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Crossover ~君ヲ想フ~  作者: つづれ しういち
第二章 ほづと佐竹と
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◇3◇剣道場



 佐竹の師である山本師範の道場は、電車で二駅先にある。

 なんとあの後、篠原さんが「どうしても」って佐竹に頼み込んできて、結局あのままみんなして、五人でここまでやってきたのだ。

 

「ほんと急に、ごめんね? 内藤くん……」

 茅野くんの隣を歩きながら、篠原さんが何故か俺に向かって謝ってきた。

「いや、いいよ? 俺は別に。一応、山本先生に許可は貰わないといけないと思うけど、大抵すぐにOKしてくださるし」

「そ、そう……」


 篠原さんは、俺にはなんだかよく分からないんだけど、友達の柚木さんと一緒に何かの創作活動をしているらしい。その中で、次回の作品の参考にするために、剣道を実際に見たり、デッサンをする必要があるんだとか。つまりはその流れで、練習を見学させて貰えないかと言い出したわけだ。

 茅野くんはと言えば、剣道そのものに興味はまったくなさそうで、ただひたすら面倒臭げに見えた。でも、他ならぬ大事な彼女をそのままにして帰るのは我慢がならなかったということらしい。ここまでの道中もほとんど何も言わず、仏頂面のままうっそりとみんなについて来ている。

 佐竹は当初、みんなが道場に来ることに対してちょっと渋る様子だったんだけど、結局は「師範のお決めになることだしな」と譲歩して、こういうことになったのだった。 



◇◇◇




「あれっ、兄ちゃん。どうしたの?」


 山本師範の道場に着くと、先に来ていた洋介が驚いた顔でやってきた。三年生からこの道場に通うようになった洋介は、今ではすっかりここにも慣れて、毎週楽しく剣道を教わっている。今は白い道着姿だ。その姿も、この頃はだいぶ板について来ている。

 師範のことはまあ別格なんだとしても、剣士である佐竹に憧れるようにして剣道を始めただけに、洋介は彼をとても尊敬する気持ちを持っているみたいだ。

 道場の建物は、古い日本家屋の建つ敷地の一角にある離れで、やっぱり古風なたたずまいだ。佐竹によれば、こちらのお宅は師範のおじいさんの代からここで道場を開いているらしい。

 ほんとか嘘かは知らないけれど、幕末の志士と呼ばれた人たちの中にも、何人かここに通った人がいたらしいっていうのが、通ってくるおじいちゃん、おばあちゃんたちのもっぱらの噂なのだった。


「内藤君のお友達が見学に? 珍しいこともあるものだね。ああ、私はもちろん構わないよ」

 山本師範は思ったとおり、ごく温厚な笑顔で端然とそう言っただけだった。篠原さんたちの要望についてもごく親切な対応で、子どもたちがいるために写真の撮影は困るけれど、稽古の邪魔にさえならなければデッサンぐらいなら構わないというお話だった。

 佐竹のお父さんの後輩だったという山本師範は、まだ中年の域のやや小柄な男性だ。いつもとても温かくて穏やかな雰囲気で、派手さはないんだけどやっぱり剣士としての威厳というか、風格みたいなものを持った人でもある。

 やっぱり、佐竹が師と仰ぐだけはある人なんだよね。

 

 佐竹が着替えるために奥へ入ったところで、俺たちは師範に勧められて道場の隅の板敷きに座った。慣れないと、ここに長いあいだ正座してるのは大変だ。

 師範は「はじめての方は、膝を崩していただいて結構ですから」と言ってくださったけど、とてもそんな雰囲気じゃない。周りの人たちもみんな正座して見てらっしゃるしなあ。年配の、膝や腰の悪い人なんかだけは椅子を出してもらって座ってるけど。

 周囲の人たちはほとんどが、ここに通ってきている小学生の親御さんやおじいちゃん、おばあちゃんといった関係だ。最近、何となく見学のお母さんの数が増えているようなんだけど、俺の気のせいなのかなあ。ま、どうでもいいんだけど。


 ふと見れば、篠原さんと柚木さんは、途中の文具店で買ったスケッチブックをもう早速開いている。茅野くんはと言えば、初めのうちは少しだけ正座してたんだけど、さっさと諦めてしまったらしく、どかりと胡坐をかいちゃった。さすが、肝が太いなあ。


「弟さん……洋介くん、だったね。道着姿、可愛い〜。内藤くんにそっくりだね」

 篠原さんが鉛筆を動かしながらにこにこ言う。俺はちょっと照れくさくなった。

「そう? あ、ありがと……」

「ぼく、妹しかいないからちょっと羨ましい。だいぶ年下なのかな? いま何年生なの?」

「あ、四年生。ちょうど、十こ下なんだ」

 そこでちょっと、篠原さんは周囲を見回すようにした。

「……ほかの子は、お母さんやおばあちゃんが来られてるみたいだけど。内藤くんのところは? 他にどなたかいらしてないの?」

「……ああ」


 俺は一瞬、口ごもった。

 どうしようかな、と迷う気持ちが頭の隅をかすめたからだ。

 でもまあ、いずれは分かることなんだしなと思いなおした。


「うん。いつも俺か父さんが連れてきてるんだけど、家のこととか色々あって、連れてくるだけで帰るから。帰りは佐竹が連れて帰ってくれてる。俺が迎えに来ることもあるけどね」

「…………」

 篠原さんが少し怪訝な顔になり、聞こうか聞くまいか考えたのが俺にはすぐにわかった。だから俺は、彼女を迷わせる前に自分から言った。

「うち、母さんいないんだ」

「……え」

 さらさら動いていた篠原さんの鉛筆がぴたりと止まった。

「交通事故でね。……二年前」

「…………」


 篠原さんが凍りついた。

 話が聞こえていたらしい、茅野くんと柚木さんも黙ってこちらを見たみたいだった。

「……あ、あの。……ご、ごめんなさい……」

 しょんぼりと小さくなってしまった篠原さんに、俺は軽く手を振った。

「ああ、いいからいいから。気にしないで。ごめんね、こっちこそ。急にこんな話しちゃって」

 出来るだけ明るく笑って見せる。

 本当のところ、俺にとってはもう九年も前の出来事だ。

 一方で、あの事故から二年しか経っていない父さんや洋介は、まだまだ心の痛みや寂しさの癒える時期じゃないだろう。少し寂しい気持ちもするけど、俺にとってはあの事故はそれだけ遠い昔の話。今ではもう、そこまで生々しい悲しみを感じずに済んでいることが、寂しい反面、ある意味助かっていたりもする。


「ほんとゴメン。気にしないでね?」

 そう言う間にも、篠原さんの大きな瞳が潤みだして俺は焦った。

 ああ、優しい子なんだな。ちらっと見ると、友達の柚木さんはもちろんだったけど、彼氏である茅野くんが意外なほど優しい顔でそんな篠原さんをじっと見ていた。


(ああ、この人、ほんとに篠原さんを大事に思ってるんだな――)


 俺はなんとなく、二人のこれまでのことが垣間見えたような気になって、不思議に嬉しい気持ちになった。

 良かったね。

 いろんなことが君たちにもあったんだとは思うけど。

 いま、篠原さんは幸せなんだね。


 と、ぱっと一瞬にして場の空気が変わって、俺ははっとした。

 見れば、紺の道着に着替えた佐竹が道場に現れていた。

 見学者のお母さんやおばあちゃんの視線が佐竹に集中する。


 その時やっと、俺には分かった。

 このところこの道場に女性の見学者が増えている、その理由が。

 本人にそういう自覚があるのかどうかは謎だけど、これ、間違いないんじゃないかな。罪つくりだよなあ、佐竹。

 そういえば、道場での稽古日とクリスマスやらバレンタインデーやらが重なったりする日には、佐竹は洋介を家まで送って来ても、まず俺と顔を合わせようとしない。そのあと会う約束をしてあったとしても、必ず一度は家に帰る。

 それは多分、間違いなく、手にしている明らかにたくさんの荷物を俺に見せないようにするためだろう。


 そんなことしても無駄なのにな。

 だって洋介本人から、俺、だいたい聞いちゃうもん。

「佐竹さん、今日めっちゃくちゃ沢山チョコレートもらってたんだよ!」ってね。

 ギャラリーのお母さんやおばあちゃんだけじゃなく、通ってきている女の子たちからまで貰ってしまうんじゃ、他の男子の立場がないってもんだろうけど。

 そう言う洋介自身はけろっとしたもんで、「さすが佐竹さんだなあ」なんて暢気のんきに感心してるだけなんだけどね。


 そうこうするうち、集まった二十人ばかりの子どもたちが前に立った山本師範と佐竹に向かって大きな声で「お願いします!」と礼をして、今日の稽古が始まった。

 佐竹は素振り稽古を始めた子どもたちの間をほとんど音も立てずに歩き、そのちょっと怖そうな雰囲気には似合わない、静かな落ち着いた声で姿勢や竹刀の持ち方なんかを直してやっている。いつもの風景だ。

 

 剣道はなにしろ、姿勢が大事。面ひとつにしても、打点が少しでも脇にずれたり、竹刀の正しい場所で打撃できていなければポイントとして認められない競技なんだそうだ。だから常にまっすぐに立ち、体の中心を意識する。そのためにも、体幹はほんとにしっかり鍛えていなくてはならない。


 佐竹が蹲踞そんきょの姿勢から立ち上がる姿は、ほんとに綺麗だ。あれは、素人の俺から見ても相当足腰が鍛えられてないとできないことだろうなと思う。

 実は今、佐竹は大学の剣道部に所属している。だからそこで、ここのところ結構な仕合い数をこなしてもいる。俺も詳しくはないんだけど、今では完全に、全国大会の上位者の常連になっているらしい。だから当然、稽古は毎日遅くまである上に内容も厳しいものらしいんだけど、土曜だけは監督や主将にその旨をきちんと話し、こちらを優先させて貰っているんだ。


 佐竹が相手の選手と向き合って、蹲踞からすっと音もなく立ち上がると、いかにも好戦的な熱気を放っていきりたっていた相手の選手が、とつぜん戸惑いだすのが手に取るように分かる。

 剣道って、「イェアアアー!」とか「ヒュワアアー!」とか、やたら大きな声を上げる人が多いけど、そういう声がしても佐竹はまったく動じない。つまり、自分を奮い立たせるっていう意味ではともかくも、相手への威嚇としての意味はほとんど成さないわけだ。

 佐竹自身はあんまりそういう声は出さない。面が決まったら「メン」、籠手が決まったら「コテ」って短く言うだけ。低いけどよく通る、あの声で。「どうだあ、打ってやったぜ、見たかあ!」みたいな声を上げる人もいるけど、そういうのとは全く違う。

 相手はほんと、狐につままれたみたいに思うんじゃないのかな。

 今にも獲物に襲いかかろうとしていた血に飢えたけだものが、実は自分がいま相手にしているのが森閑とした森の中の澄んだ泉だったと気がついた。それはちょうど、そんな感じに似ている。相手の選手はあの面の下でほんとうに何か、場違いなものを見たような顔になってるんじゃないかな。


 でも、そうやって戸惑っているうちに、佐竹の剣先がいつのまにか、吸い込まれるみたいにして相手の頭上やら、胴やら篭手やらに決まっている。相手は何もできないうち、いや、何が起こっているのかもわからないうちに二本とられて敗北を喫する。

 それはまるで、魔法でも見ているようだ。時にはまるで、相手のほうから佐竹に打たれに行ってるんじゃないかって思うようなことさえある。

 「あれはなかなか、あの年でできることじゃないよ」って、山本師範が言うのも無理はない。


 もちろん、小学生を相手に佐竹がそんなことをすることはないけどね。

 指導をしている時の佐竹は、いつもよりもさらに淡々としていて、厳しい中にも決して冷たくはなく、「責任感の鬼」に徹しているように見える。当然ながら、親御さんたちからの信頼は絶大だ。

 最初はあの強面こわもてを怖がる子もいるんだけど、次第にその為人ひととなりが分かってくると、子どもたちは佐竹をすごく慕うようになっていく。なんか、めちゃくちゃわかるなあ、その感じ。だって俺自身もそうだったもんね。

 稽古には女の子も来ているんだけど、その子たちはもちろんのこと、周りで見ているお母さんやらおばあちゃんやらの目までハートになってるのが手に取るようにわかってしまう。

 あ、ついでだけど洋介の目もハートだな。

 大丈夫かなあ、俺の弟。


 ……ああ、それにしても。

 これが俺の恋人だなんて、やっぱりときどき信じられなくなるんだよなあ。

 なんだか、背中がむずむずしてくるんだけど。


 俺、ほんとに大丈夫かなあ。

 いつまでこんな凄い人と、恋人なんかでいられるのかな……。


 いまやお友達の柚木さんと一緒になって、隣で夢中になってデッサンしている篠原さんをそっと見やって、俺は小さな吐息をついた。

 その向こうで相変わらず胡坐をかいたままの茅野くんはと言えば、なんだか不思議な目の色をして、じっと佐竹の背中を見つめているようだった。



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