○3○お手討ち
「確かに出版業界もコワいとこよね。話には聞いてるわ」
「そ、そうなんですか……?」
ぼくはびっくりして、美麗さんにそう訊き返した。
「ええ、まあね。あっちがシノちゃんを本物の女の子だって勘違いしてるんだとすると、そりゃもっと危ないことが待っていてもおかしくないわよ?」
「……どういうこったよ」
ほづが厳しい目になって、じろりと美麗さんを睨んでいる。
「まあねえ。夢多き若人に、あんまりこういうギスギスしたこと言いたくはないんだけど〜……」
とちょっとため息混じりにそう言って、美麗さんは話を始めた。
美麗さんの周囲には、仕事がら、やっぱり色んなことで金銭的に困った人たちの噂が絶えない。
そういう話の中に、最近はこうした若い人にまつわる出版業界の金銭問題がちらほら聞こえ出しているんだそうだ。
つまりそれは、今回みたいに出版社から「あなたの素晴らしい作品を書籍にしませんか」っていう甘い言葉から始まる。
「あなたの素晴らしい作品に感動した」
「こんな才能は見たことがない」
「やっぱり若い人は見ているところが違うよね」
「この切り口なんか、年寄りには思いつきもしないよ」
「やっぱり勢いがあるよねえ」
若い人が、天にも昇るような甘い言葉の数々。
それでうっかり変な会社と契約をしてしまい、気がつけばそれがとんでもない泥沼に足を踏み入れることに他ならなかったと気づいたときには、その人は大きな借金を抱えてにっちもさっちも行かない身にさせられている――。
しんとしてしまった若い人たちをちょっと見回して、美麗さんはまた少し苦笑した。
「ごめんなさいね? でもまあ、大人の世界っていうのは往々にして、そういう汚いもんで出来てるの。そこはどうしたって、見ない振りはできないことよ。若くて綺麗で可愛いシノちゃんなら、なおさら危ないわ。それこそ『出す金がないなんて泣き言いうなら、最終的には風俗に沈めれば』なんて、平気で思ってる輩もいるんですからね。ほんと、ちゃんとわが身は守らなくちゃダメなのよ?」
「……マジか、それ」
ほづの目がその瞬間、めちゃくちゃに危ない光を放った。
いやほんと、目の前にその相手がいたら、すぐにもくびり殺しかねないような目つきだよ。
「マジもマジよ。だから最近は、もう出版社なんてアテにしないで、自分で自費出版するって選択をしてる人も多いみたいね」
「え、自費出版……ですか?」
「そ。まあ、そこそこまとまったお金は必要だし、ノウハウは詳しくて信用のできる誰かに指南してもらったほうが安全だとは思うけどね。もしシノちゃんとゆのちゃんにその気があるんなら、あたしの方でもそっちに詳しい人につなぎをつけてあげられないこともないわよ?」
「えっ……本当ですか?」
ぼくとゆのぽんは、ほぼ同時にそう言った。
「ええ。それだったらわざわざ、海外でお仕事されてる佐竹クンのお母様の手を煩わせるまでのこともないんだし。今回のことではシノちゃんたちには、穂積もあたしもとってもお世話になったことだし。そのぐらいはさせて頂いて構わないわよ? っていうか、させてちょうだい?」
にっこり微笑む美麗さんは、体格はやっぱり相当なガタイにしか見えなかったけど、それでもやっぱり、しとやかな女性なんだと分かるような雰囲気だった。
○○○
「あああ……結局、言い出せなかった! どうしよう、ゆのぽん……!」
夕方、美麗さんのマンションからの帰り道。
ぼくは完全に頭を抱えてゆのぽんに訴えていた。
「ん〜。まあ、しょうがないねえ。なんて言うかもう、完全に『手遅れ』だったわけだし?」
ゆのぽんはにこやかに、いつものとっても美形な男子にしか見えない顔で笑って言うだけだった。
「でもでも、きっとマズいよね? やっぱり内藤くんにだけは、こっそりと本当のこと言っといたほうがいいよねえ……?」
「ええ? やめといた方がいいんじゃない? 彼、とてもじゃないけど、佐竹くんに隠し事なんて出来そうに見えないもの。きっとすぐに挙動不審になってわたわたしちゃって、佐竹くんから『貴様なにを隠している』とか問い詰められて、あっさり白状しそうじゃない?」
「うああ。そう、そうなんだよねえ……」
ぼくはがっくり肩を落とす。
そうなんだよなあ。
内藤くん、とってもいい人なんだけど、別に佐竹さん相手に限らず、隠し事だとか腹芸だとか、到底無理そうなんだもんなあ……。
いや、そういう所が佐竹さんにとっての内藤くんの「惚れポイント」なんだろうなっていうのは分かるんだけど。
と、背後から機嫌の悪そうな声が降ってきた。
「おい。さっきからなに二人だけでコソコソしてんだ。胸クソわりーぞ」
もちろん、ほづだ。
「いや、だからさ……。さっき、佐竹さんが『母親には見せてくれるな』って言ってた同人誌のこと、なんだけどさ――」
そうなんだ。
実はぼく、内藤くんには難色を示されていたんだけど、前に馨子さんにお願いされたこと、すでに実行してしまっていたんだよね。
つまりその、問題の本はコピー本だったんだけど、なるべく装丁の綺麗にできたやつを選んで、出来上がりしだい早速、彼女から指定されていたところへそれを郵送しちゃったわけで――。
いやほんとは、そうするつもりなんてなかったんだけど。
あのあと、ご本人から矢の催促が来まくっちゃって、どうにもこうにも断れない状況に追い詰められちゃったんだよね……。
(うああ、マズいよ。ものすごーくマズいよう……!)
こんなこと佐竹さんに知られちゃったら、ぼく、下手したら殺されるかも。
いや、もちろん彼は、そんな容易く女子供に手をあげるような人じゃないとは思うんだけど。
だけどこの際、都合よく「戸籍上は男なわけだからな」とかなんとか言われちゃって、お手討ちとかされてしまいそう。
「バカ言うな。人のモンにんな真似しやがったら、俺だって黙ってねえつうの」
ほづが呆れたように半眼になり、ぼくの頭を後ろからぽすぽす叩いた。
ゆのぽんがすうっと目を細める。
「はいはい、ご馳走さま。相変わらず仲良くてなによりだね。じゃ、お邪魔虫はそろそろ退散するとするよ」
「え、ゆのぽん……」
思わず引きとめようとしたら、ゆのぽんはちょっと苦笑して「いや、僕もちょっと用事があるから」と言い、駅とは反対方向の書店の方へさっさと歩いて行ってしまった。
すらっとした後ろ姿を、周囲の女の子たちがちらちらと振り返っている。
「もう、ゆのぽんったら……」
彼女の姿が人ごみのなかに消えてしまって、ぼくはひとつ溜め息をついた。
「気ぃ遣ってんだろ? あれでもよ」
しれっとほづがそんなことを言う。
ほづは、あれから結局、美麗さんとは直接に連絡先の交換なんかはしていない。
していないけど、こうやって家に呼んでもらえるぐらいには、その関係を修復しつつはあるみたい。お父さんやお母さんも、いずれはこちらへ美麗さんとそのお相手の方の顔を見に来る予定になっているんだそうだ。
(ああ。……よかったなあ)
ほづが子供の頃からずっとずっと抱えてきた重い荷物は、やっと彼の肩から去っていこうとしている。
そのことが、ぼくは本当に自分のことみたいに嬉しい。
実はまだ、俊介さんとはぼくもお会いしてないんだけど、美麗さんのあの幸せそうな顔を見ていたら、なにも心配はなさそうだしね。俊介さん、本当にお忙しそうだけど、美麗さんがいればきっと大丈夫なんだろう。
(あとはゆのぽん、なんだけどね……)
彼女の消えた方向を何となくまだ目で追いながら、ふと思う。
ぼくも、美麗さんも内藤くんも、みんなお相手を見つけている。
安心して、自分の心を託せる人を見つけている。
……でも彼女だけはまだ、ひとりのままだ。
ぼくとは違って、心の中が男性だってわけではないゆのぽんが、いつか本当に大切な人にめぐりあって幸せになってくれること、ぼくは本当に心から願ってる。
だけど、彼女が心の底に抱えている大きな傷は、そんなに簡単に覆るものでも、癒されるものでもないことも分かってる。
何と言っても、彼女のその問題はまだ現在進行形で。
今はまだ彼女自身が、そこから必死に逃げ出そうとして、努力している最中だからだ。
だから今のぼくにできる事は、そんな彼女をしっかり支えてあげることだけ。
だけどいつかは、ゆのぽんにも温かな場所を見つけて欲しいなと思ってる。
でも、そうならないとしても、なんであっても。
(……ぼくも君の、友達でいるからね。)
あのとき君が、ぼくにそう告げてくれたように。
「……シノ。どうした」
ふと黙り込んで、無意識にほづのTシャツの裾を握り締めていたぼくを、少し心配そうにほづが覗き込むようにしていた。
「ん、なんでもない……」
ぼくはほづを見上げて、ちょっと笑った。
ほづが微妙な目の色になる。
このごろ、ほづはぼくの小さな嘘にもとっても敏感。
「みんな、みんな……幸せになると、いいね……」
ぽつんと口の中で言う。
夕刻の喧騒の中で、小さなその声はほづに届いたかどうか、わからなかった。
……いや、届いた。
ほづは一瞬、なんとも言えない目になって。
ぼくの顎をひょいと掴んで。
人目も憚らずに、ぼくの唇を素早く奪った。




