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続*虹を架ける人  作者: 城 マリカ
6/24

◆満ちる時

 扉をあけて廊下にでると、霞のような淡いひかりが目に染みた。

 黒の世界から白の世界へ。

 奏ちゃんがわたしをみおろして、

「ん」

 微笑みながら手を差しだした。

 わたしは砂漠の薔薇と百円玉をポケットに突っこむと、その手をぎゅっと握りしめた。

 学校内であっても、奏ちゃんはあたりまえのように手をつないでくれる。さらさらした肌の感触がなじんで、わたしはそれだけでときめいてしまう。

「顔、赤いな」

 からかうように指摘されて、おもわず「だって」とみあげた。

「だって?」

 手をひいて歩きながら、奏ちゃんはいたずらな瞳をむけて先を促す。

 いつもの奏ちゃんだ。

 いつもの穏やかな奏ちゃんだ。

 うれしくなってつないだ手を揺らすと、

「子どもみたいだな」

 くすりと笑われた。

 綺麗な横顔にうっとりする。

「みるなよ」

「だって」

「だって?」

「かっこいいんだもん」

「いまさらだね」

「今日は告白されたの?」

 奏ちゃんは階段の踊り場にさしかかると、足をとめてふりかえった。

「不安?」

 やさしくたずねられて、わたしは言葉につまってしまった。

 不安とは違う気がする。

 よくわからない。

 もてる恋人を誇らしく思う気持ちがある一方で。ほかの女の子と関わらないでほしい、そんなわがままな気持ちもあった。

 奏ちゃんに抱くやきもちは、自分でも説明のできない複雑なものだった。

「そんな顔するなよ」

 奏ちゃんが指先で、わたしの輪郭をなぞった。

「すきだから」

 わたしは学ランのそで口をつまんで揺らした。

「どのくらい?」

 奏ちゃんは艶っぽい笑みをうかべると、わたしの耳にくちびるを寄せてきた。

「はなちゃんじゃないと勃たないくらい」

 一瞬でわたしを恥ずかしくさせて、楽しそうに笑った。

「ひどい、からかってるの?」

 顔をそむけて抗議すると、「まさか」と否定してふんわりと抱いた。

 遠くで生徒たちの声がする。

 この場所だけ、だれにも入りこめない異空間みたいだった。

 踊り場での抱擁。

 鮮やかな既視感。

「もし、あのとき……」

 奏ちゃんが、ぽつりと呟いた。

「こうしてなかったら、まだ片想いしてたのかな、おれ」

 胸がちくりと痛んだ。

 奏ちゃんの気持ちに露ほども気づいていなかった、あのころのわたし。


 ――おれを好きになれ。


 青く染まった踊り場で、もし、あの強引な告白がなかったら。

 わたしの気持ちは奏ちゃんにむかっていただろうか?

「な? わかっただろ?」

 奏ちゃんはわたしをそっと離すと、

「惚れたほうが負けなんだよ」

 ひらき直ったような口調で言った。

「おれに求めるものがあるなら言いな。できることならなんでもしてやるから」

 愛おしそうにわたしの頭をなでる。

 奏ちゃんは、あっという間にわたしの心を満たしてしまう。そうなると不思議なことに、奏ちゃんの顔にも満足がひろがるのだ。

「はなちゃんは可愛すぎるな」

 奏ちゃんは目を細めて宙をみつめると、ひとり納得したようにうなずいた。

「一刻もはやく〝魔よけ〟がいる」


 毎年ハロウィンの時期になると、この町の通りにはかぼちゃ売りの露店が現れる。太陽みたいなオレンジ色が、いつもの見慣れた町並みにあかるい花を添える。

 わたしと奏ちゃんは〝金星通り〟で、ごろごろと積みあげられたかぼちゃを吟味していた。

 すでにハロウィンは三日後に迫っている。

 形のいいかぼちゃは売れてしまったのだろう、選別には骨が折れた。

 露店の主にも手伝ってもらい、ようやくこれだと思えるものをみつけた。いくぶん小ぶりではあるものの、丸々と綺麗な形をしたかぼちゃを購入した。

 肝心のかぼちゃが手に入った。つぎに求めるのは蝋燭だ。

 奏ちゃんの足どりはうれしそうに弾んでいた。

「いいのがあってよかったね」

 わたしが言うと、奏ちゃんはなにやら意味ありげに含み笑いをした。

「やだあ、へんな笑い方」

 奏ちゃんは相変わらずおかしな笑い方をしながら、ちらりと流し目をよこした。

 色っぽい視線に、おもわず心臓が跳ねる。

「かぼちゃの曲線って、なんかやらしいよな」

 爽やかな秋空のしたで、奏ちゃんはいきなり変態な発言をした。絶句するわたしの腰を軽くひと撫でして、楽しそうに笑い声をたてる。

「やだもう、変態」

 恥ずかしくて顔があげられない。

「男が変態じゃなかったら人類滅亡だろ」

 白い地面に伸びたふたりの影が、途中からぴたりと重なりあっている。

 ふたりでひとり。

 新しい影。

「子どもが欲しいな」

「えっ?」

 驚いて振り仰いだわたしを、奏ちゃんはきょとんとした顔でみおろした。

「いまじゃないよ?」

 胸をおさえてうなずくわたしをみて、おかしそうに笑う。

「びっくりした顔も可愛いな」

 わたしは影が離れていかないように、学ランの裾をきゅっと握った。

「はなちゃん、おれ、その仕草に弱いんだけど」

 裾をつかむわたしの手をぽんぽんとはたく。

 重なりあった影は、真夏にできるそれのように濃い。影はこんなにも簡単にひとつに溶けるのに。

「奏ちゃん」

「ん?」

「体って、ときどき邪魔だね」

 どうして体なんてものがあるのかな?

 奏ちゃんは一瞬わたしをじっとみて、なにかを考える風にまえに向きなおった。

 水彩のような蒼空に、おいしそうないわし雲が漂っている。

 奏ちゃんは艶つやした黒髪をなびかせながら、優美な微笑をうかべてふりむいた。

「おしえてあげようか?」

 手首をひかれ、あっという間に道端の隙間に連れこまれた。

 建物と建物の狭間、壁が造るほんのわずかな空間で、いやおうなく体が密着する。

「奏ちゃ……?」

「ばか、声だすな」

 静かに命令して、やわらかにくちびるを重ねてきた。

 通り過ぎる人はだれひとり、こんな隙間を気にとめはしない。

 賑やかな世界から隔絶された場所で、とろけるようなキスを施されて恍惚とする。

 腰が砕けそう。

 わたしは背中に腕をまわして、一生懸命しがみついた。

「体がないと、こんなことできないだろ」

 紅く濡れてひかる、魅惑的なくちびるがふたたび降りてきた。

 うつむいていたくても、キスをうけると自然に顔がうえをむく。

 頬を滑る、奏ちゃんのやわらかな髪がくすぐったい。

 甘い吐息をからませあいながら、うすく目をあけた。屋根に切りとられた狭い蒼空は、こわくなるほど高く突きぬけていた。


 ――吸いこまれそう。


 言いしれない怖れが膨らんできて、わたしはきつく目をつぶった。

 まぶたの裏に、いくつもの金色の幾何学もようがちらついた。おもわずちいさな声を漏らすと、するりとスカートのなかに手が滑りこんできた。

 わたしは慌てて強引なその腕をつかんでいやいやした。

 けれど奏ちゃんはあっけなく下着のなかに指を忍ばせてしまった。

 瞬間、純粋に驚いたような呟きが降ってきた。

「すごい……」

 羞恥にめまいがした。

 逃げたいのに、縛りつけられたようにうごけない。

 体をかたくして深くうつむくと、奏ちゃんは指を離してわたしの顔を覗きこんだ。

「はなちゃん」

 意地悪に微笑して、甘く囁いた。

「エッチ」

 消えたくなるほど恥ずかしくて、わたしは思いきり顔をそむけて涙ぐんだ。

「ばか、ばか、きらい……」

 足もとの雑草が青くにじんでみえる。

 だけど奏ちゃんは、そんなわたしにはおかまいなしだった。

「帰って続きしようか」

 ぞくっとするような色っぽい表情をして、誘うように、わたしの耳たぶをやさしく噛んだ。


 十月も終わりに近づくと、哀しいほどに日暮れがはやくなる。

 ベッドのなかで、抱きあって眠るひとときは泡のように儚くて。暗い部屋で奏ちゃんの寝息を聴いていると、なぜか泣きたくなってくる。

 恋しい。

 こんなにそばにいるのに。

 ただただ恋しい。

 なまえを呼ぶと、ふと目をさまして微笑んだ。あたたかな胸にわたしを抱きしめて、

「もっと呼んで」

 と、かすれた声でねだる。

「奏ちゃん」

「うん」

「寝ぼけてるの?」

「うん」

 抱きしめる腕に力がこもった。やさしい花の匂いがする。

「はやく明日になってほしいな」

 わたしの髪をなでながら、子どもみたいなことを呟いた。

 どうして? とたずねると、

「はなちゃんに会えるから」

 無邪気に言って、前髪にキスをした。

 恋しい。

「いまも会ってるよ?」

 恋しい。

「足りないよ」


 恋しい……


「夢のなかに会いに行くね」

「抱くけどいい?」

「そんなにしたいの?」

「したいよ、二十四時間してたい」

「わたし壊れちゃうよ」

「壊れてよ」

 まどろみから醒めきらない目で、わたしをじっとみつめる。

「気持ちよかった?」

 いたわるように問いかけられて、恥じらいながらも素直にうなずいた。奏ちゃんはうれしそうに、わたしの鼻に鼻先をこすりつけた。

「おれも」

 秋の夜は、わけもなく感傷的になる。

 紺色の天蓋に、いびつな形の月。未完成の十六夜がさ迷っている。

「奏ちゃんとひとつになると、完成された気がするの」

 奏ちゃんはすこし驚いたように、まばたきをした。

 その目をみつめて、伝える。

「満たされるの」

 いびつな十六夜から、満ちる月になる。

 奏ちゃんは、大切なものを愛でるような瞳をして、ありがとう、と言った。

「夢みたいだな」

 熱をおびた、わたしの頬をなでながら囁く。

「子どものころから、きみが欲しくてたまらなかったんだ」

 葉ずれの音が聴こえる。

 潮が満ちていくときのような、やさしい音に似ている。

「きみも、おれを欲しいと思ってくれてるの?」

 清らかな微笑。

 どうして涙がうかんでくるのだろう。

 まるで満ち潮だ。欲しいと望むだけで涙がでる。

 その想いだけで、生きていけるような気がするのはどうして。

「抑えるなよ」

 夜の海みたい。

 深い、黒色のきらめき。

「ぜんぶ受けとめてやるから」

 すべてを見透かしたような、瞳。

「いいの?」

「なにが心配?」

「わたし重いの」

「望むところだよ」

 迷いなく言って、親指で涙をぬぐってくれる。

「すきなの」

「おれもだよ」

「だいすきなの」

「まだ抑えてるだろ」

 奏ちゃんは枕もとのティッシュをとると、わたしの鼻にあてた。

「とりあえず鼻かもうか。はい、ちんして」

 言われるがまま、ちん、と鼻をかんだ。

「可愛いな」

 愛おしそうに目を細めると、鼻紙を丸めてごみ箱に投げた。

 シャツを拾い、素肌のうえに羽織る。

 横たわったままのわたしをみおろして。ゆっくりと、わたしの髪を指にからめてもてあそんだ。

 やがて。

 後をひくような仕草で指を離すと、わたしのセーラー服を拾いあげた。

 いつものように、起きあがったわたしにそれを着せる。

 長い指が、丁寧にリボンを結んでくれる。

 その愛おしい指を、わたしは衝動的に握りしめた。

 奏ちゃんのまなざしに戸惑いはなかった。こうなることを予測していたかのようだ。

 無言でみつめあう長い時間。

 耳の奥に鼓動がこだましていた。

 どうすればいいのかわからなくて、指を握りしめたまま視線を泳がせた。

「おれが欲しいだろ」

 有無を言わさない堂々とした台詞だった。

 一瞬で魔法をかけられてしまった。

 釘づけになったわたしの頬を、おおきな両手がつつみこんだ。

 微笑を形づくる、やわらかそうなくちびるがうごいた。

「いいよ」

 火照った顔をそむけることもできない。

 胸がつまる思いで視線を瞳にうつした。それは挑戦的なひかりをたたえて、射るようにわたしを見据えていた。

「来な」

 なにかが弾けた。

 抑えていたものがあふれだし、わたしは奏ちゃんの首に腕をまわして抱きついた。

「すき」

 不思議な魔力に操られるように、わたしはそっとくちびるに吸いついた。

 自分からの初めてのキスだった。

 甘くやわらかいくちびるが、わずかにひらいた。おずおずと舌を差しこむと、きゅ、と吸ってからめとる。

「初めてだな」

 恥ずかしい顔をみられたくなくて、もう一度くちびるを押しつけた。つたないわたしのキスを、奏ちゃんはぜんぶ受けとめてくれた。

 肩に顔を埋めたわたしの背中を、なだめるようにたたく。

「頑張ったな」

 声が笑みをふくんでいる。

「なんで頑張ったの?」

「すきだから」

「もっと言っていいよ」

「すき」

「うん、幸せ」

「だいすき」

「生きててよかった」

 秋の夜長に、くすくす笑いながら抱きしめあう。

 未完成の月が、あかるくわたしたちを照らしていた。ゆく先をおしえる、道しるべのように……


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