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続*虹を架ける人  作者: 城 マリカ
18/24

◆カノープス

「振った男にプレゼントしたの!?」

 奏ちゃんは、吃驚するなり咳きこんだ。おおきな匙を、満月オムライスに突きたてて涙ぐむ。

 〝印象の森〟の窓辺で、奏ちゃんは心身ともに悶えていた。

「米、よそ、入った」

 日本語がままならない外国の人みたいだ。

 こんなに派手に反応されるとは思わなかった。わたしは太陽モンブランをつつきながら、上目づかいで「大丈夫?」ときいた。

 奏ちゃんはひとしきり咳きこむと、

「こっちのせりふだよ、あたま大丈夫!?」

 涙をうかべてわたしをみた。

「ひ、ひどい」

「なにが!?」

 わたしが言葉をつまらせると、奏ちゃんは呆れたように嘆息した。

「どこまでお人好しなのかな、葛西に情なんか移して」

 あーあ、と奏ちゃんは、片肘をたてて頬杖をついた。

「引きずるな、あいつ」

「だって」

 わたしは深くうつむいた。

「だって?」

「わたし、奏ちゃんみたいに振り慣れてないもん」

 もて慣れてもいない。

「そうきたか」

 奏ちゃんは、黙りこくってオムライスを口に運んだ。

「底なしだね。晩ごはんも食べるんでしょ?」

「うん」

「おなか痛くならないの?」

「はなちゃんが心配でおなか痛くなる」

 しん、と静けさにつつまれた。

 いたたまれなくて、わたしはそわそわと視線をうごかした。

 テーブルの端に、手づくり風の小冊子が立てかけてある。麻紐で留められただけの簡素なものだ。

 わたしはそれをなにげなく手にとると、ぱらぱらとめくった。

「BGM解説集だって」

「へえ」

 奏ちゃんが身を乗りだしてきた。急に距離が近くなると、それだけでどきどきする。

 おりしも店内には、ドビュッシーの前奏曲集が流れていた。

 悲しげな和音が、淡々と紡がれていく。

「暗いな」

 奏ちゃんが顔をしかめた。

 なんていう曲だよ、と呟くのをきいて、わたしは勝った気分になった。

「〝カノープス〟だよ」

 奏ちゃんが、気持ち悪そうに体をひいてわたしをみた。

「よく覚えてるな」

「奏ちゃん、記憶力が衰えたんじゃないの?」

 にやにやしながらからかうと、奏ちゃんはつんと横をむいた。

「数学の宿題、もう手伝ってやらないからな」

「ひどい!」

 奏ちゃんがくすくす笑いだした。

「ひどいのはどっちだよ。おれの肌に印象派があわないだけなのに」

「すきじゃないの?」

「あんまり。ロマン派のほうがすきだな」

「奏ちゃんどろどろしてるもんね」

「……情感あふれる、って言ってよ」

 わたしは無視して小冊子をめくった。

「はなちゃん? いまの話は終わったのかな?」

「カノープスって、なんの星座の星だったかしら?」

 奏ちゃんは、白い目でわたしをみてきた。

「理科倶楽部のくせに」

「しかたないじゃない、奏ちゃんみたいに頭よくないんだもん」

「竜骨座のα星」

 もちあげたのが効いたのか、奏ちゃんはすんなりとおしえてくれた。

 竜骨座は冬の星座だ。この町では、南の低空にしかみることができない。

「カノープスをみたら寿命が伸びるらしいよ」

「なあに、それ」

「伝説。あの星って、ここらでは高度が低すぎてみるのが難しいから」

「ふうん。都合のいい伝説だね」

 否定的な気分になるのは、音楽のせいだろうか。

 暗い響き。まるで厳かな、行進のような。

「星の曲とは思えないな。貸して」

 小冊子を奪われた。

 奏ちゃんは該当する箇所をみつけると、すらすらと読みはじめた。

「カノープスは竜骨座のα星。天体ファンならだれでも知っている、シリウスの次にあかるい星だ。ギリシャ神話の世界に起きた、トロイア戦争で、船を率いた水先案内人を表している」

「きいたことある」

 わたしの相槌に、奏ちゃんは笑みをかえした。

 文面に視線を落としてつづける。

「しかしこの曲は、星を表現したものではない……?」

 奏ちゃんは、いぶかしそうに首をかしげた。口をつぐんで、文章をすばやく目で追っている。

「なんて書いてあるの?」

 奏ちゃんは、めずらしく戸惑いをあらわにした。

 よけいに気になる。

「ねえ」

「知りたい?」

「もったいぶらないでよう」

「ただの解説だからな?」

「はやく読んで」

 奏ちゃんは、やれやれといった表情をして、ふたたび冊子に視線をもどした。

「カノープスつぼというものがある。これは古代エジプトで使われていた、ミイラ用の壺のことである」

「ミイラ……?」

 奏ちゃんは、わたしの顔色をうかがいながら、読みあげていく。

「ミイラをつくる際、魂が宿るとされる心臓以外の臓器を、この壺に保存して埋葬するのだ。ドビュッシーが表現しているのは、この壺から呼び起こされる印象である。すなわち、葬儀の悲しみ、厳かな行進、墓場の静けさ……、大丈夫?」

 片手で頬をつつまれた。

 心配そうな瞳がみつめてくる。奏ちゃんは親指で、わたしの涙をそっとぬぐった。

「お父さん、元気になるよね?」

「なるよ。お見舞い行こうな」

 病院にいる、お父さんのことを想うと胸がつまった。

 ついこのまえ、ここで一緒に過ごしたのに。

 奏ちゃんに頼ってばかりいたのだ。

 溝を埋める努力をしていなかった。逃げてばかりいた。

 もっと、ちゃんと向きあえばよかった。

 おたがいに近づいていけるように、橋を架けてあげればよかった。

「どうしたの?」

 唐突に、女の人が声をかけてきた。

 いつから横に立っていたのだろう、足音にも気がつかなかった。

「泣かないで?」

 綺麗な卵型の顔だった。

 女の人は、長い髪をうしろでまとめて、天使みたいに微笑んでいた。

 この店の白いエプロンを、腰に巻いている。初めてみる店員さんだった。

「ビーズの指輪を配ってるの。みてみて?」

 店員さんはそう言って、星型の銀の容器をテーブルに置いた。色とりどりの指輪が、あふれそうなほど詰めこまれている。

「手づくりなの。彼氏、彼女に選んであげて?」

 虚をつかれて固まっていた奏ちゃんは、急に話しかけられて狼狽をみせた。

「あ、じゃあ、これ……」

 不思議そうな表情をしながらも、露草色の指輪をひとつ選んだ。

 いいわよ、と店員さんはうれしそうに微笑むと、

「彼女に嵌めてあげてね」

 笑顔で言い残して、すっとその場を離れた。

「あんな人いたっけ?」

「新しい店員さんじゃないの?」

 わたしと奏ちゃんは、頭のうえに「?」をうかべて顔をみあわせた。

「どこから現れた?」

「わかんない。びっくりした」

 なんとなく、気になってふりかえった。

 現れたときとおなじように、店員さんは、忽然と姿を消していた。


 左手の薬指に、ビーズの指輪を嵌めてもらった。露草色が照明に反射して、きらきらひかっている。

「ありがとう」

「うれしい?」

「うん」

「よかったな」

 店内の音楽は、すでにあかるいものに変わっていた。

 けれど、奏ちゃんの雰囲気がおかしい。艶のあるちいさな玉の連なりを、複雑な表情をしてなでつづけている。

「奏ちゃん」

「ん?」

 もしかして、薬指の意味が重いの?

 ほんとうは、指輪なんて嵌めたくなかった?

「あのね、ほかの指でもいいの、わたしは全然……」

 うつむいて、「はずしてもいい」と消え入りそうな声で言った。

 奏ちゃんが、はっと我にかえった。

「ごめん、違う、そうじゃない」

 わたしの手の甲にてのひらをかぶせて、切羽つまったように言いつのった。

「すきだよ、だいすき、そんな顔するな」

「でも……」

「考えてたんだ」

 わたしは顔をあげた。

 奏ちゃんはテーブルに視線を落として、瞳を揺らしていた。

「偶然なのかな……」

 いつになく心もとない声音で、ぽつぽつと言葉を継いだ。

「現存するいちばん古い指輪って、古代エジプトの墓で発見されてるんだよ。指輪にね、スカラベを彫ってた時代もあったんだ」

「スカラベ?」

「糞ころがし。不死の象徴の虫だよ」

 それに、と奏ちゃんは、言葉を濁した。

 ぎゅっとわたしの手を握ってくる、その手のうえに、わたしは自分の手をかさねた。

「なあに?」

 奏ちゃんは、言いにくそうにまつげを伏せた。

「ビーズって、祈祷きとうに使われてたものだから」

 綺麗な顔が、不安そうに翳った。

「さすがに、気持ち悪いよ……」


 暗示なのだろうか。

 重なりすぎる偶然をまえにして、わたしは怯えていた。

 薬品の匂い。

 お父さんは眠っている。土気色の顔をして。

 奏ちゃんが、無言でわたしの肩を抱いた。


 ――ごめん。


 言葉にしなくてもわかる。


 ――不安にさせて、ごめん。


 わたしは静かにかぶりをふった。

 奏ちゃんだって、わたしとおなじ十六歳なのだ。

 それに。

 奏ちゃんは昔から、だれよりも怖がりだった。

 つよさだけを求めてはいけない。奏ちゃんだって、脆さをみせたいときもある。

 未完成の月。

 十六夜のような、わたしたち。

 奏ちゃんが、片手をポケットに差しこんでいた。

 無意識なのかもしれない。お父さんの顔をじっとみながら、ポケットのなかを触っている。

「どうしたの?」

「あぁ、うん……」

 奏ちゃんは恥ずかしそうに、ポケットから手をだした。

「お守り、つい触っちゃうんだよな」

「お守りを持ち歩いてるの?」

 初耳だった。

 十年も一緒にいるのに。わたしはまだ、奏ちゃんのすべてを知らないのだ。

「お守り、っていうか、石なんだけど」

 歯切れ悪く、奏ちゃんはかえした。

「鉱石? みたい」

「だめ」

「どうして?」

「貴重な石だから」

 真剣に拒まれて、わたしはしぶしぶ引きさがった。

 黄昏たそがれ時の病室は、泣きたくなるほど赤かった。

 射しこむ夕陽が胸に迫る。

 炎の色。

 人はみな、みえない蝋燭をもって生まれるのだろうか。

 長さが違うのか。

 燃える勢いが違うのか。


 ――寿命。


 それすらも、わたしたちは選んで生まれてくるのだろうか。

「カノープス……」

 水平線のすれすれに、現れる伝説の星。

 冬になっても、きっと、ここからではみえない。樹木が邪魔をして、ここからではみえないのだ。

 拝みたくなる。

 カマキリみたいに。

 みたことのない神さまに、拝みたくなる。

 扉があいた。

 お母さんが、一輪挿しの花瓶をもって病室に入ってきた。ちいさな白い花を挿してある。

「みて、可愛いでしょう。婦長さんにいただいたのよ」

 お母さんはうれしそうに、花瓶をテーブルに置いた。

 花びらの一枚一枚に、黄色い斑点がふたつ。初めてみる、星の形の花だった。

「めずらしい。野花?」

あけぼの草ですって」

「秋の湿地に咲くんだよ」

 奏ちゃんが補足した。

「花びらを夜明けまえの空に、班点を星に見立ててるんだよ」

「ふうん」

 病室に、夜明けまえの星が咲いた。すこしだけ気が凪いだ。

 お父さんは眠りつづけている。

 夢をみているのだろうか。渇いたくちびるが、ときおりかすかにうごく。

 大丈夫。

 もうすぐ夜がくるけれど。ここには星がある。

 大丈夫。

 わたしはもう一度、自分にそう言いきかせた。


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