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続*虹を架ける人  作者: 城 マリカ
7/24

◆瑠璃色の蝶

 翌朝、玄関をでると、すでに奏ちゃんは隣の庭で朝陽を浴びていた。

 白く照りかえる柵のむこうに、すらりとした学ラン姿が麗しい。奏ちゃんは、すがすがしい秋の空気がよく似合う。

 柵に駆けよって「おはよう」と挨拶すると、

「おはよ」

 にこやかに小首をかしげた。

 柵ごしに、そよ風みたいなキスを交わす。

「お寝坊だな」

 奏ちゃんはすこし笑うと、わたしの肩先で勢いよく跳ねている髪の毛をつまんだ。

「寝ぐせ。可愛い」

「寒かったんだもん」

「ほんと寒がりだな」

 どこからか、瑠璃色のちいさな蝶が飛んできた。柵の先端にとまり、羽をたたんで休息する。

「わあ、綺麗」

 幻想的な色彩の羽が、わずかにひらいたり閉じたりしている。

「バランスとってるのかな?」

 奏ちゃんの疑問に答えるように、ふと、ふたつの眼がこちらをむいた。

 一瞬だけ、視線が合ったような気がした。

 おもわず指をのばしてつかまえようとすると、ひらりと飛び立った。瑠璃色の流線を描きながら、しばらくその場にとどまっていたけれど。

 やがて、秋空に溶けるように遠くへ消えた。

「幻みたいだったね」

 きょとんとして奏ちゃんをみあげると、

「だったな」

 不思議そうに見返してきた。

 瑠璃色の残像は、いつまでも心に焼きついて離れなかった。


 昼休み、屋上のベンチに奏ちゃんと一緒に腰かけて、膝にお弁当をひろげた。

「あ、奏ちゃん玉子焼き入ってる」

 いいなあ、と箸をくわえて覗きこむと、

「あげる」

 玉子焼きをわたしの弁当箱に移した。

「梅干しもらうよ」

 わたしのごはんの真ん中に箸をのばし、かりかり梅をつまんで口に運んだ。

「じじむせぇ男だな。梅干しチョイスかよ」

 葛西くんがあんパンを噛りながら横目で一瞥した。

 奏ちゃんを中心に据えて、なぜか三人でベンチに座っている。奏ちゃんは顔をしかめながら、梅干しをかりかり噛み砕いた。

「なんでおまえがここにいるんだよ」

 葛西くんは缶コーヒーをあおってあんパンを飲みこんだ。

「まぁいいじゃん、俺も混ぜろよ」

 奏ちゃんは変な顔をしてまじまじと葛西くんをみた。

「なんなんだよ、あんパンに缶コーヒーって。刑事じゃあるまいし」

「そこツッこむのかよ」

「隠れてろよ。姿みせんな」

 はん、と葛西くんは鼻で笑った。

「おまえなんだかんだ言って俺にかまうのな」

 奏ちゃんはくちびるをとがらせて、梅干しの種を葛西くんにむけて飛ばした。

「変な攻撃すんなっ」

「はなちゃんの魅力に気づいた審美眼だけは認めてやるよ」

「……そりゃ光栄」

 葛西くんはもうひとつ、手つかずのあんパンの袋をつまんでぶらさげた。

「食う?」

「いらない」

「栗が入ってるんだぜ?」

「……いる」

 奇妙な三角関係ができあがってしまった。

 わたしは内心で首をかしげながら、黙って玉子焼きを咀嚼そしゃくする。奏ちゃんお手製のそれは、ほんのりと甘くておいしいのだ。

「秋は栗だよな」

 高くぬける蒼天を眺めながら葛西くんが呟けば、

「おまえの頭も秋色だよな」

 奏ちゃんが間髪いれずに反応する。

「なにが言いたいんだよ」

「なんで不良やってんの?」

 奏ちゃんの直球をうけて、葛西くんはかえす言葉をなくしたふうに黙りこんだ。

「ていうか不良になりきれてないよな。おまえっていい子なの? 悪い子なの?」

 葛西くんはいやそうに顔をゆがめた。

「俺はグレーな男なんだよ」

「曖昧なやつだな。どっちかにしとけよ、かっこ悪いから」

「おまえずばずば言いすぎなんだよ、舌ひっこぬいてやりてぇな」

 奏ちゃんの眉がぴくりとうごいた。

 なにかがかんに触ったらしい。すうっと冷たい顔をして、奏ちゃんはとんでもない台詞を吐いた。

「おれの舌技で泣かせてやろうか」

 わたしはぎょっとして横をふりむいた。

 おなじように唖然として固まった葛西くんの手から、あんパンが落ちた。

 奏ちゃんはどこか満足そうに、凄みのある冷笑を顔にうかべた。

「なめんな」

 短く言い放つと、ふっと柔和な表情にもどる。とたんにふんわりと色香が立ちのぼった。

 わたしは――おそらく葛西くんも――心臓がどきどきしてなだめるのに必死だった。

 葛西くんの頬がどことなく赤らんでみえるのは気のせいだろうか。

 当の奏ちゃんは、ひかる黒髪を涼しげにそよがせてごはんをもぐもぐしている。

 悪魔のような横顔だ。

「おまえその色気どうにかしろよ!」

 葛西くんの悲痛な訴えは、虚しく空に吸いこまれた。

 奏ちゃんはただ、おかしそうに肩を揺らすばかりだった。

 だれを相手にしても、奏ちゃんのほうが一枚うわてだ。葛西くんに悪いと思いながらも、わたしはこっそりと笑いを噛み殺した。


 予鈴が鳴った。三人で教室にもどると、

「葛西くん!」

 栞ちゃんが机のあいだを縫うようにしてぱたぱたと駆けてきた。待ちうけていたかのようだ。

 ふたつのちいさな三つ編みを肩のうえで揺らして、栞ちゃんはキッと葛西くんをみあげた。

「どこに行ってたのよ!?」

 怒るそぶりで頬をふくらませる栞ちゃんの勢いに押されて、葛西くんはすこし後ずさった。

「や、ちょっと、野暮用?」

 目をそらして空笑いする葛西くんを、栞ちゃんはひと睨み。

「何かあったの?」

 きょとんとするわたしと奏ちゃんを、交互にみた栞ちゃんの頬に紅がさした。

「あっきれた! お邪魔虫しに行ってたの!?」

「虫じゃねぇよ!」

 栞ちゃんの剣幕にたじたじとなりながらも、葛西くんは応戦する。栞ちゃんは信じられないと言いたげに頭をふるふると横にふった。

「あんたってほんとに野暮! 演劇部の練習さぼって何してるのかと思えば!」

「すきで演劇部員やってんじゃねぇよ!」

 わたしは驚いて葛西くんを凝視した。

 茶髪で制服を着崩したこの男の子が演劇部?

 葛西くんが演技しているところなんて想像もつかない。

 栞ちゃんが、両手をひろげてため息をついた。

「〝ガラスの仮面〟の世界に夢中になってたあんたはどこに行ったの?」

「漫画と現実をごっちゃにすんな!」

 栞ちゃんは両手をひろげたまま、悲しそうな表情をした。

「王子はあんたしかいないのよ? 演劇部にはあんたが必要なの」

「なんでおまえの言動はいちいち演劇ちっくなんだよ!」

「細かいことにうるさいわね、女優になるのがあたしの夢なんだからいいじゃない!」

「その顔じゃ無理だって何回言わせんだよ!?」

「グレぞこないに言われたくないわ!」

「グレぞこない!?」

 ふたりは睨みあって一歩もひかない。

 ある意味、仲のいいお似合いのカップルにみえた。と言ったら、ふたりとも怒るかな……。

 それまで黙って眺めていた奏ちゃんが、おもむろに口をひらいた。

「付き合っちゃえば?」

「はぁ!?」

 ふたり同時に奏ちゃんをふりむいた。

 奏ちゃんはその反応を無視して、葛西くんを上から下まで眺めまわすと「ふうん」と言った。

「おまえ演劇部だったの? 人ってみかけによらないな。おまえが王子ね……」

 ふうん、と繰りかえして、奏ちゃんは葛西くんの肩に、ぽんっとてのひらを乗せた。

「せいぜい頑張って早くおれに追いつけよ、王子」

 語尾にハートマークをつけてにっこり笑うと、葛西くんの耳にフッと息を吹きかけた。

 みていた女子がちいさな奇声をあげた。

 耳を押さえてよろけた葛西くんに、奏ちゃんは余裕の流し目をおくってにやりとした。

 完全に葛西くんで遊んでいる。奏ちゃんの魔性はとどまるところを知らない。

「はなちゃん」

 栞ちゃんがわたしの腕を両手でつかんだ。

「な、なあに?」

「やだ、どもらないで」

「だって」

 おたがいに、瞳がうっとり溶けそうになっているのだ。

 掃除用具入れにぶつかって茫然としたままの葛西くんを尻目に、栞ちゃんは熱っぽく言った。

「奏くん、演劇部に欲しいわ」

 彼はまちがいなく演技派よ、と断言して、栞ちゃんはひとりでうなずいていた。

「あれはいい俳優になるわ」

 席について教科書を準備する、奏ちゃんの麗しい姿をふたりでみつめた。

 栞ちゃん。

 奏ちゃんの夢は俳優じゃないよ。

 獣医だよ。


 じゃんけんで負けたので、重たいごみ箱を抱えて教室をでた。

 部活動にむかう生徒たちにぶつからないよう、廊下の端を歩いていると、

「運が悪いな、おまえ」

 不意に両手が軽くなった。

 わたしの隣で葛西くんが、ごみ箱を抱えてからかうように笑っていた。

「薄情な男子どもだよな。こんなもん女子に持たすなっつの」

 葛西くんはじゃんけんに勝ったほうなのに。

「ありがとう」

「気にすんな」

 葛西くんはすたすたと歩いていく。

 このまま自分だけ教室にもどるのも気がひけて、わたしは小走りで後についていった。

 葛西くんが、すこしふりかえって意外そうな顔をした。

「なに、一緒に来てくれんの?」

「……うん」

 ためらいがちにうなずくと、葛西くんは歩をゆるめてわたしの速度にあわせた。

 なにを話せばいいのかわからない。

 無言で階段をおりていたら、葛西くんが口火を切った。

「あいつのどこがいいの?」

 このまえの授業中とおなじことをあらためてきかれて、わたしはうつむいた。

 奏ちゃんのどこがすきか、なんて。

「ぜんぶ」

 に、決まっている。

 ちっ、と舌打ちして、葛西くんは黙りこんだ。沈黙が気まずくて、今度はわたしから話しかけた。

「どうしてわたしなの?」

 あきらかにわたしは平凡な部類だ。容姿も性格も地味で目立たない。

 奏ちゃんに想われているのは奇跡なのだ。

 葛西くんはちらりとわたしに視線をよこすと、

「雰囲気」

 と言った。

「夏休みが明けてからかな。なんか雰囲気がほかの女子と違うんだよな。透明感っての? 白さに惹かれるっつうか。自分が黒いからかもしんねぇけど」

 よくわかんね、と苦笑した。

「葛西くん、黒いの?」

「お、食いついてくれた?」

 葛西くんは、そのまま口をつぐんでしまった。


 木造校舎の裏手にまわり、焼却炉のふたをあける。

 熱気が顔をおしつつんだ。煙たくて息苦しい。

 ごうごうと揺れる赤い炎にむけて、葛西くんがごみ箱を逆さまにひっくりかえした。ごみは炎に飲みこまれ、みるみるうちに原形をなくしてゆく。

「浄化だな」

 琥珀色の瞳に火影を映して、葛西くんは満足そうに呟いた。

 パチパチとぜる音がする。

 炉のなかから熱風が吹きあげ、長めの茶髪がふわりと舞った。

 赤と茶と陽光。

 秋の色が混ざりあい、細い髪の毛がきらりと金色を弾いた。

 わたしには奏ちゃんしかみえていなかったから。だから、気づかなかった。

 葛西くんは、綺麗な表情をする。

「俺も灰になりてぇな」

 葛西くんは、横顔に憂いをうかべてそんなことを言った。

 ふたを閉めて、乱れた髪の毛をそのままに煙突をみやる。

 ゆらゆらと白煙がのぼってゆく。さ迷うように、儚く、淡く。

「なんか魂みたいじゃね?」

 葛西くんはふりかえると、あどけなさの残る笑みをみせた。

 木造校舎のなかから、艶のあるピアノの音色が聴こえてきた。

「あ、俺この曲しってる」

「わたしも」

「なんだ、おまえも?」

 けっこうマニアだな、と言って肩をすくめた。

 空になったごみ箱を持って、来た道をもどる。校舎の横にはちいさな池があった。

「おまえってあんな感じ」

 葛西くんが、一匹の鯉を指さした。

 池の奥まったところで悠々と泳ぐ、金色の鯉。

 紅や黒やまだらもようがひしめくなか、金にきらめく鯉はそれ一匹だけだった。

「わたし、あんなに綺麗じゃないよ?」

「俺の目にはひかってみえるんだよ」

 胸が痛くなった。

 ひかりを求めているのだろうか。

 〝ヒースの茂る荒野〟を、葛西くんはどんな気持ちで聴いているのだろう。

 葛西くんは……


「孤独なの?」


 口をついてでた言葉に、自分で驚いた。

 鯉が跳ねて、やわらかな水音がした。潤った、豊かな響きだった。

 ふっ、と影がさした。

 顔をあげると、葛西くんが真顔でわたしをみつめていた。

 ふたつの瞳。

 深淵に吸いこまれそうな気がした。

 影が近づいた。

 うごけなかった。

 葛西くんのくちびるは、つめたく渇いてかさかさしていた。

 寂しい荒野みたいだった。


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