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続*虹を架ける人  作者: 城 マリカ
2/24

◆苺のキス

 文具専門店〝ねむの木〟の目玉商品、水晶ペンは、奏ちゃんからの贈り物だ。

 その書き味はとても滑らか。わたしはさらさらとペンを走らせ、日誌に絹糸みたいな文字を綴っていく。

「綺麗な字を書くね」

 放課後の教室で、窓辺に寄りかかってわたしをみていた奏ちゃんが、囁くように言った。

 このごろ、奏ちゃんの声はすこし低くなった気がする。

 わたしは日誌から顔をあげて、奏ちゃんをみた。

 十月下旬の夕陽をうしろから浴びた奏ちゃんの、端正な顔にはくっきりと陰影がさしていた。身にまとう静かな雰囲気は独特で、それはほかの男の子たちにはない、凜とした大人っぽさだった。

 あの夏を境に、奏ちゃんはますます女の子たちにもてるようになった。

「奏ちゃん」

「うん?」

 首をかしげる仕草ひとつにも、妙な色気がある。艶めいた黒髪が横に流れるだけで、その場の空気が香りたつようだった。

 わたしはどきどきしながら、澄んだ黒曜石の瞳をみつめてたずねた。

「今日も、だれかに告白されたの?」

 奏ちゃんは、いたずらな微笑をうかべた。

「知ってどうするの?」

 肯定の返事だ。

「どうもしない、けど」

 わたしは日誌に視線を落とした。

 最近の奏ちゃんは、近寄りがたいぐらいにかっこいい。

「やきもち?」

 奏ちゃんは、微笑をうかべたままで言った。

「心配しなくて大丈夫だよ。おれ一途にはなちゃんがすきだから」

 わたしは素直にうなずいてみせた。

「わかってる」

「なんだよ、言わせるなよ」

 奏ちゃんはまつげを伏せて、ふふっと笑った。

「はやく、日誌」

 軽く顎でしゃくってわたしを急かす。

「はやく帰ってエッチしよ」

 文字が乱れた。

「やだもう、なに言ってるの、こんなところで……」

「男にはこんなところもあんなところも関係ないんだよ。ほら、はやくしないとキスするよ」

 奏ちゃんがくすくす笑うのをききながら、わたしは慌てて日誌に文字を書きつらねた。


 奏ちゃんに抱かれたあとは、いつも、蜂蜜バターが溶けていくみたいに眠りに入ってしまう。淡い夢のなかで蝶と戯れていたら、ふと、頬に冷たさを感じた。

 目をひらくと、奏ちゃんが気だるげな表情をしてわたしをのぞきこんでいた。

「なあに……?」

 まだ頭に、ぼんやりと霞がかかっている。

 奏ちゃんは、意味深な笑みをつくって、冷えた赤透明の瓶に口をつけた。

 苺ソーダをふくむと、まどろむわたしを抱きおこして、濡れたくちびるをそっと、わたしのくちびるに重ねた。ぴりぴりした甘酸っぱい炭酸水が、細く流れこんでくる。

 こくん、と、喉が鳴った。

 奏ちゃんはくちびるを離すと、熱っぽい瞳をして、焦がすようにわたしをみつめてきた。

「可愛いかった」

 囁いて、頬をなでまわす。

 わたしは顔を熱くして、奏ちゃんの裸の胸にひたいを押しつけた。

「だって、激しくするんだもん……」

「激しいの、いや?」

「……」

「ゆっくりなのと、どっちがすき?」

 消えいりそうな声で、ゆっくりがすき、と打ちあけた。

「わかった」

 奏ちゃんは静かに、わたしをふたたびベッドに押し倒した。

「奏ちゃ……?」

 言いかけたくちびるを、深くふさがれた。

 くちびるが触れあう距離で、奏ちゃんは自嘲ぎみに微笑んだ。薔薇の吐息まじりに「ごめん」と謝ると、

「おれ、淫乱なんだ」

 全身から色香をまき散らしながら、もう一回しよ、と甘く囁いた。


 町が青く染まりはじめる、幻想的なこのときがすき。

 うっすらとあかるい部屋にはまだ、官能の名残りがほのかに漂っている。

 甘い空気のなかで、奏ちゃんが白いシャツを羽織った。

 胸の素肌をさらけだしたまま、床に散らかしたわたしのセーラー服を拾う。丁寧にかたちを整えると、わたしの頭のうえからふわりとかぶせてきた。

「ばんざい」

 やさしく命令されて、両手をあげた。

 そでに腕を通して顔をだすと、いたわるような目をして、乱れたわたしの髪を指でとかしはじめた。

 青く透きとおる部屋のなかは、まるで綺麗な水槽を想わせた。静かで、やさしくて、水に抱かれているような安心感がある。

 ゆっくりと髪をすいてくれる、指の感触が心地いい。

 愛おしさが募っていく。

 わたしは奏ちゃんのはだけた胸に、そっと指先を触れた。熱い素肌……。

「だめだよ」

 奏ちゃんがちいさく言って、わたしの手首をつかんだ。

「いまは触るな」

 きっぱりと拒んで、伏せたまつげをかすかに震わせた。

「どうして?」

 奏ちゃんはわたしの手首をつかんだまま、うすく苦笑いしてわたしをみた。

「おれいま、全身性感帯だから」

 瞳の奥に、ちらりと炎がかすめた気がした。

 わたしがそろそろと手を降ろすと、奏ちゃんは安堵したように吐息をついた。

 わたしの胸もとにほどけた露草色のリボンを、器用に結んでくれながら話しかけてくる。

「はなちゃんは、このリボンがよく似合う」

 ぬくもりに満ちた言葉が素直にうれしくて、顔がほころんだ。

「ほんとう?」

 奏ちゃんは愛おしいものをみるような表情をして、

「はなちゃんは花だから、花の色が似合うんだ」

 と言った。


 ――はなちゃんは花だから。


 胸のなかが、やさしいときめきでいっぱいになった。

「わたし、花?」

 そうだよ、と笑って、奏ちゃんはわたしの髪をなでた。

「世界でいちばん可愛い花だ」

「じゃあ、奏ちゃんは蜜蜂だね」

 奏ちゃんが吹きだした。

「おれ、そんな可愛い印象?」

 くすくす笑いながら、わたしの頬にくちづけた。

 水槽のなかで戯れる金魚みたいに、おたがいの頬に、ちいさなキスを繰りかえす。

「おれ、はなちゃんを抱けば抱くほどすきになっていく」

 どうしたらいい? と困ったようにきかれて、わたしも困ってしまった。わたしだって、奏ちゃんに抱かれるたびにすきになっていくのだ。

「あしたはもっとすきになってるよ」

 綺麗な瞳にみつめられると、いつも頬が熱くなる。

 わたしは奏ちゃんのシャツをつかんで、くいくいと引っぱった。

「ん?」

「奏ちゃん、あのね」

「うん?」

「……わたしも」

 か細い声でつたえると、奏ちゃんは穏やかに「ありがとう」と返して、顔を近づけてきた。わたしのくちびるに、やんわりとくちびるを押しあて、熱い舌を割りこませてくる。

 甘くておいしい、果実のようなキス。

 名残り惜しそうにくちびるを離すと、

「宇宙と一緒だな」

 奏ちゃんは無邪気に笑った。

「この気持ちに果てなんかないんだ」

 だいすきだよ、と囁いて、もう一度、とろけるようなキスをした。


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