俺は星、君は月(1)
遠くで、目覚まし時計が朝を知らせて鳴り響く。鳴り始めて5秒もたたないうちに、音は消され、代わりに生き生きとした声が朝を知らせる。布団の中で聞こえないフリをする。もちろん、構って欲しいからとかいう理由ではない。ただ、眠たいからだ。体が左右に揺れる。
「起きて! 起きてよ!」
なんでこいつは朝からこんなに元気なんだ? 目覚まし時計が鳴った時に目が覚めたはずなのに、なんだ このテンション。布団の中に潜り込んだ。君は起きたまえ。俺はまだ寝る。そういう意思表示だ。途端に、揺する手はひっこみ、静かになる。伝わったらしい。良かった。これくらいのことは言わなくても伝わるらしい。すると、突然走るような音がした。え? 走るの? 部屋で?
「朝だぞ~!」
という声が横になっている体の真上から聞こえて、理解する間も無くそれは俺の体に落下してきた。一瞬で肺が圧迫され、息苦しくなる。犯人は分かっている。やつだ。
「起きろ起きろ起きろ~!」
そんなことお構いなしといわんばかりに、ベッドの上で俺に乗っかったままで跳ねるものだから、ついに布団を押し退けて制止する。
「こらこらやめ~い! ヤサ、朝から飛び乗るの禁止!」
「祐が起きないからだよ! ほ~ら、起きろ~!」
さらに激しく跳ねるヤサの体重がかかる度に、体が痛む。
「やめろやめろ! 折れるから、ほんとに骨がバキバキになるから! 元はといえば、昨日もヤサが全然寝なかったからだろ。俺の睡眠まで邪魔してさ」
ヤサが動きを止めた一瞬の間に急いで体を起こし、苦情を言う。寝ると言ってから、ヤサは俺にのしかかって騒ぎ出すのだ。まるで寝つきの悪い子どもである。目覚まし時計を見てみると、今まで起きていた時間の1時間半前。と、言っても、これ以上寝かせてはくれないのは目に見えているから、あくびをしながら立ち上がった。
ヤサの希望通り、俺達は早めに家を出て、ゆっくり散歩しながら学校に向かうことになった。ヤサが退院して初めての登校で、ヤサはあらゆるものに興味津々だった。「祐、あれなに?」「綺麗な花だね! なんて名前の花なの?」「あれは? 何してるの?」「祐、あれって――」と、なんでもかんでも質問してくる。嫌なのは、その質問に何一つ答えられないことだった。こんなにも何も知らなかったのかと、痛感する。俺はヤサに詰め寄ると、目を見開いた。
「おいおい、いい加減にしろよ~。今まで荒んだ学生生活送ってんだから、そんなの知るわけがないだろーがよー」
ヤサが俺の鬼の形相に、降参とばかりに顔の横に両手をあげた。
「あはは……ごめんね。友達ゼロなんだもんね」
ちょっと傷ついた。
「でも、家族は増えたでしょ? それに、わからないなら好都合だよ」
ヤサはニッコリと俺に笑みを向けた。
「本で一緒に調べようよ。きっと楽しいよ」
いつもの俺なら、きっと面倒だって断るんだろう。ヤサ、君はすごい。そんな俺を簡単に変えてしまう。わかった、そうしようと言いかけて、
「それも、悪くないけど」
と、咄嗟に言葉を変える。だって、ノリノリだったら、ヤサの思うツボじゃないか。
「さ、行こう! 祐! 学校遅刻しちゃうよ!」
「あのね、まだ登校時間の1時間前ですよ」
待っているのは恐ろしいいじめだろうが、ヤサは関係ないらしい。
それに、早く行きすぎても学校には入れないというのに、ヤサは楽しそうに跳ねていた。その姿を見て平和だと思う。あんな島から必死で、そう、本当に、本気で、まじで必死で脱出してから、そう思うことが増えた。
とにかく、食べ物がどろどろじゃなくて良かったとか、優しそうに接してくる人の頭が2つに割れなくて良かったとか、本当にほっとする。それだけでラッキーな気分になる。あ、この人は大丈夫な人だ。そう思ってから、あの島が未だにトラウマなんだと思う。そりゃそうだ。なんたって、死にかけたんだし。
ふと気がつくと、ヤサが誰かに声をかけられていた。俺達と同じ制服を着て、胸元に一眼レフをぶらさげ、頭には明らかに手作りの、銀色の角をつけている。怪しい。明らかに怪しい。角に対してつっこんで欲しい感じとか、俺の目の前で堂々とヤサに話しかけてる姿とか、俺のことは完全に無視してるとか、怪しすぎる。ヤサはこの世界の危険を知らない。そうだ。俺がヤサに教えてあげる番なのだ。
俺はすぐに堂々とヤサの側に行って両肩を掴んだ。
「ヤサ、あれだけは覚えておくんだ。あれをこの世界では、不審者と呼ぶ」
「え? そうなの?」
素直に信じようとしたヤサにそいつは慌てて言った。
「いやいや! おいら怪しいもんじゃねーっすよ!」
「おいらとかいう第一人称のやつは信用ならん。それに、あなたなんですか~? この素直200%に開運グッズの押し売りですか~? 高い壺でも買わせる気ですか~? 俺昨日トカゲの尻尾拾ったんで間に合ってまーす!」
「え!? トカゲの尻尾拾ったの!? 聞いてないよ僕!」
ヤサが隣で不満そうに口を尖らせている。とりあえず言ってみただけだって! いきなり炸裂させるなド天然!
「おいらもトカゲの尻尾なんてお目にかかったことがなくて! 見たいっす!」
「しばかれたいのか?」
その間に、そいつはいそいそと名刺を取り出して俺に渡してきた。こいつ、この年でもう名刺持ってるのか? 案外すごいやつなのか? そういえば、アインシュタインもなかなかの変人だって聞いたことがある。こいつ、案外凄いのかも…。名刺を受け取って見てみた。文字が書いてある。いや、これは文字か? いや、こういう演出か?
「読みにくかったらすんません! おいら、字が汚くて。あは」
「ですよね!! 汚いんですよねこれ! っていうか、これ致命的な汚さだよ! 読めないよこれ!」
そんな俺の隣で、ヤサが顔をあげた。
「へぇ~、桜橋起一君って言うんだ~」
「読めたの!? 読めないじゃん! 普通読めないじゃん! 漢字の一すらうねって真っ直ぐじゃないじゃん!」
「いやぁ、何度も起き上がって欲しいって願いが込もった名前なんすよ」
「え? これ、起き上がるの一回じゃない?」
不本意ながら意気投合し始めたヤサと桜橋の間に入りながら、俺らは学校へ向かった。