつ自身が『言っていい』って言ったから、もう言っちゃうね?」
「……うん……?」
やっぱりよくわかんないって顔で、篠原さんが首をかしげた。
俺は一度、息をしっかり吸い込んでから、あとはもう一気に言った。
ただし、小声で。
「……俺のつきあってるの、男なんだ」
「え……」
「同い年の男。もと、同じ高校の同級生。名前は佐竹って言って――」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って――」
篠原さんがやっと我に返ったみたいになって、必死に顔の前で両手を振った。
「……え? 内藤くん……男の子と、付き合ってるの? ……ホントに??」
「……う、うん……」
「ホントの、……ホント??」
「……うん」
真ん丸くなった綺麗な目で間近からじっと見つめられて、俺は少し耳が熱くなるのを感じた。まあ、佐竹にはちょっと、いやだいぶ、「男の子」って言葉そのものは似合わない感じだけどね。
ああ。いま俺、全力で「キモい」って思われてるんだろうな。
やっぱそうだよな。
佐竹はああ言ったけど、やっぱし言うべきじゃなかったのかも。
なんか速攻、ここから逃げ出したくなってきちゃったぞ。
ところが。
彼女の反応は、俺の予想のだいぶ斜め上をいくものだった。
がたっと椅子の鳴る音がしたのは、篠原さんがいきなり立ち上がったからだ。
とはいえ窓際の背の高い丸椅子はちょっと不安定で、その拍子に篠原さんはぐらりと落っこちそうになった。思わず俺は手を出して、彼女の二の腕をつかんで助けた。
彼女はそれにも気づいていないようだった。代わりにさらに、ぐいと俺の方へ顔を近づけるようにしてくる。
「……ぼ」
うわ、睫ながいなあ。
間近で見ても、ほんと可愛い。
頬が完全に紅潮している。瞳がきらっきらしてて、ちょっと怖いぐらいなんだけど。
なんだろう。なんか、興奮してるみたいだ。
「ぼくもだよ!」
「……へ?」
俺は阿呆づらよろしくぽかんと口をあけて、目の前の美少女としか言いようのない、小柄な女の子を見返した。