○4○ゆのぽん
※軽めですが、レイプに関する記述があります。ご注意ください。
『やっと友達ができた……と思ったら男の子か! やるなあ、しのりん』
「いや、まだ『お友達』って言えるかどうかは微妙なんだけど」
その夜、ぼくは他大学に通う友達に電話をした。
ゆのぽん――柚木美優さん――は、同じ学校に通っていたことはないんだけど、ぼくのとても大事な友達だ。実はぼくと同じジャンルで同人誌を作ってて、一緒にそういうイベントなんかにも参加している、いわゆる「腐仲間」だったりするんだけどね。
ゆのぽんは、見た目はもう完全に美形の男子にしか見えないっていう、すらっと背の高い女の子。頭もすごく良くて、大学受験に関してはものすごくお世話にもなった、とても大切な友人だ。
ゆのぽんの家庭は複雑で、両親ともがいわゆる「毒親」なんて呼ばれる種類の人たちらしい。ぼくが彼女から聞いた話はごく一部だろうと思うけど、彼女はそんなつらい家の中でひとり、高校生になるまでずっと、息を殺すようにして生きてきた。
だけど、幸いにもそういう家庭にありがちな親による精神操作にはどうにか取りこめられずに済んで、ゆのぽんはこの大学進学を機に、親元をなんとかして離れようとずっと前から計画してきた。そしてこのほど遂にその目的を遂げ、今では関東の某有名大学の学生さんになっている。もちろん、あっちで一人暮らしだ。
有名大学のネームバリューはやっぱり凄くって、家庭教師や塾の講師なんかの口にはまったく困らず、今では結構な稼ぎまであるみたい。いいなあ。そういえばゴールデンウィークにあったオンリーイベントでも、ゆのぽんは使えるお金が明らかに倍増していたもんね。羨ましい!
あ、もちろんゆのぽんは、親の口出しを封じるためという意味もあって、かなりの額を親元にも送金しているらしい。そればかりじゃなく、国公立の大学だからっていうのもあるけど、頑張れば学費まで自分でなんとか賄えてしまうみたい。
すごいよなあ。ほんと尊敬する。
ぼくがぼんやりそんなことを考えているうちにも、ゆのぽんの優しいお説教は続いている。
『大丈夫なの、しのりん。そいつだって、男なんでしょ? ほかのチャラい合コン野郎どもよりはマシだとしても、ちゃんと用心して付き合わなくちゃいけないぞ? うっかり二人きりになんて絶対になっちゃダメだよ?』
もう今更なんだけど、この通り、ぼくらは「ゆのぽん」「しのりん」と呼び合う間柄。
「うん、分かってる。でも、大丈夫だと思うんだよ。内藤くん、『付き合ってる人がいる』って言ってたし。ちゃんと宣言どおり、自分の降りる駅で降りていったし」
そうだった。
昼間、ぼくらは結局同じ電車に乗って帰ったんだけど、内藤くんは予告どおり三つ先の駅で電車を降り、にこにことぼくに手を振って、ほんとうにそのまま帰っていった。
その笑顔はただ優しいだけのもので、底意もなにもなさそうに見えた。
内藤くんには申し訳なかったんだけど、ぼくはそこから一駅だけ先へ行ってUターンし、同じ駅で電車を降りた。
ゴメンね、内藤くん。実はぼくも、内藤くんと同じ駅を使ってたんだよね。
ぼくの家はそこから歩いて数分のワンルームマンションだ。ぼくの側の事情により、いわゆるレディースマンションには入れなかったわけなんだけど、それでもそれなりにセキュリティのちゃんとした部屋を両親が懸命に探してくれたんだよね。
駅からも近いから部屋代はけっこうなものなんだけど、「そういう問題じゃないから」と言って、両親はここをぼくに勧めてくれた。そこはほんとに、感謝してる。
「だからね、ゆのぽん。ぼくは内藤くん、嘘なんてついてないんじゃないかと思う。そんな、悪い人じゃないんじゃないかなって」
『……そっか。でも、人には裏と表があるからね。実際、その彼に会ってみないとなんとも言えないかな。なにしろしのりん、優しくて素直すぎるんだもん」
「うわ。いや、ぼく、多分そこまでじゃないと思うよ――」
そんな、思いっきり力をこめて言われると、めちゃくちゃ恥ずかしくなっちゃうじゃない。
『いーや、十分そこまでだね。あっというまに誘導されて、気がついたら二人きりでどこかの個室にいたりするんじゃないかなあ』
「ま、まさか。そんな――」
『いいかい? しのりん。理由はどうあれ、みずから一緒に部屋に入っちゃったりしたら、強姦罪なんてほぼ成立しなくなっちゃうんだからね? もう、ほんとに、ほんっとーに心配だよ、僕は!』
「な、なに言ってるの! ゆのぽんったら……」
ゆのぽんはとってもさばさばしていて優しくて、見た目どおり本当にイケメンの男の子みたいな性格だなと思うけど、多分ぼくはそんなことはない。
「和馬」なんて名前をつけられてることからも分かるとおり、ぼくの体は男のものだ。ぼくは男の子として生まれてきて、両親もお医者さんも、赤ん坊だったぼくの体を見て男の子だと判断し、残念だけど戸籍にもそういう名前を届けてしまった。
だけど、ぼくの心の中はそうじゃない。
ずっとずっと、ぼくはこの心と体の性別の違いを抱えて生きてきた。
そして、一昨年のあの事件が起こるまでは、家族にすらそのことを隠していた。
ぼくは、そういう人間だから。
二面性がある、って言うなら、女の子こそそうだと思う。
ここだけの話、ぼくだって、ほづやゆのぽんの前で見せている顔しか持ってないわけじゃないもの。
あ、「ほづ」っていうのが、いわゆる今のぼくの「彼氏」だ。
苗字は茅野。茅野穂積。
同じ高校に通ってた、元クラスメイト。背が高くて、サッカーが好きで、大喰らいで。ちょっと怖そうに見えるし言葉は悪いし、実際ちょっと乱暴者だし、なんだかぶっきらぼうなところはあるけど、でも、心はとっても優しい人。
ああ、こんなこと言ったら、ほづにはハタかれそうだなあ。
……でも、大好き。
やっぱり、ほづには嫌われたくない。
別にもともと男が好きなわけでもなかったほづが、なぜかぼくを好きになってくれて、今ではこういうことになっちゃった。でもそんなの、いつ「嫌いになった、飽きた」って捨てられてもおかしくないって思ってる。
だってぼく、女の子の体はしてないし。
実際、ずっと男の子として生きてきて、男の友達同士のぶっちゃけた話なんかも聞いてきた身として、それは痛いほど分かってる。男子がいかに女子の体に興味を持っているかなんて、嫌というほど思い知らされてきたんだもの。
ほづだって間違いなく、健康な男子の一人。だからいつ、「やっぱやーめた、女が抱きてえ」って言われたって仕方がないんだ、ぼくなんか。
だってまだ、体だって前のままだし。
実はぼくも、大学に入ってからどこかでアルバイトを始めたくて、勇気をふりしぼってコンビニとかファミレスとかを中心にいくつか面接にもいってみた。だけど、正直に事情を話してみたら、結局、全部から断られてしまった。
親からもほづからも、「絶対にいかがわしいバイトはするな」ってきつく釘を刺されちゃってるから、そもそもそういう水商売関係のお店には履歴書をもっていくことはしなかったんだけど。でももう、どうしたらいいんだか。
男として扱えばいいのか女として扱えばいいのか、店長さんたちだって困った顔をしていたしね。そもそも、どっちの更衣室を使わせたらいいのかっていう、そこから問題が発生するわけだし。
「男として雇えば夜間の割のいいバイトができるんだよ」って勧めてきたコンビニの店長さんもいたけど、ぼく自身がそんな深夜に一人で店にいるのは怖くてたまらないし。夜道をひとりで歩くのも怖いし。
「体が男なんだから、そんなことはいいんじゃないの」って、軽く言う人もいたんだけど、やっぱりそんなわけにはいかなかった。だってぼく、高校で一度、複数の男子に無理やりそういうことをされかかったこともあるし。
あのときはすぐにほづが助けに来てくれたから大事には至らなかったけれど、だから恐怖を感じないかって言われたら、それは絶対に違うと思うんだ。
ひとりの時にはどうしても怖くて、暗がりや素行の悪そうな男子の群れなんかに近づくのは身がすくんでしまう。もうそばにほづはいないんだから、自分がしっかりしなきゃって思ってるけど、体は思うようには動いてくれない。
世の中には、レイプ被害に遭った人に向かって「襲われたら大きな声を上げればいいじゃないか、抵抗すればいいじゃないか。そうしなかったのはお前に受け入れる気持ちがあったからだ、望んで犯されただけじゃないか」なんて、心無いことを言う人がいるらしい。
でも、その身になってみてよくわかった。あんな時に、大声を上げたり暴れたりなんて、そうそうできるもんじゃない。怖くて怖くて、身が竦んで。喉が捩れたみたいになって、声なんてろくに出なくて。ただ震えて、泣いて、「やめて」って懇願するだけが精一杯。
あれは本当に、そういう目に遭ってみなくちゃわからない感覚なんだろうと思う。
そんなわけで、もう夏になろうかというのにちゃんとしたアルバイトも決まっていなくて、ぼくは体を変えるためのお金なんて、まだ少しも貯められていないというわけ。
いや、もちろんまだ、ほかのバイトも探してみるつもりだけどね。
そんなこんなで、ぼくの体は、ほづとおんなじ、男のものだ。
だからほんとは、とっても怖い。
いつ、あのほづが「悪いな、もう別れようぜ」って言い出すかって思ったら、夜も眠れなくなっちゃうぐらい。
その上、いまは大学も分かれちゃって、あんまり会えなくなっちゃってるし――。
ゆのぽんは、ぼくがだんだん泣きそうになりながら言うそんな言葉の数々を、だまってゆっくり聞いてくれた。
『……あのね、しのりん』
そうしてやがて、ちょっと言いにくそうにこう言った。
『これ、やっぱり……早めに茅野にも知らせておいたほうがいいかも知れないよ? まあ、言いにくいだろうとは思うんだけど』
ゆのぽんが言ったのは、あの内藤くんのことだった。
「え、そう……? やっぱり、ゆのぽんもそう思う?」
『うん。まあ、言い方はしっかり考えておいたほうがいいと思うけどね。それに、本当にうまくいけばだけど、もしかしたら大学で、その内藤くんが茅野の代わりみたいなこと、してくれないとも限らないわけじゃない。つまり、体のいい「虫除け」ね。そうなったらこっちだってラッキーなわけだし』
「うーん……。そう、かなあ……」
『っていうか、あとになってその内藤くんのことが知れたりしたら、きっとあの野郎は激怒すると思うんだよねえ。なにしろ、茅野はしのりんのこと溺愛してるから』
「できあ……、あのね、ゆのぽん――」
すごい熟語がきちゃったな。
ちょっと絶句するよ。
『すったもんだあった挙げ句、別々の大学に行くことになっちゃってさ。あの野郎は結局、サッカーのできる大学を選んだんじゃない』
「そ、それは、いいんだよ。ぼくだって『そうして』ってお願いしたんだから――」
そうだった。進路を決める段階で、ほづはぼくのことを心配して、本当は行きたかった大学を諦めそうになったこともあったんだよね。
でもそんなの、やっぱりぼくは嫌だったから。サッカーやってるほづが好きだったし、ぼくなんかのために人生の色んな大切なこと、諦めて欲しくなかった。
と、ゆのぽんの声がぐっと皮肉な色を帯びた。
『そのくせ、進路が決まっちゃった後になって、あいつがどんなにしのりんのこと心配してたか分かる? そりゃもう見ものだったんだから!』
「え、そうなの……?」
『そうなんだよ〜? 一応、同じ関東圏ではあるけど、すぐには飛んで来られないような距離だしさ。そりゃもう、「柚木、お前のほうが大学近えし、ほんとよろしく頼むな、シノのこと」って、あの茅野が僕に頭さげたんだから! しかも公衆の面前でさ。凄かったよ〜。ほんっと、しのりんに見せたかったね、あれは』
「え、ええええ……?」
それは初耳だよ。
なにしてるんだよ、ほづ……!
恥ずかしいな、もうっ……!
あははは、と明るい笑声がする。
『これ、ほんとは口止めされてたんだけどね。まあいいや。他ならぬしのりんを勇気づけるためなんだから。あいつだって、ぼくの命まではとらないでしょ』
「いやあの、ゆのぽん……。それ、だめでしょ……」
ぼくはがっくり、肩を落とした。
それにしても。
ほづに、内藤くんのこと、言うのかあ……。
ああ、気が重いなあ。
どぎまぎして、また変なこと言っちゃわないかなあ、ぼく。