○4○俊介さん
美麗さんに訊かれるまま、ぼくはマサさんがしてくれた話の概要を彼女に話して聞かせた。
「あら、それじゃあほぼ全部、聞いてきたのと同じじゃないの。これ以上、あたしが話す必要なんてないんじゃない?」
美麗さんはそう言って、あとは「うふふふ」と謎めいた微笑みを浮かべ、面白そうにぼくの表情を観察する風だった。
「え、……いえ、あの――」
ちょっとちょっと。そりゃないんじゃないの?
だって、美麗さんだって分かってるよね? ぼくが本当に聞きたいことは、もっとずっと突っ込んだ部分の話だっていうことぐらい。
ところが美麗さん、すうっと両目を細めたかと思うと、ぼくにひょいと綺麗な指先をつきつけて、軽くくるくるとそれを回すようにした。
「シ〜ノ〜ちゃん? こう言っちゃなんだけど、あたしにそういう話をさせるからには、あなたも穂積とのそういう話、してくれなきゃ釣り合わないわよ? そっちの覚悟はよろしくて? っていうことなんですけどね、この場合」
「え……、えええ〜〜??」
ぼくが思わず変な声をあげてしまって、美麗さんは「しっ」と唇の前にその指を立てた。
「なんて声だすの、まったく。静かにして頂戴って、なんべん言ったらわかるのかしら」
「あ、あうう……。ごめんなさい……」
しょぼんと下を向いたら、美麗さんはちょっと溜め息をついたみたいだった。
「あんたねえ。それって結構、盗人猛々しくない? 人の話は興味本位に根掘り葉掘り聞きたがって、自分の話はしないつもりだなんて。冗談じゃないわよ。そんな礼儀知らずのお嬢ちゃんは、おととい来なさい?」
「す、す、すみません……」
言われてみれば、その通りだった。ぼくだって、ほづとのお付き合いを始めた顛末とかなんとかを、こんな場所で人に堂々と話せるような心臓は持ち合わせてない。これがもし、普通の男女のお付き合いだったとしてもそうだろうけど、ぼくらみたいな場合ならもっとそうなっちゃうわけだから。
「そ、それじゃ、あの……」
それでもぼくは、なんとかかんとか話の接ぎ穂を探して口を開いた。
「これだけでも、いいですか? 美麗さんのお相手の方、どんな方かだけでも、聞かせていただいちゃだめですか? そしたらぼく、最近のほづの様子とか、ご両親の様子とかお話しできると思いますし――」
途端、美麗さんの目がきらっと光った。
「あーら。いい感じじゃない? そういう交渉術は大事よね」
そう言ってにこにこと、またコーヒーカップを持ち上げる。小指がぴん、と空を向いたのは、きっとこの人の機嫌がいいときのサインなんだろう。
「まずまず、及第点よ。悪くないわ。今回は、それで手を打ちましょう」
やった! 交渉成立だ。
まあそんなわけで、やっと美麗さんご本人の口から、お相手の方のお話が始まったのだった。
○○○
東俊介さんは、美麗さんより二つ年上の、大学の博士研究員なんだそうだ。専門は機械工学なんだそうだけど、そこで今は肢体不自由の方のための、より生身の腕や足に近い義手・義足を作ることを目標に、研究開発に携わっているらしい。
もともとご家族にそういう体の人がいて、それが彼にそういう研究をしたいという熱意を芽生えさせる原動力にもなったんだそうだ。
ともかくも。
美麗さんがまだ「茅野省吾」の名前で通っていた大学を辞め、街を放浪するような生活をしていた頃に二人は出逢った。
俊介さん――美麗さんは彼のことを「シュンちゃん」って呼んでいるようだったけど――は、細身でひょろっと背の高い、優しい目をした男の人なんだそうだ。分厚い黒縁の眼鏡をかけていて、髪の毛は真っ黒、なおかつちりっちりの癖毛。いつもうまく整えられないもんだから、大抵はほったらかし。
いつもそんな風なので、細い体にぼんっと大きな頭髪のシルエットがやたらに目立つ。それで、人からはよく「ちりちりマッチ棒」なんてひどい渾名をつけられてしまうんだとか。
そこへ、普段はさらによれよれの白衣なんか着て、古ぼけたサンダル履きのままぺたぺたと学内を歩き回っているんだそうだ。
なんだか、聞いただけでもその姿が目に浮かぶみたいだなあ。
二人はいま、マサさんも言っていた通り、この近くで甘い同棲生活をなさっている。研究室に泊まり込みの多い俊介さんの体を気遣って、美麗さんはしょっちゅう料理を作っては研究室に持っていったりもするらしい。
最初は異星人を見るような目で美麗さんを見ていた教授や、同僚の研究員や学生たちも、明るくて本物の女性以上に細やかな気配りのできる美麗さんが「みなさんにも」って美味しくて栄養満点の差し入れを繰り返しているうちに、すっかり仲良くなっちゃったんだって。
「それで、俊介さんって、どんな性格の方なんですか……?」
ぼくがそう訊ねたら、美麗さんの表情があっという間に、とろんって可愛く崩れちゃった。
「そりゃもうあなた。イイ男に決まってるでしょ?」
って、なんだかもう、それは完全にのろけだよね?
あんなに散々渋っといて、美麗さんたら本当は、俊介さんのこと話したくてしょうがなかったんじゃないの?
「だって考えてもごらんなさいな。わざわざあたしみたいな者、パートナーにしようっていう男よ? そんじょそこらの男じゃないことぐらい、最初っから分かってるじゃないのよ」
あ、なるほど。それはそうだよね。
ってまあ、そんな風に納得するのも失礼なので、ぼくはそこだけはふるふると首を横に振ったけど。
「あ、でも……わかります。それは、ほづもそうですもん」
ついそんな相槌を打っちゃったら、美麗さんがまたすうっと両目を細めた。
「あーら、薮蛇ね。ご馳走様」
そして次の瞬間には、ちちちっと軽く舌を鳴らして、顔の前で指を振った。
「でも、だーめ。穂積なんてまだまだよ。だってあなた、そんな若くて小さくて可愛い子じゃないの。女の子の格好をしたら、もう完全に女子にしか見えないような可憐な子を選んだからって、男としてはまだまだよ。青いったらありゃしない」
「だーれが『まだまだ』で『青い』んだよ、このデカ女」
「うわあ!」
背後からいきなり地を這うような声がして、ぼくは飛び上がってしまった。
うわあ、うわあ、びっくりした。
いつのまにか、店のドアを開けてほづがそこに立っていた。
「ひとに隠れてこそこそ何を話してるのかと思やあ、なんだ? えらく楽しそうじゃねえか」
マスターの前を通り過ぎながら、ほづはぶっきらぼうな声で「こないだのと同じやつで」と言い、さっさとぼくらのテーブルにやって来た。
そしてそのまま、どかりとぼくの隣に腰をおろす。今日のほづは、大学のロゴの入ったジャージの上下に、大きなスポーツバッグを肩に担いだ姿だ。バッグのほうはもうあっさり、床に放り出されていたけどね。
「大きなお世話なんだよ。俺が誰と付き合おうが、あんたにゃ関係ねーだろっつうの」
「そうでもないでしょ? このまま順調にお付き合いしていったら結局、シノちゃんはあたしの義理の妹ってポジションにおさまっちゃうわけなんだから。どこが『関係ない』のよ、おバカさん」
「…………」
ぼくはもう、絶句して美麗さんの顔を凝視した。
え? 義理の妹? ぼくが、この美麗さんの?
ってことは、えーっと、美麗さんはいずれぼくの小姑さんに……??
ああ、だめだ! なんかもう理解が追いつかないよ!
頭の中がぐるぐるだあ!
「急に色々言うんじゃねえや。見ろ、シノの脳みそがショートしてんじゃねえかよ」
ほづがそんなぼくをちらっと見やって、呆れたようにため息をついた。




