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続*虹を架ける人  作者: 城 マリカ
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◆奇跡のゆくえ

 あの夏におきた奇跡は、わたしの家に、かつてのぬくもりをもたらした。週末の草野家にはお父さんが帰ってくるようになり、夜の食卓には奏ちゃんが加わるようになったのだ。

「奏くん、あとで一杯やらないか」

 ひよこ豆のハンバーグをつつきながら、お父さんが向かいの奏ちゃんに話しかけた。

「いいですね、酔ったら介抱してくださいよ?」

 奏ちゃんはにやりと笑ってお父さんに応える。

「奏くんは桃葉茶とうようちゃでも酔えるのかい」

「あれ? お酒じゃないんですか?」

「きみにはまだ早いだろう」

 にやりの応酬。

 その隙に、わたしはにんじんのオレンジ煮を奏ちゃんのお皿にこっそり移した。

 お母さんがくすくす笑いながら割りこんだ。

「奏ちゃん、桃葉茶は美容と健康にいいのよ」

 奏ちゃんは困ったふうに、箸の先をくちびるに挟んで首をかしげた。

「それは困りますね。これ以上おれは綺麗になりたくないですよ」

 奏ちゃんが言うと説得力がある。

「あらいいじゃない、綺麗になってちょうだいよ」

「勘弁してくださいよ、もてすぎて困ってるんですから」

 笑いながらお皿に視線を落とし、いつのまにか増えているにんじんをみて笑顔を固めた。

「こら、偏食児童」

 目を泳がせてレタスをしなしな噛っていると、にんじんをわたしのお皿に移しかえそうとしてきた。

「やだあ!」

 抵抗してその手を押しとどめると、

「だめ。食べな」

 やさしく叱られた。

「奏ちゃんにあげる」

「おれ『ちょうだい』って言った? 半分だけ食べな」

 じっと瞳をみつめて訴えたけれど、奏ちゃんの教育指導は厳しかった。

 わたしはしぶしぶ折れた。

「三分の一だけでもいい?」

「よし、偉いな」

 奏ちゃんはやわらかに微笑むと、にんじんを箸で割ってわたしのお皿に乗せた。

 お父さんが感慨深げに言った。

「奏くんは、はなの父親だな」

 奏ちゃんは決まり悪そうな表情をして「すみません」と謝った。

「いいのよ、しっかり叱ってやってちょうだい」

 かばってくれないお母さんが恨めしい。

 わたしは不思議な味がするにんじんのかけらを、噛まずに丸呑みした。


 なんだかんだ言いつつも、奏ちゃんはお父さんと桃葉茶で一杯やりはじめた。

 男どうしの話というやつなのだろう。

 わたしは仲間はずれにされたことに、ほっとしていた。わたしはまだ、お父さんとの接し方がよくわからないのだ。

 わだかまりがあるわけではないのに、なにを話せばいいのかわからなくて戸惑ってしまう。

 それはお父さんもおなじかもしれなかった。

 一度ひろがった溝は、なかなか埋めることができない。

 奏ちゃんはそれを察して、さりげなくわたしたちのあいだに入ってくれる。

 聡明でやさしい、わたしの恋人。わたしは奏ちゃんが、すきで、すきで、しかたがない。

 真珠色の湯舟のなかで、わたしは膝をかかえた。

 ほのかなミルクの香りにつつまれていると、それだけで奏ちゃんに会いたくなる。

 あふれるような恋しい想いを、すべてぶつけてしまったらどうなるのだろう。わたしの気持ちは重すぎて、奏ちゃんをつぶしてしまうことになるかもしれない。

 やり場のない恋しさを吐きだすように、わたしは湯舟に顔をつけた。


 お風呂からあがると、すでに奏ちゃんの姿はなかった。

 お母さんが洗いものをしているうしろで、お父さんは静かに〝嵐が丘〟の文庫本を読んでいる。

 わたしの顔はよほど落胆をあらわにしていたのだろう。お父さんが文庫本から顔をあげて、にやっとした。

「はな、がっかりするのは早いぞ。奏くんから手紙をあずかってるからな」

「手紙?」

 おもわず浮足立ったわたしを、お父さんはおかしそうに笑った。

「わかりやすいなあ、はなは」

 ちいさく折りたたまれたメモ用紙を、わたしの手に乗せた。

「絶対に中身はみるなって十回は念をおされたよ」

 はやる気持ちで手紙をひろげた。

 奏ちゃんそのものみたいな、流麗な文字が並んでいた。


『はなちゃんへ


 お風呂あがりのきみをみたら、したくなっちゃうから帰るよ。

 明日はお父さんとおれとはなちゃんで〝金星通り〟に遊びにいこうな。

 おやすみ、おれの可愛いはなちゃん。

 寂しかったら夢のなかに会いにおいで。

 愛してるよ。


 奏一朗より』


 ちいさな感動がこみあげて、みるみる頬が熱くなった。


 ――愛してるよ。


 奏ちゃん。

 この綺麗な文字は、一生わたしの心に残る。

「はな、真っ赤だぞ? なにが書いてあったんだ」

 娘が心配なのだろう。みせてみろ、と真顔で手紙を奪おうとするお父さんに、わたしは必死でかぶりをふって抵抗した。

 お母さんがお皿を洗いながらくすくす笑った。

「お父さん、人の手紙をみるなんて悪趣味よ」

 不満そうな顔をするお父さんに、短く「おやすみなさい」と告げて、わたしは慌てて部屋に逃げた。


 日曜日の〝金星通り〟は恋人たちであふれかえっていた。

 秋口には洋菓子専門店〝羊の雲〟の姉妹店ができ、ハロウィン祭を間近にしていよいよ活気づいている。

 蒼い屋根の喫茶店〝印象の森〟は、まだ午前中だというのに開店するなり満席になった。窓辺にやわらかな秋の陽光が降りそそぎ、とんがり帽子パフェの金箔飾りをきらきらと照らす。

「かぼちゃにこだわるとは考えたね、この店」

 わたしの隣でとんがったかぼちゃアイスをつつきながら、奏ちゃんが言った。

 この町の特産品であるかぼちゃが、このお店のメニューにはふんだんに取り入れられていた。

「おれ、つぎに来たときは満月オムライス食べたい」

 奏ちゃんは、細身に似合わず食いしん坊だ。

 奏ちゃんのむかいで、お父さんは夕焼けプリンを黙々と食べている。

「奏くん」

 やがておもむろに口をひらくと、単刀直入に奏ちゃんにたずねた。

「奏くんは、はなと今後どんなつきあいをしていくつもりかね?」

 奏ちゃんはアイスをつついていた手をとめた。ちら、とお父さんをみて、涼やかに返した。

「おれに会うたびにその質問してきますね」

 何回確認したら気がすむんですか? と言って、ふたたびアイスに視線を落とした。

「何度も言ってるじゃないですか、真面目なつきあいしていくつもりです。そんなに心配ですか?」

 お父さんは、ばつが悪そうな顔をした。

「いつなにを間違うかわからないだろう」

「お父さんと一緒にしないでくださいよ」

 わたしは頬ばっていたアイスを噴きだしそうになった。

 おろおろするわたしにはかまわず、奏ちゃんはこともなげにチクリと毒針を刺す。

「おれはなにがあってもお父さんみたいにほかの女性に逃げたりはしませんから。おれは、はなちゃんを一生大切にしていこうって心に決めてるんです」

 伏せていたまつげをあげて、お父さんを見据えた。

 お父さんがにやりとした。

 奏ちゃんもにやりとした。

 交わった視線が友好的な火花を散らした。


 男どうしの感覚はよくわからない……。


 お父さんが会計に立った。

 待つあいだ、わたしと奏ちゃんはこっそり小指をからませていた。

「奏ちゃん、あんなこと言ってよかったの?」

 心配してきいたわたしに、奏ちゃんはいたずらっぽい流し目をよこした。

「ひとりぐらい責める人間がいてやったほうがいいんだよ。責められて救われる気持ちだってあるからね。はなちゃんもお母さんも人がいいからできないだろ? だからおれがやってやる。当事者じゃないおれだからできる役割だよ」

 まかせときな、と微笑んで、奏ちゃんはからめた小指に力をこめた。

 うつむいた視界に、ふたりの足が並んでいる。

 わたしの足は、奏ちゃんのそれよりもずいぶんちいさい。足の先が、おなじ方向をむいているのがうれしい。

「奏ちゃん」

「うん」

「だいすき」

「おれもだよ」

 〝印象の森〟には、延々と静かな音楽が流れていた。

 うつくしいピアノの音色が、妖精の涙のようにひと粒ひと粒かさなっていく。

 遠くから聴こえる、旋律は甘いそよ風のようで。匂やかなその空気を感じていたら、なぜか荒野がみえた気がした。

 荒野を吹き過ぎる風……

「〝嵐が丘〟……」

 ゆうべお父さんが読んでいた文庫本を思いだした。

 奏ちゃんが小首をかしげてわたしをみた。

「エミリー・ブロンテの小説?」

 うん、とわたしはうなずいた。

 荒野の館を舞台にした、狂おしい愛憎劇。

 荒野……

「綺麗な音楽ね……」

 奏ちゃんは深みをたたえた瞳で、音楽を聴きいるわたしをみつめた。

 店内をふりかえって、通りがかったお店のお姉さんを呼びとめると、

「すみません、いま流れてる音楽、なんていう曲ですか?」

 と、たずねた。

 お姉さんは奏ちゃんと目をあわせたとたん、頬を赤らめた。目を泳がせながら、たどたどしい口調でおしえてくれた。

「〝ヒースの茂る荒野〟ですよ、ドビュッシーの、前奏曲集に入ってる音楽です」

 奏ちゃんはふわりと微笑みかけた。

「ありがとう」

 奏ちゃんは、お姉さんのような女性の反応に慣れているのだ。余裕に満ちた奏ちゃんのたたずまいは、十六歳とは思えないほど優雅で品があった。

 お姉さんはますます顔を赤くして頭をさげると、そそくさと奥に立ち去った。


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