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Crossover ~君ヲ想フ~  作者: つづれ しういち
第一章 彼と彼女と
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◇1◇謎の彼女


 

 彼女はいつも、講義室のいちばん前に座っている。

 少し茶色がかった長いストレートの髪に、細い体。白い肌。

 同じ講義を聞きに来ているほかの男子学生が、いつもちらちら興味ありげな視線を投げているのにも気づかない風で、テキストを開いて真面目にそのページに目を走らせている。


「なあなあ。今度はぜったい誘おうぜ、篠原さん」

「だよな! やっぱ、合コンには花がなきゃあ」

「え、でもなんかさあ、彼女、カレシいるからって合コンはいつも断ってるっていうじゃん? 無理に押しても嫌われるよ〜?」

「え? マジ? でも俺、あの子が男と一緒にいるところなんて見たことないよ?」

「サークルも入ってなくて、講義が終わったらまっすぐ帰っちゃうみたいだな」

「ああ、じゃあ彼氏、学外じゃねえの? もともと同じ高校だった奴とかさ」

「うわ、そうかなあ。それ、ありそう……」

「まあ、あんな可愛いんじゃなあ。男、いないわけがねえべ〜?」


 周囲からそんな噂話が聞こえてくるのも、いつものことだ。

 篠原さんは、この大学の文学部に在籍する、一年生。

 ほんとか嘘かは知らないが、どうやらこの大学に、双子の兄だか弟だかも入っている、なんて話もすでに俺の耳には入っている。

 この春、やっとのことで無事に合格した大学の、一般教養課程。基本的に、必修の第一、第二外国語と体育の授業以外は自分でカリキュラムを組むわけなんで、講義室に同じ顔ぶれがそろうなんてことはまずない。

 今日、この大講義室で行なわれる「哲学A」の授業は、内容そのものはとても地味なもんだし、正直、聞いていて眠くなることも多いけど、履修している学生は結構いるらしい。まあ、教授がろくにまともな出席もとらなければノートさえありゃあ試験だってするっと通してくれる、いわゆる「楽勝」って言われるような単位でなきゃあ、そんなことはありえないわけなんだけど。

 いつのまにか、春と呼ばれる季節もとうに終わって、開放された大窓の外では講堂を囲む緑の木の葉がさわさわと初夏の風に揺れている。


 と、後ろの席の奴から出席カードが回ってきて、俺は体をひねってそれを受け取った。そうしてその束から自分用に一枚を抜き、残りを手にして立ち上がる。

 これは毎回、授業の初めに、教務補助員とか呼ばれる人がこの講義室まで持ってくるものだ。必ずしも全部の講義で現れるわけじゃないみたいだけど、この大学ではこの人たちが教授のちょっとした助手のような役目を果たしているらしい。

 つまり、こうやって授業の補佐をしたりだとか、教授の論文のための資料を集めたりだとかコピーをとったりだとか、そういうことみたいだ。まあ、こういうのも周りの噂話を聞いて初めて知ったことだったけど。


 今回の講義では、この出席カードを順番に一枚ずつ取っては近くに座っているほかの人に回し、自分の名前を書いて講義の後に集めるようになっている。最後にまた教務補助員がやってきて集めていくシステムだ。

 つまり、これを二枚取っておいて、ちょっと筆跡を変えて友達の名前を書いて代わりに出したとしてもまずバレない。要は、サボりまくりもOKの講義なわけだ。ま、俺はサボんないけどね。そういう卑怯な真似をするのがめちゃくちゃ嫌いな恋人の居る身としては、なるべくそんな行為は避けたい。なんか、先生にも申し訳ないと思うしね。


 俺はそんなことを考えながら、十列ばかり前の席にひとりで座っている、くだんの彼女の後ろから近づいた。

「はい、どうぞ」

 熱心にテキストに目を落としていた美少女――あ、でももう大学生なんだから、「少女」っていうのはちょっと失礼なのかな――に、そっと手帳サイズの紙を差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 軽く会釈して受け取る仕草も、見るからに品がよくて育ちの良さを醸し出している気がする。しかもなんとなく、髪からふんわりといい匂いまでする。

 きゃぴきゃぴ元気で会話の弾む、楽しい子が好きって男も多いだろうけど、こういうまさに「清楚」が服を着て歩いてるみたいな子には、男って基本的に弱いんだよなあ。


(……ま、俺はべつにそうでもないけど)


 と言うか、別に大きな声で言うこっちゃないんだけど、俺にはもう付き合っている奴がいる。そいつもこの大学の人間じゃないので、立場としてはこの彼女――篠原さんというらしい――と、まあ似たようなもんだろう。

 今日の篠原さんは、白いブラウスにふわっとしたシフォンのスカート。薄青のニットカーデ。ごくさりげないデザインの小さなペンダント。

 うーん、どこをとっても「清楚」そのもの。

 講義室の後ろのほうに陣取っている、ちょっと派手系な女子たちがやや冷たい視線をよこしているのも、まあ無理もない話なのかな。なにしろ彼女がここにいると、男どもの視線がどうしても彼女に集中しがちだから。

 

 彼女の席から離れて自分の場所に戻ったところで、初老の教授がのんびりと入室してきた。そうして今日もまた、そうでなくても眠気を誘う午後の講義が、ごく穏やかに始まった。




◇◇◇




「ね、ね。そう言わないでさ。今日になって急に抜けた子がいて、ほんと困ってんのよ俺たち」

「店には十人で予約しててさ。あ、でももちろん、代金は俺たちもちだから!」

「このとおり! お願い。今日の合コン、ちょっとだけでも顔だしてよ……」


 講義が終わって学生たちが三々五々でてゆく中で、篠原さんを取り巻いている三人の男子学生の声がしている。

 俺は鞄にテキストやノートを放り込みながら、なんとなく気になってそちらに耳をすませていた。


「いえ、あの……。ほんとに、付き合っている人がいるので。そういうのは困るから――」


 困惑したような篠原さんのものらしい声がする。押しの強い男どもに囲まれちゃったら、とても断りきれるような雰囲気じゃない。


「え〜っ。そう言わずにさあ――」

「絶対、変なことしないし」

「帰り、ちゃんと送っていくし。ひとり、車もってる奴もいるから」

「もちろん、未成年の子にお酒なんて飲ませないし。いいでしょ? お願い!」


 立て続けに外堀を埋めるような台詞が発せられ、絵に描いたような仏を拝む仕草が彼女を囲む。

 ああ、今にも押し切られそうだ。

 俺は机の下の棚を確認するような振りをして、ちらっとそちらに視線を走らせた。


(……あ。やばそう)


 篠原さんは思った通り、とても困った顔だった。なんだか今にも泣き出しそうな目だ。

 きょろきょろと周囲を見回して、明らかに助けを求めている。

 しかし周りの学生たちは、面白がってこちらをうかがっている奴らのほかは、どんどん部屋から出て行くばかり。ああ、一部、「なんであたしを誘わないのよ」的な怖い目つきでこっちを見ている女子も数名いるっぽいけど。


(……しょうがないか)


 次の瞬間、俺は鞄を肩に掛けて、さっと自分の席から歩き出していた。

 まっすぐ、彼らの方へ行く。


「……あの。俺、今日この子と約束してるから」

 彼女を取り巻いている男たちの背後から、ごく普通のトーンの声で呼びかける。「なに?」とひとりがこちらを振り向いた。あからさまに邪魔者を見る目つきだ。

「正確には、彼女のカレシと、だけどね。カレシ、俺も知り合いなんで。今日は一緒に連れて帰るって約束してるし。遅くなったらもう、鬼みたいに怒る奴だから」

 篠原さんは一瞬、困惑した顔になったが、まわりの男子の目に気づいたらしく、俺に向かってこっくりと頷いた。


「……そ、そうなんです。ごめんなさい……」

 言いながらもう、そそくさと自分の荷物を鞄に詰めこみはじめている。

 男子学生たちは「ちぇっ」という目になった。

「あ、そうだったの」

「んじゃ、次は絶対ね? 篠原さん。ちゃんといい店、探しとくし」

「いえあの、だから――」


 こいつら、「カレシがいる」ってどんなに言っても、絶対に聞く耳もたないつもりだな。ある意味、執念を感じるよ。しょうがないな、まったく。

 「行こうぜ、行こうぜ」と講義室を出て行く背中を見送って、俺はひそかに溜め息をついた。


「あ……の。ありがとう、ございました……」

 背後から申し訳なさそうな声がして、俺はにっこりと振り返った。

 だけど、思った以上に不審そうな目に会って、ちょっとがっかりする。

「あの、でも……どうして?」

「……ああ」


 なるほど。

 あいつらを追い払っておいて、実はこちらこそが本当の「送り狼」ってのはよくある話だ。俺自身もそんな風に見られるんだなあと思うと、少しげんなりした。


「あの。……大丈夫だよ? ちゃんと言葉どおり送っていくし。それに俺も、篠原さんとおんなじだから」

「……え?」

 ひょいと少し首をかしげる、そんな仕草もまた可愛い。

 だけどその目は、まだちっとも警戒心を解いた風ではなかった。

 俺は苦笑して、あっさりと種明かしをしてあげた。


「だからね。俺も、篠原さんとおんなじなの。学校は違うけど、もう付き合ってる奴いるし。篠原さんのカレシさんがどうかは知らないけど、こっちもほかの奴にちょっかいなんて出したら、それこそ殺されそうな感じなんで。心配しなくても大丈夫だよ」

「あ……。ご、ごめんなさい――」

 篠原さんは急にぱあっと赤くなって、ばつの悪そうな顔になった。俺は慌てて顔の前で手を振った。

「謝らないでよ。こっちこそゴメンね? そりゃ、篠原さんは女の子だし。警戒するのなんて当たり前だって。大丈夫、大丈夫」

 それでやっと少し、彼女は緊張を解いてくれたらしかった。


「あの……。ごめんなさい。えっと、お名前を、まだ――」

「あ、ああ。ごめんごめん」


 そうだった。

 俺の方は最初から「篠原さん、篠原さん」て馴れ馴れしく呼んでいたけど、彼女からしたら俺なんて、「その他大勢」の男の一人に過ぎないんだもんなあ。

 そこはかとなく悲しいけど、そう納得して姿勢を正す。


「えっと。内藤といいます。内藤祐哉ないとうゆうや。教育学部、一年です。どうぞ、よろしく」

「あ、えと……篠原、です……。文学部、一年です……」


 うん。それはもう知ってるな。

 そこまでの情報ならもう、みんなの噂話で全部耳にはいっちゃってるし。

 美人さんって、大変だなあ。


(……あれ?)


 でも、なんで下の名前は教えて貰えないんだろう。

 もしかして、いきなり男に下の名前で呼ばれないようにするためかな?

 あれって確かに、一気に距離をつめられた感じがするもんね。

 いや、それともほんとに怖いカレシに怒られちゃったりするのかも。まあ俺でも、自分の彼女がどっかの知らない男にいきなり下の名前で「○○ちゃん」なんて呼ばれちゃってたりしたら、ちょっと腹が立つと思うけどね。


 ……でも。

 事実は、まったくそんな理由じゃなかった。


 実はその謎に迫ることは、そのまま彼女の秘密を知ることだったんだけど、その時の俺はそんなこと、これっぽっちも気づく事はなかったのだった。



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